第133話 ルファスのメガトンパンチ
「ありがとうございます、妖精姫様。
貴女より賜ったこの神の剣で必ずや魔の王を打ち倒し、世界に平和を取り戻してみせます」
「……ええ、貴方なら『必ず』それを果たせるわ。道中、気を付けてね」
――それは、遡る事数千年も昔の話。
当時、闇の軍勢を率いて人類を滅亡の瀬戸際に追いやっていた魔の王を倒さんと立ち上がった勇者と、固い絆で結ばれた彼の仲間達。
ポルクスはそんな彼等に伝説の武具を授け、魔の王の弱点を教え、そして送り出した。
二度とは戻ってこれないと分かり切っている、死出の旅へと。
彼等の姿を見送り、ポルクスは顔を伏せる。
「……バッカみたい。どうして誰も疑問に思わないのかしらね……全てが都合よく行き過ぎている事に」
魔の王の弱点? ……笑わせる。そんなものはない。
何故ならアレは女神が世界の管理の為に生み出した神獣。調停者の一角。
己の本体と存在を同じくする神の代行者だ。
それを前に人間が勝てる道理がない。アレに勝てるように人は女神に創られていない。
本気で戦えば勝敗など決まり切っている。
だがきっと、彼等は勝つだろう。そうシナリオが完成しているのだから。
魔の王は倒され、そしてまた数千年か数万年か……女神が必要だと判断すればまた名を変え、姿を変え、再び人類を恐怖の底へ落とすだろう。
人類は知らない、誰も知らない。
過去の伝承に現れる悪しき王が全て、実は全く同じ存在なのだと知らない。
人間が天翼族から発生した古き時代、『最初の人間』アイネイアースがその命と引き換えに討った破壊神が。
獣人が誕生した時に世界中を戦乱に陥れた獣神が。
かつて巨人の大軍を率いて暴れまわった巨神が。
そして今は大魔王と名乗り、そして次に現れる時はまた別の名を名乗っているだろうそれが全て同一人物である事を人類は知らない。
そして自分もまた、その片棒を担いでいるのだ。
人類の味方のような顔をして、希望という名の毒を振りまき死地へと送り込む死神。それがこの妖精姫の正体だ。味方と敵という役に分かれているだけで、本質的には何も違わない。
だから、そう……毒を吐かずにはいられなかった。
「……バッカみたい……どうしてあんな……真っすぐな眼で私を信じるのよ……。
疑いなさいよ……! おかしいと思いなさいよ! ちょっと考えれば分かるでしょう!?
貴方達が強くなれるように丁寧に弱い魔物や弱い奴ばっか最初の街に配置されて、少しずつ強くなるように武器やら何やら渡されて……!
そして、弱点を知っているという妖精姫という胡散臭い女がいて……! 変でしょう、どう考えても!
……お願いだから、疑ってよ……騙されないでよ……」
ポルクスは今まで何度も……何度も何度も、何度も何度も何度も勇者を送り出してきた。
笑顔で導き、武器を渡し、助言を与え、強くなるための試練を与えた。
そしていつも思い知る。世界の平和を望む彼等の心は紛れもない本物だと。英雄に相応しい者達なのだと。
世界を愛していると語った青年がいた――彼は、愛した世界の平和を見る事なく死んだ。
愛する人の為にどこまでも強くなれると言った剣士がいた――世界に平和を取り戻した時、彼はその愛する人と重なり合うようにして死んでいた。
子供に平和な世界を見せたいと豪快に笑った快男児がいた――彼は、生まれてくる子供の顔すら見る事が出来なかった。
女の身でありながら大事な人達の未来の為に、と死地へ旅立った優しい少女剣士がいた。
彼女は、骨の一つすらこの世に残らなかった。
全員……ポルクスが死地へと導いたからだ。
シナリオに沿って世界に平和を取り戻し、そして劇的に死んで美しく飾れと送り出した。
「…………もう……嫌だ……」
整った顔をくしゃくしゃに歪め、手で顔を覆いポルクスは膝から崩れ落ちる。
彼等の信頼の視線が辛い。
感謝の言葉が痛い。
平和になった後の未来を語るその姿が……あまりにも眩しくて……あまりにも悲しくて……。
そんな未来ある勇者達を何人見殺しにした?
本来ならば彼等こそ平和になった後の世界を謳歌すべきだろうに、何故彼等が死なねばならない?
どうせ短い命なのだ。人の寿命など長命種でも精々が数千年……そのくらい、苦しい戦いの褒美として過ごさせてやればいいと、いつだって思っていた。
だが女神は強すぎる力が残る事を嫌う。
だからいつも、『あいつ』は必ず勇者に致命傷を与えてからわざとらしく負けるのだ。
きっと、今日送り出した彼も帰ってこれない。彼の帰りを待つという恋人と再会出来ない。
来ないで欲しいと、いつも祈る。
だがその祈る対象である女神がこれを望んでいるのだ。
だから彼等は必ずこの妖精郷を訪れる。運命に導かれるままに。
手を貸さねばいいのだろうか? 否、そこで止まる半端な覚悟ならばそもそもここまで来ない。
その時は何の力もないままに『あいつ』に挑んで無駄死にし、そしてその息子か親しい者に勇者という名の呪いが引き継がれるだろう。
いっそ真実を吐き出してしまえばいいのだろうか?
