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野生のラスボスが現れた!  作者: 炎頭
後日談 平和になった後の世界で
199/201

後日談6 新たなる脅威

アロヴィナスをしばき、平和を取り戻したミズガルズ。

しかし平和をおびやかす新たな脅威が、今まさに目覚めようとしていた……。

 それは今を遡る事幾万年も昔。

 かつて人と呼ばれる種族は二つであった。

 一つは女神が最初に創世した人類である天翼族。

 そしてその天翼族が地に下り、翼を失った代わりに如何なる環境下にも適応出来るタフさを得た――今では人間と呼ばれ、人類の基本形と位置付けられている者達だ。

 更に人間は洞窟に、森に、草原に……ミズガルズのあらゆる地域に散り、それぞれの環境に合わせた変異を果たした。それが今の七人類の始まりである。

 その中で、暗い地の底に安住を求めた者達がいた。

 彼等はミズガルズで最もマナが濃い地の底で暮らすうちに異形の変異を果たし、魔物に最も近い人類としての完成を見る事となる。

 これが吸血鬼と呼ばれる者達の始まりだった。

 吸血鬼――獣人のように強く、小人族のように速く、エルフのように魔法を操り、ドワーフよりもタフで、天翼族よりも永い時間を生きる夜の貴族。

 おまけに彼等は高い再生能力を持ち、月光の庇護下にあってはその力を更に増す特性までもを備えていた。

 彼等は自分達こそが最も完成された人類であると自負した。

 特に歴史上で一番最初に吸血鬼となった者達……『始祖』。その始祖の中でも最も力強く、吸血鬼としての傲慢さに溢れていた男は自らを吸血鬼の中の吸血鬼、『真祖』と名乗り、世界の支配に乗り出した。

 歴史に語られる最も恐ろしき吸血鬼。真祖ブラッド。

 その力はまさしく恐怖の具現であった。絶望の体現であった。

 走ればその速度は音の十倍に達し、その怪力は山に亀裂を刻んだ。

 魔法は一つの村を一瞬で消し、その戦闘力は巨大な都市を僅か一夜にして壊滅させたとすら言われている。

 だが出すぎた杭は打たれるのが世の理。

 人類のみならず、魔物や妖精にまでその悪手を伸ばそうとしたのが彼の失敗であった。

 光の象徴である妖精姫ポルクスへと挑み……そしてブラッドの軍勢は彼女が操る英雄の軍勢に逆に蹂躙された。

 ブラッド自身もまた、妖精姫の兄であるカストールに手も足も出ずに敗れ、その身体を三十と六に分割された上で完全なる敗北を味わわされた。


 だがブラッドは死んでいなかった。


 真祖の名は伊達ではない。

 驚くほどにしぶとい彼は完全に灰にされても尚生きていた。

 だが流石にダメージは小さくなく、蘇生するのに数千年もの年月を費やし、元の力を完全に取り戻すのに更に多大な時間を使ってしまった。

 だが雌伏の時は終わりを告げ、捲土重来の時はやってきた。

 全盛期の力を……否、それ以上の力を得た彼は永き眠りより醒め、遂に世界を闇と血で染め上げるべく復活を果たしたのだ。


*


「新たなる闇の時代は訪れた!」


 ヘルヘイムの暗闇の中で声が響いた。

 それは以前リーブラが破壊した瓦礫の中から響いている物であり、更に言えばその瓦礫の中に埋もれている棺から聞こえている。


「我、復活せり! ……ぬ、ん? あれ? 開かない……?」


 真祖ブラッドがブイブイ言わせていたのは、もう一万年以上も昔の事である。

 精々二百年前に暴れていたルファス・マファールならば人々も覚えているが、流石にそんな昔過ぎては吸血鬼ですら覚えていない。

 結果、そこに真祖の棺がある事もすっかり忘れ去られ、真祖はこうして瓦礫の中で棺が開かない事を不思議に思う羽目になっていた。


「くっ、この! 何だ、蓋の上に何か乗っているのか!?

