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グロリアスマーチ(休止中)  作者: 織上ワト
第一部 悪夢襲来 -Fall In The Nightmare-
7/12

四章 融解 -revival-

遅刻遅刻~☆ というわけで第四章遅ればせながら投稿です。言い訳じゃないんですが、今回割と四苦八苦しながら書きました。その理由はここでは伏せますが……いややっぱりあえて言えば、キャラがクソ多いので扱いに滅茶苦茶困りました。真相はその目で確かめてください! では二層バトル編、どうぞっ!

※今回も例の如く重要単語の読みを置いておきますので、読み方忘れた頃にどうぞ!

《深界クリフォト》《阿頼耶式アラヤシキ》《聖統主エルド》

「こ、れは……」

 突如として変貌を遂げた深界(クリフォト)の空を見上げ、エリナは唖然と声を漏らした。

 一瞬前とは変わり果ててしまった風景。空だけではない。今やその場に存在する総ての物質、空気までもがまるで別ものへと変質してしまっている。

 其処彼処に点在する半ば以上瓦礫と化した廃墟群に、地面に無造作に散らばる朽ち果てた刀剣や甲冑の数々。

 血と戦火、そして濃厚な死の臭いの染みついたそれらは、ここが正真正銘の戦場であるということを容赦なく突き付けてくるようで、どこまでも深い藍色だった空もすでに、腐り爛れた極彩色へと塗り替えられている。

 一言、地獄と言って差し支えない光景だろう。

 本物の地獄を見たことはなくとも、存在するのならばこういう場所なのだろうと誰しもが漠然と想像できるような典型的な破滅の光景がそこにはあった。

(二層、アバドン……)

 それがこの地獄の呼び名。階層構造を成していると言われる深界の第二階部分である。

 心、あるいは精神の奥深くに潜っていくという感覚から、深界は通常第一層を最上層に下へ下へと向かっていくものと認識されているが、何も本当に地下へと続く階段が存在しているわけではない。現に今もこうして周辺風景がいきなり紙芝居のように切り替わったようにしか見えず物理的な移動を果たしたわけではない。

 しかしエリナにとって、そんな当たり前の事実(・・・・・・・)はどうでもよかったし、眼中にすら入っていなかった。

 それは偏に、静騎たちとの経験の差に基づく一つの余裕である。

 実のところ、第二界層アバドンの様相はエリナや紅眼にとって非常に見慣れた風景の一つに過ぎなかった。言ってしまえば、むしろさっきまでいた第一界層シェオルの方が彼らには新鮮な風景に映ったことだろう。

 何故ならば第一界層はある意味で不可侵地帯(・・・・・)。彼らの中では自明であるため詳細は省くが、通常ならば先の静騎たちのように第一界層において脅威に晒され、敵に攻め入られるなどという状況は決して有り得ることではないのだ。

 だからこそ深界が真なる意味で機能し始めるこの第二界層以降が、彼らにとっての本領。当然、これまで数えきれないほどこの第二界層には足を踏み入れているし、だからこそこの光景も目にしたところで何ら感慨も湧かない舞台背景でしかなかった。

 故に彼女が驚きを隠せずにいるのは、突如として周囲に広がり渡った異常な情景の変化そのものに対してではない。

 では何に対して目を見開いているのかと言えば、それは言わずもがな――

「何だ……あいつは……?」

 上空に浮かぶ人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべている奇妙な出で立ちの少女。何の予兆もなく不意にこの場に現れ、今なおニヤニヤと不敵な――ともすれば見る者の不快感を強制的に湧き立たせる笑みを浮かべながら、眼下を睥睨する奴は一体何者なのか?

(さっきまで……というより今も、不自然に広がっている領域は奴のものか。まさか強制的に深層へ落とされるなんて……しかもこれだけの人数を、いっぺんに)

 通常深界における界層ごとの移動や現実への帰還は個々人の意思によるものが大きい。もちろんパスを通ることが基本的な前提となるわけだが、究極的には深層に入りたいものはどこからでも入れるし、入りたくなければ入れないというのが大原則なのである。

 しかしここは精神世界、人の想いや願いの力が大きく作用する空間だ。原則の中にも、時にあっけなく例外が紛れ込んでしまうのがこの世界の特性であり不条理な面でもある。

 要するに他者への影響力や支配力、そうした心が特別に強い者の場合、周囲の人間の意思に関係なく巻き込む形(・・・・・)で自らと共に無理やり界層を飛び越えさせることができるし、逆に界層移動を妨害することも可能となるのだ。

 無論並大抵のことではない。ある意味で言えば、他者の選択意思を強制的に奪うにも等しい行為だ。真っ当な精神の持ち主では到底不可能な芸当だし、できたとして無茶な行動には代償が伴う。心が破綻してしまったとして何ら不思議はない。

 故にエリナは己の常識に照らし合わせて明らかに異端である少女――渾沌の為した所業に驚きを隠すことができなかったのだが……その悪魔の名が示す通り、ここから場の状況はさらなる混沌を極めていくことになる。



「――オオォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッッッ!!」



 突如、その場に落雷を思わせる極大の咆哮が轟き渡った。空間を丸ごと震撼させる凄絶な雄叫びは、それだけで身が裂けるほどの衝撃波を生み出し、波動で一帯の瓦礫に次々とひびが入っていく。

 骨まで響く超震動に何事だと思い、エリナが視線を上げた、次の瞬間――

「グルァァアアアアッッッ!!」

 空気を歪に引き裂く轟哮、そして目の前で爆発でも起きたのかと錯覚させるほどの炸裂音と共に、彼女の華奢な身体が盛大に吹き飛ばされた。

「っ……ぐ、はぁっ! げほっ、げほげほっ……!」

 同時に拘束から解放された澪がせき止められていた空気を肺いっぱいに吸い込み、激しくせき込みながらもその場に倒れ伏す。

 エリナが場を離れたことで茨も消滅したのか、綺やグロリアもまたその拘束から解放されていたのだが、次いで澪の胸中にやってきたのは今日何度目かもわからない違和感だった。

 何だ? 今のは一体……今度は何が起きた?

