第157話 とくせい:ミラクルスキン
前話の『俺』の年代をミスっていたのでちょっと修正しました。
物語の大きな流れには影響しません。
ディーナはエルフの父と人間の母の間に生み出された女神のアバターである。
自分が何人目のアバターなのかは彼女自身も知らない。
恐らくは今までもこうして、地上の人類の胎を借りてアバターが誕生し、そして前任者が死んだときに次のアバターが生み出されてきたのだろう。
ディーナにとってそれらの前任は全員『自分自身』であるという認識であったし、女神もまた自分であると思っていた。何故なら自分は女神の分身体なのだから、これらは全て同一人物なのだ。
両親に与えられたディーナという名はあるが、そんなのはこの新しい身体の名でしかないし、別段大事に思うようなものでもない。
だから、両親からの愛もさして有難いと思わなかったし、成長して何も言わずに里を出た時も罪悪感など感じなかった。
何故なら自分は女神の分身体なのだ。親など存在しない。
そうして里を出たディーナは、女神の代行者として時に人を裁き、時に祝福を与え、世界を巡っていた。
そんな時だ。近年になって台頭しつつあるルファス・マファールの存在を知ったのは。
彼女は冒険者でありながら数々の『女神のシナリオにない』英雄譚を打ち立て、いくつもの国を救っており、倒された魔物の中にはあの竜王ラードゥンの名すらあった。
(これは危険因子かもしれませんね)
ルファスの存在を危険視したディーナは彼女が建国するのに合わせて潜入し、思考誘導で人々が己の存在に気付かないようにした。万一ぶつかるなどして一時的に気付いても疑いを持たれぬように『自分は参謀である』という偽の記憶を作り、まるでオブジェのようにマファール塔に溶け込む事でルファス・マファールを間近で観察するという大胆極まる行動をやってのけたのだ。
そうしてルファスを観察し、やがてディーナは一つの結論に達する。
この女は余りに危険だ。危険過ぎる。
このまま放置すれば女神のシナリオを根底から覆してしまいかねない程に。
だから排除する事を考え……しかし、見れば見るほどにそれは不可能と思い知らされた。
女神の分身体である己はレベル1000の力を有している。神の代行者としての様々な異能も有している。
だがそれでも尚、ルファス・マファールに勝てる姿が想像出来なかったのだ。
記憶操作も認識操作も、魔法も天法も、時間を超える力や相手を消去する力すらも、通じる気がしない。
女神の代行者としてのディーナの力は絶対的なはずだった。少なくともアリオトやメグレズ相手ならば多少戦闘力で劣ろうと、無条件に勝利出来るだけの反則的な力がある。
だがそれは結局のところ女神の決めたルールの枠内の強さであり、ルールの中だからこその無敵だ。
それを無視してしまっているルファスが相手では無敵は無敵足りえない。
(『龍』を……起動するしか……けど、あれは……)
ディーナには最後にして最大の固有スキルが存在する。
名を『ラス・アルハゲ』。効果は――『龍』の一斉起動。
そう、女神の代行者である彼女は龍を呼び覚ます事が出来る。
叩き起こし、彼等に命令する権利を有している。
だがそれはミズガルズの滅びをも意味し、取返しの付かない事になってしまう。
龍が動けば、それだけでミズガルズは致命的なダメージを受けてしまうのだ。
故に女神にとっても、それはまさに最後の手段であった。
出来ればやりたくはない。何か他の手段はないのだろうか。
そうして悩んでいたある日の事だ。
ルファスがメグレズと二人で今後の方針を話し合っている時に彼女が発した言葉がディーナのほんの僅かな動揺を誘った。
「東のエルフの集落で伝染病、か。手を打つ必要があるかもしれんな」
それはほんの僅かな動揺だった。
ディーナ自身も何故自分が動揺したのか分からぬ、些細なものでしかない。
だがその瞬間にルファスはこちらへ視線を向け、そして眼が合った。
(こちらを見ている……? いえ、そんな馬鹿な。私の認識操作は完璧なはず。
