第29話 ユピテルは逃げ出した
天翼族の王国、ギャラルホルン。
翼の色と主張、昔から続く軋轢……それらの理由により西と東に別れた王都の、白の町に天翼族ならざる少女が立っていた。
海色の髪を膝辺りまで伸ばし、同色の瞳を持つ少女、ディーナ。
彼女は白の町の中央部に位置する時計塔の前で腕を組み、不機嫌そうに唇を尖らせる。
「……遅い」
ここにいるのは、『とある人物』との情報交換の為であった。
上手く向こうから情報を聞けるだけ聞き、それでいてこちらの情報は肝心な部分だけ明かさず、かつ向こうが益になると勘違いしてくれるように口八丁で誤魔化す。
そのシミュレートを何度も脳裏で繰り返し、さあいざ実践という所に来ているのにいつまで経っても相手が来ない。
「全く、レディを待たせるとはなってないですね。
これだからあの種族は……」
ブツブツと文句を言い、ディーナは歩き出す。
向こうが来ないというならば仕方ない。
あまり迂闊な動きはしたくないのだが、こちらから出迎えてやるしかないだろう。
白一色でメリハリというものがない街中を歩き、道すがらにこの国で暮らす人々を観察する。
飛べる事前提の種族というのは、その生活基盤からして人間とは違う。
建物の入り口が2階3階にあるなど当たり前で、当然そこに階段や梯子などない。
一歩間違えれば落下してしまいそうな段差の激しさは崖の側面に作られているからこそだが、住人達がそれで不便している様子は感じられなかった。
逆に往来などは人間の町と比べて無駄に横に広がりがあり、これは翼がある故に人間などより人同士の衝突が発生しやすいからだ。
よくも悪くも翼がある事が大前提。
それは天翼族が天翼族たる所以であり、実際『翼のない天翼族はただの人』という格言までこの世界にはある。
だからこそ彼等は翼の色や形状にまで拘り、本来あるべき形と異なるものを嫌うのだ。
「……おや?」
そうして町を観察していると、ディーナの視界におかしな人物が映りこんできた。
まるでルファスのように外套で全身を覆い隠した不審人物。
その色こそ白であるものの、顔と翼を隠すという目的は彼女と同じだろう。
ずっとルファスを見てきたからわかるものだが、あの翼の隠し方は外套が不自然な盛り上がり方をする。
勿論それはすぐに見抜けるものでなく、初見で看破するのなど精々リーブラくらいのものだ。
――これはもしかして、思わぬ情報を得る好機なのでは?
白い外套の人物に只ならぬ気配を感じ、ディーナはその美貌を妖しい笑みで歪める。
現在彼女は待ち人と待ち合わせをしている最中であるが……約束の時間を先に破ったのはあの男の方だ。
自分はしっかりきっかり時間と場所を守っていたのだから文句を言われる筋合いなどない。
そう勝手に結論を出し、ディーナは目的地を急遽変更。白い外套の後を追う事にした。
次第に人通りの少ない場所へと入って行く外套の後を追い、気付かれぬように尾行する。
大丈夫、発見される可能性はない。
相手を欺き、騙し、知られる事なく潜り込むのはディーナの十八番だ。
例えルファス・マファールや魔神王であろうと己が本気で欺けば気付けないだろうという確たる自信が彼女にはある。
ならばその彼女にとって、あんな白外套など尾行するに何の苦労もない、与しやすい相手であるのは当然の事と言えた。
こぢんまりとした小さな小屋に白外套が入り、ディーナはドアの前へと移動する。
それからほんの僅かにドアを開け、目を細めて中の様子を窺った。
(さっきの外套さんの他に、2、3,4……全部で五人。
身に付けている服などからして、全員それなりの上流階級っぽいですね)
恐らくはこの王都でもかなりの発言力と影響力を持つと予想出来る6人。
それがこのような場所に集まり秘密の集会とは、いよいよもって怪しいではないか。
