第78話 スコルピウスのどくどく
建ち並ぶ組み立て式住居の中でも一際大きなテントの中。
皇帝に呼ばれた狩猟祭上位入賞者達は全員がそこに整列し、呼び出された理由が話される時をまだかまだかと待ちわびていた。
瀬衣もまたその中に並び、時間潰し代わりに周囲を見回す。
優勝者である白翼の少女は勿論として、ビキニアーマーの変態や黒尽くめのキザ男の姿も確認出来る。
あいつら上位に入ってたのか、と思いながら、何処か違和感を感じる。
はて……あの黒尽くめ、あんなに身長低かっただろうか?
それに何故かサングラスなど付けているし、どうにもおかしい気がする。
しかし瀬衣も彼をそこまで知っているわけではなく、疑問は疑問のまま氷解する事なく保留されてしまった。
実はこの違和感は全くの正解であり、実は黒尽くめは昨日までと同一人物ではない。
本物の彼は何者かの襲撃を受けて今も宿でぐっすり失神っており、ここにいるのは彼に成り済ましたアリエスだ。
衣装はルファスに練成ってもらい、ついでに黒のウィッグを被っている。
だがそんな事を瀬衣が知るはずもなく、見事にスルーしてしまったのだ。
そして待つ事数分。テントの中に小柄な猫の獣人が姿を現した。
身長は百三十といったところだろうか。
その外見はまさに二足歩行の虎猫そのものであり、どこか滑稽さすら感じさせる小さな鎧に身を包んでいる。
しかし彼が現われるや、獣人の兵士達が一斉に敬礼をした。
どうやら見た目に反してかなり上の地位らしい。
彼は集まった戦士達を一瞥すると、コホンと咳を漏らした。
「皆の者。我輩は猫である」
見れば分かります。
きっと、この場にいた誰もがそう思った事だろう。
そして見た目に反して声が無駄に渋い。
獣人は外見で性別が分かり難いとはよく言われるが、どうやら彼は雄のようだ。
「我輩はドラウプニルの戦士長を務めるカイネコという。
勇士諸君。よくぞ呼びかけに応じ、集まってくれた。
昨日の狩猟祭における戦いは見事なものであったと陛下も大層満足しておられた」
瀬衣はこの瞬間、猛烈に突っ込みを入れたい衝動に駆られていた。
何だ、そのふざけた名前は。ボケか? もしかして突っ込み待ちなのか?
しかし周囲を見ても誰も彼の発言に何か感じている様子はなく、瀬衣は妙な孤独感に襲われた。
俺だけか? おかしいと思っているのは俺だけなのか?
そう思っている瀬衣の見ている前でカイネコは手で顔をゴシゴシと擦り、言葉の続きを口にする。
「今回諸君を呼んだ理由は、その力を是非我が国の為に貸してもらいたいが為だ。
いや、ハッキリと言ってしまうと今回の狩猟祭自体、勇士を探す為に開催したと言っても過言ではない」
「それはつまり、ドラウプニルからの依頼と考えてよろしいですかな?」
「うむ」
カイネコに対し質問を発したのは小柄な筋肉質の男だ。
髭がモジャモジャと生えており、手には斧を携えている。
これは恐らくドワーフという種族だろう、と瀬衣は考えた。
見るのはこれが初めてだ。
「これはドラウプニルからの正式な依頼である。
勿論褒賞は用意しよう。見事依頼が達成された暁には参加した全員に1000エルを渡す事を約束する。
そして我等が望む物を見事持ち帰った者には50万エルを渡す用意がある。
無論、他の者達も最高の栄誉と共にその名を刻む事を誓おう」
50万エル、という言葉に瀬衣とウィルゴ、黒衣の三人を除く全員の目の色が変わった。
冒険者に支払われる報酬としては破格も破格。余程の無駄使いさえしなければ十数年は遊んで暮らせるだけの額だ。
更に目的の物とやらを自分が持ち帰れなくとも参加さえしていれば成功時に1000エルが保障され、栄誉を手に入れる事も出来る。
それだけでも参加する価値は十分だ。今後の冒険者活動が格段に楽になるし名前も売れる。
「それで、私達は何を取りに行けばいいんですか?」
「諸君等には霊峰フニットビョルグに赴き、そこに保管されているエリクサーを取ってきて貰いたい」
ウィルゴが質問をすると、カイネコは目的の物品の名を告げる。
それを聞いて瀬衣が思い浮かべたのは、つい最近までやっていた大作RPGの画面だ。
使うのが勿体無い勿体無いとずっとアイテム欄に眠らせたまま安上がりなアイテムや回復魔法ばかりを使い、気付いたら最終戦終了まで溜まりに溜まったエリクサー数十個が虚しく出番を待っている、という誰もが見るだろうあの光景。
