第2話 野生のラスボス空を飛ぶ
黒翼の覇王ルファス・マファール。
今より200年の昔。ミズガルズ暦2800年に頭角を現した可憐な少女の皮を被った絶対者。
その力は腕の一振りで巨山を超える龍の首すら切断し、その足は駆ければ千里の距離を刹那に縮めた。
傲岸不遜にして冷酷無比。歯向かう者は何であろうが叩き潰す。
弱者は彼女を前にして立つ事すら許されず、強者であろうと紙切れのように千切り捨てられた。
かの魔神王すらが直接対決を避けた唯一の相手と謳われており――もし彼女が覇を握ったままだったならば、あるいは魔神王は既にこの世にいなかったと主張する歴史学者も少なくない。
強く、強く、ただひたすらに強く。
その力は世界の全ての国を統一し、世界中の種族すら支配してみせた。
だが強すぎる力は恐怖を呼ぶ。
まだ人が今ほど弱くは無かった時代。ルファスにすら対抗し得る時の勇者達は勇気を以て立ち上がった。
人々は団結し、打倒覇王を掲げて彼女に立ち向かったのだ。
恐らく有史以来これほどに人類が団結した事はなかっただろう。
統治者としても敵としても――よくも悪くもルファス程に人を一つに纏め上げた者はいない。
鋼の絆で一致団結した英雄達はルファスの牙城を見事崩してみせた。
彼女の忠実な配下である12星天をも下し、とうとうルファス本人を戦場へ引き摺り出したのだ。
戦いは一昼夜に及んだ。
ルファスの放つ覇気は弱者が立つ事を認めず、勇気を以て挑んだ800万の戦士のうち700万をへし折った。
刻み、貫き、潰し、数多の戦士を手にかけながらルファスは死線を駆けた。
自らも剣に刻まれ槍に貫かれ、幾多もの魔法に身を焼かれながらとうとう人々の希望の象徴である勇者に致命の一撃を入れたのだ。
だが勇者は立ち上がった。
希望の力を宿し、命失われて尚巨悪を討ち倒さんと剣を突き立てた。
そこに続く英雄達の一掃攻撃。
いかにルファス・マファールといえど無事で済むはずがない。
だがそれでも彼女は嗤った。
愉快そうに嗤い、尚も立ち続けて叫んだのだ。
『見事! 見事だ勇者達よ、よくぞ余を越えてみせた。
其方等の勇気と強さに余は心からの敬服を示そう!
だが忘れるな、闇は未だ去っていない。
この団結ならばかの魔神王すらも打ち倒せようが――それを失うならば、世界は今以上の闇に包まれるであろう。
其方等の先が光となるか闇となるか、余はそれを地獄の底から見届けてやろう!
クハハハハハ……ハァーッハッハッハッハッハッハ!!』
こうしてルファス・マファールの歴史は終わりを告げた。
既に敗れた彼女を更に亜空間へ封印し、二度とこの世に舞い戻っては来られないはずだった。
そのはずだったのだ。
ああ、ならばこれはどう説明すればいい?
目の前で絶大な存在感を放つ黒翼の少女を、どう説明すればいいのだ?
「それで、いつまでそうして黙っている。
其方、現状を余に語ってくれるのではなかったか?」
城の会議室でルファスと向き合う形で座らされた哀れな彼――200年前の戦いではルファスと戦う事すら出来ずその威圧で屈服させられたエルフの青年は思う。
勇者召喚などを行おうとしたから天罰が下ったか?