お、おい、誰かおらんのか! 真祖の復活だぞ!

ええい……開け! 開けといっとろうが!」


 とうとう我慢の限界を迎えたらしい声の主は棺を蹴り開け、瓦礫を吹き飛ばした。

 砂塵の中からマントを翻して優雅に歩み出し、そして周囲を見る。

 よかった、誰もいない。今の姿は見られていないようだ。

 その事にまずは安堵し、しかし偉大なる真祖である己の復活に誰も立ち会っていない事に彼は不満を抱いた。


「これはどういう事だ……何故誰もいない。

確かに我は一万年の眠りの後に戻ると予言したというのに……」


 一応復活を仄めかしてはいたブラッドだが、いくら不老の吸血鬼にだって覚えていられる限度はある。

 一万年も経てば流石に当時の生き残りでもない限り覚えてなどいない。

 そして当時生きていた吸血鬼は、大半がとっくに灰になってしまっている。

 ミズガルズの吸血鬼は老いる事はないが寿命は普通にあるのだ。

 その点を考えると、一万年経ってまだ生きているこの男はやはり真祖なのだという事だろう。


「ふん……時代の流れか。度し難いな。

我を崇めるべき吸血鬼が誰もいないとは嘆かわしい。

どうやら今代の吸血鬼には誰が王なのかを教えてやる必要がありそうだ」


 ブラッドは闇の支配者に相応しい傲慢な笑みを浮かべ、そこから消えた。

 たとえ同族だろうと、この真祖の偉大さが分からぬならば慈悲を与える必要はない。

 否、そもそも真の吸血鬼とはこのブラッド一人をおいて他になし。それ以外など粗悪品に過ぎない。

 その粗悪品に過ぎぬ物がこの真祖を忘れるなど、それは殺されても文句の言えない事だろう。

 故にブラッドはまず、今の時代を生きる吸血鬼の下へと向かった。


*


 吸血鬼の国、ミョルニル。

 永遠に続く夜の国と言われるそこは、吸血姫ベネトナシュが支配するミズガルズ屈指の危険地帯だ。

 国を治めているなら姫ではなく女王だろうとか言ってはいけない。

 その日ベネトナシュはルファスに持ち帰らせた地球産のモンブランを自室でパクついて上機嫌であった。

 人目がないので普段のように気を張る必要もなく、その顔は緩んでいる。

 しかし突然、窓がブチ破られて無粋な何者かが飛び込んで来た。

 それはいい。どこかの鼠が入ってきただけだろう。

 しかし彼女にとって許せないのは、何者かが飛び込んで来たせいでゴミがモンブランについてしまった事だ。

 ベネトナシュの額に青筋が浮かび、せっかく緩んでいた顔が一瞬にして殺意に彩られる。


「ふ、ここが現代の吸血鬼の王の城か。

なかなかの城だな。だが、これからは私の城となる」

「……」

「それにしても、このような小娘が王とはな……。

平伏せ、小娘。図が高いぞ。私は真祖の……」


 ベネトナシュの拳が無言で侵入者――ブラッドの顔面に突き刺さった。

 会心の一撃! ブラッドに999999のダメージ!

 哀れ、ブラッドは首から上が肉片となり、そのまま窓を破って外へと吹き飛んでしまった。

 錐揉みしながら空中を飛び、ミョルニルの反対側の島へと追突した事でようやく止まる事が出来た。


「…………」


 砂塵の中で首のない吸血鬼が起き上がり、首から上が復元される。

 真祖ブラッドの固有スキル『ライフ・ストック』。

 それは命を保管するスキルであり、これで命のストックを用意しておけば死んでも蘇生出来るという強力なものだ。

 ただし命のストックを一つ作るにはHPを残り1まで消耗する必要があり、しかもこの方法で消費したHPはいかなるアイテムも天法も受け付けず、再生力による自動回復を待つしかない。

