第174話 土龍の地震
ミズガルズ全体が異常気象に包まれていた。
空は龍の巨躯と暗雲に覆われ、まるで太陽と月が食われたようだ。
大地は裂け、海は枯れ、山は崩れ落ちる。
雷鳴が休みなく轟き、まるで世界全てを包むように季節違いの雪が吹き荒れた。
それはまさに終末だった。神と怪物達が全面戦争を起こし、あらゆる命が消える世界の黄昏時。
世界が終わる日が訪れたのだ。
「おお……フィンブルの冬じゃ。世界の終わりじゃあ!」
箱舟の中に収容された教会の中には人々が祈るように押しかけていた。
だが祈りに意味はない。その神が敵なのだから。
神官は恐慌を起こしたように叫び、箱舟の中は暗い空気に包まれている。
そして、そんな箱舟の中にあって瀬衣は頭を抱えていた。
彼の現在地は箱舟の中枢、メインコントールルームだ。
そこでは何人もの小人達がせわしなく働き、そして現代日本の科学によって取り付けられたカメラによって箱舟の至る所が映像として映し出されている。
そして瀬衣はその中でも特に重要度の高そうな、まるでこれから放送でもするかのようにカメラに囲まれた場所で英雄達や各国の王と一緒に棒立ちしていた。
――俺に、どうしろというんだ?
ルファスは言った。民を説得し安心させて欲しいと。
「……いや、無理だろこれ。こんな状況で俺なんかの言葉で誰が安心するんだよ」
「情けない小僧だな。マファールは何故こんな奴を評価しているのだ」
「俺が知りたいですよ……」
弱気になる瀬衣にベネトナシュが辛辣な言葉を浴びせ、それから小人達を見る。
すると小人は心得たとばかりに何かのスイッチを入れ、それぞれの町の空中――船の中で空中というのもおかしな話だが、世界そのものを収容してしまえるようなこの船は最早人工の惑星にも等しい。なのであえて空という表現を用いる――にベネトナシュ達の姿を投影する巨大なスクリーンを映し出した。
それを確認してからベネトナシュがマイクを手にし、声を出した。
「聞こえているな? ミズガルズの民達よ。私はミョルニルの王、ベネトナシュだ。
時間がないので結論から言おう。貴様等が今いるここはミズガルズではなく、巨大な箱舟……まあでかい船と思え。ミズガルズの表面ごと全て、この箱舟に避難させた。
そしてミズガルズでは龍が動き、世界の終わりが始まっている」
ベネトナシュの口から発されたとんでもない事実に人々がざわめいた。
とても信じられる事ではないだろう。
何せ彼等にしてみれば、強い風に運ばれたと思ったのはほんの一瞬の事で、それが終わればいつもと変わらぬ街の景色がそのまま残っていたのだ。
そう、箱舟の中は……少なくとも人が暮らす街などはほぼそのままの形で大地ごと収容されていた。
ルファスの圧倒的かつ精密な術は人々の生活圏をほとんど崩す事なく運び込んでいたのだ。
しかしそれでも、何かが起こっている事は嫌でも分かる。
それも、自分達の予想など到底及びつかない、とんでもない事が起こっているのだと。
「だが貴様等がやる事など何もない。黙って普段通りの生活でもしていろ。以上だ」
ベネトナシュはそう言い、話を終えた。
これでも彼女なりに頑張った方である。
だが悲しいかな、ベネトナシュは生まれついての強者だ。弱者の気持ちなど分からない。
ルファスという宿敵を得て相対的に弱者になった気分は味わったものの、それでもやはり彼女はその在り方そのものが強者なのだ。
敵がいれば倒す。困難があれば砕く。膝を降り、恐怖に縮こまるという発想がまずない。
その彼女にとって、今人々が感じている恐怖や不安など分かるはずもない事だった。
「駄目だろそれ!? それじゃ誰も安心しないですよ!」
「あ? 十分だろう、これで」
「全然十分じゃないですよ! もっと言い方ってのがあるでしょう!?」
「……なら貴様がやれ。私は先に行く」
ベネトナシュは面倒くさそうに言い、箱舟から飛び出した。
その背を見送り、メグレズは苦笑する。
なるほど、ルファスが瀬衣をここに残したわけだ。
確かに弱い人々を安心させるには、その気持ちが分かる者がいなくてはならない。
つまり彼は適任だったわけだ。
それに今のベネトナシュの言葉で、とりあえずミョルニルの人々は落ち着いただろう。
ならば次は自分達の番だ。
メグレズは空中に自分達七英雄の姿を映し出した。
まずはこうするのが最も効果があるだろう。特に死んだはずのアリオトやドゥーベの姿はそれぞれの国の民に勇気を与えるはずだ。
「よう、レーヴァティンのアホ共。俺の顔知ってる奴いるかな?