 度重なる異常事態に更なる異常事態が上塗りされていく現状に、意識がついていけず自分の中で整理がつかない。かろうじて理解できたのが、今の今まで自分たちを死の淵にまで追いやっていた少女がいきなり現れた拳に殴(・・・・・・・・・・)り飛ばされた(・・・・・・)ということくらいだったのだが――


「――ほぉ、紙一重で凌ぎおったか。繊細な外面の割に中々どうして……気骨のある娘よ」


 困惑に加え、多量の失血という物理的要因により脳内が激しく揺れる中、頭上から降ってきたどこまでも重く、魂の芯から震え上がらせる低音に反射的に視線を上げる。

 そして朦朧とする視界に映るその存在を、果たしてどう形容すればいいのだろうか。

「一撃で屠るつもりだったが……しぶといな。まさかこの儂がしくじるとは。(わっぱ)と思うて侮ったか」

 まず、澪の視界に映ったのは巨大な足だった。しかしどう見たところでそれは人間のものではない。

 人の頭など容易に踏み潰せてしまいそうなほどの巨大さに、五指から伸びるギラリと砥ぎ上げられた鋭い爪。極め付けに最も特徴的なのは、その全体を分厚く覆う黒色の体毛だ。まるで鎧のように素肌を覆い尽くすそれは一本一本が針金のように太く、下手な刃物程度などは一切通さない重厚感が漂っている。

 そしてこの時点で気が付いていた。この特殊な形状の足は、獣のそれだ。

 意を決してさらに視線を上げていく。するとそこにいたのは――――まるで武人のような和装に身を包み、大型の熊にも匹敵する巨躯で聳え立つ一頭の黒狼だった。

「嬢よ、初めて見る顔だが……あの魔獣に捕らわれていたということはネツァクの眷属ではないな? アバドン(ここ)は初めてか? その割には存外泰然としておる。大したものだ」

 地に伏し言葉を失う澪を傲倨に見下ろし、感心するように頷くその頭部は見間違いようがなく、確かに狼のそれだった。作り物や被り物には思えないほどのリアリティ。にも拘らずいまだ目を疑う原因はただその体躯の大きさが異常だということ以外にも二つある。

 一つは言うまでもなく言語を介しているということ。そしてもう一つは出で立ちもさることながら、二本脚で立っているということだ。

 生物学上、二本の足のみで地に立ち行動する動物は人間以外には殆ど存在しない。狼など典型的な四足獣の一種だ。

 しかしこの黒狼は違う。丸太ほどの太さはある二本の豪脚で大地に根を張るように立ち、あまつさえ握り締めた拳で腕を組みながら、流暢な人語で感情も豊かに喋っている。

 言うなれば、獣人や人狼といった類のものだろう。作り話の中では馴染み深くとも、いくら精神世界とは言えこのような幻想的存在がこうも平然と現れるとは……深界とは一体どこまで無茶苦茶なのだろうか。

 今のところ澪たちに対して明確な敵意は見られないものの、だからと言って決して安心できる相手ではないことは先の行動が証明していた。

(さっきの一発……狙いはあの女みたいだったけど、一歩間違えば私まで巻き添えを喰らいかねなかった)

 思い出してもゾッとする。

 あの一撃の寸前、轟く雄叫びに言い知れぬ危機感を覚えた澪は咄嗟にエリナの身体を蹴り飛ばし、反動で半身ほど後退していたのだ。そしてそれがそのまま生死を分けることとなった。つまり――

(軍服連中の仲間じゃないみたいだけれど……間違いない。こいつは、味方じゃない)

 先ほどからの発言や、ともすれば友好的とすらとれる態度に絆されはいけない。『敵』と見なされていないことは確かだろう。だが逆を言えば、ただそれだけだ。

 要するに無関心、眼中にない。澪たちが自らの攻撃に巻き込まれて死のうと、紙一重で生き残ろうとどうでもいい。言ってしまえば路傍の石程度の認識で、戦いの最中足元の石を偶然蹴り飛ばしてしまったとしてそれを気にする者などいないのと同じだ。

 弱者に用はない。強者との戦いにこそ価値がある。この獣人の大男からはそんな極度の傲慢さが感じ取れた。

 ――と、

「ヌゥッ!?」

 突如、黒狼の足元から地面を突き破り無数の茨が現れた。しかし先ほどまでとその様相には明らかな変化が生じている。

 さながら剣山が如く、天を衝く勢いで突き出す茨の大杭はその総てが一つの例外もなく赤かった。炎のような鮮やかな赤ではない。悲嘆に染まり、怨嗟に汚れ、憎悪の黒に濁り切った血潮の赤。

 先端まで暗く蝕まれた闇の茨が滴り落ちる怨讐の念に従い、標的を瞬く間に棘の牢獄へと閉じ込める。そして――


「――愚者の檻(ナール・ツヴァイク)


 瞬間、黒狼の前後左右上下死角、三次元空間総ての方向から棘の槍が降り注いだ。一切の隙間を失くした槍衾、それも一撃一撃がライフル銃にも等しき貫通力を持つ故、蜂の巣どころではない。


 ――存在の痕跡すら残さず塵となれ。


 強烈な怨念めいた思念を纏った血の茨が、瀑布の如く黒狼の巨体を圧し貫く(・・・・)