 ブラッドは一度妖精姫ポルクスによって敗れた事から、生半可な命では彼女に届かない事を学んだ。

 故に一万年もの年月を費やしてひたすらに命を溜め続けてきたのだ。その数――実に66666。

 だが今のベネトナシュの一撃でせっかくの命が20くらい消し飛んでしまった。


「…………え? なに、いまの……」


 ブラッドはしばらく状況を把握出来ずに混乱していたが、やがて自分がパンチ一発でぶっ殺されたという事実に気付き汗をダラダラと流していた。

 いやちょっと待て、ステイステイ。これ絶対おかしいって。

 俺様吸血鬼の王よ? 真祖よ?

 なのに、何であんな小娘のパンチ一発でやられてるの?


「というか……今おかしかった……ダメージの桁……っ!」


 一発で命が20も持っていかれたので、単純に計算して3334回殴られたら本当に死んでしまう事になる。

 まだまだ余裕があるように思えるが、ベネトナシュならばそのくらい当たり前のように叩き込めるので全然余裕じゃない。というか桁を二つくらい増やしても多分十秒もあれば殺されるだろう。

 スピードだけならば本気を出したルファスにも食らいつける吸血姫を舐めてはいけない。


「ふ、ふふふ……さ、ささささ流石吸血鬼といったところか。

わ、わわ私も少し鈍っていたらしいな。こ、今回のところは見逃してやるとしよう」


 ブラッドは誰も聞いていないのに強がりを言い、島から飛び立った。

 ここにいたらいつあの恐ろしい吸血鬼が来るかと怯えているわけではない、断じてない。

 そうだ、よく考えたら同じ吸血鬼同士で争う必要など何処にもない。

 吸血鬼同士仲間だ、友達だ、ファミリーだ。俺は決して勝てないから戦いを放棄するのではない。

 俺はとても優しくて寛大だから同じ吸血鬼に手を出さないだけなのだ。

 そう言い訳をしながらブラッドはアルフヘイムを目指した。

 そうだ、戦うべきはあの憎き妖精姫のはず。奴を倒す為にこの一万年があったのだ。




「あ゛? 何土足でこの森に踏み込んでんだゴラァ」


 !?


「チョーシこいてっとシバき倒すぞカスが」


 !?


 アルフヘイムへと侵入したブラッドを迎え撃ったのはガラの悪い事に定評のあるフェニックス&ハイドラスコンビであった。

 十二星には一歩劣るとはいえ、そのレベルは1000であり、紛れもない最強格の魔物である。

 更にゾロゾロと集まって来たのはポルクスが召喚する英霊達だ。

 その英霊の質はかつてとは比較にならない。

 二百年前にルファスのせいで巻き起こったレベルインフレによって高レベルが量産されてしまい、しかもその大半が二百年前の戦いで戦死した結果、ポルクスの軍勢は異常に強化されてしまったのだ。

 レベル1000、レベル1000、レベル1000、レベル1000、。どいつもこいつもレベル1000。

 まるでレベルカンストのバーゲンセールだ。


「誰が侵入したかと思えば、随分と懐かしいのが出てきたわね。一万年ぶりくらいかしら」

「……あの、妖精姫さん。この軍勢何かおかしくないっすかね?

いくら何でもレベル1000いすぎでしょ……これ」

「色々あったのよ……ところで貴方大丈夫? 口調変になってるわよ?」

「やかましい! こんな化物に取り囲まれたらキャラ崩壊も起こすわ!」


 ブラッドはもう泣きたかった。俺の一万年は何だったのかと思った。

 これは無理、絶対無理。命が仮に一億あっても無理。

 英霊の一人一人がブラッドなど何度でも殺せる上にそれが山のようにいて、しかもこいつらはポルクスがいる限り無限に蘇生し続ける。

 チート性能もいい加減にしろ!

