第49話 野生の亡霊が現れた
既視感、という言葉がある。
実際は一度も体験したことがないのに、どこかで体験した事がある、あるいは見た事があると感じる不可思議な現象。
フランス語においてはデジャヴとも呼び、物語などでは使い古された表現だ。
俺は今、それをこの上なく強く感じていた。
田中に乗って到着した、ルファスが生まれ育ったのだろう天翼族の里……ヴァナヘイム。
山の上に作られたそこは空気やマナも薄く、加えて地形のせいで歩き難い。
ギャラルホルンがそうだった事を考えれば、恐らく本能的にこういう場所を天翼族は好むのだろう。
不思議だ。俺はこの街に懐かしさを感じている。
一度も訪れた事などない、見知らぬこの土地に懐かしさと嫌悪感を覚えている。
崩れかけたパン屋。あそこでは忌み子に売るパンなどないと店主に蹴られた事がある。
半壊した建物。あそこに住んでいた餓鬼に石を投げられた。
一際大きな、かつては立派だったのだろう屋敷。
そこに住むメラクを、いつも羨ましく思って眺めていた。
……。どれも、ロクな思い出じゃないな。
どうもこの街は、俺の中にある俺の知らない記憶を悪い意味で刺激してくれる場所らしい。
俺自身が体験した事でもないのに、今すぐにでもこの街に範囲攻撃スキルを叩きこんで廃墟にしてやりたい衝動に駆られる。
「あの、ルファス様……大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど」
「ああ、問題ない。往くぞ。
まずは余の実家を当たって見るとしよう」
アリエスに言われ、俺は自分の顔が強張っていた事を自覚した。
どうもいかんな。この頃は『ルファス』に引っ張られる回数も増えてきたが、この街にいるとそれが加速するようだ。
これが続くようならばそのうち、俺は自分を見失ってしまうのかもしれない。
いや、それともとっくに見失っているのか?
そうではない、と言い切れないのが我ながら駄目だな。
しかも俺はそれを、あまり不快に思ってない。
もしかすると、俺は本格的におかしくなり始めているのかもしれない。
……とりあえず、まずはルファスの実家にでも寄ってみるか。
パルテノスの亡霊もそこにいるかもしれないし、封印前のルファスの行動に繋がるヒントが隠されているかもしれない。
「ここがルファス様の生まれ故郷ですか。よい街ですね」
「余にとっては苦い思い出の残る場所のようだがな。近所の悪ガキに石を投げられた記憶ばかりが過ぎる」
リーブラの言葉に俺が気軽に返事をすると同時に、俺が視線で示した家が一斉に爆音と共に消し飛んだ。
見ればリーブラとアリエス、アイゴケロスが掌を向けており、こいつらが攻撃したのだと嫌でも理解させられる。
おいこら、何をやってるか。
「前言撤回致します。最低の肥溜めのような街ですね」
リーブラが手首をクルクルと回転させながら、先ほどと180度異なる言葉を吐いた。
見事な掌返しだと感心するしかない。
アリエスとアイゴケロスもうんうん頷いており、俺はもう何も言えなかった。
そうして俺が呆れていると、俺の隣まで移動してきたディーナが空中に文字を描く。
魔力を指に集めて描いているようだが、随分器用なものだ。
“アバターの記憶があるんですか?”