「……『魔獣』、だと? 笑わせるな」

 舞う砂埃の中、外套を翻し悠然と姿を現したのは先の一撃で吹き飛ばされたエリナだった。

 口にした台詞とは裏腹にその顔に笑みはなく、苛立ちも露わに吐き捨てる。身体には黒狼の言葉が示した通り、何らダメージを負っている様子はない。

 防いだのか、そもそもが効いていないのか……加えて、あれだけの砂塵の中にいながらも不思議と汚れ一つすらついてはいないのは最早奇術か妖術の類にしか思えなかった。

「ケダモノ風情がよく言えたもの。鏡を見てから物は言え、犬っころ」

 彼女の纏う空気は先ほどまでの比ではなくなっていた。

 手を抜いていたわけではないのだろうが、スイッチが切り替わったというのが限りなく近い表現だろうか。

 それは変貌した茨をしても一目瞭然であり、彼女の意識がこの時初めて臨戦態勢へと入り込んだことを示していた。同時にそれは澪たちの相手をしていた時の彼女が、あくまで日常の中に存在していたに過ぎないということを意味しており……より明確に研ぎ澄まされていく魂の密度に、周辺空間が耐えられずきしきしと不気味な悲鳴にも似た音を奏で上げていく。

 魔光に染まりし闇色の双眸が、その精神に呼応するように妖しく輝いた。

 しかしその直後――エリナの十数メートル後方、そこから響いた凄まじい墜落音に思わず背後を振り返ることになる。

「――つぅ……いってぇなぁ、くそ。あーマジでツイてねぇ……」

「なっ……レオン中将!?」

 砂塵の舞い上がる中、瓦礫に埋もれるようにして悪態を吐いていたのは、つい先ほどまで静騎と戦いを繰り広げていた紅眼の男だった。

 想像だにもしていなかった己が上官の姿にエリナは思わず絶句してしまう。

 渾沌の乱入により静騎との勝負は有耶無耶に終わったように思えたが、まさか彼が意識を取り戻したのだろうか? いやもし仮に戦線復帰を果たしたのだとして、この結果はあり得ない。

 エリナの性格上、決して口に出したことはないが、彼女は自分の上官である紅眼のことを自分たちの勢力の中でも一、二を争う実力の持ち主であると認めている。こと戦に関して言えば、敗北はおろか劣勢に立たされているところすら今まで見たことがないほどだ。

 少なくとも先ほどの少年――静騎の実力では例え天地がひっくり返ったとして相手にすらならないと確信できているからこそ、この光景は信じがたい。

(まさか、あの妙な女が……!)

 そう思い再び空へと視線を向けても、渾沌がいまだ傍観者を決め込んでいるのも少年が気を失っているのも何ら変わりがない。では一体誰が――そう思った矢先、深界の空から視界を真っ白に覆い尽くす轟雷が降り注ぐ。


「――呆れた奴だ。貴様に用はないと……そう言ったはずだぞ、ネツァクの将よ」


 そして轟く稲光の中、姿を現したのは純白の甲冑に身を包んだ一人の女性だった。

「無論邪魔立てするなら容赦はしないが……今はこうして話している時間すら惜しい。私も貴様の相手をしている暇などないのだよ」

 靡く髪は白金(しろがね)、高潔さを纏ったプラチナブロンド。大の男を凌駕する長身でありながら、その容貌は清冽にして可憐。誰もが目を惹く美女だったが、それだけにその美麗な顔を覆う眼帯が異彩を放っている。

 さらに言えば、彼女の口にする言葉は柔さや脆さなど微塵も感じさせない冷厳たる男口調だ。手にした武装も彼女の身長の倍ほどはある長大な突撃槍(ランス)で、身体の一部と錯覚するほど馴染んだ人器一体の姿は彼女の歴戦を雄弁に物語っていた。

「あいつは……」

 その昂然且つ秀麗な佇まいにはエリナも覚えがあった。

「まぁそう言うなよ、雷后(らいこう)さんよぉ。こちとら前の勝負が半端で終わっちまって欲求不満気味なんだよ。ちぃっとばかし相手してくれても罰は当たらないんじゃないかねぇ」


 雷后――アレクシア・リィス・ド・ラ・エクレール。


 エリナたちとは立場を異にする勢力の一つに属する人間であり、深界においても有数の実力者。

 エリナ自身、実物をその目で見るのは初めてだったが、その身に帯びた雷光に、この距離にありながらもひしひしと感じる重圧(プレッシャー)は尋常ではなく、自分の上官にも匹敵するほどの戦気に精神の震慴を禁じ得ない。

(さっきの犬っころといい、雷后といい……一体どういうことだ?)

 アバドンに引き摺り下ろされてから僅か数分。これほどまでに立て続けに他勢力の人間と鉢合わせるなどはっきり言って異常だ。

 待ち伏せられていたということはないだろう。黒狼はともかくとして、アレクシアは紅眼の男に「貴様には用はない」とはっきり言い切っていた。

 さらに決定的なのが隻眼の彼女の瞳の向く先だ。そこにはもはや……いや、最初からと言った方がいいだろうか、彼女の瞳の中には紅眼の姿など映ってはいなかった。

「渾沌の、悪魔……!」

 電雷迸るその目に映るのは遥か上空に佇む少女の姿。

(まさか……奴が呼び寄せたとでも言うのか?)

 直感的にそう察するエリナだったが、だとすれば狙いがわからない。

 仲間を招集したというのなら理解できる。しかし先の人狼もこの隻眼の女性――アレクシアも皆が皆勢力を異にする敵対者だ。彼らの行動を見ても仲間意識があるようには見えない。

 現にアレクシアの瞳に宿っているのはつい先ほどまでの静騎と同じだ。暗く沈んだ憎悪の念と、烈火のごとく燃え盛る嚇怒の狂熱。これを見てしまえば彼女が渾沌に抱く感情など一つしかないとわかってしまい――