ディーナは好奇心の赴くままに耳をドアに当て、中の会話を聞き漏らすまいと意識を集中する。
「遅いぞ、レイド」
「すまない。向こうの会議が長引いてしまってな」
白外套の名前はレイド、というらしい。
彼が外套を外すと、出てきたのは案の定白い翼だ。
人間で言う所の40代半ばの外見に、鍛え抜かれた肉体。
一目で只者ではないと分かる鋭利な刃物のような眼光。
どう見ても、普通の市民ではない。
「それで国王様は何と?」
「駄目だ。やはり日和主義者の王は当てにならぬ。
再三に渡る私の進言にも耳をお貸しにならなかった。
このままでは穢れた翼の連中が増長する一方だという事を理解されぬ」
どうやらこの集会は黒の町に不満を持つ者達の集まりらしい、とディーナは察した。
昔ながらの白翼至上主義を掲げ、それ以外の翼を認めない一派だ。
彼等は自分達こそが貴族であると信じて疑わず、それ以外を見下す傾向にある。
そんな彼等にしてみれば、混じり物の翼――彼等の言葉で言うならば穢れた翼が自分達の町すら作り、さも対等であるかのような顔をするのは我慢ならないのだろう。
「ではやはり……」
「ああ。増長した穢れた翼共は我等自身の手で潰さねばなるまい」
話を聞きながら、ディーナは口元に手を当てる。
これはまた、随分と物騒な話になってきた。『潰す』とは随分穏やかではない。
どうやらあまりに膠着していた期間が長すぎて爆発寸前といったところのようだ。
「しかしそれは……」
「無論、手を汚す事になるだろう。
しかしこれは誰かがやらねばならぬ事なのだ。
綺麗事だけでは正義は守れない。誰かが悪となってでも、使命を果たさねばならぬのだ。
我等は皆、その覚悟を持ってここに集ったのではなかったか」
正義。
その単語にディーナはクスリと哂った。
なるほど、どうやら彼等は典型的な自分に酔っているタイプの人間らしい。
正義という免罪符あらば何をやっても許される。
むしろ他の者がやらない事をあえて行い、手を汚してでも正義を執行する己の何と気高き事か……とでも思っているのかもしれない。
ああ、何たる笑止。
そうして正義という言葉で目を曇らせた輩ほど悪辣で邪悪な存在はないというのに。
「それに……穢れた翼の連中が我等との戦の準備をしているという話もある。
攻められてからでは遅いのだ」
正義に目が曇っている上に疑心暗鬼……これは重症だ、とディーナは考えた。
自分達が正しいと妄信し、かつ相手が攻撃してくるかもしれないという被害妄想に取り付かれ、彼等は最早爆発寸前の爆弾のようなものだ。
メラクが気付いているのかどうかは知らないが、この国は既に破滅の導火線に火が点いてしまっている。
「私は既に志を同じくする同志達に呼びかけ、義勇軍を結成している。
皆の心は一つだ。国を憂う気持ちに違いはない」
レイドが力強く語り、集った者達が「おおっ」と声をあげる。
自分達が少数派ならばブレーキも効くが、多数派と分かれば人は際限がなくなる。
集団心理は正常な判断を狂わせ、己があたかも絶対的に正しいと倒錯させてしまう。
これはいよいよ、暴走まで秒読みといったところだ。
「また、我等の味方は外にもいる。
翼無き民ではあるが、ジュピター殿も我等の考えに同意してくれているのだ。
事実、彼からの情報提供は我等にとって大きな助けとなっている」
ジュピター――それが導火線に火を付けた犯人の名前か。
そうディーナは判断し、しかしその当の本人がここにいない事に違和感を感じた。
こういう重要な会議となれば、それこそ居合わせて更に彼等を煽っておくべきなのだがいないとは随分手を抜いているではないか。
まあ、そんなのはディーナにとってどうでもいい事だ。
実に興味深い情報を得る事も出来たし、これ以上の長居は不要だろう。
ルファスへのいい土産話が出来た。
ディーナは柔らかな笑みを崩さぬまま、次の瞬間には霧のようにその場から消え去っていた。