一応建国者のアリオトだ」
「ドラウプニルの建国者のドゥーベだベアー。まあ建国っていうか獣人達が集まって勝手に国みたいになって気付いたらオイラが皇帝になってただけなんだけど」
「それ今ぶっちゃける事か!?」
「俺はフェクダだ。つっても俺の国、とっくに滅びちまってるんだよなあ……まあ、俺の民達はこの箱舟作ってたみたいだし、特に俺が安心させる必要はねえか」
「メラクだ。我が民よ、どうか落ち着いて話を聞いて欲しい」
英雄達はそれぞれ自国の者達を安心させるように言い、そして瀬衣へと視線を落とした。
どうでもいいがミザールは特に何も言っていない。
何故なら彼の民であるブルートガングの人々はこの事態にむしろやる気の炎をメラメラと燃やし、ブルートガングに残って最後の戦いに一緒に乗り込んでしまったからだ。
ドワーフはとても図太いのである。
「今、ミズガルズでは恐るべき怪物……龍が暴れまわっている。
私達はその未曾有の事態に対抗するべく、あのルファス・マファールや魔神王と同盟を結んだ。
そして、その同盟を成立させた若き指導者をここに紹介しよう……異世界より召喚に応じ、この世界へ現れた者……勇者瀬衣だ」
「!?!?」
メグレズがさらっと、とんでもない紹介の仕方をした事で瀬衣は目を白黒させた。
ちょっと待て、何か俺凄い変な扱いになってないかこれ?
七英雄、ルファス、亜人連合、魔神族という物凄い同盟の立役者というかリーダーに勝手にされたような気がする。
咎めるようにメグレズを見るが、彼は微笑むばかりだ。
そして、メグレズの吐いた出鱈目の効果は抜群であった。
恐怖の代名詞であったルファスや魔神王が味方になったという事実は人々の心に希望として差し込み、その偉業を為した勇者の名を心に刻んだ。
人は追い詰められた時ほど希望に縋りたくなる。偶像に縋りたくなる。
そこに現れた勇者の名と同盟の成立は人々の間を瞬く間に希望という名の電撃となって駆け抜けた。
「勇者……勇者セイ!」
「おお。勇者よ!」
「勇者様! 勇者様!」
更にそれぞれの王都や町で、何人かが声をあげた。
それは以前まで瀬衣達と共に旅をし、しかし瀬衣一行がルファスと合流して田中や鈴木という移動手段を得た事で置いてけぼりにされてしまったレンジャー部隊であった。
彼等は何とも仕事熱心な事に、少しでも力になるべくそれぞれの町でサクラとして場を盛り上げる事にしたのだ。
あちこちの町や王都から勇者コールが響き、勇者への期待が箱舟に満ちる。
一方、その当事者にされてしまった瀬衣は最早笑うしかない。
「……え、ええと、その……み、みなさんはじめまして。一応勇者の瀬衣です」
引き攣った顔で瀬衣がマイクを手にし、まずは自己紹介から始めた。
どうやら彼の不幸はまだまだ続きそうだ。
*
大地の龍が咆哮をあげ、神に歯向かう愚か者たちへ鉄槌を下すべく移動を開始した。
だがその動きが不意に止まり、眼下に立つ小さな者達を捉える。
レオンを筆頭とし、アリエス、タウルス、ウィルゴ、パルテノス、アクアリウス、ガニュメーデス……更にこの戦いに駆け付けてきた三翼騎士やフェニックス、ハイドラスが龍を迎え撃つべくその場に集結していたのだ。
巨大化出来る者は既にその本性を露にし、戦意を高揚させている。
タウルスもまた上半身が牛、下半身が人というミノタウロスとしての姿へと変わり、斧を手にしていた。
レオン達は普段は天を衝くほどに巨大、と称される。
だが今、この時に限っては小さな挑戦者だった。
『小さき者共め……生意気にも我輩と戦うつもりか』
土龍が嘲るように言う。
ただ話しただけだというのに、それだけの事で大気が震えて嵐となった。
龍とは超自然の具現。どんな小さな所作であろうと、その一挙手一投足全てが天災だ。
話せば嵐となり、息を吹きかければそれは台風となる。
動けば地震を起こし、津波を発生させる。
ここにいるのがレオン達でなければ立っている事すら出来ないだろう。
『一瞬で潰してくれようぞ……』
土龍の眼が輝き、空間が歪んだ。
それと同時にパルテノスが叫ぶ。
「来るぞ! 防げウィルゴ!」
「は、はい! ヴィンデミ・アトリックス!」
『――“重力万倍”』
圧縮されたマナが超重力の衝撃となって土龍を中心に拡散した。
一瞬で大地が消えたように陥没し、惑星の形を変化させる。
しかし間一髪でウィルゴが放った魔力消去により、彼女達が立っている大地だけが難を逃れ、まるで孤立した断崖絶壁のような状態と化した。
「じ、地面が消えた!?」
「違う、消えたんじゃねえ。潰しやがったんだ」
何が起こったか分からず狼狽するアリエスに、アクアリウスが冷静に解説を入れる。
だがその彼女の表情もまた険しいものだ。
予想はしていたが……龍の次元違いの力を目の当たりにし、流石に動揺が隠せない。