 いや、だがまだだ。ポルクスには本体が弱いという致命的な弱点が存在している。

 そう思ったブラッドの前で、ポルクスが淡く輝いた。


「……あの、ポルクスさん」

「何よ? さん付けなんて貴方らしくないわね」

「何か、気のせいか強くなってません?」

「気のせいじゃないわよ。今の私は木龍の力を継いだ代行者……もう弱いだけの私じゃないのよ」


 ポルクスは最終決戦の際に木龍の力を受け継いでいる。

 その後の戦いがルファスVSアロヴィナスというインフレさんが過労死してしまうレベルの戦いだった為、せっかく上がった能力はクソの役にも立たなかったが、それでもポルクスはもう弱くない。

 そう、ポルクス唯一の弱点はもうない。

 それどころか今の彼女は木龍の具現……その戦闘力は剣王アリオトを凌駕している。


「覚悟はいい?」

「………………」


 ブラッドは無言で逃げた。人は彼を臆病と嘲笑うかもしれない。

 だがそれは英断であった。

 勝てぬ戦いに挑むのは勇気ではない。時には退く事も勇気なのだ。

 だから彼は臆病なのではない。これは『勇気ある撤退』!


「逃げたぞ!」

「追え!」

「野郎ぶっ殺してやる!」

「待てやゴラァ!」


 英霊達はブラッドを追った。鬼の形相で追った。

 ブラッドは逃げた。涙と鼻水を流しながら逃げた。

 その後彼は何度も殺され、命のストックを半分くらい削られながらも無事に逃げ切る事に成功した。


*


「この時代おかしくね?」


 ブラッドの心は折れかけていた。

 もうバッキバキであった。ボキボキであった。

 折れかけているというか、ぶっちゃけもう折れていた。

 そりゃそうだ。描写はされていないが逃げ切るまでに33333回以上もぶっ殺されているのである。

 何一つ出来ず、フルボッコにされて雑魚扱いされて逃げ回って殺されて、最後には最高に灰!となってWRYYYYY!と風に飛ばされて散り散りになり、それで英霊達もブラッドが完全に死んだと誤認して助かったのだ。


「もしかして私って滅茶苦茶弱いのでは……」


 自信喪失しかけているブラッドが弱気な事を言い、地面に座り込んだ。

 彼の名誉の為に言っておくと、彼は決して弱いわけではない。

 少なくとも七曜くらいなら一対一でも屠る事が出来るし、二対一でもまだ勝てる。

 三対一だと互角かもしれない。四対一ならちょっときつい。

 五対一はもう無理である。何故なら七曜のうちの二人はレベル1000チートのディーナとソルで、ルーナに手を出せばテラが出てきてしまう。

 なので四対一が限界だ。マルス、ユピテル、サートゥルヌス、メルクリウスの雑魚四人組相手に善戦する程度が関の山である。

 あ、やっぱ弱いわお前。もう帰れよ。


「い、いやいや、たまたま会った奴が規格外だっただけだ、そうに違いない。

この時代の吸血鬼の王に妖精の姫……うむ、私が弱いわけではない。奴等が強すぎただけだ」


 自分よりも強い事を認めている辺り、もう強者のプライドが粉々になっているのが一目瞭然なのだが、それでも自分が弱いという事だけは認められないらしい。

 ブラッドはそこで、そこら辺を歩いている奴に適当に喧嘩を売って倒す事で自信を回復しようと思い立った。プライドの欠片もない行動だが、本人は真剣なのだ。

 幸いここは町と町を繋ぐ整備された街道だ。待っていれば誰かが現れるだろう。

 そして待つ事数分。最初の哀れな犠牲者はすぐにやって来た。


 筋骨隆々の大男であった。


 紅蓮の髪は鬣のようになびき、凶悪さを前面に押し出した瞳には理性が感じられない。

 一応顔立ちは人間のそれだが、まるで制御不能の猛獣を無理矢理人の形にしたような凶貌であり、世の全てを憎むかのように歪んでいる。

 身長は2mを超え、浅黒い筋肉は服を破りかねないほどに張りつめている。

 周囲の空気が男の発する熱気によって歪み、何かもう見た目からして既にやばかった。

 名を獅子王レオン。皇道十三星随一の大問題児である。


(……無理!)