*
ユピテルの放つ風の刃がリーブラの顔や腕、足や胸に炸裂する。
だが無傷。
仮にも世界の脅威となっている魔神族7曜の一人であるユピテルの渾身の攻撃だというのに、そよ風にでも吹かれたかのように表情一つ変えずに前進する。
200年の経年劣化を経た機関銃ならば少しは傷を付ける事が出来た。
だがルファスにより万全の状態に戻されたリーブラ本体には最早傷一つすら付ける事が出来ない。
巨木を根元から引き抜く竜巻の中を突っ切り、四方八方から迫り来る風の弾丸を知らぬと放置し、HPすら消費しての最大の一撃すら僅かに揺らがせる事も出来ない。
それでいてリーブラの放つ攻撃は全てが決殺。
当たればその瞬間ユピテルの命が消える、一撃とて遊びのない即死攻撃の乱れ撃ち。
そして、時間経過と共に確実に命中率が上がっている。
相手の動きを学習し、それに合わせて来ている。
しかしそれすら、リーブラがまるで本領を発揮していないからこそ続いている氷上の均衡だ。
『ブラキウム』を解禁してしまえば、その瞬間に全てが決する。
それをあえて行わないのは、リーブラが『ブラキウム』を温存するべきだと判断しているからであり――要するにブラキウムを撃つ必要がないほどに両者の実力が開きすぎているからに他ならない。
このギャラルホルンは国王すらも含めて、全員がルファスの敵になる可能性がある。
リーブラは常にその事を考え、いつでも対応出来るようにしていた。
即ち、ブラキウムを撃つとしたらそれはユピテルではなくこの国……ギャラルホルンが対象だ。
奴等が主の敵となった、その瞬間に王都全てを対象としてブラキウムで国ごと消し飛ばす。
その為だけにブラキウムを温存し、いつでも撃てるようにしているのだ。
無論この国の住民全てが敵になったところで主をどうこう出来るとは思わない。そもそも勝負が成立する次元にない。
だが時に現実は予測を凌駕し、結束した人間というのは思いもよらぬ力を発揮する。
『万が一』。その不確かな理不尽が実在するのだと、リーブラは200年前に思い知った。
だからもう間違えない。
万が一など二度と起こさせやしない。
その芽が発芽しかけたならば、瞬間に土壌ごと抉り取る。
だからブラキウムの発射を選択せず、それがユピテルの命をか細い糸一本で繋ぎ止めていた。
「これはいかんな。どうも相性が悪い」
ユピテルは獣のような好戦的な笑みを崩さぬまま、しかし冷静に呟く。
その全身は至る所に傷が付き、今はまだ軽傷に留まっているが確実にダメージを刻まれている。
掠ったのではない。全て回避スキルを惜しみなくつぎ込んで完璧に避けている。
だというのに、余波だけで傷付いたのだ。
対するリーブラは幾度も直撃しているというのに、まるでダメージもなく余裕の表情で刃を構えていた。
避ける必要すらない、と言わんばかりだ。
『金』とは即ち鋼鉄。
己を鋼のように堅固にし、刃を以て木々を切り倒し、その重量は風に飛ばされる事がない。
鉄は炎によって溶かされる。しかし風に刻まれる事はない。
リーブラはユピテルにしてみれば全くダメージを受けず、かつ、一撃必殺の威力を叩き込んでくる天敵であると言えた。
だが、それでもここまで粘る事が出来ているのはユピテルだからこそだった。
彼は7曜でも随一の回避力と機動力を合わせ持ち、多少であれば格上の攻撃だろうとやり過ごす事が出来る。
もしこれが他の7曜――例えばマルスなどであれば、とっくに物言わぬ屍と化していた事だろう。
しかし、善戦出来るという事はイコール勝てるというわけではない。
あくまで粘る事が出来るだけで、勝ち目を言えばほぼ0に等しいのだ。
「とても敵いそうにない。癪だが、退かせてもらうとするぜ」
「……!」
リーブラは敵の退却を聞くや、即座に左腕を戻し、まだ無事な機関銃を片手に構える。
