第168話 ルファスのゆびをふる
ゆびをふる(必ず威力100↑の格闘技が出る)
一人で自室に籠り、誰とも話さない時間が続くと自然と思考に没頭する時間だけが増えていく。
その時間の中、オルムは考えていた。
ずっと、自問自答を続けていた。
この世界は何だ。私は誰だ。
この世界は……そう、この世界は女神の箱庭。彼女の創り出した玩具箱。
そして自分は、彼女の描いた物語の中で人々に絶望を振りまくだけの舞台装置。
そこに異論などなかった。疑問などなかった。
何故なら全知全能の存在がそう決めたのだから、そう在るべし。それが正しいと疑いすらしなかった。
神が決めたならばそれは摂理だ。何故と問う方が間違えている。
肉食獣は草食獣を襲い、殺め、そして喰らう。だがそれは悪ではない。
彼等はそうしなければ生きられない。誰が決めたわけでもなく、そう出来ているのだからそうするしかない。
それが摂理というもの。それが神の決定というものだ。
何時からだろう。女神の手先として彼女の望むままの悪を演じてきたのは。
一番最初を語るならば少なくとも、数万年は遡るだろう。
オルムの役割はシナリオの命ずるままに人々を絶望させる事。恐怖させる事。
そして最後には勇敢に挑んで来た勇者や英雄の前に敗れ去った演技をし、彼等に致命傷を与えて表舞台から去る。
簡単な役割だ。そもそも、龍であるオルムに勝てる生物など存在するはずもなく、彼が本気になれば勇者など本当は容易く倒せてしまう。
ある勇者は語った。愛する者の為に負けないと。
ある勇者は吠えた。人々の平和の為にと。
挑んでくる者達がそれぞれの信念を持ち、声高らかに何かを話しているのを、いつもオルムは空虚な気持ちで聞いていた。
オルムには彼等の言っている事が理解出来なかった。
言葉としてその意味は理解出来ても、何が彼等をそこまで奮い立たせるのがが分からなかった。
愛する者? 自分よりも大事な誰か? 家族? 何だそれは……何なのだそれは。
私は知らない。私はそんなものを女神から教えられていない。
だから、オルムはただ役割を全うして彼等を葬って来た。
彼等がどれだけ勇敢で貴い存在なのかを知らず、殺めていた。
何時からだろう。興味が沸いたのは。
己と同じ、しかし正反対の役割を与えられた妖精姫ポルクスは勇者達の心を理解出来ていた。
そして、理解しているが故に彼女の心は悲鳴をあげていた。
オルムには分からない。妖精姫が何故嘆いているのかが分からない。
彼女は知っているのだろうか? 勇者と呼ばれる者達が何故、わざわざ短い命を捨ててまで立ち向かってくるのかを。
一体何が彼等をああまで奮い立たせているのか。それを彼女は理解している。
私には分からない。心を痛めた事すらない。
だが……彼女の涙を見ていると、自分のしている事が何か酷い間違いのような気がしてならなかった。
もしも私が人間で、勇者と呼ばれる者達だったならば……あの涙の理由も分かったのだろうか。
何時からだろう。人形としての自分に嫌気が差したのは。
繰り返される物語。主演を変え、しかし内容は変わらない。
それは今にして思えば、初めての女神への反発だったのかもしれない。
反逆ともいえぬ、些細な自己満足。
オルムは、自分の代わり人形となる者を創れば少しは自分の気も晴れるかもしれないと思った。
他の龍と違い行動しているオルムにアバターは要らない。
しかし、それを創るのと同じ要領で自分自身の分身を創り出した。
だが、生み出したアバターは気付けば目的とは程遠い、むしろ正反対の姿となっていた。
オルムが知りたいと思った勇者達のような姿だった。人間のような姿だった。
もしも自分が人間で勇者だったならば、こうなっていたかもしれない。その想像を反映したかのような、オルムの分身らしからぬ存在が生まれ……オルムはそれに、テラと名付けた。
