表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グロリアスマーチ(休止中)  作者: 織上ワト
第一部 悪夢襲来 -Fall In The Nightmare-
2/12

一章 変革 -eclipse-

色々納得いかない部分もあるけどとりあえず完成! 週一更新のきつさを思い知っております。。。【2016/9/14現在】

 学園校舎全体に一時限目の授業終了を知らせる鐘が鳴り響く。

 しんとした静けさに包まれていた建物内が俄かにざわめきを取り戻したタイミングを見計らい、静騎は教室後ろの扉から中へと入った。

 本当は二十分ほど前に到着してはいたのだが、授業中に入室するととにかく目立つ。故にそれを嫌って適当に時間を潰してから戻ってきたわけなのだが、それが功を奏したのか、幾人かがこちらを振り返っただけで視線の集中砲火は免れられたようだ。

 とはいえ静騎もクラス内に知人友人の類が一人もいないわけではない。

 無言のまま窓際一番後ろに位置する自分の席に向かって歩いていくと、その途中で隣席の友人がこちらに気付いた。

「よーっす、静騎ぃ。遅かったじゃん、寝坊かよ。昨夜はお楽しみでしたねってやつかぁ?」

 そう言いながら軽薄そうな笑みでひらひらと手を振るのは狼谷(かみや)零士(れいじ)。静騎とは昔から付き合いのあるクラスメイトだ。今年の夏休みに髪の脱色に挑戦したらしいが、見事に失敗し周囲の同情を買っていたプリン頭が特徴的である。

「お楽しみもクソもあるか。いつも通り(・・・・・)最低の寝覚めだったよ。零士も知ってるだろ、僕の悪夢(ゆめ)のことは」

 言いながら半ば鞄を放り投げるようにしながら乱暴に着席する。

「おーこわ。そんな睨むなって……ま、実際キツいんだろうけどさー。実生活に影響出てるレベルだし。いつからだっけ? その悪夢とやらを見始めたのって」

「憶えてない。流石に生まれてからずっとってことはないだろうけど、物心ついた時にはもう見てたな」

 零士の質問にうんざりしたような仕草で大きく嘆息する。

 目覚めていきなり瀕死の重傷に始まり、謎の男の影との邂逅、超常バトルからの完全敗北。絵に描いたようなファンタジー脳全開な夢だが、見たのは昨夜が初めてというわけではない。これまで幾度となく、それこそ一日の空白と置かずに毎夜見続けてきた。

 どうせ夢なら最後は勝って終わってくれと願うものの、しかしその願いが果たされた日は一度たりとてない。

 それどころか毎夜のように見る夢の内容が寸分違わず同じ内容なのだ。怪我の箇所も、男のセリフも、互いの攻め手も何もかもが。

 夢は夢だと気づくことができれば自らの意思で内容を操作することも可能だと聞いたことがあるが、そもそもの話、何千回と見てきた夢の中でそう認識できたことなど皆無だし、仮にできたとしても内容を改変することに言い知れぬ違和感のようなものを覚える。

(どっちかっていうと、あれは夢というより――)

「――前世の記憶、だったりしてね」

 胸の内に言葉で表せないざわつく感覚を覚えていると、不意に静騎の思考を先取りしたかのような言葉が耳に届いた。

 顔を上げるとそこには、前の席から半身振り向く形で少女がこちらに向かって微笑んでいる。

「おはよう、天笠君。相変わらずつれないわね。あなたなら登校して真っ先に私に声をかけてくれると思っていたのに……まさかそこのプリン頭に敗けるなんて、はっきり言って屈辱よ」

「いやプリンは関係ねぇだろ!? 気にしてんだぞ、これでも!!」

 前半のからかうような調子から一転、侮蔑の籠った視線を零士に向けるのは静騎の一つ前の席に座るもう一人の友人だった。

凍月(いづき)……」

「あら? 凍月なんて余所余所しいわね。そんな他人行儀に呼ばないで、二人きりの時みたいに(れい)って呼んで? ……呼んでくれなきゃ殺す」

「怖っ……何で呼び方ひとつで脅迫されなきゃならないんだよ。というか、自然に事実を捏造するな。お前を名前で呼んだことなんて一度もない」

 そうツッコミを入れる静騎を眺めながら悪戯っぽく微笑む少女は凍月澪。零士と同じく静騎の昔からの知り合いで、悪夢の悩みを打ち明けるくらいには親しい仲だ。

 新雪のような白い肌に鋭利さを宿すやや切れ上がった両の眼。ポニーテールにまとまった髪は美しい黒髪で、全体的に均整の取れた身体つきはこの歳にしては大人びた魅力を感じさせるクール美人といった風だが、どこか人を食ったような話し方とストレートに毒を吐く性格が災いしてなのか、クラス内で静騎たち以外とつるんでいるところを見たことがない。

