第125話 死亡フラグが最大まで上がった
華やかな大会が行われている裏。
運営であるスペス家が用意した選手控室を瀬衣達は隠れるようにしつつ調査していた。
アルフィの言葉を信じるならばデブリは参加者の何人かを拉致しているが、しかしだからといって正面から殴り込みなどかけてしまえば、それは一方的な言いがかりでしかなくこちらが犯罪者になってしまう。
ましてや相手はこの槍の領一帯を治める貴族なのだ。下手な手は打てない。
瀬衣達には国王が選んだ勇者一行という肩書もある。迂闊な行動は国王の信頼失墜にも繋がりかねないし、そうなれば野心に溢れたデブリは間違いなくその件で国に貸しを作るだろう。
これが何のしがらみもなく、貴族どころか人類纏めて単騎で殲滅出来るルファスのような化物ならば問答無用の力押しでどうにか出来てしまうのだろうが、それは瀬衣達には出来ない。
ならばまずは証拠を押さえる必要があり、大義名分を得なくてはならない。
既に瀬衣達はスペスが悪事に手を染めている事を疑ってはいないし、アルフィが追い詰められていた現場も見ている。チンピラを雇い、役に立たなかったからと虐げる姿も見ている。
だがそれでも心情的な事は別として、第三者視点で見た客観的な状況的にはまだスペスは『疑わしい』の域を出ていないのだ。
だからまずは証拠を得なくてはならない。だが……。
「何かあったか?」
「いえ、こちらには何も」
ガンツの問いに瀬衣は首を横に振る。
連れ去れたと思われる選手の控室を調べるも、証拠らしい物は一切出てこない。
どうやら念入りに回収された後のようだ。
せめて毒入りの飲食物を用意していたという証拠だけでも掴めればまだよかったのだが、そうは上手くいかないらしい。
「そういえば……アルフィ、何で君は選手が毒を盛られたって分かったんだ?
疑うわけじゃないんだけどさ、もしかしたら見る人が見れば分かるくらいに特徴のある毒物とか……」
「……実際に自分で飲んだからよ」
「え?」
「だから飲んだのよ、私も」
瀬衣の問いにアルフィは、目を逸らしながら答える。
「試合を前に控えたレール……私の友達の名前なんだけどね。彼女に控室に呼ばれてたのよ。
それで、彼女に差し出された紅茶を私も一緒に飲んでしまったの。
毒自体は前も言ったようにちょっと眠気が凄くなって力が出ない程度のものだから十数分もすれば動けるようになったんだけど、もうレールは試合に負けた後でね。慌てて彼女の姿を探してたら何処かに連れ込もうとしてるあいつを見付けて、口封じの為に追われたってわけ」
「な、なるほど」
どうやらアルフィは割と迂闊な性格をしているらしい。
いや、流石に友達が出してきた飲み物に毒が入っているなど、そもそも疑いもしないか。
実際その差し出した友達自身すらも毒が入っているなどと思っていなかったのだから、この状況では疑う方が難しいのかもしれない。
「なあカイネコさんよ。アンタ匂いとかで手掛かり追えないのか?」
「無茶を言うな。そういうのが得意なのは犬の獣人だ。我輩は猫である。よって無理だ」
「んだよ、使えねえな」
別の控室を探していたジャンとカイネコも特に手掛かりを得られなかったようで瀬衣達の所へと戻って来る。
カイネコが犬の獣人であれば匂いで僅かな手掛かりを追う事も出来たのかもしれないが、猫である彼にそれは出来ない。
手掛かりなし……その結果に全員が落胆し、これからどうしたものかと思案を巡らせる中、一匹だけ動いた存在がいた。
それはずっと瀬衣の足元にいたアホ犬だ。
彼は何かに気付いたように突然走り出し、廊下の奥へと向かう。
「おい、どこに行くんだ?!」
瀬衣も慌ててそれを追い、やがて廊下を曲がった先で犬が壁に向かって、やや高めの声で吠えているのを見付けた。
この犬は一体何故壁などに向かって吠えているのだろう。
瀬衣は壁に触れてみるも、やはり何か変わった事など見られない。ただの壁だ。
ガンツ達も遅れて到着し、そして真っ先にジャンが「なるほど」と気付いた。
「どきな、瀬衣。こいつは多分あれだ」
言いながらジャンは壁を叩き、その音の違いを調べる。
冒険者として何度も遺跡などに入った経験がある彼だからこそ分かる、微妙な音の違い。
遺跡などでもよくこうした隠し扉はあり、それを見付けだすのもまた一流の冒険者には欠かせない才能だ。
ジャンはしばらく壁を調べ、そして壁の下に小さな……それこそ本当に注視しなければ気付かないような小さな穴が開いている事を発見した。
「ビンゴ」
ポケットから針金のような物を出し、穴に差し込む。
そして弄る事数十秒。カチリという音が響き、ジャンは針金をポケットへと戻した。
そして壁に触れて横に動かす……すると、壁はゆっくりとスライドし、その先にあった隠し通路を露にした。
「大した物だな」
「これでも元は名の知れた冒険者だったんだぜ。この程度の仕掛けなら朝飯前さ」
ジャンが先頭を歩き、瀬衣達がその後に続く。しんがりはガンツだ。
