第127話 アルフィはにげだした
※時の指輪に関して
時間停止と謳っていますが、実際には『時間停止に等しいくらいに時間という概念にデバフをかけている』だけであってほんの僅かではありますが時間はちゃんと経過しています。
もっとも音速(マッハ1)どころか雷速(マッハ440)でも入り込めない程の僅かな時間ですが。
ルファスやベネトは当たり前のようにその世界へ入り込めるので時の指輪が通用しません。
俺の前には今、正座している……というよりは、させている男の姿があった。
デブリとかいう、先程ふざけた事をぬかしていた貴族に仕えていたらしい弱っちいおっさんは顔をボコボコに腫れ上がらせて俯いている。
股間には染みが広がっており、足元に水溜まりを作っていてかなり汚い。
……ちょっと悪い事をしてしまったかな。どうやら彼は本当に何の力も持たない一般人だったらしい。
一応、話を聞く限り彼はあくまで立場の違いから渋々従っていただけらしいので捕まえる際にはかなり加減したつもりなんだが、それでも終わってみればこの有様だ。
軽くペチペチと平手で叩いただけなんだがな。
まあ、その、なんだ。一応悪事には加担していたわけだし、こいつのせいで逃げきれず捕まった子とかもかなりの数がいるだろうから……まあ妥当な罰って事で。
ちなみにデブリとかいうのは死なない程度には治療しておいたので、まだかろうじて息を繋いでいる。
もっとも完全に治療してしまうと何をするのか分からないので、あくまで直ぐには死なない程度だ。
だから相変わらず、ギリギリ原型を留めている程度のよく分からない物体である事に変わりはない。
後、当然ながら指輪は没収したし、もう返す気はない。
鬼に金棒ならぬ馬鹿に刃物。あいつにこれを返してもプラスに働く事はないからだ。
後、被害者の女性は全員治療して傷跡を消し、ディーナを呼んでここで起こった記憶も消去しておいた。
残しておいて得になる記憶なんて一つもないだろうからな。
以前にも似たような事があったが、あの時に討伐したオークは今にして思えば紳士な方だったらしい。
つまりデブリとかいうのはオーク以下ってわけだ。
それと当たり前だが、ウィルゴの服も修復しておいた。
「其方、これからは被害者達に償うと誓うか?」
「誓います」
「よろしい。だが被害者達の前に絶対に顔は出すなよ。記憶が弾みで戻るかもしれん。
あくまで影から援助しろ。よいな」
デブリの側近を務めていた男は、デブリのやらかした悪事の数々に手を貸した事を少しは悔いる心もあるみたいで、これからは償いに生きる事を約束してくれた。
まあ悔いれば何をしてもいいわけではないのだが、しかし彼は立場上デブリに逆らう事も出来なかった一種の被害者だ。
だから俺としては殺してしまう程ではないと思っているし、スペス家の道連れで罪人にしてしまうのも哀れだと思っている。
スペス家は……まあ、この悪事が明るみに出れば取り潰し待ったなしだな。
事の詳細は後でガンツからエルフの兄さん経由で王家に伝わると思うので、そのうち正式に貴族位剥奪となるだろう。
「ほれ、立てるか?」
「あっ、は、はい! だ、だだだ大丈夫です!」
俺はまだ床にへたり込んでいる茶髪の少女を立たせ、ついでに治療天法をかける。
結構酷くやられていたが、これで傷跡は残らないだろう。
女の子相手にここまでやるとは、あのデブリとかいう奴は男として随分腐っているな。
見ろ、こんなに怯え切って震えてるじゃないか。
もう百発くらいブン殴ってやるべきだったか?
