第185話 そうせいしんの アロヴィナスが しょうぶをしかけてきた!
ラストバトル開幕。この戦闘が正真正銘最後です。
でも冷静に考えてみると、実戦経験ほぼゼロのラスボスってどうなんだろう……。
インフレさん「え? 休日……出勤?
休憩時間なしでサービス残業……? ちょ、え……これ、残業終わると同時に次の出社時間が来るんですけど……え? こ、これをずっと……?」
物理法則さん「ざまあwww」
始まりがいつだったか。それはもう彼女自身でも思い出せない。
かつて人であった事だけはかろうじて覚えているが、人であったという事実そのものが神となった瞬間に歴史から消え去った。
故に己がかつて人であったという事を知るのは自分自身のみであり、証明する手段すらない。
そこからどのような紆余曲折があったかは、余りに昔過ぎて覚えていない。
ただ、最終的に創世神と相対し、これを打ち滅ぼして次の神となった事だけは間違いない。
神となってから彼女はまず宇宙を生み出した。
次に生物が暮らせる環境の整った惑星を創り出し、生命を創ろうと試行錯誤した。
だがここで彼女は躓く事となる。
彼女は先代の創世神すらも討滅するほどの破壊の力を有してはいたが、命を創造する力など持ってはいなかったのだ。
何故なら命というものは、彼女にとって余りに脆すぎたから。限度を越して儚すぎたから。
組み上げるのに複雑すぎる工程を踏まねばならぬパズル。だがそのパーツの一つに触れる事すら苦労する。これでは創ろうと思っても何も出来上がらない。
止むを得ず彼女は自分が元いた世界から全ての生物を少しずつ生み出した世界――ミズガルズへと移動させ、繁栄させた。
やがて時代が進み、地球の人類によく似た姿と知性を持つ生物が誕生した時は小躍りするほど喜んだものだ。
彼女は人々を愛した。求められれば応え、望まれれば与えた。
それは決して口にしてはならぬと教えた、悪しき概念を閉じ込めた禁断の果実を勝手に食されて以降も変わらなかった。
私は貴方達を愛している。幸せになって欲しい、必ず幸せにしてみせる。
そう願い、人々が欲するものを全て施し続けた。
なのに何故だろう……何故なのだろう。
与えれば与えるほどに、満たせば満たすほどに。
人々の幸福の絶対値が上がり続け、幸福を感じてくれなくなるのは。
*
終極点。宇宙の外側に存在するこの場所をアロヴィナスはそう名付けている。
そこは全ての終わりであり、始まりの場所だ。
ありとあらゆる世界、あらゆる時間軸がこの場所と繋がっている。
宇宙とはいわば一つのパソコンの中に入れられた一つのソフトのようなものだ。
その中にはいくつものセーブデータがあり、その一つ一つが並行世界を形成している。
宇宙を飛び出した先には更に数多の宇宙があり、それらを纏めるフォルダがある。
だがそのフォルダの外を見れば更にいくつものフォルダがあり、それを超えてパソコンの外に出てみればそこにはいくつもの、同じようなパソコンが並んでいる。宇宙とは例えればそのようなものだ。
そしてそれら全てが集うのがこの神の空間であり、誰も立ち入る事の出来ないアロヴィナスのみの世界……のはずだった。
視界に広がるのはどこまでも続く白一色の世界。
どこまで続く、などという言葉に意味はない。どこまでも続くというのが答えだ。
この世界に果てはなく無限に広がっている。
そして白と対極に位置する黒い何かが至る所に点在しており、それら一つ一つが宇宙を構成していた。
ミズガルズというのはいわば、この無限に存在する宇宙の中の一つ。その中に更に存在する数多の大銀河団の中の一つの銀河の中に存在する恒星圏の中にひっそりと息づいていた小さな小さな世界でしかない。
文字通り桁が違う、規模が違う。
どれだけルファス達が化物染みていようと所詮は小さな惑星の中での最強でしかなく、ここまでたどり着けるはずがない。ずっと、そう思っていた。
故にアロヴィナスは今、かつてないほどの驚愕に身を震わせていた。
自らと同じ領域へと踏み込んで来た侵入者があろう事か三人。決戦の意を以て目の前に立っている。
この空間に大きさという概念は存在せず、宇宙を超えた時点でルファス達はアロヴィナスと対等の関係だ。宇宙の中の塵でしかなかった彼女達は紛れもない敵としてこの場に参じている。
「其方がアロヴィナスか……こうして見るのは初めてだな」
一方でルファスもまた、遂に相見えた女神の存在感に流石に緊張を隠せてはいなかった。
見た目を語るならばディーナと瓜二つ。同じ顔立ちをしている。
髪の色はディーナと異なり、青色の髪が首元辺りから金色に変色しているがそれでも容姿は彼女と同じだ。
身に付けているのは白いドレス。上からは青いケープを羽織り、光に包まれている。
ステータスは……試しに少しだけ観察してみたが、すぐにその無駄を悟った。
表示はされる。表示だけは。