「残念。なら私も当分は『天笠君』って呼ぶことにするわね。はぁ、いつになったら私はあなたのことを名前で呼べるのかしら……」

「知るかよ、そんなこと……」

 何故か理不尽な理由でため息を吐かれてしまい、どっと疲れてしまう。

 周囲の人間から見てみれば、あまり付き合いのよくなさそうな澪は実際その通りであるのだが、静騎に対しては先ほどのような際どい発言をすることも多い。故に零士からは「さっさと付き合っちまえよ、リア充予備軍が」と、恨みの籠った目で睨まれることも多々あるのだが、彼女のからかうような雰囲気が災いしていまいち本心を掴みきれない。

 そのため、静騎としては彼女の言葉をどう受け取っていいものか悩ましいところでもあり、今の距離感が心地いいため甘えてしまっている部分もあるのだが、それ以上に心のどこかで引っかかる部分があるのも確かなことだった。

 それはきっと昨夜の夢にも出てきた――

「……それで、前世の記憶って?」

 夢の中で出会った少女に思考が行きかけたところでかぶりを振る。何だか自分が物凄く女々しい人間のような気分がしてしまい、考えを逸らそうと先の言葉の意味を澪に問う。

「あら? 意外なところであなたの興味が惹けたわ、嬉しい誤算ね」

「茶化すなよ、夢のことは僕も割と真剣に悩んでるんだ」

 そう言って真面目な顔をしてみせる。思いがけず語気が強まってしまったため、澪は目を丸くして軽く驚いているようだったが、次いでどこか申し訳なさそうな表情で話し始めた。

「ごめんなさい、私もあまり深い意味で言った言葉じゃないから少し気が引けてね。ただ、夢ってあまり記憶に残らないって言うじゃない? でも天笠君は夢の内容を全部隅々まで記憶してるみたいだし、そもそも毎夜同じ夢を見続けるなんて完全にイレギュラー。だから前世の記憶が何かあなたに訴えかけてる、なんて結末だったらロマンチックなんじゃないかって、そんな風に思っただけよ」

 その時の澪の表情は申し訳なさと同時に、静騎のどこか鬼気迫った様子にほんの少し戸惑っているようにも見えて、却ってそれが彼女の言葉に嘘はないことを証明していた。

「……そっか、ごめん。大きい声出して」

「いいのよ。天笠君、いつも不機嫌そうなしかめっ面だけど、今みたいに真剣に怒った表情は見たことがなかったから……正直、ぞくぞくした」

「そ、そうか……」

 恍惚そうな表情で頬を赤らめる澪を前にこちらとしては正直、別の意味でぞくぞくしたというか、はっきり言ってドン引きだったのだが、先に話した彼女の言葉は不思議と胸の内にすとんと落ちていた。

(前世、か。もしそうなら確かにロマンがあるけど……)

 あの夢での状況は、はっきり言って異常だった。到底人間業とは思えない所業の数々、敵対していた謎の男も桁外れだったが、対する自分も普通では考えられない力と耐久力を有していた。

 例え前世であったとしても、あれは現実では有り得ない。

(でもあの感覚は、確かに本物だった……)

 今思い出しただけでもぞっとする。あの時感じた痛みや熱さはあまりにリアル過ぎた。夢の中では痛みを感じないなんて話も聞いたことはあるが、そんなものは嘘だと言い切れる。