恐らく被害者はこの先にいるのだろう。
そして、ここから先はデブリの配下が何人か待機しているはずだ。
階段を降り、曲がり角を前にしてジャンは立ち止まった。
瀬衣達にもハンドシグナルで静かにするよう伝え、慎重に曲がり角の先を見る。
そこには予想通り警備兵が何人か待機しており、武器を持っている。
勿論強引に突破してしまう事は可能だ。
だがもしも一人でも倒すのに苦労し、応援を呼ばれたら不味い事になる。
瀬衣達の一行は決して弱くはない。傭兵最強と呼ばれるガンツと亜人幹部であるサージェスがいる事を考えればむしろかなりの戦力であるとすら言える。
だがそれでも相手の数が百人、二百人にもなれば物量で圧倒されてしまう可能性もあるのだ。
ましてやここは相手の領域。どんな仕掛けがあるかも分からない。
「任せろ」
しかしサージェスは自信に満ちた声で告げ、素早く物陰から飛び出して壁を走った。
余りに一瞬の事だったせいで兵士達も気付いていない。
そのままサージェスは天井へ移動し、飛び降りたと思った瞬間には数人の兵士が倒れていた。
「なっ、何だ!?」
「敵襲か!」
兵士達も慌てて警戒態勢へと入るがサージェスの姿は見えない。
次の瞬間には横から跳んできたサージェスがまた一人の兵士を連れ去り、壁に叩き付けて離脱した。
その動きは、まさにハンター。
相手は何が起こっているかすらも分からず、次々と数を減らしていく。
それから僅か十数秒後には意識を保っている兵士はいなくなり、狩りを終えたサージェスが瀬衣達の所へと戻って来た。
「さあ、行くぞ」
「あ、ああ」
「……半端ねえな、蜘蛛のおっさん」
前を行くサージェスの実力に瀬衣とジャンが感心とも驚愕とも取れる声をあげる。
敵の時は恐ろしかったが、味方になると実に頼もしいものだ。
というか今更ながら自分達はよくこれに勝てたものである。
まあ、自力で勝ったかというと少し疑問も出る勝ち方ではあったが。
「何だ? この先……血の匂いか?」
「……嫌な予感がする。慎重に進もう」
ある程度進んだところで瀬衣は不快な匂いに顔をしかめた。
カイネコもまたこの匂いには警戒を示しており、一行はゆっくりと前へ進む。
そして目に映ったのは、吐き気を催す光景であった。
――女だ。
至る所に壊されてしまった女が捨てられている。
天井に吊り下げられている女は呻き声をあげ、壁に貼り付けにされた女の身体にはダーツの矢が刺さっている。
床にへたり込んでいる女は言語になっていない呻き声を上げ続け、奥で倒れている女はどんな顔だったかも分からないほどに焼けただれていた。
その光景にウィルゴは口元を抑え、他の皆も嫌悪感を露にする。
「ひどい……」
「何だ……これは」
「ちっ……これが貴族様のお遊びってか? 貴き一族とか、よくこれで名乗れるもんだな」
瀬衣が吐き気を堪え、ジャンが嫌悪感を隠しもせずに吐き捨てる。
ガンツは何も言わないがその顔には怒りが浮かんでおり、カイネコも拳を震わせている。
「レール! レールは何処?!」
アルフィはその光景に冷静さを失ってしまったのか、声を荒げて友人の姿を探す。
しかし見える範囲にはいないらしく、いくら探せど友人は見付からなかった。
……否、違う。見える範囲にいるのに気づかなかったのだ。
「……その声、アルフィ、なの?」
「っ、レール!?」
声をあげたのは、奥で倒れていた女だった。
焼けた顔で、原型すらも分からなくなってしまったそれにアルフィが駆け寄り、抱き起す。
ああ、何て事だ。綺麗だったはずの顔は赤黒く染まり、髪すらもが殆ど燃えてしまっている。
アルフィの目に涙が溜まり、変わり果てた友人を抱きしめた。
「どうして……」
「ああ、勘違いしないで欲しい。それは僕がやったんじゃない。
その馬鹿女が自分でやったのさ」
アルフィの声に答えるように、瀬衣達の後ろから声が響いた。
全員が振り返ると、そこには配下を従えた貴族の男……デブリ・スペスがニヤニヤと笑みを浮かべて立っていた。
「そこそこ整った顔立ちだったから、せっかく遊んでやってたのに、その馬鹿は自分で自分の顔を焼いたんだよ。おかげでこっちはもう激萎えさ。
たかが騎士の子女如きが操でも立てた気なのかな。僕にはちょっと理解出来ないね。
ま、抱いてやる価値もなくなったから捨ててもいいんだけどさ、でもそれじゃ不快にされた僕の気が治まらない。泣き寝入りは好きじゃないんだ。不快にされたらちゃんとその分は返さないと」
「野郎……!」
身勝手極まる事をのたまうデブリにジャンが怒りの声を発し、真っ先に踏み込んだ。
同じ男としてこいつは許せない。
彼女と同じくらい……いや、それ以上にブン殴ってその自慢の顔を潰してやらねば気が済まない。
だがジャンは次の瞬間、腹部に鋭い痛みを感じて膝を付いてしまった。
「がっ、あ……!?」
「馴れ馴れしく近づかないでくれよ、冒険者風情が。君と僕では価値が違うんだ。
分というものを弁えてくれ」
何をされた? 何をした?