それも否。そんな事をしても彼等の寿命を縮めるだけだ。女神はきっと真実を知った者を許しはしないだろう。
「何度続ければいいのよ……何回騙せばいいのよ……。
私は後何回……あの子達を殺せばいいの…………答えてよ……女神様……」
もう嫌だ――。
ポルクスの精神は既に限界を迎えつつあった。
荒野で健気に咲き誇ろうとする花を踏み躙るという、やりたくもない作業。
それを延々と、何万、何十万年と繰り返してきた。
生まれてくる命達が愛おしくて、こんな世界でも必死に生きようとする姿が何よりも眩しくて。
幾度もの世代交代を繰り返す人々を見るうち、やがては我が子に向けるのにも近い愛情を感じていた。
見守りたかった。抱きしめたかった。こんな地獄から解き放ってあげたかった。
しかし現実は全くの真逆で、自分は彼等を地獄に叩き落す死神でしかない。花を踏み潰す外道でしかない。
「……自我なんか、芽生えなければよかった」
いっそ、アバターのままだったなら、どんなに楽だっただろう。
ただ本体が操るだけの精霊だったならば、こんなに辛い思いもせずに済んだのだろうか。
ポルクスは護身用の短刀を出し、己の喉へと当てる。
そうだ……消えればいい。こんな自分など消えて然るべきだ。
「――! やめろ、ポルクス!」
しかしその手は、己の半身たる兄によって止められた。
ポルクスは兄の手を振り解こうとするが、しかし腕力の差でそれは叶わない。
「……離してよ、兄さん」
「駄目だ。離さん」
カストールはポルクスを強く抱きしめる。
そうしないとすぐにでも消えてしまいそうな程に、ポルクスには生気というものがなかった。
カストールはゆっくりと妹をなだめながら、女神を呪わずにはいられなかった。
ああ、神よ。全知全能の女神アロヴィナスよ。何故このような仕打ちをする。
ポルクスはとても、こんな役目に耐えられるような娘ではない。
これを続けるには彼女はあまりに優しすぎた。
代わってやれればよかった。代わってやりたかった。
だが駄目なのだ。勇者達は必ず『妖精姫』との謁見を求めてここにやって来る。
きっと女神が、その情報が彼等に渡るように細工しているのだろう。
そして妹は求められれば応えてしまう。そうしないと事態が悪化するだけだと知っているから。
所詮この身は妖精姫という至高の存在を生み出すための搾りカス。
戦うしか能のない、出来損ないの妖精。優性を生み出す為に先に捨てられた劣性でしかない。
だが、ポルクスはもうこの役目を続ける事が出来ない。限界だ。
このままでは彼女が壊れてしまう。
長い年月で少しずつ心の傷を癒しても、傷口はまた開く。新たな傷と共に。
そうして何度も癒えては抉れ、また癒えては抉れての繰り返しで取返しが付かない程に深く傷付いたのが今のポルクスだ。
罪悪感は決して消えない。心の奥底で積み重なり続ける。
忘れてしまえる程に無責任だったらよかったのに。
忘却の彼方に追いやってしまえるくらいに合理的ならばよかったのに。
だがポルクスにそれは出来ない。
出来ずに、少しずつ壊れていくのだ。
だからカストールは祈った。
誰か……誰でもいい。
この地獄を本当の意味で壊してくれる、女神の脚本すらも破り捨てる誰かが現れてくれる事を。
――そんな事は絶対に有り得ないと、確信にも似た諦めを抱きながら。
*
――祈らなきゃよかった。
数千年後、カストールはかつての己の祈りを深く深く反省していた。
その日妖精郷に踏み込んで来たそれは、地獄を塗り替える更なる地獄の具現者。
黒い翼が禍々しく存在感を主張し、絶対の自信に満ちた美貌は獣の笑みを浮かべる。
その背後に控えるのは魔物の軍勢。
妖精姫としての特殊スキルでレベルを確認したポルクスは思わず卒倒しそうになった。
そのレベル――実に4200。
(えっ……なに、この……化物)
違う、これは断じて勇者などではない。こんな勇者がいて堪るか。
かといって『あいつ』でもない。
女神が用意した存在でもない。そもそも強い力を嫌って歴代の勇者を死なせてきた女神がこんな意味の分からないモノを自分から発生させるものか。
そもそも彼女が決めたレベル限界まで無視しているではないか、この女。
……噂には聞いていた。『あいつ』……今は魔神王と名乗っているオルムが本気で恐れて直接対決を避けている黒翼の覇王という存在がいると。
だがポルクスはそれを誇張だと思っていた。そういう大げさに噂される者など、今までにも数多といたのだ。
だが今回は困った事に完全な事実であった、というだけだ。
(どうしよう……この人、シナリオ無視してオルムを本当に殺しちゃいそう)
女神の創ったシナリオではない。
予定調和の演技のような偽りの勝利でもない。
正真正銘、本気を出したオルムすら正面から捻じ伏せて潰してしまいそうな真正の化物。
間違いなく女神の意図とは無関係に自然発生してしまった世界のバグ。
それを前にポルクスは震える声で、尋ねる。
「あ、あの……私に何か用?」
「うむ。この地に不思議な術を使うという妖精姫がいると聞いてな……。
女神の手の者を迎え入れてみるも一興と思い訪れたのだ。
まあ率直に言うとだ……其方を浚いに来た、妖精姫ポルクス。そしてその兄カストールよ」
「――」
絶句であった。
言われた言葉を理解するのに数秒かかった。
え? 何? 私捕獲されちゃうの? 魔物扱いなの?