だがどこまで続くかも分からない『9』という数字がこの空間の果てまで延々と並んでいるのを見ればステータスを測る行為がどれだけ無駄なのかを悟るというものだ。
とりあえず、普段聞き慣れない天文学的な桁数になる事だけは間違いないだろう。
「驚きました。まさかここまで来るとは思いませんでしたよ」
「だろうな」
ルファスは余裕を表に出しながら、しかし内心では度肝を抜かれたのは自分の方だと考えていた。
規模が違うだろうとは思っていたし次元違いだろうとも分かっていたが……いざ辿り着いてみればその強大さに呆れるしかない。
この空間に漂う黒い何か……その一つ一つ、全てが宇宙だというのか。
インフレここに極まれり。とうとう行き着く所まで行き付いてしまった。
「ここまで来た理由は、やはり脚本の書き直しの要求ですか?」
「分かっているならば話は早い。否と言っても無理矢理書き直させるぞ」
「そんなにいけない事でしょうかね? 人類共通の敵を用意するのは」
ルファスの要求に対し、アロヴィナスは己の脚本が本当に間違えているのかと問う。
無論当事者からすれば辛い世界なのだろう。そのくらいはアロヴィナスにも分かる。
だが辛くていいのだ。苦しくていい。
何故なら、それこそ本当に人に必要なものなのだから。
「私とて、何もいきなりこんな世界にしたわけではありません。
最初は、人々を救い続ける事こそが幸福を生むと思っていました」
アロヴィナスは憂鬱気に瞼を伏せ、昔を思い出すように語る。
そう、人を救い続ける事。求める物を与え続ける事。
それが幸せを生み出すのだと、かつては信じていた。
だがそれは違った。人は幸福だけを与えていては幸福感が麻痺してしまう。
平和だけが続く世界では、それが平和であると認識出来ない。
例えば一つのケーキがあるとする。それを誕生日が同じ二人の子供に与えるとしよう。
一人は貧乏で、毎日を食べるのにも苦労する子供だ。誕生日など祝ってもらった事もない。
一人は裕福で、ケーキなど好きなだけ食べる事が出来る。誕生日にはいつも特大のバースデーケーキを食べている。
そんな二人に同じケーキを与える。すると片方の子供はそれに大きな幸福感を抱く事が出来るだろう。
何て美味しいケーキなんだ。誕生日にこんなものを貰ったのは初めてだ、と。
しかしもう一人はそれに対し、怒りを見せる。
ふざけているのか。せっかくの誕生日なのに何だこの小さなケーキは、と。
おかしな話ではないか。与えているのは同じ味で同じ大きさのケーキなのに、貧乏な少年が大きな幸福を感じているのに対し、裕福な少年は幸福どころか不幸すら感じているのだ。
何故そのような事が起こるのか? それは幸福の絶対値が違うからだ。
貧乏な少年の幸福の絶対値は低く、小さなケーキ一つでも生涯最高の幸福を得る事が出来る。
だが裕福な少年の幸福の絶対値は高く、少しの事ではもう幸せを感じる事が出来ない。
幸せが当たり前になりすぎていて、己が幸福である事を自覚出来なくなってしまったのだ。
そう、人の感じる幸福は絶対的なものではない。環境によって大きく上下してしまう。
「人はね、幸せなだけでは駄目になるんです。平和なだけでは腐るだけです」
かつてアロヴィナスが人々を救い続けていた時代は掛け値なしの理想郷であった。
飢えはなく、痛みは女神によって取り払われ、寿命すらもなかった。
病気も死も人々とは無縁で、望めば何だって手に入った。
女神の愛に包まれ、貧富の差も戦争もない世界。それはまさに理想家が夢見る実現不可能な神の楽園。黄金時代そのものだ。
人が夢想する天国というものを、確かにアロヴィナスは一度は実現させたのだ。
だが人々の欲に限界はなく、与えれば与えるだけ。施せば施すだけ幸福の絶対値は上がり続けた。
与えられるのが当たり前。救ってもらえるのが当たり前。
そんな思考に辿り着いてしまった人々は今の幸福が当たり前すぎて、それを幸せな事であると認識しなくなってしまった。
幸福など感じる事なくそれを享受し続け、そして少しでも思い通りにいかなければ不幸すら感じる。
自分では何もしない、しなくても女神が施してくれる世界。
自分では歩かない。少し願えばどこにでも運んでもらえるから。
自分では立たない。必要がないから。
自分で物を持ち上げないし、自分で食べない。
ただ永遠に、辛い事のない理想郷で生き続けているだけの者達……全てが叶うが故に、何もしない。ただ柔らかな草原や、女神が与えてくれたベッドに転がっているだけでいい。
そんな人々の姿にアロヴィナスは嘆いた。
違う、こんなのは違う。私が作りたかったのはこんな世界じゃない。人々をこんなふうにしたかったわけじゃない。
私はあの人達を……苦しい世界の中で、それでも必死に生きていて、頑張っていて、なのに救われなかったあの可哀想な人達を救いたかったのに。幸せにしてあげたかったのに。
これでは……これではただの……人形ではないか。
アロヴィナスには分からなかった。
