第164話 ソルのインファイト
女神のぽんこつさはさておき、尚もディーナの説明は続く。
議題は瀬衣少年がいかにシナリオを無視してしまっていたか、だ。
正直、まさか彼がそこまで女神の脚本から外れていたとは私も思っていなかった。
「本当ならとっくに、自分の無力さに嘆いて力を求めて、女神補正でバーンとレベル1000になってるはずだったんです。ところが彼と来たら弱いなら弱いなりにどんどん自分に出来る事を見付けて道を拓いてくんですもの。
今までいませんでしたよ、こんな勇者。弱い事を自覚しながら、それでも道を探し続ける子なんて」
「だがそういう人物が好みだったのだろう?」
「ええ、そりゃあもう」
話していると厨房の奥からプリンとティラミスを乗せたトレーを手にした店員が歩いて来た。
数は三つで、私達の前にそれぞれ皿が置かれる。
私とディーナはそれがどんな食べ物かを知っているがベネトにとっては未知の料理だろう。
向こうにはプリンやティラミスなど存在しない。
ベネトはプリンを不思議そうにしばらく眺めてから、やがてスプーンで掬って口に入れた。
すると一瞬硬直し、そのまま何事もなかったように食べる。
「口に合ったか?」
「不味くはない」
感想は素っ気ないが、スプーンを動かす手は止まらない。
どうやら気に入ったようだ。
私もティラミスを口に運び、その甘みに軽い満足を覚える。
分かってはいたが、やはり食文化は向こうとは雲泥の差だ。
ミズガルズで同じ物を食べようと思えば……勿論向こうにティラミスなどないが、誰かに作らせたと仮定して……そうだな、日本円で言う所の数十万円は下らないだろう。
貴族や王族だろうとこんなものを食べてはいない。
一応これでも一時期は王をやっていた私が言うのだ。間違いない。
しかしこちらでは、そのデザートも399円である。
惜しむらくは、予備知識なしでこれを食べたかった、という所か。
「しかし皮肉だな」
「え?」
いつの間にかティラミスを平らげていたベネトが嘲笑するように言葉を発し、私とディーナの視線がそちらへと向いた。
「女神の奴は要するに自分の足で歩く事が出来る者を好むわけだ。
だが、そんな奴が三流の脚本通りに動くわけがないだろう。
自立心の強い者ほど女神の事など要らんと拒絶するに決まっている。
結果として、女神の脚本に従うのは何時だって奴が嫌うような『恵まれる事を当然と思う』馬鹿だけだ。
……人形劇に付き合うのは人形だけだよ」
ベネトの辛辣な言葉に、ディーナが顔を伏せて小さく笑った。
その表情はどこか、ここにいない誰かを哀れむようなものにも見えて、しかしすぐにディーナは顔を上げていつもの微笑に戻っていた。
丁度そのタイミングで厨房から店員がやってきた。
どうやらベネトが呼んでいたらしい。
「先程のプリンとティラミスを単品で二つずつ。それからジェラートというのも追加で」
「かしこまりました」
……ベネト、不味くはないなんて言っておきながら……。
美味かったならば美味かったと言えばいいのに、変なところで素直じゃない奴だな。
「現在女神様の手駒は殆ど残っていません。
最終手段である龍を除けば、かろうじてルファス様達と戦えるのはソルくらいでしょう」
「ソル?」
「七曜の最後の一人です。日龍のアバターで、私と違って完全に女神様側に付いています。
彼の動き次第ではあるいは、瀬衣君が強く力を持つ事を渇望して女神様に洗脳されてしまう展開もあるかもしれません」
なるほど、女神の狙いは瀬衣少年を完全な勇者にして私にぶつける事、か。
それでも単体ならば今の私の相手にはならんだろうが、勇者の名の元に人類が団結してしまえば、厄介な事になるのは間違いない。
世論というのは単純な暴力以上に厄介だ。世界の人々が打倒私を掲げれば、メグレズ達もそれに押されて私と戦わざるを得なくなるかもしれない。
大衆心理で自分達を正義と妄信した民衆ほど厄介なものはないのだ。
「それは確かに面倒だが……それより其方は大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないですね。恐らく近いうちに私も女神様の駒として動かされる日が来るでしょう。
これは私があの方のアバターである以上、どうしようもない事です。意思の力どうこうで防げるものではありません」
ディーナは穏やかに言いながら、俺と目を合わせた。
その瞳には既に、自分が迎えるだろう結末への覚悟が宿っている。
そう、彼女は知っているのだ。自分が最終的にどうなるかを。
「ですからルファス様、その時はどうか躊躇せぬよう」
「……ああ、そうだな」
ディーナの言葉に私もまた、決意をもって返した。
そう、私の取るべき行動も決まっている。
どのような道筋を辿ろうと、私が女神打倒を目指すならばディーナが敵に回るのは避けられない事態だ。
ディーナという駒を動かして人質にする。こんな分かり易く有効な手を打たないはずがない。
だからこそ私も、その時は決意を固めなくてはならない。
その後私達はいくつかの相談と会話を交わして店を後にした。
後は何処か人の見ていない場所まで行き、向こうの世界へ戻るだけだ。
そして私達が戻った時こそが、恐らく最後の戦いの始まりとなるだろう。
ソルとかいう敵はまだいるようだが……私はこの件に関しては何も心配していない。
何故なら向こうには十二星がいるのだ。ならば必ず、彼等は私不在の間を守ってくれるはずだ。
だがその前に一つ、寄っておきたい所がある。
「ディーナ。少しだけ時間を越える事は出来るか?
