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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

夜街に一陣、風が吹く。

作者: 九JACK

 柳の街は今日も平和だ。

 賑わう商店街を見回る十手持ちが平和な風景に満足げに頷く。

 赤子をおぶって歩く娘に休んでいきなさい、と呼び寄せる団子屋。いやいやこちらにお寄りなさいと声を張る隣の駄菓子屋。戸惑う娘の更に向こうには食事処の双六屋、頑固だが腕は確かな親父の鍛冶屋、別嬪の女将さんが営む宿屋が立ち並ぶ。その間をひらひらと蝶が舞う、雅な光景。

 そのずっとずっと奥の方にはこの街一のお屋敷があり、そこに人が住まう前から佇む大柳がある。柳生と呼ばれる一族が住むその屋敷と大柳から、ここは"柳の街"と呼ばれていた。


「橘さん、橘のごんすけさんや」

「ごんすけやなく啓介じゃ!」

 十手持ちが名を呼ぶ声に振り向く。その先には着流しに身を包む可愛らしい顔の少年が一人。橘と呼ばれた男より、頭一つ分小さい。

「ごんはお前じゃろうに、この、この」

「うわ、けいさん痛いです、痛いですってば」

 橘に頭をぐりぐりとされ始める。ごんと呼ばれた少年は必死でじたばたとした。すると存外すぐに解放される。

「むぅ、けいさん乱暴ですー。ボクはちょっとからかっただけなのに」

「はいはい、ごめんな、ごん」

 ごんはすっかり乱れてしまった髪を手でとかしながらむくれる。橘はわしゃっとその上からごんの髪を乱雑に撫でた。

「わあっ、せっかく直したのに~」

「ははは、そこの髷結床屋ででも直してもらってこい」

「ひっどいなぁ」

 少しむくれつつも、ごんは橘と共にからからと笑う。笑いが収まる頃には先程のことなどなかったようにけろっとして、橘に笑いかける。

「けいさん、見回りお疲れ様です。街はどうですか?」

「おう、いたって平和じゃよ」

 にかっと笑い、橘は答える。腰に下げた十手に目を落とし、加える。

「この街にゃ、こんな物騒なもんは必要なかろうなぁ」

「それは何より」

 ごんは微笑み、ねぇ、けいさん、と橘の袖を引き、団子屋を指した。

「お団子食べましょう? ボク、ちょっとお腹すきました」

「ははは、そうするかぁ!」

 二人が団子屋の暖簾をくぐっていく。その後を蝶がひらひらと舞っていた。ここにもまた平和な光景が一つ。

 そんな中ごんが一瞬、瞳に鋭い光を灯したことには隣の橘も気づかなかった。


 十手持ちの男は橘啓介(たちばなのけいすけ)と言い、この柳の街の自警団の一人だ。

 自警団といっても、この街で物騒なことはあまりない。時折、幽霊だの妖魔だのという怪異話が流れる程度。自警団の見回りは火の用心くらいなもので、そのくらい柳の街は平和だった。

 さてはて、橘と親しげに話す着流しの少年はごん。他の街から流れてきたらしいみなしごで、橘が初めて見たときは酷いなりをしていた。まるで戦にでも行かされていたかのように四肢に刀傷があり、腹には抉られた跡もあった。平和な柳の街には縁のない刀と小太刀を腰に引っ提げて、よたよたと歩いていたのだ。

 橘はごんの身の上は知らぬ。名前も覚えておらんよ、と彼が笑うから"名無しの権兵衛"の"ごん"と呼んでいる。

 今は幸せそうだからいいが、初めそのなりを見たときは、本当に柳の街の外には"戦"というものがあるんだなぁ、とぼんやり橘は思った。

 こんな小さい子どもも戦に出されるような世の中。一体ごんはどれほど辛い思いをしてきたのだろう、と時折橘は考えるが、満面の笑みで団子を頬張るごんを見ていると、そんな疑問は阿呆らしくなる。