 そう考えると澪の言っていた前世の記憶という説も馬鹿にはできないのかもしれないが、今一つ現実味に欠けるのも事実だ。

 リアリティがあるのに現実味に欠けると言うのも何だかおかしな気もするが。

「前世の記憶ねー。凍月、お前意外とロマンチストだったのな」

「意外は余計よ、前世プリン男」

「いやだからプリン関係ねぇだろ!? 終いにゃ泣くぞ!?」

 結局その後は話の腰が折れてしまい、すぐに次の授業の担当教諭がやってきたので先ほどの夢の話も併せて流れてしまった。

(そう、ここが現実(リアル)だ。ここが、僕の……)


『――キミの現実(リアル)はこちらだろう?』


 夢の中、対峙していた男の影とは別に響いた耳をつんざくような不快な声が、何故かここにきて鮮明に思い出される。そのことに言い知れぬ不安を抱きながら、静騎は授業を受けるべく教科書を開いた。


       ◇


「ふぅ……」

 放課後、冬の寒さに白くなった息を吐きながら、落ち葉舞う道を歩く。

 結局あの後、再び夢の話をするわけでもなく、いつも通りの学園生活を過ごした静騎は帰宅の途に向かっていたのだが、何となく自分の部屋に帰る気分になれず家の前で踵を返し、束の間の散歩に出ていた。

 こんな風に帰宅後、散歩をすることは初めてではない。特別な理由など何もないが、何か悩み事があるときは大抵そうしていると自然と気が紛れた。この町が、この場所が、自分のいるべき現実なんだと、そういう安心感が全身に浸透してくるからかもしれない。

 あんなわけのわからない、化物みたいに強い人間相手に命を張るような戦場なんて真っ平御免だし、喧嘩の一つもしたことがない自分があの場に立つ姿なんて想像ができない。

(それなのにどうして……)

 どうして、自分は今こんなにも苛立っているんだろう。

 毎日のように同じ夢を見てきた。その度に朝は沈鬱な気持ちになり、それがすでに日常の一部と化していたはずだったのに、今日に限ってこんなにも苛立ち、不安で、いつまでも夢の内容が頭にこびり付いて離れない原因は恐らく、敗戦の夢よりもっと前。

(あの白い髪の女の子……あんなシーン、今まで一度も観たことがなか(・・・・・・・・・・)ったのに(・・・・)、どうして急に……)

 そう、それこそが静騎の夢に突然割り込んできた真のイレギュラー。

 これまでの人生、言ったように静騎は毎夜同じ悪夢にうなされ続けてきていたが、逆を言えばそれ以外の夢を彼は知(・・・・・・・・・・)らない(・・・)

 楽しい夢も、あれ以上に苦しい夢も。静騎にとっての夢とはあの敗戦の悪夢のみのことを指しており、うんざりするほど見てきたが故に、本来なら今更一日中引きずるようなことでもないのだ。

 ああまたかと、朝起きてため息を吐き、学園で澪たち相手に世間話程度に愚痴る。それがいつもの展開で、静騎にとっては何も特別なことではなかったはずなのだ。

 しかし昨夜は違った。澪たちには気恥ずかしくて話せなかったが、敗戦の夢の前段階。まるでお姫様と見紛うような美貌の持ち主である少女との邂逅。

 それは今まで経験したことのない夢であり、彼女と相対したその瞬間、胸の内に熱く込み上げてくるものがあったのを覚えている。

(夢の中の僕が『守りたかった人』って、あの子のことだったのかな……)

 不意に地に伏す自分がそんなことを考えていたことを思い出す。

 だからだろうか。いつも見ていた夢をいつものことと割り切れないのは。

 これまで不明瞭で曖昧だった夢の中の自分が守りたかった人。今まではどこか他人事で、客席から映画を観ているような気分だったはずなのに『相手』が明確になったことで実感を強く伴うようになってしまった。

 そして同時に足元からじわじわと、全身を這い回るように絡みついてくる嫌な感覚。

 機械仕掛けのように繰り返され続けてきた夢の内容がここにきて唐突に変化したという事実。これが一体何を意味するのか。

 もしかしたら今日という日を境に何もかもが変わってしまうんじゃないか。この穏やかな日常の総てが崩れ去ってしまうんじゃないかという漠然とした恐怖にも似た感情はゆっくりと静騎の心の裏側を侵蝕していき――