寄り道をしたいのだが……」
*
「……一体何だったんだ? 今のは。
不具合か? 運営しっかりしろよ」
俺は拍子抜けしていた。
先日の大イベントが終わり、さてログインしようかという所で現れた女神アロヴィナスの姿に新しいイベントかと心躍らせた。
いや、そりゃ期待もするってもんだろ。だって『貴方に新たな役割を与えましょう』だぜ。
だというのに画面が光っただけで何もなし。俺のワクワクを返せと言いたい。
それにしても、あれだ。
……冷静になって考えると、何か今日はあんまログインしたい気分じゃないな。
というか俺は何でこのゲームに今までこんな熱中してたんだっけか。
エクスゲート・オンラインは俺が熱中して課金とかして多くの時間を費やしたゲームだが、ふと我に返ってみるとこれってそんな面白いゲームじゃない気がしてきた。
だってさ、これバランスとか色々崩壊してるしさ。友達もクソゲーって言ってたし。
あの時はむきになって反論したけど、今になってみると何かその通りな気がするんだよな。
……まあ、ネトゲなんてこんなもんなのかもな。
熱中してる時は気付かないけど、距離を取ると一気に冷めるってのはよく聞く話だ。
そうだな、今まで少しゲームばっかやりすぎたし今日は別の事でもやってみよう。
とりあえず、近くの店で面白そうなゲームがないか冷やかしついでに見て回るのもいいだろう。
って、結局ゲーム探そうとしてるな、俺。
そんな自分に呆れながらも俺は階段を降り、家のドアを開けた。
するとドアの隙間から飼い猫のファールが飛び出し、外へと走って行ってしまう。
「あ、おい!」
飛び出したファールを追って慌てて家を出た俺だが、意外にも彼の姿はすぐに見付かった。
偶然通りがかったのだろう、金髪の美人さんの足元に頭を擦り付けていたのだ。
というか有り得ない。何だこの超美人。CG?
金色の髪は陽光を反射して輝き、毛先の方は朱色にも見える。
ちょっと俺がエクスゲート・オンラインで使っているキャラに似ているかもしれない。
彼女はファールを優しく抱き上げると、俺の前へと出してくれた。
「其……いや、君の猫か?」
「あ、はい、そ、そうです」
「そうか」
美人さんは俺に猫を手渡し、そしてそのまま俺の横を通り過ぎていく。
その時俺が感じたのは……何だろう。上手く例えられない奇妙な感覚だ。
まるで知っている誰かが隣を歩いたような……生まれる前から知っているような、そんな錯覚を感じてしまう。
ファールも妙に落ち着きがなく、俺と美人さんを交互に見比べては不思議そうにしている。
「あ、あの!」
「何だ?」
「ど、どこかで会った事は……」
「はは、何だそれは。ナンパか?」
「あ、いえ、そうではなくて……」
何だろう。何と言えばいいのだろう。
実際俺自身にも分からないのだ。自分が何故彼女を呼び止めてしまったかなど。
そんな俺に、彼女は一度だけ振り返った。
「初めて会ったし、そしてもう会う事もない。
私は少し見たいものがあってこの地を訪れただけだし、すぐに立ち去る。
……君と私の道が交差する事は、もう二度とないだろう」
彼女はそう言い、今度こそ振り返ることなく歩いて行った。
それにしても二度と会わないとは……そんなにナンパ染みた呼びかけがキモかったんだろうか。
……うん、きっとキモかったんだろうな。たまたま通り過ぎただけの家の男に『会った事ない?』とか言われたら誰でも嫌だわ。
俺はそう納得して家にファールを戻そうとし……その瞬間、視界の端に黒い羽が過ぎったのを見た。
咄嗟に手に取るも近くに鴉などはいない。
ついでに、あの女性の姿もまるで幻か何かのように消え去っていた。
「……夢でも見たのかな?」