「……世界が恐怖している」
「は?」
玉座に腰かけたまま、静かにそう呟いたオルムへサートゥルヌスが怪訝な声を出した。
いきなり世界がどうこうと言われても分からぬだろう。無理はない。
だがあえて説明する必要はないとオルムは考えた。
話さずともじきに分かる。そう思ったからだ。
ほら、もうすぐそこまで来ている。向こうの、もう一つの世界から宇宙を超えて奴が本当の力と記憶を取り戻して帰って来る。
女神の決定すらも己の意思と力で強引に捻じ伏せて破壊してしまえる本当の怪物がやって来る。
「王の帰還だ」
――言葉と同時に、世界が震えた。
それは天翼族のスキルである『威圧』とよく似ていて、だが効果範囲と威力が桁違いに異なっていた。
サートゥルヌスは立ち上がる事すらも出来ずにガチガチと歯を鳴らし、世界が王の帰還を恐れて鳴動する。
錯覚ではない。彼女が戻って来たというそれだけの事でミズガルズの自転速度が僅かに鈍り、異常気象のハリケーンが暗黒大陸で渦巻いた。
まるで引き寄せられるように月がミズガルズとの距離を縮め、海がせり上がる。
ここまで極まってしまえば最早存在そのものが力という概念だ。
ルファスが力を振るうのではない。ルファスこそが力そのものなのだ。
まるで世界を……否、宇宙全てを屈服させると言わんばかりの圧倒的な存在感。威圧感。
距離が離れていようと関係なく、本能がその存在を察してしまう。
ルファス・マファールが二百年の時を超え、真の意味で帰って来たのだ。
オルムはそれをこの上なく感じ、玉座から立ちあがった。
「た、戦う気ですか」
サートゥルヌスが理解できない物を見るようにオルムを見上げる。
実際理解出来ていない。真っ当な感性を持つ者ならば、今からオルムがやろうとしている行動がいかに無意味なものなのかが分かるはずだ。
放っておけばいいではないか。ルファスとアロヴィナス……手に負えない化物同士を潰し合わせておけばいい。
オルムがわざわざルファスと戦うメリットが、まるで見当たらないのだ。
「お止め下さい、魔神王様。意味がありません!」
時空の狭間を通過し、私とベネトは再びこのミズガルズの地へと戻って来た。
ディーナが亜空間に自らを封じた事を計算に入れても、恐らく事が動くまでに要する時間は僅かに一日以下……恐らくは十時間とあるまい。
時間がない。今、この機会を逃せば奴との決着は更に遠のくだろうし、あるいは二度と雌雄を決する機会が訪れないやもしれん。
ならば私は今こそ、二百年前には遂に付かなかった決着を付けなければならない。
今がそんな事をしている場合かと思う者はいるだろう。
魔神王と私、共に掲げる目標は打倒女神。ならば今は敵対している場合などではなく、手を取り合うのが正しい選択だと言う者はきっといるはずだ。
……その通りだ。事実、それが正しい。私が今からやろうとしている事は無駄か無駄でないかを問えば圧倒的に無駄だし、効率的か非効率的かを問えば非効率的だ。
私はエクスゲートで装備を取り寄せ、ついでに身体を隠す仕切りも錬成して早着替えを済ませる。
所要時間はほぼ一瞬。仕切りはいらなかったかもしれん。
「今から魔神王と戦う気か?」
「ああ。随分と待たせてしまったからな。
それに其方も、遠く離れていても感じるだろう? 奴の闘志を」
「それは分かる。だが今それを行う意味があるとは思えんがな」
「そうだな……賢い選択とは言えんだろう。だがな……」
「理屈ではないのだ」
サートゥルヌスを納得させるような答えはオルム自身も有していない。
何故なら彼女の言う通り、この戦いに意味などない。
いや、オルムなりの理由はあるのだが、それでも客観的に見た優先順位は決して高くないだろう。
明らかに今やるべき事ではない。