「――っ、……って、あれ?」

 底知れない不安に飲み込まれそうになったその時、ハッと我に返った。

「ここ……」

 特別何が起きたわけでもない。ただ、いつも歩き慣れている散歩コース。考え事をしながらでも無意識に足が辿っていたそのルートの途中で不意に違和感を覚えた。

「こんな建物……前からあったか?」

 呆然と立ち尽くす静騎の視線の先、そこにはこの閑静な住宅街には不似合いな巨大な屋敷が聳え立っていた。いや、屋敷というより半ば城と言っても差し支えないくらいの洋館だ。

 一般の家屋が何件も収まってしまうほどの広大な園庭、その先に見える見上げるほど大きな館は煌びやかというより、瀟洒(しょうしゃ)で格式のある美しさが見て取れ、白亜の外壁が夕陽を反射して実に幻想的な光景をその場に演出していた。

「新築か? でもこんだけ大きな館なら普通工事の段階で気づきそうなもんだけど……」

 そう呟いてみるものの、一見した印象ではここ最近建ったような雰囲気は見られない。それどころか眼前に聳える両開きの巨大な鉄門や建物の外壁からは、長い年月この場所に存在していたことを示すような汚れや綻びが各所に見られていた。

 しかしこれだけの広さの豪邸にも拘らず、中からは一切人の気配が感じられず、どこか不気味で異様な雰囲気が漂っている。

「はぁ……何やってんだか」

 一つ息を吐いて自嘲の言葉を零す。

 一瞬、色んな前提の総てを無視して『もしかしたら二階の窓の向こうからあの女の子が顔を覗かせるかもしれない』などという妄想めいた思考がよぎってしまった。

 何故そんな風に思ったのかはわからないが……。

(いや、凍月が変なこと言ったからか……)

『前世の記憶』。そのようなことを昼間澪が口に出していたことを思い出した。

 さしずめ、前世で悲劇的結末を迎えた二人の男女が、現世にて生まれ変わり再び運命の出会いを果たす、といったところだろうか。

 今時出来の悪い恋愛劇ですら使わないだろうありきたりすぎる設定だが、ましてここは現実だ。フィクションの世界や自分の妄想めいた夢とは何の関連性もない。

「あほらし……帰るか」

 所詮夢は夢。妙な妄想のおかげで悩んでいた悪夢について少しだけでも吹っ切れた感があるのが唯一の救いだろう。

 あとは何も考えず本でも読んで気晴らしでもすれば、もう完全に忘れてしまえるというのがいつものパターンだ。どのみち夜が来れば悪夢の再来が待っているわけだが、一時でも気休めでも、心の負担が軽くなれば夢を見ずに済むようになるかもしれない。

(なんて、それこそ気休めだろうけど)

 心の中で一つ苦笑し、踵を返そうとした――その時だった。


「――――――――」


「――っ!?」

 不意に背中に感じた気配に勢いよく振り返る。

「……」

 視線の先は先ほど自分が見つめていた洋館二階、一番端の窓際。しかしそこには当たり前のように誰もおらず、相変わらずの不気味な静けさが広がっているだけだ。

「気の、せい……か」

 数秒窓際を凝視した後、緊張で強張っていた肩の力を抜く。

 そう、気のせいだ。そうに決まっている。決まっている、はずなのに……。

「……はぁ」

 一つため息を零してから今度こそ静騎は歩き出す。

 これまで規則正しくループ再生され続けていた夢に乱入してきた少女の夢。見覚えのなかったはずの巨大な洋館。そして確かに感じた背中の視線。

 絶対不可侵だった彼の日常の箱庭に突如として紛れ込んできたイレギュラーたち。そのある種不合理とも言える数々の出来事の重なりが一体どういう意味を持っているのか。

 この時の静騎には何一つさえ理解できてはいなかった。


       ◇


 そして、夜が再来する。

 天笠静騎にとって忘れられない変革の時がやってくる。

 彼はまだ何も知らない。この夜を境に彼の日常、その総てが変わってしまうことを……。


       ◇


 影が走っていた。

 車すらゆうに追い越す速度で暴風の如くアスファルトを駆け抜ける影が。

 進路を遮る障害物は触れた端から砕け散り、暴虐の限りを尽くしながら突き進む影はおよそ実態というものを持っていなかった。

 まさしく『影』。一見して人の形をしていると見て取れるが顔かたちは全くの不明。背格好すら曖昧で、一挙動ごとにぐにゃりと変化する全身は、鳥や虫が群体で空を飛ぶさまを思い起こさせる。

