第150話 スィラのへんしん
無敵とは何だろうか。
決して負けない強さとはどのようなものだろうか。
それは戦いに身を置く者達にとっての永遠の命題であり、目指すべき頂だ。
このミズガルズに存在する膨大なスキル、天法、魔法をどのように組み合わせれば絶対に負けぬ存在となれるのか。
レベル1000に到達した者の中でそれを一度として考えなかった者などいない。
その中の一つに、吸血姫ベネトナシュが挙げた案がある。
それは高HPと割合回復の組み合わせだ。
このミズガルズにはダメージ上限の法則があり、一度の攻撃で与えるダメージが10万を上回る事はない。
ならば割合HP回復で99999まで回復する程に最大HPを高めてしまえば、いかなる攻撃を受けようと次の瞬間にはそのダメージが帳消しになり、理論上敗北が無くなる、というものだ。
事実、ベネトナシュはそれを限りなく体現しているし、彼女に与えたダメージは生半可なものであれば即時全回復されてしまう。
無論彼女の強さを支える物はそれだけではないのだが、事防御面に限れば間違いなく彼女最大の持ち味であると言えるだろう。だから彼女は戦闘時に一切の防御行動を取らず、ノーカードで全ての力を攻撃へ費やせるのだ。
そして今、ここにもう一体――それを体現している存在がいた。
「■■■■■■……■■■■」
異形の神が吠える。
その造形一つ一つが、発する声が、匂いが、彼を構成するありとあらゆる要素が他者にとっては強烈な不快感を齎し、正気を狂気へと誘ってゆく。
存在そのものが悪夢とでも言うべきそれを前に、しかしアイゴケロス達は何ら精神をかき乱される事なく佇んでいた。
何故ならアイゴケロスもまた存在そのものが相手の正気を削り取る悪魔の王。条件は対等なのだ。
巨大な邪神と魔王が再び取っ組み合い、それを見上げながらリーブラが呟く。
「受けた傷が再生開始するまでの所要時間……0.05秒と計測。
完治までに要する時間は0.6秒。厄介ですね」
彼女の機械的な声にピスケスが顔をしかめた。
完治までにかかる時間は一秒以下。並の人間や魔物ならば再生の瞬間すら殆ど目視出来ない速度だ。
殆ど攻撃を受けると同時に完治していると言って過言ではない。
無論、彼等ならばその完治までの間に割り込む事は十分に出来る。
百分の一秒の間に攻撃を放ち、再生が始まるよりも早く攻撃を撃ちこむ事は十分に可能だ。
そしていかに馬鹿げた再生速度があろうと、それを上回る速度で連撃を叩き込めば倒せない道理はなく、要するに相手の回復よりも速く殴り続ければいい。
例えば――またしても彼女を例に挙げるが、ここにいるのがベネトナシュならば異形の神が一度再生を行う間に軽く数十回は攻撃を叩き込み、殆ど刹那の間に死に至らしめる事が出来ただろう。
皮肉な話ではあるが、ベネトナシュの無敵性を崩すのに最も有効な戦術は他ならぬベネトナシュ自身の戦闘スタイルなのだ。
そこから速度で一歩劣るが、ルファスでも連撃でのゴリ押しが可能だ。
しかし今ここにいるのは吸血姫でもなければ黒翼の覇王でもない。アイゴケロスとリーブラ、そしてピスケスだ。
もしもここに彼女達がいれば、などというたらればの話に意味などなく、重要なのはこの三人で如何にして勝利するかだ。
「再生を上回る速度で畳みかければよい。それだけの事だ」
「現実的ではありませんね。相手のレベルは私達を上回っています。
無抵抗で殴られるサンドバッグではないのですから、そう都合よく一方的に攻める事など出来ないでしょう」
放たれる触手を掻い潜りながらピスケスが一つの打開案を示すが、即座にそれをリーブラが切り捨てた。
先述の通り、再生よりも速く攻撃し続けるというのは一つの答えだ。それは間違いない。
だが相手だって当然反撃するし、防御もすれば回避もする。スキルで更に自己修復する事もあるだろう。
つまりこの戦術を実行に移すには圧倒的なまでの速度差がなければならず、相手を置き去りにした一段階上の時間軸へ移行せねばならない。
しかし異形の神とリーブラ達の速度は……ほぼ互角。