俺は何だか狸にでも化かされたような気分で手に持っていた黒い羽を風に乗せた。
「あれでよかったんですか?」
「ああ……さあ、ミズガルズへ戻るぞ」
そして私は、『俺』との最初にして最後の邂逅を終え、元の世界へと戻った。
彼が今後どのような人生を歩むかは私には分からない。
彼はもう私のアバターではなく、独立した一人の人間なのだから。
*
「オオオオオオオオオッ!」
レオンの口から咆哮と同時に圧縮したマナが放たれる。
惑星の地形すらも変えながら突き進むそれを回避するのは絶対回避スキルでも用いない限りは不可能に近い。
そもそも攻撃範囲がおかしいのだ。
巨大な獅子の口から放たれた咆哮は放射状に広がり、殆ど逃げ場のない壁となって敵を襲う。
その範囲は一瞬で数キロ規模にまで拡大し、回避を許さない。
刹那の間でそれよりも速く移動出来るならば回避も可能だろうが、ソルはそうではない。
腕をクロスして衝撃に耐え、彼の立っている地面を含めた大地がまるで消滅したかのように削られた。
そればかりか、後方に位置していた全高1000mの山すらもが跡形もなく消えてしまった事から、その威力は語るまでもない。
しかし山は消せても一人の強者は消えない。ここはそういう世界だ。
ソルは腕の表面が焼ける感覚すらも愉しみながら、二ィ、と口の端を釣り上げる。
「一見すると確かに強力な攻撃だ。いや、事実強いが……コントロールがなっていないな。
派手ではあるが威力が拡散してしまっている。これでは私は倒せん。
強者同士の戦いというものをまるで理解出来ていないと見える」
「あァ?」
「教えてやろう。強者同士の戦いに必要なもの……それは」
ソルはその場から跳躍し、レオンの前へ跳ぶ。
たかが跳躍と侮る事なかれ。彼の速度で行われたそれは殆ど瞬間移動にも等しい。
行動したと思った次の瞬間には終わっている。
「力の集中だ!」
ソルが拳をレオンの鼻先へ叩き込む。
それと同時に白い輝きが迸り、レオンを弾き飛ばした。
殴ると同時に魔法を発射し、二重のダメージを与えたのだ。
その攻撃は見た目こそ地味なものだが、確実に先程の咆哮を上回るダメージをレオンへ与えていた。
「このように見た目こそ単なる拳打でも、力を集中させていれば強い力を発揮する。
ルファス・マファールはそんな事も教えてはくれなかったのか?」
広範囲攻撃というのは一見強そうに見える。
だがその実態は威力の拡散に他ならず、実際はむしろ威力を弱めてしまっているのだ。
大勢の敵を相手取るならばそれも有効だろうが、一人を相手にしての拡散にメリットは殆どない。
精々が回避され難くなることくらいだが、そんなのは回避出来ない速度で攻撃すればいいだけの話なのだ。
だがレオンの生涯は常に迎え撃つ戦いで彩られていた。
いつだって彼が挑まれる側だった。いつだって彼が王者で、多数を一人で迎え撃つ側だった。
鬱陶しい雑魚の群れを薙ぎ払う事はあっても、強敵一人を打ち倒す為の技術など自発的に磨いた事すらない。
そして、それは今後も変わらないだろう。
「ハッ、要するに雑魚が涙ぐましい努力をしてるだけだろうが!
元々強けりゃあ、んなもんは要らねェんだよ!」
レオンの腕がまるで蚊のようにソルを叩き落した。
まるで大地が豆腐か何かかと思うようにあっさりとソルが埋まり、しかしすぐにレオンの背後の地面から飛び出した。
その戦いを見ていた瀬衣は「プールじゃないんだから……」と呆れ果てる。
1000レベルの化物同士の戦いにおいて地面は地面ではなく、足場は足場足りえない。
ソルはレオンが振り向くよりも速く彼を蹴り飛ばし、追撃の魔法を叩き込む。
一見互角にも見える戦い。
だが確実に均衡は崩れつつあった。
ファール(我が飼い主が分裂した……?!)