「――っ!」

 そして次の瞬間、エリナの予測違わず溢れ出る殺意の奔流に抗うことなく、アレクシアは空を切り裂く稲妻と化し天へと向かって飛翔した。

「何だよつれねぇなぁ。おぉい、無視すんなって……なぁっ!」

 しかし、文字通り光速で飛び出した彼女の動きを紅眼の男は捉えていた。

 誰が誰を狙っていようと関係ない。重要なのは自らの中で燃える闘志が消化不良気味だということと、目の前に歯応えのありそうな敵手がいるという事実。

 あちらの事情など知ったことではない。

 彼に目を付けられたが最後。俺が戦いたいんだから付き合えよと、その傲慢極まりない身勝手さと、まるで便所に付き合えとでも言うくらいの気軽さで強制的に死闘へ誘うのだ。

 そして此度も例外に漏れず、驚異的という言葉でもまだ生ぬるい動体視力で紅眼はアレクシアに向かい手を伸ばし――

「――カストル、ポルクス。そこの戦狂いは貴様らに任せる。遊んでやれ」

 紅眼を見向きすらしないアレクシアの言葉と同時、新たな気配が二つその場に現れた。


「――アイアイサー!」

「――了解です、隊長」


 アレクシアの命に短く応える言葉が聞こえたと同時――紅眼の頭上から白刃の雨が降り注いだ。

 さながら驟雨が如く、突発的に発生した死の通り雨が敵を滅殺せんと容赦なく襲い掛かる。そしてそれだけでは終わらない。続いて紅眼の足元が盛り上がったかと思えば、今度は地面から百をゆうに超える剣林が突き出してきた。

 天と地、上下双方向から襲来する殺戮の(あぎと)。一度捕らえた獲物は決して逃がさない。噛み砕き、磨り潰し、この牙を血に染め上げるまで離さないと、恋慕にも似た捕食者の殺意が狂い咲く。

 完全に不意を突かれた紅眼は為す術もなく、巨大な牙の餌食となった。そして同時にその場に聞こえてくるのは、この場において実に不似合いなはしゃぐように弾んだ黄色い声と、正反対に落ち着き払った無色透明の静けさを伴う声。

「きゃっははは! やったやった、やったぜいぇーい! 完全勝利じゃん? どーよポルクスー。お姉ちゃんの実力はー?」

「実力も何も、ただの不意討ちじゃないか。むしろ失敗する方がどうかしてるし、そもそもカストル姉さん一人の功績じゃないし」

 そこにいたのは先のアレクシアと揃いの純白の甲冑に身を包んだ、まだ年端もいかない二人の男女だった。二人のやり取りから恐らく姉弟なのだろうと察せられるものの、奇妙、そして目を惹くのが二人の外見だ。

 見目麗しく年相応の幼さと可憐さを兼ね備えた見た目は、美男美女と呼ぶに相応しいものだったが特筆すべきはそこではない。

 鮮やかな桜色の髪に、蒼穹(スカイブルー)の大きな瞳、蕾のような愛らしい口に搾り立てのミルクのように白い肌、さらには身長、体格、挙動の癖や声の高さ……その総てが一部のズレなく一致しているのだ。

 双子なのであろうことは説明するまでもなくわかることだが、それにしたってここまで完璧な符合は最早クローンか何かなのではと疑うレベルである。通常成長過程で徐々に生じてくるはずの肉体的な不調和が、この二人の間には全くと言っていいほど見られない。

 違う部分と言えば、姉の方が髪を側頭に束ねたサイドテールなのに対して、弟の方は下ろしたままのセミショートヘアだということくらいか。あとは、ほくろの位置まで同一な二人だが、その性格だけは一致しなかったらしい。

「何それ可愛くなーい! いつからあたしの弟はこんなひねくれ者になっちゃったのかしら……素直にお姉ちゃんを褒め称えなさいよー」

 感情豊かにころころと表情を変え、オーバーリアクションで明るく振舞う姉のカストル。

「姉さんはいちいち調子に乗りすぎなんだよ……僕らはアレクシア隊長直属の部下なんだから、もっと自覚と品位を保たないと」

 そんな姉を静かに窘め、クールに肩を竦める弟のポルクス。

 紛れもない死線上で、まるで日常会話のような軽妙なやり取りを繰り広げる二人は違和感の塊でしかなかった。

 まさかまだ齢十五にも満たなそうな、子どもと呼んで差し支えない外見のこの二人が、先ほどの凶刃乱舞の所業を為したのだろうか。状況的に見てそうとしか思えなかったが、先のエリナの茨と同様、手段の原理がわからない。

 阿頼耶式(アラヤシキ)の一種なのか、それとも深界にはまだ他に扱える超常の力が存在するのか。

「レオン中将っ!」

 エリナ自身、まさかあの程度で自分の上官が死ぬとは思っていないが、躱す間もなく一瞬で追い込まれたのは確かなことだ。しかも向こうは二人、だったらここで自分が加勢をしない理由はないだろう。そう考え、戦闘態勢を取ったその時――


「――果し合いの最中に余所見とは、感心しないな。小娘よ」


 頭上から感じた凄まじい圧に反射的に飛び退いたと同時、爆雷にも等しき拳撃が目の前の空間を岩盤ごと抉り飛ばした。

「油断が過ぎるぞ。命がいらぬのならそう言え」

「この、クソ犬っ……!」

 そこには先に片付けはずの黒狼が気炎も猛々しく、握り締めた拳を突き付けてきていた。眼前に迫る一撃必死の拳を紙一重で躱すも、さながら絨毯爆撃のような強烈な連撃連弾に反撃の隙が見出せず回避するだけで精一杯だ。

 見ればエリナの作り出した茨の檻は力任せに引き千切られていた。そして、当然の如く黒狼の身体には一切の負傷がない。

「ちっ……分厚い毛皮だ。コートにするのにちょうど良さそうね」

「ふははっ、言いおるわ! だが儂の体毛は刃物はおろか砲弾すら通さんぞ。コートなどではちと役不足であろう。せめて鎧とでも言ってもらわねば、なぁっ!!」

「くっ……ぅ!?」

 怒声一喝。大地が陥没するほどの踏み込みで足場を乱されたエリナの態勢が僅かに崩れた。そしてその隙を見逃すほどこの人狼は甘くない。

「さらばだ、ネツァクの魔獣よ。噂を聞きつけ遥々やってきてみたが……存外、ただの小娘であったな」

 実に三倍以上の体格差。ぎちぎちと握り締められ、エリナの頭部を凌駕するほどに肥大化した大口径の剛拳が、無防備を晒したエリナの矮躯を真芯でとらえ、その身体を歪に貫いた。


