第187話 宇宙「やめたげてよお!」
諸君、私はインフレが大好きだ。
ドワォ。
アロヴィナスが攻勢に回ってから、ルファス達は防戦一方であった。
防御がまるで通じない、回復が全く追いつかない。
放つ攻撃は悉く無意味で、スキルを駆使してもすぐに無効化されてしまう。
ルファス達とて戦闘が始まった当初と比較すれば桁外れのパワーアップを果たしている。
しかしまるで追いつかない。アロヴィナスの攻撃がおかしすぎるのだ。
アロヴィナスが生み出す宇宙を超えた宇宙……を更に超えた宇宙。
宇宙が細胞の一つに過ぎず、更にその宇宙が細胞の一つに過ぎず……そんな眩暈がしてしまいそうな事を百度は繰り返した果てのそれを仮に極大宇宙とでも名付けよう。
それを彼女はまるで使い捨ての爆弾か何かのように気軽に使う。
ビッグバンで生み出してはビッグクランチで破壊する。ふざけすぎだ。馬鹿げている。
インフレしすぎて逆に陳腐だ。
やっている事は子供の我儘と同じで、『自分の方が凄くて強い』。これを規模を大きくして繰り返しているに過ぎない。
何をしてもこんな子供染みた、理屈にもなっていない理屈で押し通される。消し飛ばされる。
どんな力も速さも、技も、その全てが意味を為さない。
しかし苦境の中でルファスは笑う。
なるほど、確かに最強だ。桁外れている。
だがアロヴィナスは一つだけ読み間違えた。
それはたった一つの、下らぬ……だがこの場では何よりも重要な真実。
――私も子供染みた負けず嫌いなんだよ。
「アロヴィナスよ」
「ん? どうしました、もう降参ですか?」
「いやいや、何やら随分長々と自分の強さの理屈を語ってくれたようだがな……ならば私は其方に対してこう答えよう」
ルファスは口角を釣り上げ、獰猛に笑う。
規模は相手が圧倒的に上。しかし立つ領域は最早同じだ。共に世界を超越した神の世界で戦っている。
ならば、そう。後はただの意地の張り合い。
強さの限界だの、自分はどれだけ強いだの、無駄な事を考えるから駄目になる。
この場で我を押し通すものはただ一つ。そこに余計な理屈や理論など必要ない。
「其方は強いが――それでも私の方が強い」
言うと同時にルファスの力が跳ね上がり、アロヴィナスの敷いた設定を踏み越えた。
極大宇宙? そんなものは知らん。
無限に続くステータス? どうでもいいな。
どんな設定でも上塗りしてしまえる? だからどうした。『私の方がその全てより強い』。この一言で全てが片付く。
奇しくもアロヴィナス自身が言った通り、最早このレベルまで達した戦いにおいて強さという概念は存在しない。
概念も、摂理も法則も、限界すらも。その全てが神が創るものだ。ならば神の領域においてそんなものは無い。自分達で勝手に創るしかない。
真っ白な一つのキャンパスに互いに好き勝手に色を塗りたくり、私が正しいと押し付ける。
アロヴィナスにはそれが出来る。ならば自分達だって出来ないはずはない。
何故なら、自分達はアロヴィナスが創り出した世界の住人なのだから。
故に既存の法則など当てはまらない。物理法則などが全く適用されていなかったのも、今にして思えばそういう事なのだろう。
アロヴィナスに滅ぼされたという前の神では絶対に出来ない事も、アロヴィナスの力を継いだ自分達ならば不可能ではない。
アロヴィナスは議論の余地もなく最強だ。だからこそ彼女を討てるのもまた、彼女自身の力だけだ。
ならばここから先はただの我儘比べ、強さ比べ。
相手が強いと言い張り、私はもっと強いと言い張り、それを繰り返すだけの子供の口喧嘩だ。
ここは既に神の領域。ならば出来るさ、何でも出来る。
ルファスのステータスが一瞬で『∞』へと切り替わり、更にその∞の文字がどこまでもどこまでも表示され続ける。
無限の無限乗。こうなってしまえば、ただの腕力で全てが片付いてしまう。存在しているだけで極大宇宙が塵となって消え失せる。
――拳を放つ。
どこまでも純化させた暴力がアロヴィナスを襲い、彼女を守っていた不可視の壁を破壊して吹き飛ばした。
『どんなこうげきでもふせぐすごいバリア』を砕く『どんなバリアでもくだくすごいパンチ』だ。
