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第190話 ミズガルズにさよならバイバイ

「そっか……やっぱり帰っちゃうんだ」


 朝日に照らされたミズガルズの大地の上。

 そこに着地したアルゴー船の前には勇者一行と、そしてウィルゴが神妙な顔をして立っていた。

 彼等の前に立っているのは瀬衣だ。

 女神の脚本が終わった今、勇者の出番はもうどこにもない。

 この世界に英雄譚はもう要らない。人々が自分の力と意思で築いていく物語ではない現実があるだけだ。

 ならばこれ以上彼がこの世界に残る理由はないだろう。

 彼には地球での暮らしがあり、向こうで叶えたい夢もあるのだから。


「ああ。俺はやっぱり向こうの世界が合ってるみたいだ」


 こちらに未練がないわけではない。

 本心を言えば、目の前の少女に伝えてしまいたい淡い気持ちだってある。

 だが……そう、生きる時間が違いすぎるのだ。

 天翼族であるウィルゴはこの先何百年、あるいは何千年と生きるだろうが、瀬衣は長生きしても精々80かそこらまでしか生きられない。

 振られる事前提で気持ちを伝えて、それで万一にでもOKが出てしまえば最終的に悲しむのは彼女の方だ。

 ならば胸の奥に秘めておいた方がいい……この叶わぬ想いは。

 まあ、それ以前に普通に断られる可能性の方が遥かに高いのだが。


「問題はこの力だよな。ルファスさん達から見れば弱いとはいえ、この強さのまま地球に戻るっていうのも……」


 瀬衣のレベルは現在55にまで達している。

 これは女神が彼に龍の経験値を集めてそれをルファスが奪った際に、ルファスにしてみればほんの僅かな誤差程度で残ってしまったマナの影響によるものだ。

 無論その程度の上昇などルファス達から見れば気付かぬ程の僅かなものだ。

 だが地球に戻ればそうはいかない。

 一体どこにチーターよりも速く走る人間がいる。羆よりも腕力のある学生がいる。

 生命力や耐久力だって人間のレベルではない。

 仮に犯罪者が瀬衣に向けて包丁を突き刺そうとしても、瀬衣が力を入れれば皮膚すら切れず、銃で撃たれても痛いで済むと言えば今の瀬衣がどれだけ超人染みているか理解出来るだろうか。

 そう、比較対象が酷過ぎただけで彼は今や超人の仲間入りを果たしてしまっているのだ。

 その気になればオリンピックで金メダルを独占し続ける事も、様々な格闘技で世界一の座に立つ事も難しくはないだろう。

 いっそ全ての格闘技を総なめして無敵伝説を作る事すら出来るかもしれない。

 そんな力を持ったまま地球へと戻る……それはあっていい事なのだろうか?