 ブラッドは隠れた。

 プライドを投げ捨てて全力で隠れた。

 いや無理、絶対無理。あれどう見てもクソ強いわ。

 彼の判断は実際正しい。レオンは恐ろしく強く、しかも今日は機嫌が悪かった。

 月で行われた麻雀大会で負け、罰ゲームとしてサジタリウスが変装に使う衣服などのお使いをさせられたのだ。

 しかも女物のドレスであった。

 筋骨隆々の大男がファンシーなドレスを求めて店に入るのだ。その滑稽さときたらない。

 そんなわけで彼のストレスは最高潮だ。もしも今レオンに喧嘩など売ろうものなら、残機が尽きるまで殴られた事だろう。


 かくしてブラッドはプライドと引き換えに安全を買い、何とかレオンをやり過ごした。

 人は彼を臆病と笑うかもしれない。

 だが彼は死と引き換えに賢くなった。これは知恵ある者の行動として称えられるべき事だろう。

 なので彼をチキンとか言ってはいけない。

 レオンがいなくなったのを確認したブラッドは再び、次の獲物が通るのを待つ事にした。


 続いて現れたのは虎の獣人であった。

 身長は先程の大男にも劣らず、見るからに強そうだ。

 強者特有の覇気のようなものは感じないが、きっと強いに違いあるまい。

 なのでブラッドはこれもスルーする事にした。

 これはチキンですわ。


 続いてやって来たのは見るからに弱そうな少女であった。

 虹色の髪がサラサラと流れる、華奢で今にも折れそうな儚げな娘だ。

 うん? 少女……?

 ともかく、チキンはこれならば勝てると踏んだ。

 この通りかかった哀れな娘(♂)を倒し、自分が弱くない事を証明するのだ。

 故に彼は飛び出して性別詐称の羊の前に立ち塞がった。


「待てい、そこの娘! 我が名は真祖ブラッド!