拳圧が一瞬でどこまでも飛び、前方に存在する何もかもを砕き散らし、アロヴィナスの片腕さえも消し飛ばした。
「……ああ。やはり貴女はこの域にまで来てしまいましたか。
ええ、何となく分かっていましたよ。こうなりそうだなって事は」
アロヴィナスがダメージを瞬時に消し、泣き笑いのような微笑を浮かべる。
誰も来れないと思っていた。
誰も自分には並び立てないと思っていた。
出来る事は小さな者達を動かしての人形遊びだけ。永遠にこの場には己一人なのだろうと思っていた。
なのに、これはどうした事だろう。
ただの人形にするはずだった者が、こんな所まで来てしまうなんて。
「本当に、思い通りにならない人です。
何も考えないお人形にしたかったのに、まるで正反対。どこまでも思い通りにならない。
全くもって貴方達の言う通りです。
私はどこまでも上手く事を運べない神ですね」
「本当にそうか?」
「…………」
「本当に上手く事を運べなかったのか?」
ルファスが確信を持って問いを発し、アロヴィナスの表情が凍った。
いつもルファスは思う事がある。
それは、アロヴィナスは本当に自分達が考えていたような考え無しの女神だったのだろうか、と。
迂闊過ぎて、間が抜けすぎていて、稚拙すぎて。
おかげでここまで上手く事を運ぶ事が出来た。欺き続ける事が出来た。
だがそれは、もしかしたら、彼女自身がそれを心のどこかで望んでいたからではないのか?
「違うな。其方の望みはそんなものではない。
わざわざこんな回りくどい真似をしてまで私を人形にする理由が何処にある。誰がどう見ても人選ミスだろうが。
其方の望む者はむしろその逆だ、アロヴィナス。
何もかもが思い通りになる力と、自分だけが外れているという事実。それが其方を苦しめた。
現実感が持てない。生きている実感が得られない。
この世界にいるのは常に一人。孤独感に苛まれ、まるで一人で部屋に閉じこもって人形で遊んでいるようだ。
だから其方は、自分に気付き逆らう者が欲しかった。
だから其方は、わざわざ私を持ち出したのだ」
アロヴィナスは胸に何かが突き刺さるような感覚を感じる。
だがそれは気のせいで、何も刺さってなどいない。
第一彼女は不死身で、どんな手段をもってしても殺せないという設定を自らに付与している。
ならばたとえ神殺しの槍や剣が刺さったとしても彼女には傷の一つもなく、痛みの一つも通りはしない。
ならば……ならばこの痛みは一体何なのだろう。
何故こんなにも、満たされたような気持ちになるのだろう。
「思い通りに動かぬ誰かが欲しかったのだろう?
己の手を離れて勝手に動く何かがあって欲しかったのだろう?
全能などでありたくなかった。
自分の力すら及ばぬ何かが一つでいいから欲しい。思い通りにならぬ誰かに側にいて欲しい。
……喜べアロヴィナス。夢は叶ったぞ。
其方が求めた、其方に歯向かう罰当たりな悪魔はここにいる。
望んだ『他人』は目の前だ」
「………………ああ」
アロヴィナスが震えた声を発し、顔を抑えた。
ああそうだ、思い出した。この痛み。この感覚。
忘れて久しい感覚だ。もう何億年も、何十億年も……もしかしたら何百億年も忘れていた。
これは――そう、これは歓喜だ。
孤独だった。
生まれたその瞬間から外れすぎていて、あらゆる法則から解き放たれていて。
皆と同じステージに立つ事が出来ない。
世界中で皆が必死に生きている中、自分だけは生きていない。
だから救い上げようと思った。皆を少しでも自分に近い位置に引き上げようと考えた。
きっと、それこそが本当に望んだ事で……だが、それを望むには彼女は余りに高みに在りすぎた。
それは神となってから解消されるどころか益々悪化し、増大し続ける彼女自身の力が彼女を更なる孤独へと追い立てた。
自分以外にも意思を持って話す者達はいるのに、自分はそこに加わる事が出来ない。
まるでディスプレイの向こうで話すキャラクター達を眺めているようで。
振り向けば、この場所には自分しかいなくて。
小さな者達が羨ましかった。
だからせめて彼等の物語に加わりたくて、脚本を描いて世界を動かした。
彼等を幸福にしているという充足感が欲しくて、的外れな救済を繰り返した。
だが全ては慰め……心は満たされない。