万一視界に映ってしまっても、私の事は参謀と認識して納得し、忘れ去るはず)
「どうした、ルファス?」
「……いや、何でもない。今日はここまでにしよう。
先に下に降りてくれ。余もすぐに行く」
「ああ、分かった」
すぐにディーナから視線を外したルファスはメグレズを先に下へ降ろし、ドアを閉める。
そして再びディーナへと振り向き、声を発した。
「……いつから、そこにいた?」
「!?」
――バレている。
その事実にディーナの心臓が跳ねあがった。
馬鹿な、有り得ない。いや、あってはならない。
その動揺は彼女の動きを止め、更に隙を晒して逃亡の機会を奪う。
気付けばすぐ近くまで来ていたルファスがディーナの逃げ場を塞ぐように壁に手を当て、こちらを覗き込んでいた。
「魔神族ではなさそうだな。其方、何者だ?」
「わ、私は……」
ディーナは一瞬言葉に詰まり、その瞬間脳裏を過ぎったのは両親の温かな笑顔であった。
自分を女神の分身ではなく、ディーナという一人の存在として愛してくれた人達であった。
何故……? 何故今、それを思いだす?
捨てたはずだ。ディーナという名と共に今の身体の両親に過ぎぬ者達など切り捨てたはずだ。
死を恐れているとでもいうのか? あの人達に会えなくなることを怖がっていると?
……有り得ない。
死など恐れるものではない。何故なら自分は女神の分身で、ここで殺されても次の『私』が生まれるだけ。
殺されてもアバターが一つ駄目になるだけだ。自分に死など無いのだ。
ディーナはそう己を納得させ、貼り付けたような微笑みを浮かべた。
「……初めまして、ルファス・マファール。
私の名はアロヴィナス。創世神アロヴィナスです。
もっとも、この身体はただのアバターですがね」
「ほう?」
「よく私の存在に気付きましたね? 上手く隠れていたつもりなのですが」
嘲笑の仮面を被り、余裕である事を装う。
殺すならば殺せばいい。そうすればすぐに次のアバターを生み出してまた行動するだけだ。
しかしルファスは動かず、興味深そうにディーナを見ていた。
「気付いたのは今しがただ。ほんの僅かではあるが其方の感情が揺らぎ、隠蔽が薄れたのだ。
……このエルフの集落に何かあるのか?」
「いえ、何もありませんよ」
「本当にそうか? 其方がハーフエルフである事と無関係とは思えぬがな」
ルファスはそう言い、ディーナの耳に触れた。
突然の感覚にディーナの肩がビクリと震える。
「一見すると人間と同じだが、触れねば分からぬ程度に耳の上部分が尖っている。
それに軟骨の強度も違う。エルフの耳は人間よりも大きく尖っている分、それを支える軟骨が人間のそれよりも強いのだ。
その名残はハーフエルフにも遺伝するらしい。
それにエルフの耳は人間よりも細かく神経が通っている分敏感だ」
「よ、よく、ご存知で」
「友人の一人がエルフなのでな。軟骨に関しては興味本位で奴の耳を何度か弄っているうちに気付いたのだ」
ディーナの耳から指を離し、しかし体勢はそのまま崩さない。
どうやら逃がしてくれる気はないらしく、ディーナは隙を伺いながらも離脱の機会を掴めずにいた。
「動揺したのは伝染病、の所か。その集落に知り合いでもいるのか?」
「…………」
「言い当ててやろうか? 恐らくそこには其方の片親、あるいは両親がいるな」
「っ!」
ディーナはなるべく感情を顔に出さないようにしているが、それでも一瞬の心の動きは隠しきれない。
それをルファスは目敏く感じ取り、そして自身の言葉が正しいという確信を抱いた。
「何故、という顔だな。まあ難しい事ではない。
其方先程、自分でアバターといったろう。しかし魔力や天力で創られているようではないとなれば、其方を生んた親がいるはずだ。
そこまで分かればカマをかける程度の事は余でも出来るぞ。
しかし……」
ルファスはそこまで語り、少しばかり意外そうな顔でディーナを見た。
「両親の事を案じて動揺するとは随分人間味があるな。さしもの女神も少しくらいは感謝の気持ちがあるという事か?