       ◇


「ふゥン……イイねェ。中々イイ具合に集まッてきたじャないか」

 一方地上の戦いが一層の苛烈さを極めてきたその頃、静騎たちをこの第二界層アバドンへと引き摺り込んだ張本人である渾沌は、満足そうに舌なめずりなどをしながら眼下の光景を眺めていた。

「ゲプラーに、ティファレト……いや、彼は今ケテルの所属だッたかな? ま、どッちでもいーけど。ネツァクの彼らも合わせれば全部で四……正直もうちョいギャラリーが欲しかッたところだけど、二層じャせいぜいこンなもンか。むしろ集まッた方かな」

 そう独り言ちながら、渾沌は静騎の額から顎までにかけて顔中に妖しく指を這わせていく。

「キミとボクの晴れ舞台だからね。花火は盛大に上げなくちャァ……きひひ」

 鋭利に尖った爪で静騎の頬を静かに切り裂く。流れ出た血を長い舌で舐め取りながら喜悦に表情を歪める渾沌は、言葉の静けさと裏腹に湧き立つ熱情を抑えられていない様子だった。

「さァ、いつまでそうして眠ッているつもりなンだい、シズキィ? その愛くるしい寝顔も、思わずズタズタに引き裂いてしまいたくなるくらいボクは好きなンだけど……このままだとキミの大切なお友達が死ンじャうよォ?」

 金の瞳は淫欲に濡れ、頬にはうっすらと紅が差し、絶頂にも似た痺れに全身をぶるっと震わせる。

 現状下界は、澪や正宗たちを一切相手にせずに事が進んでいると言っていいが、だからと言って彼らの身の安全が保障されているわけではない。あの場から離脱できない以上、いつ攻撃の余波に巻き込まれてしまうかもわからず、全員がすでに満身創痍でろくに動けない今、そうなるのも時間の問題と言えた。

 だからこそ渾沌は、その先(・・・)の光景を思い描いて表情を恍惚に蕩けさせる。

「あァ……見たいなァ」

 ぽつりと零れた言葉から垂れ流しになっているのは隠しきれない情欲。

 敵に敵として認められることもなく、ただただ路傍に生えた雑草の如く踏み潰され、ゴミクズのように散っていく彼らの命。そしてその悲劇が、己が呑気に寝ている間に起きてしまっていたのだと知ったその時、静騎(かれ)は一体どんな顔を見せてくれるだろうか。

 それとも面倒だが、今のうちに自分が直々に全員分の首を取ってくるべきだろうか。彼が起きてすぐ目に入るように枕元に並べておいてあげるのはどうだろう? 目覚まし代わりに一人ずつ順番に首を刎ねていくのもいいかもしれない。

 そうすればきっと、彼はまともでいられない。こちらの期待通りの、絶望に染まった最高の表情を見せてくれる。その顔が何より愛しくて、妄想するだけで股座から淫蜜が滴りそうになったから――

「ァ……ダメだ。ガマンできない」

 荒くなっていく呼吸を抑えることができず、今やだだ漏れになった穢れた愛欲を堰き止める術を彼女は持たない。



 ――愛してる。



 愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる――――愛してるンだ!!


 愛してるからこそ、壊したい、抉りたい……削いで、砕いて、刻んで、磨り潰して――――ぐちゃぐちゃになるまで掻き混ぜたい。

 己が無力さに失意し、堕ちた心を思いっきり弄んで、犯してあげたい。

「キミに光は似合わない。だからボクがプレゼントするよ。キミにぴッたりの絶望を……安心してよ、ボクは決して……キミを見捨てない」


 ――だからキミも見捨てないで。大丈夫、今度はきッと間違えな(・・・・・・・・・・)いから(・・・)


「守ッてくれよォ……弱くて脆くて、何もできないこのボクをさァああッ!」

 常軌を逸した妄執が決壊し、狂乱の笑みを深めた渾沌の悪魔が満を持して動き出す。

 響き渡るは幾万幾億と重なり合い鳴り響く、轟風が如き穢れた羽音。この少女の精神の内奥に詰まった膿み爛れた狂念が、腐臭を撒き散らしながら更なる膨満を見せ――

「……あ?」

 その刹那、狂喜に濡れた彼女の顔のすぐ横を極大の閃光が擦過した。

「あ、ァァあああ……い、たィ……?」

 何が起きたかわからず、フルフルと震える手を呆然と伸ばした先、そこにあるはずのものがないという事実。

 己が顔面の右側、およそ半分が丸ごとごっそり消失していた。

「あッ、が……ァァあああ、あああああああいいいいィィィィィィたァァァァあああああああああいいいいィィィィィィィィィィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――――――――――――――――ッッッッ!!」

 およそ人間の喉から発せられたとは思えない悪魔的な叫喚が深界の空に木霊する。それと同時に抱えていた静騎から両手を手放してしまうものの、今の渾沌にそれを気にかけている余裕はなかった。

 理解が追いつかず、一瞬で消し飛ばされた頭部は横から中身が丸見えになっている。それだけでも悍ましいと表現して仕方がない光景だというのに、約半分を抉られた彼女の脳みそは吐き気を催す異常に侵されていた。

 断面からじゅくじゅくと溢れる何なのかもわからない黄色の液体など序の口だ。よく見ればそこには蠅や蛆、百足や蜘蛛がのたくり回っており、だらりと宙ぶらりんとなっている眼球の表面には死出虫がたかり、食事の真っ最中のようだった。