無論この領域自体が既に並の戦士では到底目で追えない数段階上の時間軸で行われる超高速戦闘である事は語るまでもないが、同じ領域で戦っている以上、上記の戦術は決して容易ではない。
「それよりも……幸いこちらには再生特化の天敵がいます。見て下さい」
リーブラが指で示したのは邪神の脇腹であった。
そこは先程アイゴケロスが抉り取った場所であり、未だに再生されていない。
リーブラがアンカーを突き刺した頭部やピスケスの咆哮で焼かれた身体はほぼ修復されてしまっているが、そこだけは傷付いたままなのだ。
アイゴケロスの放つ攻撃は不可逆の呪い。一度傷を与えたが最後、時間経過で呪いが消えるまで何をしても元に戻らない。
天法やアイテムによる治療は勿論、その部分ごと千切り取ろうと意味がない。
そればかりか、エリクサーやアムリタによる治療すらこの能力の前では無力だ。
即ち、アイゴケロスこそが異形の神にとっての天敵であると言えた。
「あいつ頼りの戦術か。あまり気が乗らんな」
「では貴方が主軸になってみますか? 貴方の固有スキル……確か名は『アルレシャ』でしたね。
それでもまあ、いけない事はないでしょう」
「冗談を言うな。あんな醜い相手に使う気はない」
「でしょうね。でしたら文句を言わずサポートに徹して下さい」
「どうでもいいが、早く戦え! いつまで我だけを戦わせる気だ!?」
この先取るべき戦術について話し合っていた二人に、アイゴケロスの怒声が飛んだ。
先程からずっと彼は一人で邪神と殴り合っており、そろそろ厳しそうだ。
リーブラはその言葉に返事を返さず、すぐに行動へと移った。
跳躍して膝を折り曲げ、スカートから出す。
普段は長いスカートに覆われて見えないその部分は、やはりというべきかゴーレムらしく関節部が露となっている。
その膝小僧に当たる部分が開き、中から砲弾が発射された。
そのまま邪神に命中して爆発したかと思えば、ピスケスが間髪入れずに追撃を行う。
「メイルストローム!」
水の渦を発生させて敵を攻撃する水属性の上位魔法が邪神を捉え、動きを封じた。
その好機を逃すアイゴケロスではない。
彼は待ってましたとばかりに、既に用意していた黒い波動弾を発射して邪神の胸を抉った。
しかし邪神の生命力も侮れない。
僅かに揺らいだかと思った次の瞬間には、まるでダメージなどないかのように全ての触手を動員。
全方位に攻撃を放ち、三人を打ちのめした。
「■■■■■■■■■ーッ!!」
相変わらず言語化不能の叫びをあげながら、癇癪を起したように暴れ回る。
その触手の本数は再生によって増えてしまった分も含めて数百本。つまりこの化物は一度の攻撃で百回以上同時攻撃を行える事を意味する。
この猛攻には、いかに高い防御力を持つリーブラ達といえど無傷では済まない。
特にアストライアMはもう限界だ。
リーブラ本体がまだ耐えていても、外付けの武装であるこの翼は彼女ほどの強度を持っていない。
「アストライア・タイプMの破損度……80%オーバー。
どうやらここまでのようですね」
この武装は海で動くためにルファスが用意してくれたゴーレムである。
だがそれもここまで破損しては使い物にならず、ただのアクセサリだ。
何の役にも立たず、ただ居るだけのゴーレム……それは、ただの惨めなゴミでしかない。
少なくともリーブラはそう考えているし、仮に自分が何も出来なくなったならばやはり、無意味に残したりせずに破棄して欲しいとすら思う。
ゴーレムの存在意義は主の役に立つ事。そしてその使命は、己の存在にも優先されるのだ。
故にリーブラは、同じゴーレムとしてこの壊れた翼に最期の晴れ舞台を与える事とした。
「アストライア・タイプMを分離!」
リーブラの宣言と共に彼女の背中から壊れた翼が離れ、邪神に向けて射出された。
これこそがアストライア・タイプMに残された最後の武装。即ち、自らを武器としての突貫である。
群がる触手に身を削られながらも邪神の胴体へと突き刺さり、それと同時に白く発光した。
「自爆!」
リーブラの指令を受け、ノータイムでアストライアMが爆散した。
役目を見事果たし、最後まで戦ったゴーレムに対しリーブラが一瞬の敬礼を捧げる。