本当はずっと、こうして、自分の前に立って歯向かってくれる誰かが欲しかったのだ。
口にしてはならぬと言い聞かせた禁断の果実を、わざわざ人の手の届く位置に置いたのは何の為だったのか。今ならばそれが自覚出来る。
忠実なお人形なんて欲しくない。
自分の足で歩き、自分で考え、そして己を裏切ってでもこうして自分と違う他人である事を示してくれる、そんな他人が欲しかった……。
強くなり過ぎて、高みに登りすぎて戻れなくなった自分の所へと、どんな手を使っても構わないから追いついて欲しかった。
――独りではないと、教えて欲しかった……。
「来い、全能という名の牢獄に閉じ込められた哀れな娘よ。
もう其方は誰も救わなくてよい。私が其方を救ってやる」
「……あ、あはは…………あはははは……」
手で押さえたアロヴィナスの口から笑い声が響いた。
それは笑い声のようでもあり、泣き声のようでもあり……きっとそれは、彼女が生涯で初めて経験する嬉し泣きだったのだろう。
「アッハハハハハハ! アーッハハハハハハハ!!」
やがて感情の抑制が効かなくなった女神は、盛大に、全時空へと響く程の高笑いをあげ、それだけで空間が罅割れて崩壊した。
何処かの並行世界で、恐竜が自分が死んだ理由すら知らぬままに宇宙ごと砕けた。
あったかもしれない世界線で、地球とは異なる文明を築き宇宙戦争まで繰り広げていた宇宙文明が何も出来ぬままに消滅した。
時間という概念が根元から完全に崩壊し、ルファスの帰りを待っていたディーナ達が完全に停止した。
女神の狂笑の余波だけで、終極点に存在していた宇宙の半数が消し飛んだ。
やがて女神は目元を抑えていた手をどかし、落ち着きを取り戻した声で話す。
「ふふふ……大きく出ましたね。出来ますか? 貴女に。
自分で言うのも何ですが、私の癇癪は少し規模が違いますよ」
「構わんよ」
ルファスが手招きし、話が終わるのを待っていたベネトナシュが呆れたように溜息を吐く。
オルムも苦笑しており、二人は顔を見合わせて頷いた。
「付き合いきれんな。駄々っ子の相手など貴様一人でやっていろ」
「同感だ……と言いたい所だが、どうもこの先は私達でも行けぬ世界らしい。後は君に委ねよう」
ここより先は全てが思い通りになる神の領域の戦いだ。
既に現時点でも人の思い描く神々の戦いと呼ぶに相応しい次元にあるし、ベネトナシュやオルムもその世界で戦えるだけの力を有している。
しかし今の高笑いを見て理解してしまった。今までのビッグバンだのビッグクランチだのといったふざけた攻撃ですら、女神にしてみれば加減に加減を重ねた遊びだったのだと。戦ってすらいなかったのだと。
だがこの先は更に上。互いに無限の頂きへと昇り、無限に無限を乗じていく上限なき闘争だ。
しかしベネトナシュは相手がルファスならばいざ知らず、女神相手にそこまでの闘争心を発揮出来ない。どうしても途中で失速してしまう。
オルムもまた、そこまで純粋に己の最強を信じる事は出来ないだろう。
途中で必ず整合性の矛盾に目が向かい、そして最強に陰りが生まれてしまう。間違いなく途中で置いて行かれてしまう。
それでは駄目なのだ。この戦いに勝つには誰よりも我儘でなければならない。誰よりも負けず嫌いでなければならない。
一片の疑いすらなく己の最強を信じ続ける事……それが出来る者しか、女神には立ち向かえない。
ならば後はルファスとアロヴィナスの二人のみの戦場だ。
正直悔しい気持ちはあるし、また置いて行くのかという気持ちもある。
しかし、それでも足手纏いを自覚してここに留まる理由はない。
「私は飽きた。先に戻って待っている」
悔しさを隠すようにベネトナシュが憎まれ口を叩き、ルファスの肩に手を置く。
すると彼女が保有していた経験値が全てルファスへと譲渡され、この世界に居座り続ける権利を失ったベネトナシュは弾かれるようにして終極点から消えた。
「済まないな。最後まで共に戦えなくて」
「気にするな」
オルムもまた、己の持っていた経験値をルファスへと譲ってこの場から消えた。
これで残るのは二人。ルファスとアロヴィナスのみだ。
ここから先は『どちらが強い?』の意地の押し通し合いだ。ならば一対一でなければならない。