瀬衣にとってエリクサーとは、何というかアイテム欄の華のような存在であった。
無いと不安になるが、あっても使わない。それがエリクサーだ。
しかしそんな彼とは違い、この世界に生きている者達にとってその名は驚愕に値するらしい。
全員がざわめき、そして信じられないと声を震わせる。
「エリクサーだと!? おいおい、冗談はよしてくれ! そりゃあ二百年前に魔神王のせいで失われた伝説の霊薬じゃねえか!」
「そうだ。だがその霊薬はまだ実在する。
我等が偉大なる始祖、獣王ドゥーベはフニットビョルグにその霊薬を保管していたのだ」
話を聞きながら、アリエスが思い出していたのは王墓を攻略した時の事だ。
伝説の霊薬エリクサー。一部の錬金術師のみが作る事を可能とした奇跡の具現。
二百年以上昔、ルファス・マファールと賢王メグレズの共同研究により製造法が発案されたという錬金術の一つの到達点。
あらゆる傷を癒し、マナを全快させ、病気すらも完治し、寿命すらも延ばす至高の一品。
……それ王墓に沢山転がってたなあ、と思い、アリエスは遠い目をしてしまった。
主曰く、『いつか使うつもりで溜めていたのだが、勿体無くてなかなか使わず気付いたら数だけが増えていた』との事らしい。
勿論それらは全て回収され、今ではマファール塔に保管されている。
その数、実に四十三本。これを全て売れば人類の生存圏丸ごと買い取れてもおかしくない、酷い数だ。
話を聞くに魔神王は現存するエリクサーを全て砕くかして世界から消してしまったようだが、リーブラが防衛していた王墓だけは見落としたらしい。
「勿論、持ち逃げは絶対に許されん。もしそんな事をすれば我が国そのものを敵に回すと思って欲しい」
エリクサーは最も価値ある霊薬だ。もし売ればその値段は五十万エルなどというチンケな額には収まらない。恐らくはその十倍はいくだろう。
故に欲に駆られる者がいてもおかしくはないが、それは一国を敵に回す行為だ。
その事を念入りに釘刺し、カイネコは説明を続ける。
「だがそれでは納得出来ない者もいるだろう。
そこで、見事持ち帰った者にはこのエリクサーをほんの僅かな量ではあるが分け与える事を約束しよう」
そう言い、カイネコは小さな……本当に小さな、指先で摘める程度の小瓶を皆に見せた。それだけの量を与えるという事だろう。
大きさにしておおよそ五センチ程度の小瓶だが、それを見て冒険者達は一斉に沸き立つ。
ほんの一口で消えてしまう量だが、その価値は計り知れない。
どんな傷でも癒し、万病を癒し、明日には寿命を迎える老人の余命すら数年か、あるいは十数年は延ばしてしまう。それだけの効能がエリクサーにはあるのだ。
だがアリエスがこの時思い浮べていたのは、ディーナが『溜め込みすぎです!』と文句を言いながらせっせと回収していた、3リットルは入っていそうなでかい瓶入りのエリクサー四十三本であった。
あの光景をここにいる人々に見せたら卒倒するんじゃないだろうか。
「あの、何故そんなものが必要なんですか?」
「我が国の護りの要である守護竜様が突然重い病にかかってしまってな……それを癒すのにどうしてもエリクサーが必要なのだ」
究極の霊薬であるエリクサーは、うまく使えばその一本で戦況を変える事が出来る。
例えばメグレズに飲ませれば不自由なその足もたちまちに動くようになるだろう。
メラクに飲ませれば翼が蘇るだろう。
魔神王の呪いは解けずとも、七英雄が五体満足を取り戻せるならば戦局は大きく揺らぐ。
そしてきっと、それが正しい使い道だろうし魔神王はそれを警戒してエリクサーを全て砕いたに違いあるまい。
ドゥーベもまた、それを予期したからこそ保管したのではないだろうか。
ならば今こそが、その霊薬の使い時なのだ。
「今、守護竜様が倒れては我が国は魔神族に攻め落とされる。
それを防ぐ為にどうしてもエリクサーが必要なのだ」
守護竜の復活。それなくしてドラウプニルの明日はない。
予想以上の危機的状況に瀬衣は唾を飲み、これが一国の存亡をかけた重大な依頼だと心に刻んだ。
だが同時に瀬衣はこの瞬間に打算を働かせてもいた。
この依頼を無事に達成してエリクサーを得る事が出来たなら、それをメグレズに渡せたならば。