向かってくる相手ならば鉄の硬度と右の天秤の切れ味で倒しきれるが、逃げる相手となれば飛行速度が物を言う。
リーブラの最大飛行速度はマッハ5に達するが、それはあくまで直線の速度に過ぎず、加えて充分な加速を経た後の最大戦速だ。つまり初動で劣る上に風を自在に操る彼ほどの小回りが利かない。
即ち逃げに徹されてしまえば、捕らえ切る事が困難となるのだ。
追いかけた所で捕まえる事は出来ない。
ならばまだ、遠距離攻撃に切り替えて、逃げるのを後ろから撃ち落とす方がいいと判断した。
「生憎だが、この街には俺の方が詳しいぜ!」
ユピテルが冷や汗を流しながら、市外に逃げた。
リーブラも即座に追跡するが、何せこの王都ときたら建物が密集しすぎている。
基本的に歩いて渡る事など想定すらしない、天翼族の為の不親切極まる立地。
それがユピテルを逃がす迷路となり、リーブラの行く手を阻む。
角に逃げる、建物の中に逃げる、人ごみに紛れる。
この狭い土地ならば小回りの利くユピテルが有利であり、加えてリーブラはまだこの王都の情報収集が完全ではない。
いかに両者の速度に差があろうと、追いつけぬ事はある。
例えば入り組んだ街の事を何も知らぬオリンピック金メダリストを連れてきたとして、街の構造を完全に把握している子供相手に何でもありの鬼ごっこをさせたならば、その捕獲は困難を極めるだろう。
地の利とはそういうものだ。
これ以上の追撃は時間の無駄――追いかけても互いの速度と小回りを計算した結果、捕獲率は限りなく低いとの結論が出た。
入り組んだ街の事を把握していない今、追撃を続けても徒労に終わるだけだ。
それよりは今の戦いで得た情報を少しでも早く主に届ける方がまだ有意義である。
そうリーブラは考え、追跡を中断した。
「…………」
キュイ、と小さな金属音を立ててリーブラが首を動かす。
彼女の聴力は遠く離れた、200キロ先の小石の転がる音すら察知する。
そのセンサーを以てルファスの音声や呼吸音を探し、現在地を特定した。
ユピテルは……駄目だ。空気の壁を作る事で音を遮断している。
これでは音を頼りに追う事も出来ない。
「現在地、黒の町……神殿」
主の場所はわかった。
とりあえず、今の所誰かと交戦しているという事はないようだ。
何やら別の音声も聞こえるが、少なくとも敵対しているわけではない。
昨日、主は夜中に一度起床し、心拍数も乱れていた。
リーブラにはよくわからないが、人は夢という物を見るという。
それは主に記憶の整理などを行う為のものであり、場合によっては本人にとって辛い記憶を見せられる事もある。
主のあの反応……恐らくあれは何かしらの望まぬ夢を見たが故だろうとリーブラは考えていた。
やはりこの国は主によくない影響を与える。
そしてだからこそ、この国にいる間は己が全ての障害を排除するべきなのだと考えた。
リーブラは感情に左右されない。
夢などという不確かなものに揺さぶられる事もなく、平常心を失う事もない。
その本質は『道具』。存在意義は主の利となる事、害を排除する事。
敵の姿は覚えた。戦い方も覚えた。
相手はレベルこそ低いが、回避系スキルを駆使して駆け回る少々厄介な敵。
しかし負ける要素はなく、要は確実に捕らえる手段さえあれば勝利は容易い。
今回は残念ながら取り逃がしたが、次は逃がさない。
あの速度を確実に捕らえうる武器と戦略を用意し、次の接触で確実に仕留める。
ブラキウムさえ撃てばそれで終わる相手だが、やはりその必要性は感じない。
使うとしても、精々ハッタリで脅しをかける程度で充分だ。
実際に撃つまでもない。
役目と持ち主を取り戻した人形は考える。
敵を討つ武器を、討つ方法を、この先の行動を。
思案し思考しシミュレートを繰り返し、主の利を探し続ける。
それこそが造られた人形である彼女の存在意義なのだから。