ディーナのその問いに、俺は無言で頷く事で答えた。
声に出さないのは、小声だろうとリーブラに聞かれてしまうからか。
もっとも、メラクの実家に目からレーザーを発射して消し飛ばしているあいつが聞いてるのかは疑問だが。
というかリーブラ自重しろ。
アリエス、羊形態に戻って街を踏み潰して回るのをやめなさい。
アイゴケロス、付近の物を手当たり次第に壊すな。ウィルゴが怖がってる。
“あまりアバターに引っ張られるのはよくないですよ。
自我が消えてしまうかもしれません。
危ないと思ったら、すぐにこの街を離れる事も考えて下さい”
ディーナの助言に俺はもう一度頷いた。
確かに、俺も自我の喪失なんてのは御免だ。
彼女の言うように撤退も常に意識しておくべきだろう。
「こら、止めぬか其方等。我等は街を壊しに来たわけではないのだぞ」
パン、と手を叩いて3馬鹿トリオを止める。
このままだと勢い余って重要なものまで壊しかねない。
俺は暴走する3人を諌め、廃墟と化した街を歩く。
何処に行けばいいのかは不思議と分った。
まるで昨日までここで住んでいたかのように、足が自然と動く。
俺の中にある『ルファス』の記憶が導くままに足を動かし、やがて俺達は一軒の屋敷の前へと辿り着いた。
大分朽ちてはいるが、それでも元々は立派だったのだろうと分る建造物だ。
「ほう、中々の建物ですな。ここがルファス様のご実家で?」
「そうだな。実家と呼べなくもない。
もっとも、中に立ち入った事は数える程しかないがな」
アイゴケロスの言葉に軽く返し、屋敷の前を通り過ぎる。
実家という意味ならば、確かにこの屋敷はそう呼んで間違いではない。
ここにはルファスの実父が住んでいたし、実母が住んでいた。そう記憶が教えてくれる。
だが、それでもここは俺の家ではない。
俺が暮らしていたのは……その脇にある、みずぼらしい小屋だ。
「こ、これは……」
「見ての通りだ。まるで物置だろう? というか、実際物置なのだがな」
蜘蛛の巣が張った、犬小屋よりはマシという程度の小屋。
本来は物置だったこの場所こそ、ルファスが育った場所らしい。
俺は勿論こんな設定など知るはずもなかったし、ルファスにドレスなどを着せていたのも単なる趣味と、性能優先の結果だ。
極論から語れば、最強装備が『あぶない水着』なら俺は迷う事なくルファスにそれを着せていただろう。
……水着が最強装備じゃなくてよかった、と今更ながらに思う。
話を戻すが、俺は何か考えてルファスにドレスを着せたわけではない。
だがこの世界のルファスは……あるいは、貧しい幼年時代を過ごしたが故の反動でこの衣装を着ていたのかもしれない。
上流階級に憧れ、上を眺め、羨望して渇望して、そして力を得たときに幼い日の情景を実現するかのように煌びやかな衣装や光り物を好んで集めた……。
……いや、これは考えすぎかな。
「父は黒い翼を持って生まれた余を毛嫌いしていた。
許されるならば殺したいとすら思っていただろうよ。
しかし、仮にも上流に生きるが故の世間体と、母の必死の説得があり、かろうじて殺すのだけは踏み止まった。
その結果が、この物置へ余を隔離するという選択だったわけだ」
ペラペラと、まるで自分が体験した事のように俺の口から俺の知らない過去が出る。
記憶というのは本当に忘れる事はなく、記憶領域の奥深くに仕舞い込んだそれを引き出せなくなっているだけだ、とどこかで聞いた事があった。
つまり忘れていたと思っていた記憶でも、何か取っ掛かりがあれば一気に引き出せてしまう。
そしてこの身体はルファスのものであり、俺の知らない記憶が脳裏の奥にある。
この街に来た事で、それがどんどん溢れている、といったところだろうか。
「……マスター、父君を殺害する許可を私に」
「無駄だ。もう死んでおる」
実父の事を考えれば、自然と死んでいるという情報が手に入った。
段々と、ルファスの記憶を引き出すのが容易になっている気がする。
とりあえず物騒な事を言うリーブラをなだめ、屋敷に放火しようとしていたアリエスを止める。
とりあえず、重要な手掛かりがあるかもしれないのだから焼かれるのは勘弁だ。
「パルテノスがいるとしたら、ここが最も可能性が高い」
実家の場所など教えたかどうかは知らないが、まあ200年もあれば勝手に辿り着くだろう。
それに、俺が知らない『ルファス』の過去もここにあるかもしれない。
いや、ここに無くても取っ掛かりさえあればいい。
それさえあれば、後はルファスの記憶を俺が引き出せるはずだ。
言葉には出さずそう考え、俺は物置へと踏み入った。