三対一ではアロヴィナスも納得出来ないだろうし、言い訳の余地を与えてしまう。
それでは駄目だ。完全に負けを認めさせなければ、この孤独な女神は止まらない。
「さあアロヴィナスよ、二人きりだ。遠慮はいらん……来い!」
「ええ……始めましょうか!」
ルファスとアロヴィナスが掌を翳し、名前すらもない破壊の具現を解き放った。
もうスキル名などいらない。考えるのも面倒臭い。
振るう力は互いに無限。相手の無限を己の無限で上回り、それを更に超えていく。
ビッグバンだのビッグクランチだの、そんな小さい攻撃は最早使わない。意味がない。
技に名前など要らず、どこまでも純化させた力だけをぶつけ合う。
私は強い、私の方が強い、ならば私はもっと強い。
ルファスがどこまでも速くなり続け、速さそのものが光速で乗倍し続けているように際限なく上昇する。
しかしアロヴィナスはそれを遥か置き去りにした速度で加速し、だが次の瞬間にはルファスが同じ事をやり返している。
ルファスが不可説不可説転の力で殴れば、アロヴィナスは不可説不可説転に不可説不可説転を乗じた力で殴り、ルファスは更にそこにまた乗じて殴り返す。
お前の無限など私の前では1にも満たないと言い張れば、今度は相手がその上の世界へ立つ。
互いに相手を踏み台にし、自分の最強設定を押し通そうとする。
この攻防でどれだけ上の位階へ達しているかなど二人共考えていない。興味もない。
最初の宇宙の更に上の、更に上の、更に上の、更に上の、更に上の、更に上の――ユニバースの上のマルチバースの上のオムニバースの更に上の――!
……どうでもいい事だ。考えてもキリなどあるまい。
どのみち、目の前の相手に届かなければ全て無価値なのだ。
「ふふふっ……あはははははは!」
アロヴィナスが子供のような無邪気な笑い声をあげながら、えげつない攻撃を間髪入れずに繰り返す。
同じ空間に存在するだけであらゆる耐性を貫いて絶対に殺す能力。
受けた攻撃を全て反射する能力。
時間を逆行させ存在そのものを無かったことにする能力。
どんな過程を経ても自分が勝つ能力。
敗北という結果だけを相手に与える能力。
視ただけで何もかもを抹消する能力。
ありとあらゆる能力を無効化する能力。
攻撃という概念を破壊して攻撃そのものを封じ、防御という概念を消し去って防御行動を取れなくする。
その他あらゆる神話の神々の能力。
どこかで見たようなフィクションの能力。
思いつく限りの全てを使い、それでも尚ルファスは消えない。止まらない。
それが楽しくて仕方がない。
「そうだ……思う存分楽しめアロヴィナス。私が全て受け止めてやる」
ルファスが微笑ましいものでも見るような微笑を浮かべながら、しかし繰り出す攻撃はその全てがオーバーキル。
どんな能力だろうと貫通して殺し尽くす腕力。
如何なる小細工も走破する脚力。
相手の次の手を、そのまた次の手を見抜く眼力。
何をされても全て跳ね返す胆力。
相手の能力を全て奪い取り使役する支配力。
どんな設定だろうと私には無関係だと言い張る精神力。
持てる限りの全てを使い、乗り越えて踏み越え、アロヴィナスを追い詰める。
衝突――一つの次元が内包していた宇宙や並行世界ごと消し飛ぶ。
衝突――無限に等しい数の次元が寄り集まる事で出来る上位次元がまるで耐えきれずに吹いて飛ぶ。
衝突――数多の上位次元を内包する超上位次元すらもがまるで話にならずに砕け散る。
だがまだだ。まだ足りない。こんなものではまだ届かない。
目の前の相手はピンピンしている。全くダメージすら受けていない。
だからもっと上へ、もっと高みへ、果ての先のその先へ!
それはもう、戦いではなかった。
同じ領域に住む怪物同士だからこそ可能な――遊戯。じゃれ合い。
女神と反逆者は心底可笑しそうに笑い合い、衝突の余波で数え切れぬ数の既存世界が消し飛んだ。
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| | フ |
_| | レ |
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\匚二二二二]