ああ、しかし偉大なる創世神アロヴィナスよ、これはないでしょう。
勇者を召喚しようとして覇王が復活するなどあんまりだ。
その混乱を前にしてルファスは腕を組み、そして思う。
(翼が邪魔すぎて座りにくいでござる)
事態は、エルフの青年が思うほど深刻ではなかった。
*
なかなか口を開いてくれない耳長の美形さんが説明してくれるまで待つ事数分。
彼は時折チラチラと俺の方を見ては、またすぐに怯えたように顔を伏せる。
それでも何とかポツリポツリ、とこっちが怒らないか一々ビクビクしながらようやく語ってくれた内容を3行で纏めるとこうだ。
200年経っても魔神王怖すぎワロエナイ。
そうだ、エクスゲートの術で勇者を召喚しよう。
何か勇者じゃなくてラスボスが出てきた……。←今ココ。
……短いよ。こんな事に数十分もかけるとか、俺どんだけ怖がられてるんだ。
というかここ、薄々予想出来てたけどやっぱゲームの中なんだな。
しかも俺の知るミズガルズの200年後とか、どんだけ未知の世界に呼ばれてるんだ。
いやしかしまあ、実のところ俺は少しこの状況にワクワクしていたりする。
元々俺は楽観的な性格で、今が楽しければ細かい事は気にしない性質だ。
あの大好きなエクスゲートオンラインの世界を、自分が心血注いで作り上げたルファスとなって歩けるのだ。
オンラインゲームにド嵌りしている者にとって、これはもはやご褒美だろう。
ああそうだ、エクスゲートの術っていうのはエクスゲートオンラインの名前の由来ともなっているこの世界の肝となっている魔法だ。
これは元々、オンライン化する前の家庭用ゲームの時代にまで遡るらしいが、そのゲームの主人公は日本の平凡な学生だったらしいのだ。
その主人公がエクスゲートによって異世界に召喚され、そして魔神王を倒すまでがそのゲームの大まかな流れとなっている。
まあ、オンラインの方ではほぼ名前だけの設定で全く登場しない魔法ではあったのだが……その設定、ちゃんと生きてたんだな。地味に感動だ。
そういえば勇者が現れるのってミズガルズ暦3000年だったっけ。
おお、丁度時期が今と重なるじゃないか。
多分オンラインゲームの方だろうこの世界に異世界勇者が出て来るかはわからないが、もし会えたらサインもらおう、サイン。
とはいえ、まずは今をどうにかするのが先決だ。
さっきからエルフの兄さんや王様とかがビクビクしっぱなしで可哀想になってくる。
とりあえず俺はここにいても彼等を怖がらせるだけっぽいし、さっさと無害を主張して立ち去るとしよう。
「……なるほど、話は分かった。
魔神王は未だ健在……あやつも中々にしぶといものだ」
魔神王さんは、何ていうか俺のせいで魔神王(笑)とか言われてしまっていたので元気そうで一安心だ。
で、それに対抗すべく勇者呼ぼうとして俺が出たと。
何ていうか……うん、ごめん。せっかくの勇者初登場を俺が台無しにしたんだな。
「ああ、案ずるな。余は今更この世界をどうこうしようという気はない。
この身は既に敗れ、夢終えた身……今更何かを成そうとは思わぬよ」
「そ、そのお言葉、真ですか?」
「然り。敗れはしたが余はあの戦いに満足しているのだ。
余に勝利した者達が魔神王を倒せなかったのは不満だが……まあ、よい。
それよりも今はこの世界を見て、そして愛でてみたい」
魔神王さんはとりあえず出て来るかもわからない勇者さんに丸投げだ。
そんな事より俺はこのミズガルズの世界を見て回りたいのだ。
自分の足で歩いて自分の目で見たいのだ。
ぶっちゃけて言うと今すぐにでも出発してしまいたい。
「配下なき王、もぬけの玉座。
これで覇を謳っても滑稽なだけであろう?
今の余は覇王ルファスに非ず、ただの夢破れた小娘に過ぎぬわ」
この世界でまで覇王を名乗る気はない。
というかそんな事をすればお尋ね者コース一直線だ。
だから俺は目立たず、のんびりとこの世界を満喫したいと思っている。
元の世界に帰る方法は、まあ、おいおい考えるさ。
「故に其方等も気に病む必要はない。
余の事は忘れ、また勇者召喚なり何なりやるといい」
ここにこれ以上居座るのは居た堪れない。
俺は椅子から降りて近くにあった窓を開く。
不思議な事だが、今までなかったはずの翼の動かし方が手に取るように分かる。
どうやって飛べばいいのかも理解出来る。
人の身体とこの翼じゃ力学的に飛べないんじゃないか、とは思うのだが俺の本能が『飛べる』とGOサインを出してしまっているのだ。
「では、余はもう往くぞ。
機会があればまた会おう」
「ま、待っ……」
呼び止めようとする声を無視して翼を動かす。
そして跳躍すると、俺の身体は見事空中へ飛翔した。
あっという間に地面が離れ、瞬く間に城が米粒サイズにまで縮まる。
おお……。
飛んでる……俺、飛んでる!