ディーナがミズガルズから消えてルファスが戻って来た。
もしもルファスがディーナを消していれば、『その時』はしばらく回避された事になる。
起こるとしてもそれは次の女神のアバターが生まれるまで延期を余儀なくされるだろう。
だが何となく分かるのだ……ルファスはきっと、ディーナを殺していない。
ならば神々の黄昏は近く、終末の時は目の前まで迫ってきている。
女神がディーナを見付けだし、そして操る。それが成ればもう止まらない。全てが最終ステージへ向けて動き出す。
もはや疑いの余地もない……今日という日にミズガルズは終わりを迎えるのだ。
それを思えば、今ルファスと戦うのがどれだけ無駄な行為なのかが分かるだろう。
賢い者ならばこう言うはずだ。状況を考えろ、それは今やる事か、後でいいだろう、冷静になれ、大局を見ろ……と。
ああ、正しい。実に正しい。
だが、それでもオルムはあえてこう答える。
「燻り続けたままでは前に進めんのだ。私も、そしてオルムもな」
心残りをそのままにして女神との一戦には望めない。
記憶を取り戻した今、私の中にあるのはその気持ちだけだ。
奴との戦いは二百年前から続いていた。そして未だに終わっていない。
こんな半端な状態で女神への挑戦など、とても出来ん。
そもそも挑戦権を持った者が二人居て、その二人が何の決着も付けぬまま次のステージへ移行するのはおかしな話だろう。
「其方ならばこの気持ちも分かってくれるだろう? ベネトよ」
「……フン」
私の言葉にベネトは面白くなさそうにそっぽを向いた。
きっと彼女は今の私とオルムの心を分かってくれるはずだ。
他でもない、二百年間ずっと私との決着を願い続けてくれた彼女ならばこそ。
今から私が行うのは、ただのエゴだ。
心残りを片付けに行く……ただそれだけの、つまらぬ用事でしかない。
だがそんな事が私にとっては、中々に大事な事なのだ。
それにだ。やはり奴を放っておくわけにはいかん。
何故ならこの一戦は、女神への挑戦権を賭けての一戦なのだから。
賢い者は挑戦権を持つのは別に一人でなくてもいいと言うだろう。
善なる者は分け合えばいいと答えるだろう。
優しい者は力を合わせるべきだと述べるだろう。
それも全て正しい。そして間違えているのは私で、しかし間違いと分かっていても正す気などない。
結局の所、これは愚者の選択だ。
分かっているさ。私の選ぶ道は賢くもないし正しくもない。優しくもない。
「ただの意地さ……それ以外の何物でもない」
オルムはそう言い、静かに微笑んだ。
間違えていると分かっている。だが今はあえてその過ちを押し通す。
決意を宿してサートゥルヌスの隣を横切り、マントをはためかせる。
そのマントの端を思わずサートゥルヌスが掴み、しかしすぐにハッとして手放した。
今、自分の内側を駆け巡る感情はサートゥルヌス本人すら正しく理解出来ていない。
否、理解したくない。それは余りにも不敬な感情だからだ。
故にサートゥルヌスはただ、部下としての仮面を張り付けて……しかし溢れ出る感情を隠し切る事も出来ずに、懇願するように言葉を発した。
「必ず……生きて戻って来て下さい。
魔神族には貴方が必要です……!」
「無論、そのつもりだ。死ぬつもりで戦うわけではない」
オルムは背を向けたまま、サートゥルヌスの見せた感情の揺らぎに思わず微笑を浮かべていた。
魔神族が人形……ディーナはそう言っていたが、案外これも捨てたものではないかもしれない。
確かにその身体は女神が創り出した命ならざる紛い物かもしれないが、彼等には心がある。
テラも、ルーナも、メルクリウスも、確かな彼等だけの心があった。
メルクリウスには悪い事をしてしまったと思っている。彼はオルムが鍵を所有していると思い込んでいたが、オルムが持っていたのは偽物なのだ。