突然だがお前の血を頂こう!」


 チキンは高々と名乗りを上げ、ついでにちゃっかり血を頂こうと企んだ。

 美少女の生き血は吸血鬼の大好物である。それはファンタジーでも変わらない。

 まあ実際は少女ではなく少年だが。というか人ですらないが。

 しかしそんな事を知らないチキンは勝利を確信し、更に語る。


「安心せよ。無駄な抵抗さえしなければ命までは奪わん。

しかし抵抗するならば死を覚悟してもらうぞ」


 語りながらチキンは昔を思い出していた。

 昔はよかった。こうして名乗るだけで愚民は恐れ戦き、助けて下さいと血を献上してきたものだ。

 なのに見よ、この娘と来たら全く恐れていない。

 何と嘆かわしい。きっとこいつは相手の強さを見抜く事も出来ない可哀そうな弱者なのだ。

 だがそれも仕方のない事だ。

 強さに差がありすぎれば逆に差が分からなくなってしまう。

 少女が弱いのではない。私が強すぎるのだ。

 そう悦に浸るチキンを少女――否、アリエスが軽く叩いた。

 とりあえず台詞的に敵だと思ったので攻撃してみたのだ。

 彼は十三星の中では割と穏健派ではあるが、だからといって別に非戦闘主義とかそういうわけではない。

 敵だと判断されてしまえば、そりゃ攻撃くらいされる。十三星を舐めてはいけない。

 そしてチキンは飛んだ。


「ああああぁぁぁあぁあぁぁああああぁぁああああ!!」


 悲鳴を上げながらチキンは飛んだ。空高く飛んだ。

 まるでブーメランのように回転しながら空を舞った。

 先ほどからブーメラン発言を繰り返していたが、まさか自分がブーメランになるとは恐れ入った。

 彼はそこらの連中とは一味違う。とてもオチというものを分かっている奴だ。

 これからは彼を芸人と呼ぼう。


「ノォオオオオオオオオオ―――!」


 芸人はひたすら飛び続け、丁度ミズガルズへ来るべく月から移動中だったルファスに衝突して地面へと跳ね返った。

 だがまだ止まらない。命の残機を減らしながら芸人はまだ転がり続ける。

 ゴロゴロと、まるで地面を耕すように回転を続けてミズガルズの大地を突き進み、進み……やがて10㎞ほど移動してようやく止まる事が出来た。


「…………え……なに、いまの……」


 芸人は恐れた。

 ただの華奢な少女にしか見えなかったのに、このパンチの威力は何事だ。

 これでまた残機が減ってしまい、いよいよ彼は自分の強さに自信が持てなくなった。

 いや、そんなものはもうない。

 だがそれでも平均よりはマシだと思いたかったのだ。

 あれ? もしかして私、平均以下? 今の時代だとガチでただの雑魚?


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 そんな哀れな芸人の前に天使が現れた。

 桃色の髪の天翼族の少女だ。

 彼女は心配するように屈みこんで芸人を見下ろしている。

 これがラブコメなら位置的にパンツでも見えそうなものだが、少女はさりげなく位置関係と角度を計算しているらしく、残念ながら見えない。

 絶対領域は見えないからこそ絶対領域と呼ぶ。簡単に見えるパンツに価値などない。

 芸人は思った。この少女なら……この娘なら大丈夫だ、と。

 いい加減懲りろ。


「有難う、心優しき少女よ。

ところで頼みがあるのだが、私を殴ってみてくれないかね?」

「え、ええ……?」

「戸惑うのは分かる。だが私の最後のプライドを守るためにも必要な事なのだ。

大丈夫、私は強い(願望)。君が叩いた所でどうにもならんよ」


 少女――ウィルゴは考えた。

 初対面の人をいきなり殴るなんてどうなのだろう、と。

 というか、そもそもこんな事を頼まれる理由が分からない。


「ええと、やめた方が……その、私、自分で言うのもあれですけど、多分結構強いと思いますよ」

「ははは、これは頼もしいな。大丈夫だ、きなさい」

「ほ、本当にいいんですね?」

「私は一向に構わんッッ!」

「本当に、本当にいいんですね!?」

ダヴァイ(こい)ッッ!」

「そ、それじゃあ……えいっ!」


 可愛らしい掛け声であった。文字にするならばえいっ☆という感じであった。

 可愛らしい打撃音であった。文字にするならばポコ☆という感じであった。

 芸人は飛んだ。


「ああああぁぁぁあぁあぁぁああああぁぁああああ!!」


 ブーメラン再び。

 同じ落ちもあえて繰り返すことで笑いとなる。

 彼はとてもよく分かっている奴だ。やはりそこらの連中とは違う。

 空高く飛んだ彼は大気圏すらも抜けて飛び、偶然ミズガルズへと降下していたアロヴィナスに衝突して跳ね返って墜落した。

 