「■、■■……」

 声と言うよりもむしろ『音』と言った方が適切なノイズのような唸りを上げながら影はその速度を増していく。

 目的もなしにただ駆け回っているだけかと思いきやどうやら違うらしい。明確に意思を持ち、荒い息を吐きながらも何かに飢えているように一心不乱とそこ(・・)を目指す。

「■■ッ!!」

 影がひと際不快な唸り声を上げる。そして次の瞬間、地面を踏み砕き、その反動で勢いよく天へと舞い上がった。街区を丸ごと一つ飛び越えるほどの大跳躍。

 獣のように軽い身のこなしで夜空に弧を描き、最後鮮やかな着地を決める。そして周囲を砂埃が巻き上がる中、影はゆらりとその身体を起こした。

 眼前に聳えるのは、昼間静騎も訪れた白亜の洋館。先ほどの大跳躍で外門ごと飛び越え中へと侵入を果たした影は、ゆっくりとした歩調で歩き出す。

 目指す先は決まっている。待っていてくれ。すぐ行くよ。

 見上げた先は洋館二階、一番端の窓際。

 全身から滴り落ちる妄執にも似た歪んだ愛が陽炎のように辺りの景色を歪めながら、狂喜に満ちた感情の器と共にその身を激しく震わせる。

「■■■■――……■■■■■■■■■■■■――――――――ッ!!」

 天上から半身を黒く蝕まれた月が不遜に地上を見下ろす中、月下の咆哮がその場に響き渡る。

 さぁ始まるぞ。もう逃げられない。逃がさない。

 今宵始まる夢の狂宴。舞台の幕はすでに切られた。


 これで君は、永遠に――


       ◇


「――ッ!?」

 腐り爛れた妄念の奔流に押し潰されそうになったところで、静騎は目を覚ました。

「はぁ、はぁ……づっ……今、のは」

 今朝と同様、全身汗みずくになりながらベッドから半身を起こして荒い息を吐き出す。同時に、つい一瞬前まで全身を支配していた正体不明の感情を思い出し、大きく身震いする。

 今宵はまだ夢を見ていない。にも拘らず静騎の胸中は前夜以上の焦燥に駆られていた。

「いや、今のは夢、なのか……? でも」

 街路を走る黒い影。まるで一人称視点のゲームをプレイしているような感覚で、まだ見ぬ誰かを探していたのを覚えている。

 歓喜に震える身体に、狂気に満ちた咆哮。その総てが自らの精神に溶け込んでいくような――

「ぐっ、ぅ……」

 頭の奥がずきずきと痛む。視界がぐにゃりと歪み。喉奥からはむかむかと酸っぱいものがこみ上げてきて、人目も憚らず喚き散らしたい気分になってくる。

 正体不明の焦りや苛立ち、煩わしさが混沌としたまま身体の中で煮詰められているかのような感覚に、気が狂いそうだった。

 そしてもう一つ。

 今現在この場所が確かにいつもの自分の部屋、現実だと感じられているのに、まるで夢の中にいるかのような浮遊感は一体何なのか。

「……行か、ないと」

 ぽつりと、無意識のうちにそんな言葉が零れ落ちる。

 自分でも何故そんなことを口にしたのか分からない。先ほどの夢の内容は確かに気になる。だけどそれ以上にこの身体を突き動かす衝動は、一体……。

 おもむろに布団の中から這い出る。ズボンを履き替え、ハンガーにかけてあったジャケットを羽織り、着替えを済ませて外へ出る。

 その間、静騎の意識ははっきりとしているものの、まるでゲームのキャラクターを画面外からコントロールしているかのようなちぐはぐとした感覚を覚えていた。

 現実と夢の境界が曖昧になっているとでも言えばいいのだろうか。

 まるで夢遊病のようにふらふらと足を向けるのは、あの影と同じ昼間も訪れた洋館の方角。

 今こうして体験している出来事は夢なのか現実なのか、それすらわからないまま静騎は一歩を踏み出す。

(月蝕、か……)

