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第85話 アリエスのほのおのうず

 メルクリウスの望みはただ一つ。

 魔神族の勝利でもなければ栄光でも名誉でもない。

 己の命すら、その為ならば要らぬと思える。

 たった一人でいいのだ。たった一人……勝手に想っているだけの惚れた女が生きられるならば、それでいい。

 だから彼は魔神王に交換条件を出した。

 ドラウプニルを守護している守護竜の生き血を、その身体ごと魔神王へ献上すると。

 守護竜の生き血は豊富なマナを含み、あらゆる生物の全戦闘能力を上昇させる働きを持つ。

 魔神王にとっても大きな価値を持つ、無視できない対価だ。

 要するにルファス曰くのドーピングアイテムであり、それも間違いなく最上位に位置している。

 無論本来ならばまともに戦って勝てる相手ではない。

 だが今だけは別。ある者により消えない毒を植えつけられた守護竜ならば倒す事が出来る。

 だから……だからこそ負けられない。

 こんな所で、勇者などに跪いている場合ではないのだ。


「私は勝つ! 例え悪魔に……否、神に魂を売ろうとも!」


 メルクリウスの身体をウィルゴの剣が裂く。

 反撃しようにも他の連中が邪魔をして上手くいかない。

 後方から飛んでくるクルスの魔法が僅かではあるが確実にダメージを刻み、こちらがいくら傷を与えてもすぐに回復される。

 いかに個の力で勝ろうとも、こうまで数に差があっては勝てるものも勝てない。

 ましてやこの聖域による弱体化まで加わっては、いかに七曜でもどうしようもないだろう。

 そして思ったよりも厄介なのがあの勇者だ。

 本来勇者とは、ウォーリア系統三種とソードマスターを極めた者のみが到達可能な一種の隠しクラスである。

 そしてそれは、あの二百年前の英傑達の時代においてすらアリオト唯一人を除き誰も到達出来なかった剣の頂だったのだ。

 しかしこの勇者はあろうことか、最初からそのクラスに就いている。

 その、何と出鱈目な事か!

 レベルと戦闘力が釣り合っていない。観察眼で見た限りレベルは僅かに40未満。だというのにその強さは既に傭兵のガンツにすら並ぶほどとなっている。

 これでは勝てない。いかに七曜の一人メルクリウスといえどこの状況は引っくり返せない。

 だから彼は、望んではならぬ相手へと望んだ。

 そして心の中のその問いに、確かな答えが返ってきてしまう。


『弱き人形よ。力を求めますか?』


 心臓が跳ねるような鼓動音が耳に響き、絶大な存在感を持つ何者かの声が響いた。

 一瞬彼の脳裏に浮かんだのは、海のような蒼い髪をなびかせたこの世のものとは思えぬ美しい女性の幻影。

 どこか、彼のかつての同僚であったウェヌスと似た顔立ちの、だが彼女など比較対象にもならぬ力の持ち主だ。

 そして理解した。ああ、こいつだ。

 こいつこそが自分達の創造主。否、術者なのだと。


「ふん、私の足掻きもお前にとっては人形劇の一幕か。

ああ、それでいい。人形になってやる。お前の出来の悪い喜劇の脇役になってやる。

だから女神よ! 私に力を寄越せ! 何者にも負けぬ力を、この私に!」


 クスリ、と女神が嘲笑した――気がした。

 ああ、嘲笑っていろ。蔑んでいろ。

 解っているさ。これをやってしまえば二度とは元に戻れぬのだろう?

 後戻り出来ぬ道に踏み込んでしまったと、理屈ではなく本能で解る。

 『魔神族のメルクリウス』という完成された魔法の形を捨て、無理矢理に出力だけを上げるなら、それはもうメルクリウスではない、ただの強力な水魔法だ。

 メルクリウスの形が崩れ、アメーバ状に溶けていく。自分が自分でなくなるのが実感出来る。

 