空気を裂いて自由にこの大空を泳いでいる!
この感動を何と言って表せばいいのだろう。
自由――そう、自由だ。
重力という束縛、そこから解放された歓喜。
地に足がつかず、不安定極まりない3次元的な空中を駆け抜ける。
旋回し上昇し下降し、自由自在に飛び回る!
「ふ、ふふ……あははははは!」
雲の上へ飛び、急降下して今度は地上スレスレにセルフ紐なしバンジー。
地面に当たる直前で再飛翔し、大地を一望出来る空の上へ舞い戻った。
今、この広大な空は俺の物だ。
面倒な人ごみも渋滞もない。
いくらでも飛べるし、どこへでも行ける。
「ふふっ……こうして空を飛ぶというのは気持ちがいいな。
さあて、まずはどこへ往こうか」
どこにでも行ける、となると逆に迷うものだ。
とりあえずこの国は却下。
もしかしたらあのエルフの兄さんが国民に捕獲命令とか下すかもしれないし、そうなれば面倒だ。
俺は悠々自適にこの世界を旅したいのである。
「……ん?
おお、あれは……そうか、まだ残っていたのか」
悩んでいる俺の視界に、ソレが映った。
それは天高く聳える黒い塔。
まるで天に挑むかのような不敬そのものの建物を俺は知っている。忘れるはずもない。
何せあれは俺が勢力の皆と一緒になって建設した勢力の象徴なのだから。
天空塔『マファール』。
俺が作った、俺の……いや、一緒になって盛り立てた俺達の拠点だ。
「最初の目的地が決まったな」
俺は方向転換をし、翼をはためかせる。
遠目でも見えるその塔との距離は不明。
恐らく結構な距離なのだろうが今の俺ならば問題ない。
何せ俺には大空を翔けるこの翼があるのだから。
「それっ!」
塔に向けて全力で飛ぶ。
今の身体の全力がどの程度なのか確認するいい機会だし、何より俺が本気で飛んでみたかった。
景色が凄まじい勢いで後ろに流れ、風が頬を撫でる。
主観だから詳しくは分からないが、新幹線よりも遥かに速く景色が流れて行く。
加えて小回りと視界も利く。
進路上に鳥などがいれば容易く避け、いとも容易く速度を維持したまま方向転換すら出来る。
ああ、気分がいい。
心が昂揚する。
空を飛ぶという単純な事。それがこんなにも自由で素晴らしいとは思わなかった!
だが楽しい時間には終わる時が来るものだ。
飛び始めてほんの数分で俺は塔へ到着してしまい、急ブレーキをかける。
風が吹き荒れ、大気が揺れた。
人間大のサイズの物があれだけの速度で動き、ブレーキをかけたのならば、それに伴い風が荒れるのもまた道理。
弱い相手ならこの風圧だけで吹き飛ばせてしまいそうだ。
今度は上昇。
雲の上の更に天高く、天翼族でも極一部の飛行能力に秀でた者しか入れないようにした塔の頂上を目指す。
童話に曰く、天に近付きすぎたイカロスは蝋の翼を溶かされ地に堕ちた。
しかし俺の翼は蝋などではない。太陽の輝きだろうと溶かせはしない。
地上何千メートルかも分からない頂上へ着いた俺は、そこだけに作られた唯一の入り口を見付ける。
最上階に入る方法は二つ、上空からの侵入。あるいは最上階の内側からの扉開放のみ。
我ながら随分面倒な構造にしたものだ。
そんな事を思い出しながら俺は塔へ入り、勢力長しか入れないそこに足を踏み入れた。