……まあ、いいか。報いはこの後に訪れるだろうからな。
これ以上はただの死体蹴りだ。
「邪魔をしたな。余の用事はもう終わりだ。
後は其方等の裁量に任せるぞ」
そうして後の事は勇者一行に任せ、俺達はさっさとその場を後にした。
勿論、依頼されていたレールという女性も一緒だ。顔の火傷は完璧に治してある。天法マジ便利。
「ルファス様。その指輪、どのような代物なのですか?」
戻る途中、リーブラから指輪の性能に関する質問が飛んできた。
恐らくは俺が欠陥品と呼んだ事が気になってるのだろう。
俺はそれに、別に隠す事でもないので答えを返す。
「効果は先程言った通りだ。だが速度を10000も下げては持ち主まで停まってしまう。
だからこの指輪は停止時間を上回る速度を持ち主に与えるのだ。
つまり、速度が10000を超えるまで持ち主の時間そのものを加速させる事で無理矢理停止した世界に持ち主を入れてしまうのだ」
「それは……」
「うむ。余のように素でその速度に到達しているならば問題はないのだろうがな、奴はそうではなかった。
それでも指輪を所有している間は経過した『時』をこの指輪が引き受けてくれるらしく、何も問題はない。だが……指輪を失ってしまえばどうなるかは、分かるな?」
この指輪の効果は世界全てに対するデバフと、自分に対するそれ以上のバフだ。
数値にして10000。世界全ての速度を下げて0に落とし、時間すらも停止させる。
信じられない話だが、こいつは『時間』という概念に対してデバフを行っているのだ。
だがそのままでは持ち主まで停まってしまうから、その時間の停止すらも引き千切るだけの速度を持ち主へと与えて、時間を加速させる。
なるほど、反則的だ。デメリットさえなければ十二星に使わせたいくらいだ。
だが……こいつは指輪を失った時、その過ぎ去った時間が一気に持ち主へと返却されてしまう、とんでもない欠陥品だ。
無論それは、五秒時間停止の世界にいたから他の人間よりも五秒だけ多く時間を過ごす、なんて生易しいものではない。もっとやばいデメリットを持ち主へ与えている。
人間の歩く速度は大体時速5㎞程度だと言われている。あの貴族はこの世界の人間なので身体能力は地球人よりも上だが、それでも時速30は上回らないだろう。
一方、時間停止……つまり俺やベネトナシュが棲んでいる『時間を置き去りにする』領域に必要な速度は……まあ測った事がないから分からないが、圧縮した体感時間の中で本気で走るなり飛ぶなりすれば、多分現実の一秒が経過するまでの間にミズガルズを一周くらいは出来るだろう。
その事から考えて、多分戦闘時の俺やベネトの速度はマッハ10万以上と考えられる。
数字が上がりすぎて完全にギャグだが、まあそれは置いておこう。
問題はここからで、時速はマッハ1で大凡時速1200㎞くらいであると聞いた事がある。
気圧や気温などで多少は変わるから正確ではないが、まあ大凡だ。
そしてこの計算でいくと、時速30㎞がマッハ10万に追いつくためには速度を四百万倍しなくてはならない。
つまりこの指輪の持ち主は、一秒時間を停めるだけで四百万秒……大体四十六日以上の寿命を一気に消費する。
数回の使用ならばいいだろう。厳しい条件ではあるが呑み込めない程でもない。
十秒時間を停めれば一年以上を過ごした事になるが、そこまでは許容範囲内かもしれない。
だがそれを何度も繰り返せば?
一度の時間程度で何十秒もかけ、それを何かあるたびに使っていたら?
一分も停めてしまえば七年以上の寿命を使い、合計停止時間が十分を超えれば七十年以上だ。
あの様子だと、あのボンボンは相当この指輪に頼り切っていただろう。
今までに何度使ったかは分からないが……まあ、俺の予測が正しいなら今頃は爺になっているだろうな。いや、爺で済めばいい方か?
要するにこれは一時的な勝利の為に将来を捨てろと言っているに等しい。
こいつをデメリットなしで使えるのは俺か魔神王、ベネトナシュくらいだろうが……さて、どう使ったものかね。
いっそゴーレムの素材にしてしまうのも面白いか?