「けいさん、やっぱり団子は美味しいねぇ」

「そうだなぁ。おい、ごん、口にみたらしついとる」

 おっと、とごんがぺろりと口元を舐める。平和で平凡すぎる少年だ。本当に、ぼろぼろだった出会いの景色を忘れてしまいそうなほど。

 文字通り、今のごんは幸せに違いない。柳生のお屋敷が彼の身元を引き取り、彼は今お屋敷で働きながら暮らしているという。

「柳生のお殿さんはどうだ?」

「優しいですよー。いつも街の心配してます。本当はボクのように街に下りたいらしいんですが、どうにも他の街からの文が尽きなくて。返し文にいつも唸っておいでです」

「大変なことだなぁ。お前が代わってやりゃあいいんじゃねぇの?」

「だめですよぉ。ボクはただの奉公人で学もない。文面でばれますって」

 他愛のない会話をし、それもそうか、と返そうとしてふと気になった。

「そういやごん、お前さん、お屋敷でどんな仕事をしとるんじゃ?」

「うーん……」

 ごんは頬張った団子を飲み込み、答えた。

「蜘蛛の巣払いです」

「それはまた随分な仕事だなぁ」

「そうですかぁ? 楽しいですよ?」

 蜘蛛の巣払い。読んで字の如く蜘蛛の巣を払う仕事である。何百年生きたか知れぬ大柳を囲うお屋敷で、 蜘蛛の巣なんて探したら、果てなど知れない。橘には考えただけで気の遠くなるような仕事だった。

「ボクはですね、こう見えてお蜘蛛さんたちとは仲良しなんです」

「……つくづく変わりもんじゃなぁ、ごんは」

 橘は八つ足でのそのそ蠢く蜘蛛を想像し、顔をしかめる。えー、そうですかぁ? と不満げに返すごんの声がふと、遠くなった。

「あら、蝶や」

 その声と同時に店の中がしん、と静まる。暖簾の下から黒く、大きな蝶が一羽、ひらりひらりと入ってきた。

 団子屋の客全員、いやその場にいた店主も、その蝶に目を惹かれた。黒曜石のように美しい黒い羽。 ひらりひらり、時折上へ、時折下へとゆらゆら舞う蝶に皆、目を奪われていた。

 蝶はしばらくたゆたうと、店の暖簾からまた外へ出て行った。

 ほぅ、と溜め息をこぼす橘、蝶の行った先を指差し、ごんに言う。

「蜘蛛よか、ああいう綺麗な蝶の方が断然よかろう」

「そう、ですかね……」

 ごんは曖昧な笑みで答え、最後の一口を頬張った。


「しっかし最近よう見るなぁ、蝶。そんな季節だったか」

 団子屋を出て、再び通りの見回りを始めながら、ふと橘が呟く。

「え、多いんですか? 最近」

 ごんが意外にも食いついた。

「ああ。その辺をいろんな色のがひらひら~、ひらひら~ってな、綺麗なんだわ」

 ほら、あそこにも、と紫色の蝶を指す橘の背中でごんは子どもらしからぬ険しい表情をしていた。


 柳の街の夜は静かだ。

 銀色の月が雲に見え隠れしながら街を照らす。瞬く星もそうである。

 そんな夜道を、酔っ払いが一人、歩いていた。足取りは覚束ない。本当は早く家に帰ろうと思っていたが、酒屋の店主の口車に乗せられて遅くまで飲んでしまった。まあ、こんな平和な街だ。そう物騒なことも起こるまい……酔った頭でそう考えつつ、男は家を目指す。