それとも……其方、本当は女神とは異なる別人なのではないか?」
「何を馬鹿な……」
「別に不思議な事ではなかろう。いかに女神と同じ記憶や人格を有しているといっても生まれたその時点で女神とは異なる人生経験を其方は歩んでいる。
其方の両親は女神の両親ではないし、其方の両親が愛しているのも女神ではなく其方だ。
其方が其方として経験した事は女神の経験ではない。ならばそれはもう別人だろう」
ルファスの言っている事はあながち間違いではない。どんなに同じようでも女神本人と女神のアバターは違うのだ。別の人生を歩んでしまった時点でもう同一人物ではない。
例えば意思のない身体に女神が入り込んで遠隔操作をしているならば、それは確かに女神自身だろう。
だがそうではない。女神はその存在の巨大さ故に世界を細かく見る事が出来ない。
だからこそアバターを創っているし、そのアバターからの報告で世界を細かく観察する事が出来るのだ。
だからアバターには自由意思が与えられており……時にそれは女神と異なる思考となる。
少なくとも女神本人ならばディーナの両親の事など興味すら抱かなかっただろう。名前や顔すら認識しておらず、恐らく女神には同じような外見の多くのエルフのうちの一人としか見えてはいまい。
「其方、名を何という?」
「先程名乗ったでしょう」
「いいや、名乗ってはいない。其方は女神ではないのだからな。
あるのだろう? 本当の名が」
「本当の名ではありません。この身体に与えられただけの仮初の名です」
「其方も強情だな」
ルファスは苦笑し、それから何を思ったのか懐から一つの瓶を出してディーナに押し付けた。
それは彼女とメグレズが共同で開発した薬で、名をエリクサーという。
どんな病も治し、寿命すらも伸ばすという女神に喧嘩を売っているような一品で、ディーナはそれをあまり好きではなかった。
「それを持って其方が今、行きたい所へ行くといい」
「私を見逃すと? 余裕ですね」
「今のまま話しても埒が明かんからな。次は女神のアバターではなく、本当の其方と話せる事を期待している」
「次などあるとは思えませんがね」
ディーナはほくそ笑み、その場から消え去った。
一度気付かれてしまった以上、次からはもう同じ手は通用すまい。
何か別の監視手段を考えねば今度こそ捕獲されて消されてしまうだろう。
ゲートを通過して塔から離れ、そこでディーナは周囲を見渡してぎょっとした。
その場所は……彼女が生まれたエルフの集落だったからだ。
無意識のうちに、ここへ来てしまっていた。
(我ながら馬鹿な事を……気にしてなどいないというのに)
思わず自嘲し、しかしそこから足が動かない。
離れてしまえばいいのだ。
もう一度エクスゲートを使用してこの場から去ればいい。
だというのに、後ろ髪を引かれる。ここから離れる事が出来ない。
何だこれは。まさか情でも移ったというのか?
「……確認するだけ。ちょっと興味が沸いただけです」
自分に言い訳をしながらディーナは森へと踏み入った。
きっと罵詈雑言を浴びせられるに違いない。
今更顔を出して何のつもりだと、そう言われるはずだ。
それでいい。むしろそうあってくれ。
そうすれば未練を断ち切る事が出来るはずだから。
そこまで考え、ディーナはまたも自分の思考に疑問を抱いた。
(未練? 未練って何ですか、馬鹿馬鹿しい。
そんなものあるはずないでしょう。私は女神の分身なのですから)
そして森の奥へと入り、ディーナが見たものは――病魔に蝕まれて変わり果てた父の姿と、既にこの世を去った母の墓であった。
実は本当に背景をやっていた背景さん。
何もおかしい事はない。