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草野球狂の詩

千春 ♂ 

真  ♂ 

和美 ♀


「――それで結局、宿題はどうなった訳?」

 ホットコーヒーのカップを傾けながら、和美が尋ねる。

「……宿題自体は終わったよ。徹夜して書き写したらしいな」

「うん? 何か含みのある言い方ねえ?」

 さすがに和美は鋭い。溜息混じりに、俺は応える。

「あのアホは、宿題が終わった瞬間に力尽きたんだ。要するに、寝落ちだな。で、寝坊。そのせいで俺まで怒られた。宿題、全部アイツに預けてあったからな」

 思い出すだけで苦々しい。

「しっかし、期せずして今の事態とリンクしてきたわねえ」

 少し遠くを見ながら、俺の回想を聞き終えた和美が妙なことを言い出す。

「リンク? ただ夏休みの宿題が終わらないってだけの話だぞ? アイツが死にたいって言いだしたのも、単に弱音を吐いただけだし」

「そうじゃなくて――あの子が、何者かになりたかったって話」

 そっちか。

「あの子は『何か』になりたかった。何かの力を得て、人の助けになる何かをしたかった。自分の存在価値を、証明するために」

「そんなこと考えているようには見えなかったけどなあ」

 頭の後ろで手を組みながら、真が呑気な声を出す。

「珍しい話じゃないわよ。いわゆる英雄症候群(ヒロイツク・シンドローム)ね。賞賛されたい、特別視されたい、自分の価値を示したい――あまり自己評価の高くない人間や、普段周囲から評価されない人間がなりやすいってよく言うわね」

「……僕ら、調子に乗ってアホアホ言いすぎたかもね」

「誤解しないで。二人のせいじゃないってば。思春期の頃は、多かれ少なかれ誰だってそういう傾向にあるものよ。あの子はあの子なりの鬱屈があって、特別な何かになりたいと、ぼんやりと感じていた」

 くるくると巻かれた天然パーマを指先で弄びながら、和美は言葉を選ぶ。

「ぼんやりと、か」

「ぼんやりだねえ。何かになりたい。何かを得たい。それで、何か人の役に立ちたい――全部『何か』なのよね。サムシング。ぼんやりしてて、その正体は本人にも分かってない。これは別に特別なことではないし、普通ならそのまま何らかの形で昇華される鬱屈だった筈なんだけど――」

「アイツは、その特別な『何か』を手にしてしまった、と」

「そういうこと」

 手元にはアイツのスマホ。その中には、TSアプリ。撮影した相手の性別を反転させるトンデモアイテム――それを手にして、行動を始めたという訳だ。

「……一つ、素朴な疑問なんだけどさ」

 カルピスのグラスを傾け、真が呟く。

「ひかるって、このアプリをどこで手に入れたんだろうね。アプリショップで売ってるとも思えないんだけど……」

「その疑問はもっともだけど、考えるだけ無駄かもねえ。このアプリ自体が非現実的な代物な訳で、それがどこういう経緯であの子のスマホに流れ着いたかなんて、推測することすら困難だもの」