私は何も間違えていないのに。正しい事をしているはずなのに。
なのに何故、こんなにも人々は腐ってしまうのだろう。何故こんなにも心が凍り付いているのだろう。
そんな時、彼女はほんの気晴らしのつもりで元の世界を見た。
そして信じがたいものを目にする……貧困に喘ぐ一人の子供が、たった一つの……お世辞にも美味とは言えないだろう硬いパンを食べただけで大きな幸福感を感じていたのだ。
あんなものは彼女の民達は食べてすらない。あんな硬いパンなどではなく、もっと上質なパンを当たり前のように食べ、時には一口齧っただけで捨ててすらいる。
だが彼等はそれを幸福とは思わない。何故なら当たり前の事だからだ。
戦時中の国に暮らす者は、命が脅かされないというだけの僅かな時間を喜ぶ。
女神の民には無縁の事だ。
それはアロヴィナスをこの上なく打ちのめす光景であった。
「貴方達は何か誤解しているようですが、私は別に人々を不幸にしたいわけではありません。
むしろ逆……幸福に導きたいと考えています。幸せになって欲しいんです」
私は間違えていた。
アロヴィナスは己の過ちを悟り、人に必要なのは平和と幸福ではないと理解した。
ああそうだ、考えれば至極当然の事。砂糖は甘いが、毎日砂糖をまぶした菓子を食べ続ければ誰だって嫌になるだろう。たまに味わうからいいのだ。
甘い物は辛い物を食べた後にはより甘く感じる事が出来る。
だが甘い物しか食べた事のない者がいるとすれば、その者は甘味を甘味と認識出来ないだろう。
幸福もそれと同じ事。人を幸せするには落差が必要だった。
それも、これより下はないという不幸のどん底であればどんな些細な事であろうと人は幸せになってくれる。私は人を幸せにしてあげる事が出来る。
少なくとも、今のこの腐った理想郷などよりも余程いい。
何も考えず、何もせず、与えられるのを待ち続けて動きもしない。それの何処が幸福だ。それの何処が人間だ。
困難の中でも立ち上がり、自らの足で歩いていく。だからこその人間だ。だからこそ人々は美しい。
そう、私は人々を幸せにしたい。断じて、人形を幸せにしたかったわけではない。
「馬鹿な……ならば女神よ、貴女が今まで世界に強いて来た事は全て人々を思いやっての事だったとでも言うつもりか!?
悪意などない善意からの行動だったと……人々を幸せにしたいが為に、それだけの事で、数多の不幸を生み出してきたというのか!?
私は、それだけの為に道化を演じ続けてきたのかッ!?」
最も女神との付き合いが長いオルムが怒りの声を張り上げた。
冗談ではない……何だこれは。
別に被害者面するつもりはない。自分は女神の脚本の片棒を担ぎ、今まで人々を不幸にしてきた。その事実を誤魔化すつもりもない。
だがその理由がこんな……こんな馬鹿げた事であったなど!
ポルクスの涙が、己が殺してきた勇者達の命が、こんな事の為だったなどと……。
「……これでは……私が殺めてきた者達があまりに救われない……!
私は……私は……こんな事の為に、あの尊い者達を……彼等の未来を……」
「嘆く事はありません、月龍。彼等は幸せでした。
偽りではありましたが、己の犠牲で平和を掴み取れた事……それは間違いなく彼等に達成感と満足感を与えたのです」
「ふざけるなあああッ!」
オルムが激昂し、アロヴィナスへと殴りかかった。
己の手で彼等を殺め続けてきたからこそ。その未来を、あったはずの幸せな明日を奪ってしまったからこそ。
そんな下らぬ理由で、その理由を女神に問いもせずに実行してきた自分自身が何よりも許せない。
今やレベルの限界を超え、超銀河団の崩壊すらも引き起こす事が出来るオルムの拳が女神へと向かった。
拳速は無限速。破壊力は測定不能。
もはや拳打と呼ぶ事すらおこがましい純化した破壊の概念。
それが女神へと振るわれ、しかし彼女の前に展開された不可視の壁に呆気なさすぎるほど容易く受け止められた。
「月龍、貴方は今嘆いています。己の罪に苦しんでいる……しかし安心なさい。
今が不幸ならばそれよりも下はない。貴方はこれから幸せになる事が出来る。それを喜びなさい」
「き、さ、ま……!」
「私は決して見捨てたりしません。人々の幸せを心より願っています。故に」
アロヴィナスは微笑み、オルムへと手を翳す。
それにルファスとベネトナシュが同時に反応し、掌から魔法を放つ。
だがそれと同時に三人は宇宙空間へと転送され、そして周囲を取り巻くのは太陽の数千倍の面積にも達する巨大恒星の群だ。
「いずれ来る幸せな明日の為に――絶望に染まれ、世界よ!」
――極超新星爆発。
宇宙全体を焼き尽くす程の大爆破が三人を中心に連鎖して輝いた。
女神は誰よりも人々の幸せを願っていた。
女神は誰よりも強かった。
女神は誰よりも人を愛していた。
――だが女神は誰よりもアホだった。
アホヴィナス「幸せにしたいから絶望させます!(゜∀゜)」