 そう悩む瀬衣へ、ルファスはまるで気にした様子もなく気楽に答えた。


「問題ないだろう。それは其方がこの世界で得た其方自身の力と成果だ。

誰に恥じる必要もない。土産代わりに持っていけ」

「あの、それでいいんですか?」

「構わんよ。其方は力があっても、それを無暗に振り回す男ではなかろう」


 ルファスとて別に何も考えずに発言しているわけではない。

 相手が瀬衣だからこそ言っているのだ。

 これが例えばデブリのような者だったならば本人の意思など完全に無視して殴ってでもレベル1に戻していただろう。

 瀬衣だからこそ問題がないと言い切っているのだ。

 最初から最後まで、安易な道に逃げずに正解を探し続けた『勇者』だからこそ、信じてそのまま送り返せる。


「それに、確か警察官志望だったな? ならば力はあって困るものでもあるまい。

どうせならばどんな凶悪犯も逮捕してしまえる、そんな最強の警察官になってしまえ」

「ははは……あんな戦いの後じゃとても最強なんて名乗れませんよ」


 瀬衣は遠慮するように笑い、それから今まで共に旅をしてきた仲間達を見る。

 ガンツ、ジャン、フリードリヒ、女騎士(ゴリラ)、クルス、カイネコ、サージェス。

 足元で座っている犬の魔物も、別れを察しているのか何処か寂しげだ。

 それにこの場に駆け付けてくれたリヒャルト、ニック、シュウの冒険者三人に、アルフィとレンジャー部隊。

 思えば随分と勇者らしからぬ色物パーティーだったし、最初は何の嫌がらせだとも思ったが、全て終わってしまえばそれもまたいい思い出だ。

 いや、うん、多分いい思い出……のはずだ。


「それじゃあ……皆、今までありがとう」

「ああ。向こうでも元気でな」


 瀬衣の差し出した手にジャンが真っ先に応え、己の手を重ねた。

 その上にガンツが手を乗せ、更に他の面子も手を重ねていく。

 最後にウィルゴが手を乗せ、ほんの僅かな間だけ二人の視線が交差した。


「瀬衣君……元気でね。私、貴方の事忘れないから」

「ああ。俺も……絶対に忘れない」


 二人は名残惜しそうに手を放し、それを見届けてからルファスは指を鳴らした。

 すると瀬衣の前に空間の亀裂が生まれ、地球へと続くゲートが開通する。

 ただのゲートではない。ディーナのスキルと組み合わせての、過去へ続くゲートだ。

 送る先は西暦2015年の日本。つまりは彼が召喚された直後の時間となる。

 こちらの世界で過ごした時間は僅か一年にも満たないが、時間の巻き戻しで年齢もその分だけ戻している。この年齢の数か月は結構大きいのだ。


「そのゲートを潜れば、この世界に来る前と変わらぬ日常が待っている。

場所も其方の元いた場所に設定しておいたから、いきなり外国に飛ばされるという事もないはずだ」

「すみません、何から何まで」

「気にするな。元々こちらの勝手な都合に巻き込んだだけだからな。

無事に送り返すのは私の義務みたいなものだ」


 ルファスの言葉に瀬衣は少しだけ笑い、そしてゲートへと向かう。

 だが一度だけ名残惜しそうに後ろを……ウィルゴへと振り返り、迷いを吹っ切るように走ってゲートへと飛び込んだ。

 それはきっと初恋で、そして失恋だったのだろう。

 瀬衣は僅かに自覚し、ウィルゴは恐らくそれが淡い恋心と自覚すらせぬまま、別れの時を迎えた。

 そんな二人を見ながらディーナが小さな声で言う。


「いい子でしたね」

「ああ。戦う力こそなかったが……暴力でしか解決出来ぬ私とは違う、本当の勇者だった」


 南十字瀬衣の為した事は小さく、そして大きい。

 ルファスや十三星のような力こそなかったが、彼の選択がなければこう簡単に事は進まなかっただろう。

 きっと自覚すらなかったのだろうが、彼だけが終始一貫して女神の思惑から外れ続けていたのだ。

 ルファスやベネトナシュですら女神の思惑通りに動いてしまった時期がある事を考えれば、これはまさしく偉業と呼べるだろう。


「ところで、このまま悲恋で終わらせる気はないのでしょう?」

「瀬衣少年次第だな。向こうに戻ってもウィルゴを想い続け、そしてウィルゴも己の気持ちに気付いたならば……その時は、死後にこちらに戻してアルゴナウタイにしてしまう事も考えていないわけではない。