 ふと妙に冷静さを保った頭で空を見上げれてみれば、そこには半分以上を黒い影に塗り潰され、欠けた月が冷たく下界を見下ろしていた。

 その光景にどことなく不安を煽られながらも辿り着いた先、館の門扉は昼間と同じく閉ざされていたままだった。

 しかし静騎は躊躇うことなく手をかける。


 まず、自分以外の、まして知り合いでもない間柄の人物の家に無断で入るなどあり得ない。そしてこの時間だ。夜中に月見と洒落込むのも結構なことだが、それを言うならもう十分に目的を果たせたはずで、さっさと帰宅するべきである。

 そして何より、静騎の耳に届いたのは錆びついた門扉の軋む音だけではなかった。それは自分を取り巻く世界の悲鳴。今この瞬間に自分の愛する日常という箱庭に決定的な亀裂が入ったかのような嫌な音。

 錯覚と言われればそれまでだが確かに耳に響いたのだ。

 要するに――その時点で帰るべきだった。

 しかし静騎は踵を返すことなく、門を開けた。開けなければいけない気がしたのだ。

 広い園庭を通り、大理石の回廊を抜け、そうして辿り着いたその場所に――探し求めていた(・・・・・・・)彼女はいた。


 風に晒され舞い上がる色とりどりの花びら。雲間からスポットライトのように差し込む一条の月光。その光をキラキラと反射しながら天上より舞い降りる雪の一片。

 その総てを舞台装置に、中心に立つ彼女は――ただただ見ているこちらの意識の総てを惹き付けてやまなかった。

 夜闇に煌めく白雪髪(スノーブロンド)。ところどころに走る黒のメッシュは艶やかで、長い前髪のベールの奥から覗く双眸は左右で異色。純度の高い宝石を思わせる翡翠(エメラルド)琥珀(アンバー)の大きな瞳は、美しいと言うより質のいい人形(ドール)のような彼女の蠱惑的な可愛らしさを際立たせているように思えた。


「――ぁ」

 彼女を見つけたその瞬間、何故だか涙が溢れそうになった。言葉で表せない感情が胸の内をざわつかせる。理屈ではなく、心の芯の部分が熱く震えるのだ。

 初めてだ。初めて出会った。そのはずなのに。まるで何百、何千、何万年もの歳月の間、ずっと探し続けてきた相手とようやくで会えたかのような……達成感、安心感、多幸感が、全身の隅々にまで染み渡っていく。

 そしてついに彼女と視線が重なる。あの夢で見た光景と全く同じ。美しく、魅惑的な左右異色の双眸がじっとこちらを見つめて離さない。

「あ、の……僕は――っ」

 何か言わねばと、ようやく声を発せられた口は上手く言葉を紡げず、とりあえず勝手に家の中に入ってしまったことを謝罪するべきかなどと、的外れなことを思い立った――その時だった。


「――」


 首筋を、冷やりと撫でる鋭利な刃の感覚を不意に覚えた。

 実際に刃物を突き付けられたわけではない。これは一種の危機感だ。

 そもそも自分は何故この場所に来た? 自分でもよくわからない謎の衝動に駆られたのは否定できない。だけどもっと、もっと差し迫った何かがあったからここに来たんじゃないのか?

 喉がカラカラに渇く。心臓はうるさいくらいに鼓動を刻み、額に滲んだ汗が頬を伝って顎から落ちる。

 もし、もしもだ。有り得ない話だと分かっているが、夢の中で見た影、あれが単なる妄想や幻の類ではなく、現実にこの館を目指し、そして今もまだ何処かを彷徨っていたならば――

(奴の、狙いは――!)