今の俺ならリーブラ以上のレベルのゴーレムを造るのも夢ではない。
ま、欠陥アイテムには違いないが使い道がないわけではない。とりあえず手元で保管しておこうか。
それから宿に戻った俺達は店主のしつこいくらいの感謝に晒された。
それだけ、このレールという女性の事を案じていたのだろう。
また、あそこでの事は勿論全て伝えていない。
連れ去られた後、眠らされていたとだけ教えておいた。
まあ手を出されていないのは事実なので嘘というわけでもない。
それはまあ、いい。それよりも料理だ。
俺の前には無駄に豪華に飾られた数々の皿が並び、湯気を立てている。
少し多すぎる気がしないでもないが、まあこちらも人数は多い。食べ切れるだろう。
俺は料理の中から一つを選び、手に取る。それは太い骨の周囲に肉がずっしり残り、中までよく焼けたものだ。
マンガ肉、実在したのか……。
齧り取ると口の中に肉汁と旨味が溢れるが、その味はあまり覚えのないものだ。
歯応えがあり、少し固めだがかなりイケる。鶏肉に少し近い味だが、やはり別物だ。
一口一口を味わいながら噛み締めていると、ふと俺の脳裏に翼の生えた竜モドキが思い浮かぶ。
そして同時に脳裏を過ぎったのは今よりも若干若く見えなくもないメグレズや今は亡きアリオト、ミザールなどと一緒に野営している昔のルファスの姿。
その近くには退治された偽竜の死体が転がっており、火で炙られている。
ああ……これ、偽竜か。
モドキとはいえドラゴン食べたのは初めてだ。
偽竜って鶏肉みたいな味すんのな。
しかし決して不満があるわけではないし、結構好みの味だ。
マヨネーズとかあったら合いそうだな。
そんな事を考えながら、俺は昼食の一時を楽しんでいた。
だがそんな一時は、ディーナが突然立ち上がった事で中断された。
「どうした? ディーナ」
「ちょっと手を洗いに」
ああ、トイレか。
そそくさと出て行くディーナの背を見送り、俺は再び偽竜肉を齧る。
しかし今度はカストールが椅子を蹴って立ち上がった事でまたも中断させられた。
何だ? お前もトイレか?
そう思ったのだが、しかしカストールの顔は真剣そのものだ。
汗を流し、いつになく険しい顔をしている。
我慢している……ってわけでもなさそうだな。
「この感じ、まさかポルクス? だが、何故……彼女が妖精郷から離れるはずが……」
ポルクス?
確かそれは『双子』の妹の方の名か。
パルテノスが言うには『双子』は龍の封印の任に就いているという話だったがカストールは全くそんな風には見えないし、そもそもここにいる事自体がおかしい。
となると、必然的に龍を封印しているのは妹の方だろうと予測がつく。
その彼女にどうやら、何かがあったらしい。
カストールはそのまま走り出して宿を出てしまい、俺達は呆気に取られるしかない。
「……」
ま、あれだ。
とりあえず追うか。
*
「……まさに嵐だったな」
ルファスが去った後、サージェスがしみじみと呟いた言葉は全員の代弁であった。
彼等にとって恐ろしいアイテムでもルファスにしてみればただの欠陥品。
瀬衣達から見て手強い相手でも、ルファスにしてみればただの弱いおっさんでしかない。恐らくルファスは、今も正座したままのこの男が人類の中ではトップクラスの強者だという事にすら気付いていないのだろう。いや、そもそも戦士とすら認識しているかどうか……。
彼女にとって一般人とデブリの側近の差は、普通の蟻とちょっと強い蟻、程度の差だ。見分けなど付くはずもない。
まるで小動物でも愛でるかのような軽い平手打ちでデブリの側近の顔が首が千切れんばかりの勢いで左右に弾け、一瞬でパンパンに腫れ上がっていたのには恐怖を通り越して変な笑い声すら出た程だ。
瀬衣は昔からゲームでお馴染みの『ボスからは逃げられない』という現象に疑問を感じていたが、今その謎は氷解していた。
ああ、無理だ。あれは逃げられない。生きている時間軸が違う。
逃げようと走り出した次の瞬間には首を掴まれているとか、本気でどうしようもない。
「……情けないなあ、俺」
瀬衣は小さく呟き、己の手を見る。
弱いという自覚はあった。
それでも、そこまで深刻に捉えていなかったのはルファス達があまりに隔絶し過ぎていたからだ。
竜巻や地震、隕石と比べて自分が弱いなどと思うのは当然で、それを深刻に考える人間などいない。
『太陽はあんなにも大きくて強いのに何で俺はこんなに弱いんだろう』などと普通はまず考えないだろう。
しかし今日は違う、思い知らされた。
同じ人間にすら歯が立たなかった事実をもって、己の弱さと情けなさを突き付けられた。
悪意に満ちた相手から誰かを守る事も出来ず、それどころか人質にされるという醜態。
自分の弱さが、今は何よりも許せない。
強くなりたいと、今までになく強く思った。
方法は――すぐ目の前にある。
ルファスだけが創れるという黄金の林檎を、何とかして譲ってもらえれば容易くこの世界でも上位の実力者になれるだろう。
だがそれは正しいのだろうか。余りにも簡単すぎやしないだろうか。
ルファえもーん、強くなりたいよー。はい黄金の林檎ー。やったーレベル1000だー。
……これは、本当に強いと言えるのだろうか? これで本当に強くなったと誇れるのだろうか?