もっとも押し付ける気はないから、結局は二人の選択次第ではあるが」


 ここまで来てのバッドエンドなぞ誰も望みはしない。得もしない。

 だから道が分かれて尚あの二人の心が通じ合っているならば、その時は自分が少しばかり世界の理を捻じ曲げてしまおうかとルファスは企んでいた。

 何より、ウィルゴを泣かせてしまう気など毛頭ないのだ。

 だから彼女が望むならば日本に送る事だって考えているし、瀬衣を死後にこちらに戻してしまう事も検討に入れている。

 無論、本人の意思を尊重するつもりではあるので本人達次第だという絶対の前提条件付きではあるが。


「ま、しばらくは様子見だ。若い二人の出す答えを見守ろう」

「まるで年寄りみたいな物言いですね」

「実際年寄りみたいなものだ。私が何百年生きていると思っている」

「でもルファス様、封印されていた時間は時が停まっていた事を計算に入れると、人間年齢に換算して現在は十六歳か十七歳くらいですよ?」

「…………え゛?」


 天翼族は成長が早く、老いが遅い。

 最も気力と力が充実している十代後半まではあっという間に育つが、そこからの変化がないので外見からは年齢というものが全く分からないように出来ている。

 そしてルファスは今まで自分の事を人間年齢に換算して二十代前半程度に考えていたのだが……実は封印されていた時間を計算から外すと意外と若いという驚きの結果になってしまう。

 その事に彼女自身が驚きを見せ、指折り年齢を数える様はどこかおかしなものだった。


*


「嫌だー! 何故余がミズガルズ残留なのだ!

これでは最後の最後まで空気ではないか!」

「正直お前は参入時期が遅すぎたとしか……」

「ほとんど最終決戦手前だったからな、汝が来たの」

「貴様等が最後まで余を放置していたからだろうが!

海の中にずっといたんだから、本当なら一番最初に回収に来ていてもいいくらいだっただろう!

それと駄馬! 貴様はいい加減下を履け!」


 アルゴー船の反対側では十三星で数少ないミズガルズ残留組になってしまったピスケスが駄々を捏ねて喚いていた。

 それをサジタリウスとアイゴケロスが何とかなだめているが、あまり効果はない。

 だがこれは仕方のない事なのだ。何せピスケスには他のメンバーにはない海の王国という広大な領土とそこに住む住民が残ってしまっている。それを無視して彼だけ月に移住しては残された民が困るだろう。