「ノォオオオオオオオオオ―――!」


 車輪のように回転しながら彼はミズガルズの大地を進み、またしても10㎞ほど進んでようやく停止した。

 命の残機は減っていない。どうやら『峰打ち』をしてくれたようだ。

 青い空を眺めながら芸人は思う。


「……そうかあ…………私はクッソ弱かったんだなあ……」


 まさかあんな、そこら辺を歩いている少女に叩かれただけで吹っ飛ぶとは自分の弱さにびっくりであった。

 むしろこれは逆に凄いのではないだろうか。

 そこら辺の雑魚モンスターを殴ったとしてもあんなには飛ばない。

 こんなに飛ぶという事はつまり、自分がそれだけ弱いという事だ。

 これはもうゼロですらない。マイナスだ。

 私はレベルー1000なのだ。そうに違いない。そう彼は考えた。

 何かもう、色々とへし折れてしまっていた。


「いやまて、もしかしたら……本当にもしかしたら、だが。

恐ろしく低い確率ではあるが、出会った奴全員がたまたま超強かっただけかもしれない。

あの少女二人も本当はこの世界屈指の実力者で、偶然あそこを歩いていただけかもしれない。

私の運が悪かっただけかもしれない」


 自分で言っていて、何と都合のいい解釈なのだろうと芸人は考えた。

 実はこれが大正解なのだが、流石にそんなに運が悪いなどと普通は考えない。

 なので彼は次で最後にする事にした。

 最後に出会った誰かに挑み、自分の強さを確認する。

 それでまたボコボコにされるようなら、もう自分の弱さを認めよう。何なら世界最弱の生物と名乗ってもいい。

 しかしもし、そうでないならば……夢くらいは見てもいいはずだ。


 足音がした。

 誰かが……二人こちらに近付いてきている。

 歩幅と音からして女だろうか。

 芸人はゆっくりと起き上がり、足音の主へと目を向けた。

 これが最後の挑戦である。

 さあ弱いの来い。頼むから弱いの来い。

 私が弱くないと信じさせてくれ!



「――其方か、先ほど私にぶつかったのは。怪我はないか?」



 ――野生のルファス・マファールが現れた!



「――あれ、この人確か……ああそうだ、思い出しました。確か一番最初の吸血鬼でしたね。

懐かしいですねえ。昔失くしたお人形って不思議と思わぬ場所に転がってたりしますけど、今そんな気分です」



 ――野生のアロヴィナスが現れた!



 無理。

 芸人改め、世界最弱の生物は一目で勝ち目がない事を悟った。

 いや無理、絶対無理。勝ち目云々の次元じゃない。

 まず戦おうという発想そのものがおこがましい。

 というか片方これ、創生神じゃね? アロヴィナスじゃね?


「随分派手に転がっていたが、どこか傷む所はないか?」

「いえ大丈夫です、ご麗人。お気になさらぬよう。

自分マジ調子こいてました。生きててすみません」

「……おい、本当に大丈夫か? どこか打っていないか?」

「大丈夫っス。自分超元気っス。史上最弱っス。

むしろ世の中の真理を知って身の程を弁えました。強者気取ってて申し訳ありませんでした」

「貴方確か、真祖ブラッドですよね? こんな所で何をしているんですか?」

「真祖ブラッド? 知らない名前ですね。

ここにいるのは単なる世界最弱の生物でございます。クソ雑魚とでもお呼び下さい」


 クソ雑魚の心はもう木っ端微塵であった。

 修復不可能であった。もう新しく買い直した方が早いレベルであった。

 彼の不幸は復活の時期を間違えてしまった事だろう。

 せめてルファスが戻ってくる前ならば、魔神族七曜を上回る脅威として活躍も出来たはずだ。

 あるいはルファスが冒険者をやっていた時代ならば強敵としてその存在を刻み込めたかもしれない。

 あるいは、十二星入りすらも夢ではなかっただろう。

 だがもう、彼がそれに気づく事はない。

 彼のプライドは哀れなほどに爆散し、後には自らクソ雑魚と名乗る男だけがいた。


 もう二度と野望なんて抱かないよ。

 彼はそう言い残し、再び棺の中へと閉じこもった。

 お外は怖い。どこにいっても化け物とエンカウントしてしまう。

 誰とも会わない狭い棺桶最高です。


 こうして、新たに現れた脅威は誰にも脅威と認識されぬままに退場した。

 今日もミズガルズは平常運転(スピード違反)である。

まあ、こうなるよね。


【告知】

野生のラスボスが現れた! の7巻が4月16日に発売されます。

また、コミカライズ2巻は4月12日発売です。よろしくお願いします。

活動報告にも表紙を載せておきました。

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― 新着の感想 ―
どこまで読んでも笑いどころすぎて死ぬw
[一言] 新たなる脅威(笑)
[一言] 引きこもりの誕生はこうしてできるのか
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