攻撃されたジャン本人は勿論の事、それを見ていた瀬衣達も何が起こったかを理解出来ていない。
勇者一行の中では最もステータスの高いサージェスもそれは同様のようで、驚きを隠せない。
「まさかとは思うけど、僕と戦えるとでも思ったのかい?
思い上がらないでくれ。僕は君達とは違う、選ばれた存在なんだ。
君達は僕に触れる事すら出来ないんだよ」
そう言い、デブリは指輪を見せびらかすように顔の前に翳す。
「ふざけないで! アンタは絶対許さない!」
アルフィが掌を突き出し、炎の弾丸を放った。
だが火炎はデブリに当たる事なく、後ろにいた配下の一人に直撃して炎上させる。
デブリは既にアルフィの後ろにおり、拳を握っていた。
「いけない子だな。僕に向けて魔法を撃つなんて……当たったらどうするんだい?」
言いながら繰り出された拳を、しかし咄嗟に間に入ったサージェスが止めた。
そして即座に反撃へ移るが、またもデブリの姿が消える。
「……っ」
いや、消えただけではない。サージェスの身体を隠すローブが切れ、刃物で攻撃されたような痛みを感じた。
サージェスの強固な身体にはそれでも大した傷にはならないが、問題はそこではない。
今こいつは、認識すら出来ぬうちにサージェスに斬撃を叩き込んだ。それが問題なのだ。
「何だ、その硬さは? 刃が通らないだと?」
「……妙な術を使うな。速さ――ではないな。
認識すら出来ない一瞬に全ての行動を終えている、という感じだ」
「へえ、分かるのかい」
サージェスの言葉にデブリは感心したように笑い、そして指輪を見せる。
「ご名答。どうせ教えても何も出来ないから教えてあげるよ。
僕はね、この世の時を止める事が出来るのさ」
「時間を、止めるですって!? 嘘言ってるんじゃないわよ!
そんなの、女神様でもなければ不可能よ!」
「そうだね。ならその女神様が力を与えたとしたらどうだい?」
デブリは全員を見下すように笑みを深め、そして自慢するように語り始めた。
あるいは元々、誰かに自慢したいという願望があったのかもしれない。
プライドと見栄の強い男というのは自分が持つ特別な物を誰かに話したい衝動を抱えているものだ。
「かつて黒翼の覇王を倒す為に女神様が剣王アリオトに与えたという神器、『時の指輪』。
それをアリオトが仲間の一人に預け、その子孫がずっと受け継いでいたとしたら?」
「ま、まさか……そんな事が」
「んんー、いい顔だ。絶対的な差と、どう足掻いても勝てない事を理解した、理不尽への怒りと絶望が混ざった、僕好みの顔だ。たまらないね」
デブリはニコリと笑顔を浮かべ、腰から剣を抜く。
それに対し瀬衣達は一斉に警戒して構えるが、果たしてそこにどれだけの意味があるだろう。
何故なら相手は時間を停め、その停まった時間の中を動いて攻撃してくるのだ。どんな防御も回避も全く意味がない。
デブリが消え、瀬衣の脚から血が噴き出す。
反撃しようにも、時間停止などという反則を前にしては出来る事がない。
そして、一方的な戦いが幕を開けた。
蝋燭は燃え尽きる一瞬こそ眩いものです。