いや、仮に本物だったとしてもオルムでは魔神族を生物にするなど出来なかっただろう。
あの鍵の真の力は女神に連なる者……つまり女神のアバターであるディーナか、聖域の守護者であるパルテノスにしか引き出せない。
しかしディーナは女神への裏切りが露呈してしまう危険を犯すわけにはいかず、パルテノスはそもそも魔神族の敵。つまり最初からメルクリウスは詰んでいたのだ。
所詮は女神の意思一つで彼女の駒になってもおかしくない人形。無駄死にさせても惜しくはない。ずっとそう思っていた。
だが……もしかしたらメルクリウスだけではなく今まで死んでいった魔神族達も、プルートゥも、ユピテルも。
皆、もっと違う生き方があったのかもしれない。
魔神族の運命を変える方法はたった一つ……たった一つしかない。
このシナリオを描いている女神自身にシナリオを書き直させる。魔神族という登場人物の設定を根本から変えさせる。それしか手段はない。
そしてそれを、僅か0.1%にも満たぬ低い可能性ながら実現させ得る力を持つのはルファス・マファールだけだ。
しかしルファスをそのままにしては、万一ルファスが勝利しても今度は彼女による恐怖が戻って来るだけだ。
ならばこそ、この戦いを避ける事は出来ない。
(この世界はルファス・マファールを失うべきではなかった……しかし、彼女を野放しにするわけにもいかん。
ならばこそ、私が制御する……。私は龍だ。女神と直接戦う事は出来ない。やろうとしても、女神の代行者として生まれたこの身体が戦いそのものを拒絶する。
しかし、ルファスを打ち倒してその力を私の意思で行使出来るならば……)
今やルファスは完全な復活を遂げた。
その彼女を相手にする以上、勝率は恐らく一割にも満たないだろう。
しかし、だからといって不完全なルファスを倒して従えても意味がない。
今だからこそ意味がある。
並ぶ者のいない、正真正銘世界最強の存在へと返り咲いた今のルファスだからこそ、意味があるのだ。
(生まれて初めてだな……挑戦するというのは。
かつて私に挑んで来た勇者達も、あるいはこんな心境だったのかもしれん)
オルムは過去に思いを馳せながら、空へと飛んだ。
景色が一瞬で流れ、まるで導かれるように一つの孤島へと到着する。
面積は人類の生存圏の四割ほど。それでいて、頻繁に自然災害が起こる都合上からここには魔神族も人類も暮らしてはいない。戦うには都合のいい場所だ。
オルムの到着と同時に、反対方向から黒い翼の王が舞い降りた。
その顔は絶対の自信に溢れ、以前とは何もかもが異なっている。
嫌が応にも自覚する――ああ、とうとうこの時が来たのだと。
自分は今、紛れもなく、死を齎す星と相対しているのだ。
「待たせたな、魔神王。今更余計な会話は必要あるまい。
二百年間先延ばしにしていた決着を付けに来たぞ」
ルファスは穏やかにすら見える笑みを見せ、腕を下げる。
構えはなし。ガードも上げない。
この自然体こそが彼女の構えであり、余裕の表れだ。
「ああ……決着を付けよう! ルファス・マファール!」
ルファスが言ったように、今更余計な会話は不要。
この場で物を言うのは力のみ。
次に出会えばそれが戦闘の合図となる。それは二人に共通していた認識だ。もう戦いのゴングは鳴っている。
オルムがその場から消え、渾身の右拳を放つ。
それに対してルファスは人差し指を前に出し、直後に拳と指が衝突――二人が立っていた孤島が一瞬で更地と化し、周囲の海はまるで洪水のように外側へ向かって弾けた。
オルム「だが……もしかしたらメルクリウスだけではなく今まで死んでいった魔神族達も、プルートゥも、ユピテルも。皆、もっと違う生き方があったのかもしれない」
マルス「おーーーーい!!!」
オルム、まさかのマルスルー。