今までこの妖精郷に人間が訪れた事は何度もあった。
妖精姫様助けて下さいと祈られた事、助言を下さいと乞われた事は何度もある。
だが……未だかつて、捕獲目的でやってきた馬鹿などいない。居て堪るか。
「ああ、無論抵抗していいぞ。其方等にも拒否権はある。
嫌と言うならば全力で抗うといい」
「そうさせてもらおう!」
カストールが錨を振り上げ、英霊達を乗せたアルゴー船が空に浮かぶ。
妹が召喚し、兄が指揮する。
そうする事で完成するスキル『アルゴナウタイ』は無敗にして無敵の反則技だ。
しかし黒翼の女は船を一瞥すると、軽く拳を放つ。
直後、アルゴー船に大穴が空いて煙をあげながら沈んでいった。
(え? ……ちょ、え? 今、アルゴー船が落ちたの?
悪い冗談でしょ!? この人、拳の風圧だけでアルゴー船を撃沈したの!?
アレ、オリハルコン並に硬いのよ!?)
それはまさに常識を破壊する存在であった。
否、あるいは常識の方から彼女に嫌気が差して全力で逃走しているのかもしれない。
召喚した英雄達は単なる威圧に屈服して全員が行動不能に陥り、妖精兄妹も地面に座り込んでしまう。
知らない。こんな存在など自分は知らない。
それは例えるならば地獄を上回る地獄。
絶望を噛み砕く更なる絶望。
理不尽を踏み躙る理不尽。不条理を壊す不条理。
そして女神の脚本すらつまらぬと破り捨てる――待ち望んでいた存在。
彼女はポルクスの前に立ち、そして妖精姫の眼を見下ろす。
「死人の眼だな。女神に与えられた役割が相当に重荷であったと見える」
「っ!?」
「どうした? 何を驚く事がある。まさか余が知らぬとでも思ったか?
確かに余はそれほど賢い方ではないと自覚しているがな……それでもこうまで露骨ならば流石に気付く。
其方と魔神王、光と闇で対立しているという割にはまるで示し合っているかのように上手くバランスを取っているではないか。
それだけではない。遺跡などの奥に隠れている石板をメグレズが解読したのだがな、其方は随分昔から似たような奴と毎回同じように対立しているらしいな。
まるで振り子のように光と闇、希望と絶望を行ったり来たり。
それで確信したのだ。ああ、こいつらは共謀しているな、と。……図星だろう?」
ルファスはポルクスの顎を指先で持ち上げ、眼を合わせる。
「さぞ苦しんだろうな。何度騙し、何度見殺しにし、幾度繰り返せばいいのかと心を摩耗させてきたのだろう。喜べ――これが最後だ」
「っ!」
「女神が何も答えぬならば余が答えよう。芝居の幕はじきに降りる。
それが終われば其方はもう、誰も死地に送らずともよくなる。……劇の舞台ごと余が叩き壊すからな」
ルファスの言葉を聞きながらポルクスは今、己が悪魔と相対していると実感していた。
女神に歯向かう悪しき魔。彼女はまさにそれだ。
どう考えても完全に女神の脚本を無視して行動している。こんなのが誕生してしまうなど、女神にとっても完全に計算外のはずだ。
しかし……ああ、何て皮肉。
悪魔こそが、自分の最も欲しかった言葉をくれるなんて。
いや、悪魔だからこそ分かったのだろうか?
「三流の芝居ばかりを続けさせられるこの世界に真の自由を取り戻す。
その為にも余は其方が欲しい……余の配下となれ、妖精姫ポルクス」
それは悪しき誘い。
女神を裏切る蛇の道。
女神の脚本を食い破るのは勇者には出来ない。それが出来るとしたら、この規格外の怪物だけだ。
だからポルクスは……その手を取った。
それが例え破滅の道だとしても、もう、花を手折りたくはなかったから。
~現在~
ルファス「ソーラーフレア!」
ベネト「クイックレイド!」
レオン「獅子咆哮!」
ラードゥン「竜王十首炎弾乱れ撃ち!」
ポルクス「」
――確かに折る必要はなくなった。花が全部燃えているからだ。