『いいでしょう』


 メルクリウスの身体から凄まじいまでの天力が迸った。

 本来ならば魔神族が決して発さぬはずの聖なる輝きに全員の表情が硬直し、突然の異常に思考が追いつかない。

 だが変化は顕著だった。

 メルクリウスが人の形を失い、ドロドロと溶けて広がっていく。

 それだけではなく明らかに体積が増え、勇者達全員を飲み込まんと雪崩の如く押し寄せてきた。

 咄嗟にウィルゴとクルスがシールドを展開するも、それも長続きしそうにはない。


「っ!」


 黒衣のローブを脱ぎ捨ててアリエスが前に飛び出した。

 拳に炎を灯し、一撃! その気になれば大地だろうが砕く、外見を完全に無視した腕力でメルクリウスだったものを殴り飛ばす。

 だが吹き飛びこそしたものの、効いていない。

 蒸発はしているが、消えたそばから増えている。


「え? あれ? だ、誰!?」


 突然のアリエスの出現に瀬衣が戸惑っているが、答えている暇はない。

 アリエスはすぐにこの狭い戦場を不利だと判断すると掌から火弾を発射して壁を溶かし、大穴を開けた。

 そしてウィルゴを抱き上げると、彼女の意見を聞かずに跳躍。空洞から脱する。


「お、おい、今のはスヴェルにいた嬢……いや、坊主じゃ……」

「何言ってるんだおっさん! とりあえず、よくわかんねえが俺達も逃げるぞ!