今の一撃は恐らく本気とは程遠いものだろう。龍にしてみれば軽く手を払ったに等しい小手調べのはずだ。
それすらがこの威力……なるほど、まさに神の代行者だ。桁が違っている。
『ふん、拡散したとはいえ防いだか……ならば次は十万倍の重圧をくれてやろう』
土龍が口を開き、口内に重力が集約される。
惑星ですら重圧で潰してしまうほどの高重力の弾丸。それを発射しようとしているのだ。
その不吉な鳴動を前に、誰に言われるまでもなく全員が同時に散った。
パルテノスとウィルゴはアリエスに乗っていた為、回避の必要もなく一緒に運ばれる。
『“テラ・グラビトン”』
圧縮された重力の塊が放たれ、惑星を削りながらレオン達へと直進した。
直撃してしまえば無事では済まないだろうそれを全員が回避し、そこから攻勢へ転じた。
先陣を切ったのはレオンだ。
獅子の王は空中を蹴り、土龍へと牙を剥いて飛びかかる。
『……“リパルジョン・フォース”』
「!?」
だがレオンが近付こうとした瞬間、まるで押しやられるように身体が弾かれた。
近付く事すら出来ない斥力の護りはレオンですら容易には突破出来ない。
「どけ。俺が砕く」
しかし重力だろうが斥力だろうが、それがスキルや魔法の類ならばタウルスには関係ない。
ウィルゴの補助を受けて速度を限界まで上げた彼はレオンの前へと飛び出して構える。
そして巨大戦斧を振るい、次の瞬間何かが砕けるような音が響き、斥力が消えた。
その隙を逃さずにアリエス、アクアリウス、フェニックス、ハイドラスが同時に攻撃を加える。
「メサルティムVer.3!」
「アブソリュート・ゼロ!」
「オーケアノス!」
「プロメーテウス!」
四つの力の奔流が土龍へ直撃し、爆炎をあげた。
土龍はまるで興味なさそうにそれを受けるも、己の自慢の鱗が数枚焦げた事でその目を細めた。
龍の鱗は生半可な力で砕けたり焦げたりするものではない。
事実、今の攻撃もプロメーテウス、オーケアノス、アブソリュート・ゼロの三つは鱗を一枚破壊しただけだ。
だがメサルティムだけが、数枚の鱗を焼き焦がしている。
『……なるほど、脅威に成り得る者はいるようだ。
ならばそちらを先に潰すとしよう』
土龍がアリエスへ向けて口を開き、一瞬の間すらなく重力の砲撃が放たれた。
咄嗟にウィルゴがウィンデミ・アトリックスを発射して相殺を試みるも込められたマナの量が桁外れすぎる。
無論、その大半を消してはいる。十割のうちの九割を消している。
だがそこに込められた威力が十万倍の重力ならば、九万倍を消しても残る一万倍が届いてしまうのだ。
咄嗟にウィルゴとパルテノスの壁になるようにアリエスが己の身体を盾とし、重力の直撃を浴びた。
この程度ならば耐えきれる……そう考えたアリエスの前で土龍が再び口を開いた。
(――第二撃!? 早過ぎる!)
ウィルゴを庇ったのが仇となった。
この体勢からではウィルゴがアリエスの前に出て魔力霧散を行うよりも重力が届く方が速い。
後ろに庇われたウィルゴ達諸共、重力で押し潰すつもりだ。
しかしそこに、レオンが果敢に飛びかかった。
「野郎ォ! 俺を無視してんじゃねェ!」
『しとらんさ』
「……!」
レオンが飛びかかると同時に、土龍の顔がレオンへと向いた。
あまりにも早いターゲットの切り替えにレオンの眼が見開かれ、その視界を空間の揺らぎが支配した。
直後、衝撃。
星々すら崩壊させる重力がレオンに炸裂し、その身体を空へと跳ね上げる。
一度の攻撃で発生するダメージは99999が限度だ。そうである以上一撃でレオンを倒す事は出来ない……はずだ。
だがこの重力波はあろう事か、当たっている間は絶えずダメージが継続していた。
単発の攻撃でありながら、重力から抜け出さない限り連続でダメージが発生し、あっという間にレオンのHPだろうと0に削り切る威力を秘めていたのだ。
「っ……くそがああああ!」
レオンが何とか重力を振り切り脱出するも、そのまま地面に墜落してしまった。
この場に観察眼持ちはいないが、もしいればレオンのHPが今の攻撃だけで残り5万の即死圏内にまで入ってしまった事が確認出来ただろう。
だが、HPは見えずともダメージが深刻なのは一目で分かる。
その余りの光景に全員が沈黙する中、土龍の声だけがやけに大きく響いた。
『大方実力に自信があったのだろう。
数を揃えれば勝てると思ったのだろう?
笑止、神の代行者たる我等がそれほどに弱いと思ったか。
――あまり龍を舐めるなよ』
場に重くのしかかる声に、全員が反論出来なかった。
ウィルゴに至っては震えを止める事すら出来ずにいた。
龍という名の絶対者が齎す恐怖という感情。
それが場を徐々に支配しつつあった。
土龍のじしん! こうかはばつぐんだ!
ミズガルズHP:900000/999999
ミズガルズ「(;゜Д゜)やめてくれぇぇぇぇ!!」
――一番恐怖しているのはミズガルズであった