……復活するかもしれない、あの賢王が。単騎で戦況を覆す七英雄の一人が。
だから彼は、あえてここで更に質問を重ねる事にした。
「一つお聞きしますが……それだけの量で動かなくなった足を治す事は可能ですか?」
「うむ、可能だ。失われてしまったならばこの量では足らぬかもしれぬが、動かない程度ならば確実に治るだろう」
瀬衣の目にやる気の炎が灯る。
霊薬エリクサー……これは是非とも入手しなくてはならない一品だ。
あの賢王を健常体に戻せるならば、この危険にあえて首を突っ込む価値は充分すぎるほどにある。
そして実の所、アリエスはこの事実をとっくに知っていた。
だが主を裏切った連中にエリクサーなど勿体無いと思っているのであえてルファスに言わなかったのだ。
また、ルファスが今の今まで一度もエリクサーを七英雄に使用する事を口にしなかったのも、きっと主はまだあの裏切り者達を許していないのだと勝手に解釈してしまっていた。
彼も流石に思うまい……まさかルファスがゲームの時の感覚で、エリクサーをただの全回復アイテム程度にしか考えていないなどと。
「……聞いたぞ」
集まった者達の中から低い声が漏れる。
その声は決して友好的なものではなく、剣呑な響きを含んでいた。
全員の視線を集めたのは、どこにでもいるような獣人の戦士だ。
だが彼は皆の見ている前でぐにゃりと歪み、まるで実体がないかのような不定形の水へと変化する。
例えるならば人型のスライム。それがグニャグニャと蠢き、やがて冷たい雰囲気の青髪の青年へと変わった。
青い肌に縦割れの瞳孔。人類の大敵たる魔神族の身体的特徴だ。
「ッ、魔神族!」
「驚きだ。まさかまだエリクサーが現存してたとは。
そんなものがあっては、七英雄の傷が癒えてしまう」
その場の全員を見下したように男の視線が射抜き、感情を感じさせない声で語る。
カイネコはすぐに剣を抜き、今の瀬衣でもかろうじて視界に捉えきれるかどうか、という速度で魔神族に斬りかかった。
振り下ろした剣は深く魔神族の身体へ喰い込み、しかし血の一滴も流れない。
それどころか手応えすらもなく、切断された身体は不定形の水となって蠢いている。
「効かんな」
「!?」
魔神族の腕が鞭のようにしなり、カイネコを殴り飛ばした。
鎧が一撃で砕け散り、カイネコが倒れて動かなくなる。
彼は仮にも他の兵士を纏める立場であり、実力はあったはずだ。
だがそれを一撃だ。強い……そう、瀬衣は確信して汗を滲ませた。
「死んだか? それとも気を失っただけか……どちらにせよ、己の技量も弁えずに挑むからそういう事になる。もう少し賢くなるといい」
「貴様!」
馬鹿にしたような魔神族の発言に獣人の兵士達が激昂し、一斉に槍で突く。
だがやはり通じない。
まるで水に槍を刺しているかのように突き抜けてしまい、串刺しにされた男はまるで表情を変えないのだ。
「無駄な事を」
男が素早く指を動かし、空中に五芒星の陣を描く。
これより創り出すのは魔法発射の為の器だ。
頂点を木とし、そこから時計回りに火、土、金、水をそれぞれの角が司る。
そして五つの星を相克と相生で繋ぎ、周囲を囲うように二重の円を描き月と日を象徴する。
そしてマナを集約し、今創り出した器へと注ぎ込んだ。
「魔法!? 馬鹿な、早い!?」
魔法の発動は三工程により為る、というのが基本だ。
器を創り、マナを集めて注ぎ込み、そして魔法を完成させて放つ。
この三動作をいかに素早く行うかが魔法の使い手の技量をそのまま現し、錬度の高い者ほど素早く魔法を放つ。
そしてそれを極めた先こそが無動作魔法行使。メグレズやアイゴケロス、魔神王が居る頂であり、魔神族の七曜もまた簡単な魔法程度ならば無動作にて行使可能だ。
逆を言えば彼等が陣を描く時というのは、相応の大魔法を行使しようとしていると見ていい。
「“アプサラス”!」
そして創り出されたのは巨大な水の白鳥。
逃げ場のないテントの中、魔法の鳥が鳴き声をあげ――そして、テントが内部から爆散した。
Q、何で守護竜病気になったの?
A、ここでもう一度サブタイトルを見直しましょう。
犯人「ち、違うのよお。ちょっと守護竜と正面から戦うのは面倒だったから毒撒いて病気にして弱体化させてから、後でゆっくりぶち殺す気だっただけなのよお。ウィルゴちゃんを困らせたかったわけじゃないのよお……信じてえ……」