ここは何かやべえ!」


 アリエスと一度会った事があるガンツが呆然としているが、彼以外には何の事だか分からない。

 わかるのは、あの少女(?)が、狩猟祭に参加していた黒衣の男と明らかに別人であり、すり代わっていたという事だけだ。

 アリエスの開けた穴から皆が慌てて逃げる中、瀬衣は何かに気付いたように逆走した。

 そして地面に落ちている小瓶を拾い、すぐに走って大穴から飛び出す。

 その直後に空洞を完全に水が満たし、そればかりか霊峰そのものを覆い尽くしてしまった。

 超人的な身体能力で山の斜面を滑り落ちるように降りた瀬衣達一行は、慌てたように山へ駆け寄ってきたカイネコと合流する。


「み、皆! これは一体何事だ!?」

「分かりません! メルクリウスが急に変身して……」

「あ、アレはメルクリウスなのか!?」


 カイネコの問いに、クルスも混乱から立ち直れない荒い語調で語った。

 とはいってもクルスだって何が何だか分かっていない。七曜が変身するなんて今までに例のない事なのだ。

 もはや面影すらないメルクリウスは雄叫びをあげながら益々体積を増し、水が増量していく。

 このままでは霊峰といわず、このドラウプニルそのものが飲み込まれてしまうだろう。


「なあクルス。アレどうすりゃいいんだ? 斧は……効くわきゃねえよなあ」

「ま、魔法だって無理ですよあんなの。私に聞かないで下さい」


 ガンツが遠い目をしながらクルスへと問うが、答えが返って来るとは彼も考えていない。

 そして案の定、クルスも『無理』の二文字を返し、全員が沈黙してしまった。

 結局のところ、この場において全員の見解は一致していた。

 即ち、どうしようもない。あんなのは人の手に負えるわけがないのだ。


*


「ま、待ってアリエスさん! どこに行くの!?」

「え? とりあえずルファス様達と合流だけど」


 アリエスはウィルゴを抱えたまま木々や岩の上を跳躍してメルクリウスから距離を取っていた。

 少なくともメルクリウスはアリエスにとって負ける相手ではない。

 だが少しばかり厄介な事に違いはなく、ウィルゴを守りながら戦うのは面倒だし万一がないとも限らない。

 ならばまずはルファスから与えられた任務を優先し、ウィルゴの無事を確保する。

 本当はウィルゴに勝たせて自信を付けさせてあげたかったのだが、命の危険が出てしまっては話も変わる。

 ここは一度ルファス達と合流して彼女の安全を確保するべき場面なのだ。


「合流って……あそこにいる人達は?!」

「んー? まあ、頑張って逃げ……いや、無理かな。走る速度より水が増える速度の方が速いね」

「じゃあ駄目だよ!?」


 アリエスにとっては見知らぬ人間がどうなろうと、あまり知った事ではない。

 正直な話、この国だって消えようが残ろうがアリエスにとってはどうでもいいのだ。

 彼は基本的に温厚な性格ではあるし、十二星の中では話の通じる部類である。

 しかしその行動基準は一にルファス、二にルファス、三四もルファスで五がその他である。

 しかもその他ですら八割は身内関係だ。身内以外に裂く感情など実は殆どない。

 結局のところ彼は羊なのだ。まず群を最優先に考えてしまうし、群の先頭が間違えたら一緒に間違えてしまうのがアリエスだ。

 つまり彼は割と、自分達以外の事に関しては無関心なのである。

 その分、一度懐けば地獄の底までついてきてくれるのも彼なのだが。


「まだ皆あそこにいる。何とか助けないと」

「避難するまで稼ぐって事? でもあの量の水はちょっと厄介だと思うんだけど」

「でもアリエスさんなら出来るんでしょ?」

「……まあ、出来るけどさ」

「なら、お願い!」


 身内の為ならば命がけで戦う事もするが、見知らぬ誰かの為に戦うのはアリエスにとって損しかない。

 しかも勇者という事は要するにルファスの敵だ。

 何が悲しくて無駄に戦って敵を助けなければならないのだろう。アリエスにはそこが心底疑問であった。

 しかしこのまま見捨てていくとウィルゴの心に傷を残してしまうかもしれない。

 アリエスはしばし考え、とりあえず今回はウィルゴの心の安定を優先する事にした。

 あの戦いを見る限り、勇者ならいつでも焼き殺せる。向こうが敵対する意志を見せたなら、ウィルゴの見ていない所で焼いてしまえばいいのだ。


「分かった……戻るよ!」


 アリエスは木を蹴って方向転換し、霊峰へと引き返した。

 そして水の射程距離外ギリギリまで来た所でウィルゴを降ろす。


「ウィルゴは彼等を逃がしてきて。その間は僕があれと遊んでるから」

「う、うん、わかった」

 

 ウィルゴを置いたアリエスは地を蹴り、先ほどまでよりも速く駆ける。

 そして充分な加速を乗せ、全身を炎に包んでの体当たり。

 メルクリウスごと霊峰をも貫き、反対側から飛び出した。

 更にもう一度突撃。再びメルクリウスを貫いてその部分の水を蒸発させる。

 しかし消したそばから水が増殖し、これではキリがない。

 どうやら周囲のマナを手当たり次第水に変えて自分の身体に足しているらしく、マナごと消し飛ばさないといくら焼いても全くの無意味だろう。


「まあ、駄目元で色々試してみようか」


 アリエスは再び突撃し、今度は拳を天へと掲げるように振り上げた。

 その衝撃波だけで突風が舞い、竜巻のようにメルクリウスを空へと跳ね上げる。

 追って跳躍し、一秒に数十発の蹴りを炎と共に叩き込んだ。

 蹴り、殴り、貫いて、そして木や岩を足場にまた跳躍してメルクリウスが落ちるよりも早く攻める。

 傍から見れば虹色の炎の弾丸が縦横無尽に駆け回り、巨大な水の怪物を滅多打ちにしているようにしか見えないだろう。

 放たれた水の触手を避け、手から炎をバーニアの如く発して加速。距離を詰める。

 そして渾身の蹴り――の衝撃波でメルクリウスを蹴り飛ばし、距離が開いた所ですかさず両手を広げた。


「はああ……!」


 炎の弾丸を連射、連射、連射!

 再生するよりも早く蒸発させてしまえば、あるいは完全に消滅させる事も可能なのではないかと考えての行動だ。

 アリエスの放つ炎弾が次々とメルクリウスを消し去り、形を保てなくなった水はマナへと還元されていく。

 山よりも巨大だった水はみるみるうちにしぼみ、遂に元のメルクリウスと大差ないサイズにまで縮んでしまった。

 相手がいくら巨大だろうがアリエスには関係ない。

 何故なら彼の攻撃は『割合ダメージ』。どんな相手だろうが等しくダメージを刻み込むのだ。


「『メサルティム』!」


 アリエスが両手を掲げ、巨大な炎の塊を生み出す。

 この炎こそ割合ダメージの真骨頂にして彼の得意技だ。

 その効果は『接触している間割合ダメージを与え続ける』というものであり、長期戦であればあるほどアリエスが有利となる。

 その炎の塊を投げつけ、メルクリウスを炎で包みこんだ。

 この光景をルファスが見れば「だからそれ、そういう技じゃないって」と突っ込みを入れたかもしれない。


「オ、オオオオ、オオオオ!」


 メルクリウスが断末魔をあげ、その身が消えていく。

 炎が消えぬ限り永続的に焼かれ続けるのはまさに地獄だろう。

 割合ダメージも積み重ねれば、やがて相手のHPは削りようもない1にまで落ちてしまう。

 執拗なまでにメルクリウスの身体を焼き続ける炎はいわば、消火せぬ限り持続する割合ダメージの連射。下手な固定ダメージなどより余程恐ろしい。

 やがてメルクリウスは小さな水の破片となってしまい、確認するまでもなくHPが1となってしまった。

 アリエスは最後に小さな炎弾を発射して水の破片を蒸発させ、ここに完全にメルクリウスを抹消する。

 普通ならばここで終わりだ。完全に焼き滅ぼしたのだから、この後があるわけがない。


「……あー……やっぱこうなるんだ」


 しかし今のメルクリウスは普通ではない。

 周囲のマナが再び水へと変化していくのを見ながら、アリエスは困ったように頬をかいた。


皆様こんばんわ。

皆様のおかげで何とか6/15に2巻発売が決定となりました。

もし本屋などで見かけたら暇つぶし代わりに手に取って頂けると幸いです。

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