こんな安易すぎる方法で力を得て、自分は増長せずにいられるか?
あのデブリのようにならないという自信があるか?
簡単に得た力ほど、人を狂わせるものはない。
そういう意味では、まさに黄金の林檎は禁断の果実だ。あれは人に道を踏み誤らせる。
強くはなりたい……そう、心底そう思う。
だが、だからといって黄金の林檎に手を出すのは躊躇われる。
結局の所、瀬衣がここまで一度もその話題をルファスに振らなかったのはそれが理由だ。
何の事はない。自分が間違えるのが怖かった。力を得て道を踏み外す事を恐れたのだ。
間違えるのは恐怖だ。自分だけではなく他人の人生までも壊してしまうかもしれない。
そして力が大きければ大きい程に、その間違いによる被害は大きくなるのだ。
極端な話、瀬衣が間違えて全力の一撃を大地に刺してしまっても、それは少し地面が削れるだけだ。
だがルファスが同じことをすれば、それはとんでもない被害となって周囲に拡散するだろう。
もしかしたらそのまま惑星を二つに割ってしまうかもしれない。
人間一人が、世界すらも左右し得るだけの力を得てしまうという事実。軽いはずがない。軽く考えていいはずがない。
もし自分があれだけの力を得たとして……それを正しく使えるのか? その資格があるのか?
瀬衣には、それが分からなかった。
「瀬衣殿、どうした?」
「い、いえ、何でもありません」
カイネコがつぶらな瞳で見上げながら黙り込んでしまった瀬衣を案じるが、瀬衣は何でもないように装った。
アホ犬がデブリの顔におしっこをかけているのを無言でどかして人の顔にかけてはいけないと注意し、それからアルフィへと顔を向けた。
「ええと……その、ごめん。あまり役に立てなくて」
「何言ってるのよ。貴方がいなきゃ私はあの路地裏で捕まって、今頃何されてたか分からないわ。
感謝してるわよ、セイ」
アルフィは笑みを見せて瀬衣への礼を述べる。
それから目を逸らし、瀬衣を見てはまた目を逸らす。
何か言いたい事があるのだろうが、なかなか決心がつかないといった感じだ。
しかしやがて意を決したのか、瀬衣へ真っすぐ視線を向ける。
「それで、ね……その、貴方さえよければなんだけど……というか他の皆もよければなんだけど……あのね、都合のよすぎる話とは思うんだけど、また、私の事も一緒に旅に……」
アルフィがもじもじしながら話している、その最中。
暇を持て余したアホ犬がサージェスにじゃれ付き、その勢いでサージェスのローブが脱げてしまった。
そして現れたのは――蜘蛛!
その姿に一瞬でアルフィは青褪め、言葉が止まってしまう。
サージェスが悪人ではないという事はもう分かっている。一緒に戦った仲だし、彼の人格にはむしろ好感すら抱いている。決して嫌いではない……嫌いではないのだ。
だが人間、どうしても苦手なものというのは存在する。
どうしてもゴキブリが駄目な人間はいるし、どうしても蜘蛛が駄目な人間もまた存在する。
つまりは、そういう事。
アルフィは蜘蛛という生物の外見が、どうしようもなく受け付けなかった。
これは害の有無の話ではない。毒があるとかないとか、そういう問題ではない。
何というか、見た目がもう駄目なのだ。
見ているだけで鳥肌が立ち、汗が止まらない。
「…………ごめんなさい。今の、無しで……」
こうして、立ちかけたフラグは一瞬にして砕け散った。
アルフィが なかまになりたそうにこちらをみている
サージェス「これが おれのほんたいの ハンサムがおだ」
アルフィはにげだした
サージェス「すまぬ」
瀬衣に女の子とのフラグは立たない(無慈悲)