 灯りはほとんど立ち消え、月明かりだけが頼りの夜道に、男はふと、目につくものを見つけた。蝶だ。

 ちらちらと夜道を不安定に飛ぶ蝶は月明かりに瞬いて、不思議な色の光を放つ。男は知らず、蝶を追った。

 蝶はひら、ひら、と右に左にゆらゆら舞う。揺れるたびに幻想的な煌めきを放ち、男はその煌めきに次第に惹かれ、待て、待て、と蝶を捕まえようとした。

 そして気づかず、井戸にぼちゃん、と身を落とした。

 気づかないのも当然だろう。

 男の眼は既にがらんどうだったのだから。


 朝、お天道様が東の空から顔を出した頃、柳の街に悲鳴が轟いた。

 何事か、と街の者たちは皆目を覚まし、声の方へ。そこは共同で使っている井戸だった。

 腰を抜かして井戸の側に転んだ娘をいの一番にやってきた橘が抱き起こし、訊く。

「どうした? 何があったんじゃ?」

 すると娘は震える指で井戸を示した。中、中、とだけ呟く。

 橘は不審に思いながらも井戸を覗く。 そして、息を飲んだ。

「土左衛門だ……」

「何っ!」

 橘の呟きに他の自警団衆が集い、同様に井戸を覗く。唖然とした後、慌て、引き上げるぞ! と乗り出した。

「うわ、こりゃ」

「女子どもは帰れ! 見ちゃいかん」

 引き上げられた遺体はそれだけ見せるのが躊躇われる惨状だった。

 口をあんぐりと開けた男の死体。水死体と思われたそれには決定的な欠落があった。目のあるべきところががらんどうだったのである。

 引き上げた今、とろ~、と紅い液体が目のないそこから流れ落ちる。日の下とはいえ、なんとも不気味な光景だった。見るに耐えず、吐く者もあった。

 橘はぐっ、と拳を握る。なんて陰惨な。これは人間の成した業なのか。

「何事です?」

 するとそこへ聞き慣れた少年の声。

「ごん、来ちゃいかん!」

 橘は咄嗟に叫ぶが、少年は人の輪をひょいひょいと抜けて出てきてしまう。

「おや、けいさん。そして、この方は……」

 むごたらしい死体を見、ごんは固まる。橘は今からでも目を塞いでやろうと手を伸ばすが、止まる。

 ごんは目の前の男の遺体に合掌していた。

 橘は呆気にとられた後、慌ててそれに倣い、手を合わせる。

「惨いことです。主様もさぞかし嘆かれることでしょう」

 静かにごんは言った。

「葬儀の準備を。いつまでも死体を晒しておくわけにはいきません。ボクもお手伝いいたします」

 ごんの大人びた対応に一同はぎょっとしつつも、すぐ従った。


 柳の街の奥の奥。

 街の象徴とも言うべき大柳を庭に擁するお屋敷があった。

 そこにごんが帰り着き、屋敷の主に街の土左衛門のことを伝える。

「なるほど。人の業にあらぬやもしれぬ。お前の見立ては?」

 屋敷の主はごんに問う。

「さあ、わかりません。けれど、街の者が目を奪われた。まだ一人とはいえ、二人目を待つわけにもいかないでしょう」

 着流しの少年は主の前に折っていた足を立てる。

「今宵は久方ぶりの戦です」

「すまんな」

「いえ」

 少年は立ち上がり、腰に大太刀、小太刀をさす。

 久方ぶりの重さに少年はやんわりと笑む。

 西の方を見て主は言った。

「今宵は雨となりそうだ」


 夜。

 ざあざあ、と雨が柳の街に降り注ぐ。

 そんな夜道を一人、成人もしていないであろう少年が歩いていた。

 柳の街はどこの戸も閉まっており、他の人影はない。

 少年の姿はそんな夜の街に不自然すぎた。

 降るのは柔雨。向こうの空には月明かりが零れている。じきに止むだろう。

 そんな中をふわり、ふわり。不自然なものがまた一つ。柔雨に当たりながら艶然と舞う蝶が一羽。雨に濡れたその羽はまさしく濡れ羽のように艶めいて、見る者を魅了する輝きを放つ。妖しい輝きを。