 アプリの存在と同じく、これはこういうモノとして受け入れなくてはいけないということなんだろう。確かに、考えても調べても答えは出なさそうだ。

「それより――あたしたちは、推測が容易でより現実的な方面から考えを進めていくべきだとは思わない?」

「どういうことだ」

「もう、本当に察しが悪いなあ。夏休みの間の、あの子の行動――ただの奇行に見えても、何かしらの意味があるかもって、千尋さんも言ってたじゃないの」

「僕の出番だね」

 言いながら、持参したノートを取り出す。ようやく本題が始まったようだ。

 真と和美、ヒロ兄を交えた話し合いから、二日が経っていた。本格的に情報を集めるには、それなりの時間が必要らしい。

「そうは言っても、二日じゃできることも限られてるんだけどね」ノートを開きながら苦笑している。「結論から話すね」

 開いたページに折り目をつけ、真が口を開く。

「生前エピソードを時系列順に並べていった結果――最初のエピソードに、これがきた」

 開いたページ、最上段に赤ペンで派手な見出しがつけられている。


『7月24日午前11時頃

 新川河川敷にて、草野球の練習試合で代打として参戦。

 空振り三振でバッターボックスに膝を突いて悔しがる』


 ……これか。

「よりによってこれなんだ。あたし、これは関係ないと思うんだけどなあ」

 和美が苦笑をこぼす。同感だったので、俺も黙って頷く。

「判断を下すのはまだ早い。気になったから、ちょっと突っ込んで調べてみたんだよ」

 見出し記事を指した指をつっ、と下へスライドさせ、当該の記述を示していく。

「当日試合していたのは、『望月ファイブスターズ』と『新川レッドブルズ』の二チーム。この二チームは交流が盛んで、月一くらいの頻度で練習試合を行っているらしい」

 いい年をしたオッサンたちが白い練習着に身をまとい、和やかな雰囲気でキャッチボールやノック練習に精を出している――休日のよくある光景の一つだ。

「『望月ファイブスターズ』の練習日は水・土・日の週三日。昨日がちょうど日曜だったからさ、僕、新川に行って直接聞いてみたんだよ」

 事もなげな調子で、なかなか驚くべきことを言ってくれる。

「――お前、一人でそこまで調べてきたのかよ」

「その方が話早いでしょ?」

 涼しい顔してそう返す。

「キャプテンの増田(ますだ)(しげる)さんって人に話を聞けたから、以降はその人の情報ね」

 ちなみに、その増田某は三駅先の扇町(おうぎまち)駅前商店街で『増田鮮魚店』を営む商店主で、三度の飯より野球が好きという人物。年は四十二らしいが、若々しい物腰のせいで三十代にしか見えないらしい。どうでもいい情報だ。

「何か、その日は個人的に色々あったからよく覚えてるんだって。さっきも言った通り、その日は普段から仲のいい『新川レッドブルズ』との練習試合で――当日の試合、ファイブスターズはある投手を登板させた」

 そのページには、とある人物に関する記述が詳細に書いてあった。

 ――鳴川翼(なるかわつばさ)

「望月ファイブスターズの若きエース。球速は最高で百四十キロにもなるらしい」

「百四十!?」

 和美が驚いているが、野球に疎い俺にはいまひとつピンと来ない。

「……それって、凄いのか?」

「甲子園レベルね。そんな凄いピッチャーが地元の草野球チームにいるなんて驚きだわ。そもそも、その鳴川って何者なの? 若きエースって、大学生か何か?」

「ふふ」不敵な笑みを漏らしながら鼻の穴を膨らませる真。

「これが凄いんだよ。高校生だって。それも、ウチの学校の生徒だって言うんだよ!」

望高(もちこう)の?」

「そう、望月高校普通科二年の鳴川翼!」

 興奮して名前を連呼されても、知らないものは知らない。上級生なら尚更だ。

「何で野球部に入らないんだ?」

 誰もが思うであろう疑問を、代表して口にする。

「それが、メンバーは誰も知らないんだよね。聞いても教えてもらえないらしくて」

 気になるが、ここはあまり拘るべき部分ではないのかもしれない。

「話を戻すよ。登板した鳴川は七回までにほとんどの打者を凡打で打ち取り、無失点を続けていた。そこで登場するのが、我らが松前ひかるだ」

 だいたい予想はしていたが、案の定だった。過去の出来事なのに、頼むから余計なことをしてくれるなと、半ば本気で願ってしまう。

「途中から試合観戦をしていたひかるは、レッドブルズ側の打撃が振るわないのを見かねて、唐突に代打を申し出たんだ」

 そんな訳ない。野球経験者ならともかく――アイツはただのアホな女子高生だ。いくら試合展開が一方的だからって、素人がいきなり出て行って代打を申し出るとは考えづらい。

「……本当は?」

「観戦してる間に、ギャラリーの会話から鳴川が望高の二年だって情報を耳にしたらしいんだよね。同じ高校の先輩が投手だと知って、是非対戦してみたいって考えたみたい」

 いずれにせよ、アホな動機だったらしい。結果が、三球三振。当然だ。

「バッターボックスに崩れ落ちて悔しがった――ってのは、すでに話した通りだね」

 むしろ、何故勝機があると思ったんだ。謎というなら、そこが一番の謎な気がするが。

「そのイニングが終わった後、鳴川に胸ぐら掴まれて怒られたらしいよ。いくら草野球だからって、素人がしゃしゃり出てくるなって」

 これまた、当然だ。

「まあ、この日の出来事としてはこれで終わり。時系列順に並べた次の目撃談は――これ」

 ノートをパラパラと捲り、次なる当該箇所を示す。


『7月26日午後3時頃

 望月高校グラウンドの部室棟の隅で、マネージャーらしき人間と口論していた』


「ここがインパクトあって忘れられてたんだけど、実はこの前日、二十五日にもグラウンドの隅でウロウロしていたのをギャラリーに目撃されてんだよね」

「……ひかるは野球部で何をしていた訳? 何でマネージャーと揉めたりしてたのよ」

 和美が的確な質問を放つ。確かにそれは気になる。草野球と高校野球という違いはあれど、連続して野球関連だ。

「そこまでは、さすがにまだ。これからみんなで聞きに行こうかと思ってるんだけどね」

「聞きに行くって、どこに? てか、誰に?」

「決まってる」今日一番の会心の笑みを見せ、真は宣言する。

「ひかるとやり合ったっていう、マネージャーのところにだよ」

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