 およそ人体とは思えない魔巣と化したその身体は醜悪極まりなく、噴き上がる血液も汚臭漂うヘドロのような様相を呈している。

 思わず目を逸らしたくなる光景に違いなかったが、彼女を襲う惨劇はこれだけに留まらない。


「――断罪の夜明けルヴェ・デュ・ソレイユ


 静かに、しかし猛火の烈しさを思わせる声が響いたと思ったその直後、渾沌の頭上から巨大な光の柱が降り注いだ。総てを灰燼と化す裁きの光は射線上に存在するあらゆるものを灼き尽くし、その中心点にいた渾沌は一瞬で消し炭となってしまう。

 口から黒煙を噴き出し、半身が焼け落ちた彼女はすでに生者の態を成していない。にも拘らず全身がびくびくと痙攣するのは神経を駆け巡る電気信号の残滓なのか、阿頼耶式による驚異的な生命力の賜物なのか。

「――いつまでふざけているつもりだ。渾沌の悪魔」

 そうしてその場に吹雪の酷寒を思わせる、零下の声が静かに響く。

「この程度で終わりだと思うなよ。貴様には単純な死すらも生ぬるい」

 宙を駆ける稲光となって現れたのは、先に紅眼と交戦していた雷后――アレクシアだった。

 渾沌同様、如何なる術理か空中に停止し、その瞳をギラリと光らせる。渾沌を射殺さんばかりに睨み付けるアレクシアからは憎悪の陽炎が立ち上っているようで、二人の間に浅からぬ因縁があるのは一目にして瞭然。

 しかし当の渾沌はすでにどう見ても死に体だ。全身の肉と言う肉、骨まで炭と化しており、今すぐにでも風に吹かれて崩れてしまいそうなほどであるのだが――

「かッ、あ……ァ、ひ、ははは」

 アレクシアの言葉に呼応するように渾沌の身体がひと際大きく震える。そしてそれと同時、腹の底から怖気を催す不気味な笑い声が響き渡った。

「ひは、あははハハッ! きひひッ、ひひ、ひヒヒヒハハハハハハハハハハハ――――――――――ッッッ!!」

 黒炭となった渾沌の身体の表面、抉り取られた頭部の切断面がうぞうぞと気味の悪い蠕動を見せ始める。次いで、ボコリと十倍くらいの大きさに膨れ上がった渾沌の頭部が乾いた音を立てて破裂した。そして――

「きひ、きひひひひッ! これはこれは……大変な失礼をしたなァ。すこしおふざけがすぎたよーだ。詫びを入れるよ、雷后殿」

 ヘドロなのか糞なのかもわからない黒い飛沫を地上に降らせながらおどけたように喋る渾沌。その顔には先ほどの腐乱死体のような悍ましい様相はすでになく、時が巻き戻ったかの如く総ての負傷が消滅していた。真っ黒な消し炭となっていた全身も、瘡蓋のようにバラバラと表面が剥がれ落ち、その下から瑞々しい褐色の肌が顔を覗かせる。

 変わらず総てを見下し貶す嘲弄の笑みを浮かべる彼女は、アレクシアの憎悪に爛れた眼光を柳に風と受け流し、仕草だけは慇懃にゆったりとした動作で頭を下げる。

「ボクとしては雷后殿の気持ちを汲ンで、少しでも気が晴れるようできるだけ無様で惨めな風を装ッてみたンだけど……お気に召さなかッたのかな?」

「ほざけ淫売。相も変わらぬ貴様の手管には吐き気しか催さん」

 吐き捨てるように言ったアレクシアは、次いでちらりと地上に視線を向ける素振りを見せる。

「それより、貴様の方こそいいのか? 恋人とやらが落ちてしまったようだぞ。いくら深界とは言え、この高さから落ちれば無事では済むまい」

「ああ、ダイジョブダイジョブ。カレ、この程度じャ死なないから」

 そう軽く答える渾沌は相変わらず下卑た笑いを浮かべるばかりで、如何ほども心配をしている様子はない。

 別にアレクシアも本気で静騎の身を案じているわけではない。ただ、目の前の悪魔が珍しく他人への執着を見せていることに違和感を覚え、僅かでも隙を見せればと揺さぶりをかけてみただけだったのだが、やはり悪魔は悪魔。とことんまで腐敗した性根に、まともな感性を求めること自体が間違っていたようだ。

 要するに、新しいオモチャを見つけたというだけのことなのだろう。面白そうな人間(もの)を見つけては壊れるまで遊び尽くし、飽きれば捨ててまたすぐ次へと興味が移っていく。

 この悪魔にとって深界の総てがそういうものであり、まるで道化のように振舞ってはいるが、その実内面は冷徹さとも違う冷めた感覚に満ちている。『思い入れの無さ』とでも言えばいいのだろうか。何にでも夢中になれるし、それこそ壊れるまで一途に遊び倒せるものの、そこに誇りや純粋な好意など特別な感情が介在しないため、ある種の飽きっぽさが常に隣り合わせに並んでいるのだ。


 ――遍く総てが暇つぶし。


 まとめればそういうことであり、アレクシアはこの少女がそう(・・)だということをよく知っていた(・・・・・・・)。だからこそ次の言葉は彼女の本心から出た言葉だった。

「少年には同情するよ。貴様のような腐れた悪魔に目を付けられてしまうなんて……悲劇以外の何物でもない」

「おいおい、あまり嬉しくなるようなことを言ッてくれるなよ。ボクとカレとの出会いが悲劇(うんめい)だなンて! 照れるじャないか」

 その言葉にアレクシアは心底不快そうに表情を歪める。

 この悪魔の言葉など、そのどれもが何の意味もなさない戯言だということはわかり切っているが、それだけに余計に心がささくれ立って仕方がなかった。

 他者の心を弄び、悪意を煽動するスペシャリスト。人それぞれに存在する琴線とでも呼べる心の急所を的確に見抜き、絶妙な距離感で刺激する渾沌に『敵を倒す』という意識は存在しない。