 蝶はゆらゆらと、誘うように少年の前を舞った。ふわり、ふわり、ひらり、ひらり。雨などないかのように軽やかに。

 少年の目元をちらちらと舞う、蝶。雨足が次第に弱まり、月光が見え始めたそのとき。

 びゅっ

 空を切り裂き、鈍色の一閃が蝶を真っ二つに裂いた。

 黒い蝶は雨に打たれてひらり、落ちる。地につくとその亡骸は黒煙となり、消えた。

 代わり、女が一人、少年の前に立っていた。蝶の柄の着物を着た背の高い女。少年より頭二つ分ほど高くにある頭にはこれまた蝶の形をあしらった髪飾りがついている。

 女は額を押さえて言った。

「痛いわね。近頃の子どもは夜道の女には優しくしろと習わないのかしら?」

「さあ? 知らないね」

 女の軽口に少年は飄々と返す。しかし、纏う空気は険悪で、少年は抜いた太刀を今にも振るわんとしていた。女もたおやかな笑みとは裏腹に黒々とした気を纏っている。

 それもそのはず、女の押さえる額からは紅いものがぽたぽたと零れ落ちていたのだ。

「何せボクは蜘蛛だから。キミこそ、女の夜歩きはいけないって、習わなかった?」

「ふふ、やんちゃな坊やね」

 月光を背に女が微笑む。

「今ならまだ、許してあげる。穢らわしい蜘蛛の坊や」

「それはこちらの台詞です。それとももう一度刻んであげましょうか? てふてふ(蝶々)さん」

 少年が名を呼ぶと蝶柄の女はがしっと少年の首を掴み、持ち上げる。

「調子に乗らないでくれるかしら、蜘蛛が」

 ぎりり、と女とは思えぬ力で少年の首を締め上げる。少年は苦しげに顔を歪めるがふ、と口元は笑んでいる。

「雲が晴れます」

「は?」

 少年の一言に女が片眉を吊り上げるが、直後その瞳が驚愕に見開かれる。

 地に明るみが射す。そして照らし出されたのは、雨滴のついた糸は放射状に張り巡らされていて、まるでそれは蜘蛛の糸のようだった。

 ちょうどその中央に絡め取られた蝶の如く、女は囚われていた。

 するり。女の手から少年は解放される。

「ああ、見事に貴女はかかってくれましたね。やはり蝶だからでしょうか」

「だま、れっ!」

「黙るのは貴女です」

 すとっ。女の胸に小太刀が刺さる。ごぽり、と女は血を吐いた。

「ぐ、蜘蛛、が」

「大丈夫ですよ。ボクは貴女を食べたりしませんよ。ボクは補食趣味じゃなくて、観賞が趣味なんです」

「ず、ぶん、悪趣味、ね」

「人の目を奪って愛でる貴女ほどじゃあ、ありません」

 少年は懐から水の詰められた瓶を取り出した。その中には何か煌めく丸いものが入っていた。──人の目である。

「手癖の悪い蜘蛛ね」

 自分の胸元と少年の手を交互に見、女は言った。

「そりゃどーも」

 女の渾身の皮肉を一笑に伏すと、少年は納めていた太刀を構える。

 鈍色の閃光。

 シュッ──

 一陣の風が夜の街を抜ける。

 女は蜘蛛の糸ごとばらばらに斬られ、黒い霧となって消えた。


「なんだったんだろうな、いつぞやの土左衛門は」

 朝、平穏な街を歩きながら、十手持ち・橘は呟いた。

「おぞましい仏さんがあがったのはあの日だけで、この十日間、何事もなかったからなぁ」

 あれから十日、皆が雨戸をしめて決して外に出ない日を除き、毎晩橘は見回りをしていた。だが、何事もなく、空は嘘のように快晴。火葬もしたし、仏壇もできたし、嘘などではないのだが。

「まあ、それくらい平和だってことでいいんだけどな」

「それはよかったです」

「おわっ」

 突然後ろからした声に思わずびくつく橘。振り向くと、にっこりと笑う着流しの少年が一人立っていた。

「お、ごん、久しぶりだな」

「えへへ、ちょっと仕事で抜けられなくて、お久しぶりです」

「仕事って、蜘蛛払いのか?」

「はい」

 大変だったんですよー、とのんびりした声でごんが語り始める。

 柳の街には何事もなかったように、風が吹き抜けた。



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