 緊張が頂点に達し、静騎の予感がある一つの答えを導き出したその瞬間、頭上から窓ガラスが割れる乾いた音が響いた。


「■■■■――――――――ッッ!!」


 割れたガラス片がキラキラと月光を反射しながら降り注ぐ中、悪魔めいた咆哮が総てを吹き飛ばそうと大気を震わせる。

「なっ!?」

 上空から飛び降りてくる熊ほどの大きさはある黒い影。先に見た夢の光景は妄想や幻などではなかったと、今この瞬間になってようやく確信にまで至ったが、そんな戸惑いよりも差し迫った問題があった。

 黒い影の着地点にいるのは白髪の少女。夢の中での狂気の通り、影の狙いは彼女だった。振り上げた影の腕が一瞬で丸太ほどの太さにまで肥大化し、標的目掛けて振り下ろされる。

 彼女と自分との距離は目算で十メートル以上も離れている。影の落下速度を鑑みるに、助けようにも常識的に考えて間に合う距離ではない。

「っ……」

 目の前で次から次へと起きる異常事態。総てが未体験で、いまだ混乱の渦中にあるのは確かなことだったが、その刹那の間隙に胸中を巡る覚えのない後悔があった。


(僕は……また(・・)――)


 視界を流れる光景がスローモーションへと変化していく。一秒が永遠にも感じられる時の流れの中、彼女の視線をこの身に感じた。

 すでに影の巨腕はすぐ眼前にまで迫っている。それなのに彼女は、死の間際とも言えるこの時に……笑っている?

 何かを確信しているかのように迷いのない瞳。静騎がこの場に現れてから一瞬たりとも外されることのなかったその視線が、再び重なったその時、彼女の唇がそっと動き出した。そして――


『わ』


『た』


『し』


『を』


 彼女の口が言葉を紡ぐ。天笠静騎を突き動かす。たった一つの――魔法の言葉を。



『私を――――守って』



「――……っ!」

 瞬間、静騎の全身を雷光が駆け抜けた。理性を飛び越え、本能を追越し、意識の奥底に沈んだ無意識の領域にまで、今すぐ覚醒し(おき)ろと訴えかける。

 彼女の願いを、自らの誓いを果たすため、静騎はこの場における力を行(・・・・・・・・・・)使するべく(・・・・・)、溢れ出る記憶の奔流に身を任せるように、想いを形に――言葉にする。

 願った想いはたった一つ。


 ――彼女の下へ。一秒でも早く。


「――烈心(れっしん)


 直後、静騎の姿がふっと消え去る。

 人の持つ『想い』を力に変え、超常へと昇華させる術式――阿頼耶式(あらやしき)。その異次元的力をすでに知っていた(・・・・・・・・)静騎は刹那の時さえ追い越して、少女との距離を一足でゼロへと変えた。

 次いで目の前に現れたのは、影の魔手。いきなり割り込んできた静騎の存在に気付いていないのか気にしていないのか、巨大な腕に宿した力を緩めることなく振り下ろしてくる。

 その豪腕を前にして静騎は一つ息を吐くと――

「――激心(げきしん)

 再び呟き、ぐっと拳を握り込むと、影の拳に微塵も怯むことなく自らの拳も真っ向から突き出した。

「■■――――ッ!!」

 激突した拳は火花を散らし、巻き起こる風刃(かぜ)が頬を裂く。

「くっ、ぉおおおっ!!」

 拮抗しているかのように思われた互いの力。しかし、直後ひと際大きな火花が咲いたかと思えば、静騎の拳撃に力負けを喫した影の拳が粉々に砕け散り、その巨体ごと大きく吹き飛ぶ。

「はぁ、はぁ……そう、だ。僕は、今度こそ(・・・・)……」

 壁へと激突し、瓦礫に埋もれる影を前に無意識のうち零れたその言葉。

 いつの日か、前にもどこかでこんなことがあった気がするのは何故だろうか。

 握り締めた拳は血に滲み、鋭く走る痛みに徐々に冷静さを取り戻す。頭の中に様々な疑問や想いが駆け巡る中、不意に服の裾を引っ張られるような感覚を覚えた。

 振り向いたところで、改めて少女と向かい合う形となり、静騎の姿を捉え離さなかった彼女の瞳と今一度視線が重なる。

 このとき、この瞬間に、天笠静騎の世界が打ち砕かれる音がした。

 遙か悠久なる時を超え、広く果てしない世界を越え、次元すらも超越して――


「――また、お会いできましたね」


 ――彼女と紡ぐ栄光へと導く軍歌(グロリアスマーチ)。その始まりを告げる喇叭の音色が高らかに鳴り響いた。




そんなこんなで物語が動き出します。次週には大きなバトルがあるかも? ついでに能力とか諸々の説明もある予定。頑張って来週も投稿します!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