 だからといってスキーズブラズニルごと移住するには、流石に月は少し小さ過ぎる。

 箱舟に詰め込んだ時すら、スキーズブラズニルだけは必要最小限のものを無理矢理詰めたに等しいのだから。

 そんな彼等を少し離れた位置で見ているのはオルムやテラ達魔神族だ。近くにはポルクスとカストールの妖精兄妹もいる。

 未練がましく喚いているピスケスを見ながらサートゥルヌスは呆れたように溜息を吐いた。


「覇道十二星といえば私達にとっては恐怖の象徴みたいなものだったはずだけど……こうして見るとアレね。何か、凄いアホみたいだわ、あいつ等」

「実際アホの集まりだからね、十二星って。今は十三星だけど」


 サートゥルヌスの言葉にポルクスが同意し、二人は揃って溜息を吐いた。

 苦労人の常識人同士、意外と気が合うのかもしれない。

 それからサートゥルヌスは後ろを振り返り、そして馬鹿にするように言う。


「まあ、アホって点じゃうちも変わらないわね。ねえ、先走って無駄死にしたどこかの誰かさん?」

「……悪かったな」


 サートゥルヌスの視線の先にいたのはドラウプニルで死んだはずのメルクリウスであった。

 見た目こそ生前と何も変わっていないが、その本質は真逆のアルゴナウタイとして現世に復帰している。

 彼の最期を聞いたポルクスが何とか英雄であると認識して連れ戻す事に成功しており、居心地悪そうにそっぽを向いている。

 死者は他にユピテルもいるはずなのだが、彼はどうやら転生を望んだらしくこの場にはいない。

 曰く、『あのゴーレム(リーブラ)の恐怖を忘れて新しい人生を選びたい』らしい。


「ところで……マルスは?」

「ごめん、アレはどう頑張っても英雄として認識出来なかったわ」


 サートゥルヌスの問いにポルクスは申し訳なさそうに返すが、しかしサートゥルヌスはそれを当然の事だと考えていた。

 確かに無理だ。メルクリウスはまだ視点を変えれば英雄にならない事もないが、マルスはどの視点から見てもただの馬鹿である。

 空にはマルスの鬱陶しい笑顔が浮かび、『僕の復活まだー?』などと言っている気がして、とりあえずそこに魔力砲を発射して霧散させておいた。


「いや、十分だ。君には借りが出来てしまったな」

「別にいいわよ、そんなの。貴方がそこまで気にする事でもないわ」


 オルムが穏やかな口調でポルクスへと話しかけるが、ポルクスはそれに冷たいとも思える返答を返した。

 無論、別に冷たくしているわけではない。昔からの知り合いだからこその気の知れた態度というだけだ。


「それに借りって言うなら私も貴方に借りが沢山あるしね。

昔から貴方、私が落ち込んでる時はよく慰めに来てくれたじゃない」

「む……それはまあ、な……」

「というか実は前から気になってたんだけど、何で貴方はあそこまで私に親身にしてくれていたの?

私達って一応、表面上とはいえ敵対関係だったのに」

「それは……うむ、何故だろうな」


 ポルクスの問いに対し、オルムは居心地悪そうに視線を逸らす。

 それを見てサートゥルヌスはポルクスよりも先に答えに辿り着いた。辿り着いてしまった。

 なるほど、なるほど、そういう事か。道理で魔神王様はやけに妖精姫を気にかけていたわけだ。

 そう理解すると同時に、無気力感が全身を襲う。


「あー……そういう事ね。魔神王様も男だったってわけか。

参ったわねえ……失恋とか以前に舞台に上がれてなかったわけね、私」


 サートゥルヌスは口にこそ出さなかったがオルムへの秘めた想いがあった。

 だが主に対してそれは余りに不敬だろうと自ら隠していたのだ。

 ならばこれは失恋ですらなく、そもそも舞台に上がる前に決着が付いていたというだけの事。

 しかしそれでも、ショックを感じないわけではない。


「サートゥルヌス……お前」

「そうよ、悪い? あんたと同じで勝負の土俵に上がる前に完敗ってわけ。

お互い損な役回りよねえ。どうせあんたも復活したはいいけど告白なんて出来ないんでしょ?」

「……」


 メルクリウスはルーナに片思いをしているが気付いてすら貰えず、そしてルーナはテラと想い合っている。今更入り込む隙間などはない。

 そしてサートゥルヌスもまた、己の恋心を自覚した時には終わっていたわけだ。

 もっともこちらはポルクスが何も気づいていないのでまだチャンスがないわけではないが……妖精姫と一介の魔神族では勝負するまでもないだろう。結果が見えてしまっている。


「今日は自棄酒ね。あんた、どうせ暇なんだから付き合いなさいよ」

「そうしよう。俺も今日は飲みたい気分だ」


 失恋魔神族二人組はそのまま背を向けてその場から歩き去った。

 ……余談だが、この二人は十年後に結婚をして夫婦となるが今の二人がそれを知る術はない。

~日本~

瀬衣「…………」

トゥール―(異形の邪神)「…………」


――瀬衣は思った。うわ、何かやばいのいるよ。

――トゥールーは思った。うわ、何か向こうの世界の匂いがする奴がいるよ。


瀬衣「…………」

トゥール―「…………」


――二人は、互いに何も見なかった事にした。

瀬衣は争う気はなく、トゥールーもまた向こうの世界で一度吹っ飛ばされて懲りていたからだ。

不干渉……それこそ互いにとって最も利となる選択だ。

瀬衣とトゥール―は言葉を交わさず、しかし頷き合ってその場を後にした。

インフレバトルはもう懲り懲りだ。言葉こそ通じなかったが、二人の心は不思議と通じ合っていた。



次回、最終話。

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トゥールーさん…そりゃあんなのもう懲り懲りだわな。
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