酷い場所だ、と思う。
おおよそ人の生活する空間とは思えない。
小さなベッドが一つに、後は何に使うかもわからないガラクタばかり。
物置だから物を置く。それは間違いではない。
だがこのガラクタの類は、明らかに父が憂さ晴らしにゴミを放り込んだだけだと解る。
まあそれはどうでもいい。
重要なのは、200年前のルファスが掴んでいたという『女神のシナリオ』に繋がる何かだ。
しかし、それらしい物はどこにもなく、俺は僅かな失望を感じた。
……ま、よく考えればルファスがここで過ごしていたのは幼年期だ。
しかし彼女が魔神族の根絶を目指して実際に行動を起こしたのは冒険者を続けてレベルが1000に到達してからの事であり、いくら何でも子供の時にそんな重要な事に到達しているはずがない。
つまり、ここにヒントなどあるわけもなく……とんだ無駄足というわけだ。
「……女神のシナリオ、か」
俺がそう呟くと、ディーナ以外が不思議そうな顔をして俺の方を向いた。
それは単に俺の言葉に反応しただけ、といった感じで聞き覚えなどがあるようには見えない。
一方ディーナは無反応だ。彼女なら何か知っているかと思ったのだが、どうやら彼女も聞き覚えがないらしい。
「ルファス様、女神のシナリオとは?」
「ああ。先日魔神王の奴が語っていたのだ。
この世界は『女神のシナリオ』で動いているとな。
其方等、聞き覚えはないか?」
俺の問いに全員が首や手を振り、知らないと答えた。
12星も知らないとか、200年前のルファスはかなりの秘密主義だったらしい。
何してるんだ、ルファス。せめてリーブラには話しておけよ。
『その問いには儂がお答えしましょう』
答える者のいない問い。
そう思われた矢先に、物置の入り口から若い女の声が聞こえた。
しかし、その声は普通とは言い難い。
まるで頭の中に直接響くような、表現しがたい聞こえ方をする。
例えるならば見えない安物のイヤホンを付けられて、やたら音割れのしたボイスを聞かされているような……。
少なくとも、生身の人間が出す声ではなかった。
入り口に立っていたのは、半透明の少女。
身体を通して向こう側の景色が見えている。明らかに実体ではない。
年齢は……若いな。少なくとも外見年齢は12歳前後にしか見えない。
膝まで伸ばした緑色の髪の毛を三つ編みにし、法衣を着こなした彼女は俺達全員の注目を集めながらも語る。
『お久しぶりですな、ルファス様。
200年前とお変わりないようで、この老婆も安心しましたぞ。
いやはや、天翼族の寿命とは羨ましいものですな。こちらなどは老いを通り越して見ての通り亡霊となってしまいましたのに。カッカッカ』
幼い外見に反し、その口調には老婆のような落ち着きがあった。
ゆったりと、少し間延びしたその語り口は外見を思えばややアンバランスだ。
『いやいや、200年は長かったですぞ。
いつか戻られるという貴女様のお言葉だけを頼りに、こうして言いつけ通りにヴァナヘイムを当時のままに保っておりましたが、つい先日に木の実を喉に詰まらせて呆気なく身体から離れてしまいましてな』
カラカラと笑う目の前の亡霊の、その言葉に俺は思わず「え?」と間抜けな声をあげていた。
待て、ちょっと待て。
今の言葉。それに200年という歳月。
そしてヴァナヘイムを保っていたという台詞。
それらを統合すると、つまりこいつは……。
『おや? どうしましたかな、ルファス様。まさかこの婆めの顔をお忘れで?
せっかく貴女様のご復活を知って、大慌てで当時の姿を再現したといいますのに』
「ま、待って? その口調……それに、200年って……。
……もしかしてお婆ちゃん?」
俺が聞くよりも早く、ウィルゴが震える指で少女を指しながら尋ねる。
ウィルゴがすぐに気付かなかった、という事はやはり生前は普通に老婆だったという事なのだろう。
老婆口調の少女はケラケラと笑い、可笑しそうに答える。
『なんじゃ、孫よ。ちょっとばかり見た目が変わっただけで儂が分らんか?』
「い、いや、ちょっとって変わり方じゃ……」
引きつった笑みを浮かべるウィルゴの前で少女は胸を張る。
そして口の端を吊り上げて俺達全員を見渡すと、堂々と己の名を名乗った。
それは予想通りの名であり、俺達がまさに今探していた人物――。
『黒翼の覇王の隣にこの人在りと謳われし十二の星の一角。
乙女のパルテノス。
今再びルファス様のお力となるべく、天に召されず参上致しましたぞ』
※中の人が深読みしていますがルファスが金ピカを集めるのはただの本能です。