 まるでそれは自分の領分ではないとでも言うように、舞台袖から総てを愚弄する笑みで高みの見物を決め込むだけなのだ。

「そンなことよりさァ……キミには赤の他人の心配までしている暇なンてあるのかい?」

 とその時、何の脈絡もなく渾沌がそんなことを言い出した。先の発言同様、大した意味を持たないと心の中で一蹴するものの、それでも感情が先んじて射殺さんばかりに彼女を睨みつけるアレクシア。

「おォッと……きひッ、怖い顔だ。そンなに睨むなよ。ボクはただ忠告してあげようと思ッただけさ。知ッてるだろ? こう見えてもボクは情に篤いンだよ、きッひひ!」

 白々しくもそんなことを告げる渾沌にアレクシアは一層苛立ちを募らせるが、そんなことなどお構いなしに渾沌は下衆な笑みを浮かべて地上を見やる。

「下にいるお仲間――ああ、あのわンちャンは違うだろうけど……あれ、ダイジョブかい? 眠れる獅子の尻尾、踏ンじャッたみたいだよォ」

 次いで告げられた言葉にハッとする。まさか下に残してきた部下たちに何かあったのではと、思わず下へ視線を向けてしまう、と――

「ッ……!?」

 べちゃっ、と横っ面に何かがぶつかった。汚泥のような感触に、瞬間、鼻につく腐った卵のような硫黄臭。

 視線を地上に向けたまま固まり、顔面に投げつけられた黒い腐汁をどろりと滴らせるアレクシアを前に、渾沌は堪らず噴き出し腹を抱えて笑い出した。

「ぶッ、く、はははッ! あはッ、あはははハハハハハハハハハハハハハ――――――――――――――ッッッ!! なーンてなンてッ、なンちャッてーッ! ひーッ、いや、いやいや傑作だなァ、今の顔。ぷ、あはははハハッッ!!」

「……」

「きひひひ、()の雷后ともあろう御方が頂けないなァ。キミの標的はこのボクなンじャなかッたのかい? 真剣勝負の最中に他に目移りするなンて……シュギョーが足りない証拠なンじャないのォ?」

「…………」

「仲間を気遣ッていると言えば聞こえはいいけど、それッてつまり信用してないッてことだよねェ? まー彼らの相手はあの悪名高い『禍憑(まがつ)き』だ。心配する気持ちもわからないではないけれど。それとも……浮気性なところは恋人譲りかい?」

 最後の言葉に、今の今まで無反応を貫いていたアレクシアの肩がピクリと震えた。そしてその感情の震えを見逃す渾沌ではなく、一層深い邪悪な笑みを浮かべると、道化のような大仰な仕草で声を上げる。

「ッて、あーあーあー、そうだったそうだった忘れてた間違えた。元だッたね、元恋人。ボクとしたことがウッカリしていたよォ。だッてあまりにも記憶に残ッていなかッたからさー、カレ。存在感薄すぎて忘れちゃッても無理ないよねェ。あーそれとも……」

 渾沌の声がワントーン低くなる。そして――

「『元』じャなくて『故』ッて言ッた方がしッくりくるのかなァ? だッてもうこの世にいないし、ていうか……ボクが消しちャッた(・・・・・・・・・)ンだッけ? よく覚えていないけど、きひひッ」

 その台詞を聞いた瞬間、アレクシアを中心にこれまでで最も激しい雷光が迸った。放射状に空中を走る雷撃は指向性を持たず、あらゆるものを消し飛ばそうと暴れ狂い、その様相はさながら天翔ける竜を思わせる。

 空をうねる光竜の一匹が渾沌目掛けて襲い掛かった。

「がッ、あがががががががああああああああああ――――――――ッッッ!!」

 無防備を晒していた渾沌にこれを避ける手段はなく、右腕を食い千切られると同時に、高圧電流と呼ぶのも生ぬるい電撃が血流を駆け抜け全身を余さず焼き尽くされる。

「べらべらべらべらと……よく回る口だな。気が変わったよ。やはり貴様は今すぐ……皮膚の一片すら残さず、消し炭となって死ね……!!」

「かッ……ひッ! ひはははッ!!」

 白目を剥き、痙攣していた渾沌がまるで脱皮するように自らの全身を脱ぎ去る(・・・・・・・)。そして中から現れたのは先ほどまでと全く同じ、怪我の一つも負っていない至って健常体の姿。

「い~い表情になッたじャないかァ、きッひひ。それでいいンだ、取り繕うなよ、曝け出せ! 腹ン中煮えくり返ッてるくせにクール気取ッて、かッこつけてンじャねーよ! ここは深界なンだからさァ、心の中でくらい素直になろうぜェええええええッッッ!!」

 常軌を逸した狂相を浮かべる混沌から横溢する禍々しい気配が、これまでで最も歪で醜悪な揺らめきを見せ始める。

 傍目から見ればアレクシアの放つ闘気の方が数段格上のように見え、実際にその通りなのだろうが、掻き立てられる得体のしれない不安感は渾沌の方が遥かに勝っている。

 触れれば何が起こるかわからない爆弾と、触れたもの総てを焼き尽くす轟雷。

 深界第二層、アバドンの空で二つの魔性が今まさにぶつかり合おうとしたその時、地上での乱戦もまた第二の局面を迎えようとしていた。



「――くっ……くく、ははははっ!」

 豪快な笑い声がその場に響いた。それと同時、小山ほどはある刃の丘、その総てが一斉に砕け散る。

「くははははっ! やってくれるじゃねぇか砂利ガキどもぉ……おイタが過ぎるぜぇ。雷后殿は戦は達者でもガキの躾けはなってねぇみてぇだなぁ」

 剣の帳の中から現れたのは紅眼の男だった。どこまでも飄々とした様子の彼の身体には衣服にすら一切の傷はついておらず、平然とした様子でその表情を愉悦の色に染めている。

 そう、渾沌の言っていた言葉はあながち嘘ではなかった。

 先のカストル、ポルクス二人の凶刃は紅眼にその一切が届くことなく、結果そこには彼女の言葉通り、戦の狂騒を求め猛り狂う猛獣が目覚めてしまっていた。

「げげぇっ! おじさん何でまだ生きてんのぉ!? 避けられるレベルじゃなかったっしょ!?」

「信じられない……あれだけの攻撃を総て捌いたのか!?」

 その顔を驚愕の表情に染める双子。

 だがそれも無理からぬことだろう。

 百歩譲って攻撃を受け切られたのならまだわかる。事前にアレクシアから紅眼の脅威性については十分知らされていた。だからこそ一度の襲撃で仕留められない可能性も頭にあったし警戒もしていたのだが、この男の様子を見るに恐らく一太刀たりとてその身(・・・・・・・・・・)に浴びてすらいない(・・・・・・・・・)