そして自爆してまで彼が作ってくれたこの好機を逃す事は出来ない。
自重で沈みながらも、リーブラは己が持つ最大兵器を素早く発動させた。
「ブラキウム!」
己と敵を光のフィールドに閉じ込め、全ての攻撃対象に等しく最大ダメージを与える天秤の一撃が炸裂した。
ブラキウムの輝きに呑まれ、邪神の触手が一本残らず消し飛び、その隙にアイゴケロスの呪いが再び命中する。
触手は既に再生を開始しているが、それが終わる前に更にアイゴケロスの攻撃が邪神を削り取った。
手応えはある。この速度ならば再生前に更にもう一発撃ち込む事も出来るだろう。
だが戦況は決していいものではなく、これでリーブラはほぼ無力化されたと言っていい。
ダメージがいくら浅かろうと、海中での機動力を失った彼女はこれまでのような戦いはもう出来ない。
無論海底を歩いて援護射撃をするくらいは出来るだろうが、大幅な戦力ダウンは否めないだろう。
そのリーブラへと邪神が大口を開け、魔力弾を放った。
これは腕の一本は持っていかれますか――そう判断し、リーブラは頭と胸を守るようにブロックした。
しかしそんな彼女を追い越すように後ろから幾筋もの魔法の矢が奔り、魔力弾と衝突、相殺した。
「これは……!」
僅かに驚くリーブラを後ろから何者かが受け止め、素早く上昇した。
その姿にこの場で一番驚いたのは、恐らくピスケスだろう。
何故なら完全に、全く予想していない援軍だったからだ。
「お、お前は……スィラ?」
そう、それはつい先ほど彼が目にかけたスィラ・ティガスという名の見習い侍女であった。
髪の色がルファスと同じだったという理由で、今夜の夜伽に指名された少女である。
しかし彼女は驚くべき事に、ピスケス達と同じ領域の速度で――否、それ以上の速度で海を駆け抜けていた。
それを見てピスケスは瞬時に悟る。こいつ……ただの人魚ではない!?
そんな彼の前で、スィラは全員に聞こえるように叫んだ。
「皆、聞け! 今、ルファス様に矢文を送った。
これよりルファス様が『アルカイド』を発動する!」
ルファスのアルカイド発動。それは彼女が限界レベルを突破し、それに合わせて十二星のレベル限界が解除される事を意味していた。
問題なのは、ルファスと会った事すらない彼女がそれを当たり前のように話した事だろう。
いや、そもそもアルカイドというスキル名自体が最近付けられたものであり、それを知っているという意味でも彼女はおかしい。
しかし、ここまで来ればピスケスも流石に気付く。自分が夜伽にまで命じた相手が、本当は誰だったのかを。正直知りたくなかった真実を。
「お、お前は……お前はまさか!?」
「如何にも」
そう『野太い声』で返事をし、スィラの全身が光に包まれた。
無駄にキラキラとしたエフェクトを振りまき、少女人魚の姿が変わる……否、変装が解けた。
歴戦の勇士を思わせる男らしく厳つい顔立ち。太い眉。
鋼の肉体は引き締まり、手には弓矢を携えている。
下半身は魚から馬へと変じ、ピスケスは予想が当たってしまった事で猛烈な嘔吐感に襲われた。
「覇道十二星が一人、『射手』のサジタリウス……推参」
「ちくしょおおおおお! 騙したな! 余を騙したなァァァ!!」
「敵を騙すには味方からだ」
「やり方考えろよ!? お前みたいなゴツイ男が女に変装するなよ!」
ピスケスが涙目になって抗議するが、サジタリウスはこれを無情にも黙殺した。
別に何もおかしな事をしたつもりはない。
己はピスケスを探す命を受けており、ピスケスに最も近づきやすいのが美しい女人魚だった。
そして宮殿の女達を見て、主に似た姿の女を集めている事を察し、髪の色を似せた。
全ては効率を優先した結果の事であり、そこに女装癖や趣味があったわけではない。
そう、サジタリウスは至って大真面目にこれを行ったのだ。
「さあ、ここから逆転だ。一気に決めるぞ」
「……余は邪神よりもお前を攻撃したいぞ」
何ら悪びれる事なく仕切りだしたサジタリウスへ、ピスケスが疲れたように呟いた。
おかしいな……サジタリウスはマトモなキャラだったはずなのに……。
ま、まあ、下半身露出癖と女装癖を除けばマトモだから……。