 避けたのか? いいや違う。あれは避けたというよりむしろ――

「いやぁ、ツイてた(・・・・)ぜぇ……今のはかなりツイてた。お前さんたち良い腕だ、誇っていいぞぉ。一歩間違えば俺と言えど致命傷は避けられなかったはずだぁ。お前もそう思うだろぉ? なぁおい……いつまで寝てんだ、エリナくぅん?」

 そしてその後方数十メートル先、黒狼によって腹部を貫かれ絶命の一途を辿ろうとしていたエリナの身体がピクリと動く。そして――

「ヌッ!? これは……!?」

 いまだエリナの身体から拳を引き抜いていない黒狼の表情に困惑の色が帯びる。いや、これは引き抜いていないのではなく、引き抜くことができて(・・・・・・・・・・)いない(・・・)

 ギリギリと、万力のように締め付けられる腕に激痛が走る。しかしいくら引っ張ろうと力を込めても抜けない。それどころか腕の感覚がどんどんなくなっていく。

 血を吸われているのか、文字通り血の気が引いていく感覚に危機感を覚えていると、更なる異常が起きた。

「……っ!?」

 黒狼の腕が突き刺さった箇所から、赤黒く得体のしれない粘液が溢れ出してきていたのだ。さらにその粘液は黒狼の腕に絡みつくようにして這い上っていき――

「ぐっ……ヌオオオオオオオオオッッッ!!」

 その光景にかつてない恐怖を覚えた黒狼は大気を震わせる咆哮と共に、自らの腕を肩から無理やりに引き千切った。直後、千切れた腕を一瞬にして呑み込んでしまう粘液。

 バリバリぐちゃぐちゃと音を立てて、磨り潰すその動きはまるで生き物のようだった。そしてゴクンと喉を鳴らすような音を零してずるりと這いずりながら還っていったその先――

「――不味いな。お前の血も肉も、獣臭くてかなわない」

 ゆらりと立ち上がったのは、先に瀕死の状態にまで追い込んだエリナ本人だった。どういう理屈か腹の傷はすでに癒え、傷もきれいさっぱりなくなっているが、注目すべきはそこではない。

「ヌ、ハハハ……なるほど、それが貴様の本性というわけか。薔薇の魔獣よ……!」

 肩から血を滴らせ、苦痛に表情を歪める黒狼の瞳に映っているエリナの姿は先ほどまでと一変していた。

 華奢な身体はそのままに右腕が異様な肥大化を見せ、その様相もすでに人のものではなくなっている。赤黒く変色し、剥き出しになった筋肉が不気味な脈動を刻んでいる。背中からは腕と同色の翼のような、鉤爪のような左右で四対の剣が、獲物を八つ裂きにする瞬間を待ち侘び軋みを上げて啼いている。

「食うのは止めだ。お前は骨までバラバラに引き裂いて畜生の餌にしてやる」

「ク、ククク……いいぞ、小娘! そうだ、この昂揚感を儂は待っていた! 強敵と全力でぶつかり合うこの命の際の昂揚感を!!」

 濃密な殺意に呼応するように、黒狼も一層の闘争心を湧き立たせる。

 最早自分の片腕を失ったという事実も忘れているのだろう。それともそんなことはハンデにもならないという自信だろうか。

「くはは、なんだかあっちも盛り上がってきてるじゃねぇか。そんじゃこっちも、といきたいところだがその前に……おらガキどもぉ!」

 手にした軍刀を双子二人に突き付ける。

「誰がおじさんだボケェ。俺はまだ……三十代だっつの、タコがぁああッ!!」

 叫んだと同時、飛び出す紅眼に応戦の姿勢を見せるカストルと、ポルクス。しかしその表情にはすでに先の戸惑いはなく、カストルなど子ども特有の無邪気さで悪戯っぽい笑いすら浮かべている。

「そぉんなこと言ったってぇ、あたしらまだ十代だしぃ。こっちから見たら十分おじさんなんですよぉ、ね? お じ さ ん♪」

「ふざけてないで、来るよ! カストル姉さん!」

 言うが早いか、ポルクスの足元から先ほどと同様無数の剣が束となって飛び出していく。それに次いで、カストルの目の前――何もない空間から機関銃のように放たれる白刃の弾幕。いかなる術理か不明だが、こちらの戦いもいよいよ以て魔境と化してきた。

 全部で三対、七つの魔性がその異常極まる精神性を爆発させ、アバドンの空を震撼させる。

 全員がいまだその全力の片鱗すら見せていない。にも拘らず世界そのものを破壊しかねない魔的な精神性は最早人外と言って差し支えない。

 どこにも逃げ場など存在しない。いずれかが死ぬまで終わらない死闘の第二幕がここに切って落とされたのだ。



こんな感じで前半終了です! キリがいいところがなくって、いつも以上に中途半端になりましたことをお詫びします……。しかしお分かりかと思いますが敵キャラが半端なく増えてます! 今まで乱戦なんて書いたことなかったんでかなり苦労したんですがどうでしたでしょうか……? 自分では正直納得できてはいませんので、これからさらに精進していきたいと思っております。あとやっぱり味方活躍しなかったね! ごめんっ!! でも次回は絶対活躍します。しないとみんな存在を忘れちゃう。ではでは今回もお読みいただきありがとうございました。また次回の更新をお待ちください!!

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