悪魔な小生意気
千春 ♂
和美 ♀
鳴川 ♀
「そりゃ、黒幕が別にいるからでしょ」
数分後、俺たちはホームのベンチで水分補給に勤しんでいた。
いつも通り、俺は烏龍茶で和美はアイスコーヒー。鳴川は自販機にもたれ掛かりながらスポーツドリンクを流し込んでいる。酷暑と興奮で大量に失われた水分が、音を立てて体に染み込んでいく。別に俺たちはこのまま帰ってもよかったのだが、どういう訳かこの場にとどまっていた。
人心地ついた俺は、ボソボソと先程感じたモヤモヤを口にする。それに対する和美の台詞が、冒頭の台詞だ。
「――黒幕って、誰」
「千春だって、分かってるくせに」
「……城ヶ崎、望?」
「イエス」遠くを見ながら、和美は口角を上げる。「イエス、シー、イズ」
「何で英語なんだ」
「そう考えると全て辻褄が合うのよね。何故ボスである筈の本庄が女性の体を触る、最も危険な実行犯役だったのか――それに、吉良真澄の時は自ら被害者役を演じて、顔見せしている訳でしょう。主犯のとる行動じゃないのよねえ。本庄もまた、傀儡――操られているだけだったって訳」
「俺だけかな……さっきの、ホームでの本庄……何か、他の三人を庇っているように見えたんだよな……」
瞬間、素早く顔を横に向ける和美。どうやら吹き出したらしい。しかしすぐにこちらに顔を寄せ、優しい笑みを浮かべる。
「……千春は鋭いねえ。多分ねえ、あの場にいた全員が、同じこと感じたんじゃないかなあ」
「馬鹿にしてるのか」
「まさか。そこが千春のいいところだもの。第一、あたしは千春のいうことを肯定してるのよ? もっと胸を張ったらいいじゃないのよお」
ねちっこい言い方が癇に障ったが、今は飲み込んでおく。
それよりも。
『オレのことはいいから逃げろッ!』
『こいつらは関係ない』
『今日は、たまたま同じ車両に乗り合わせただけだよな?』
本庄しのぶの言葉が、瞬時にフラッシュバックする。
アイツは自身が窮地に立たされているというのに、常に舎弟たち――いや、親友たちか――のことを気にかけていた。俺たちは、アイツのことを大きく誤解していたのかもしれない。
和美が俺の気持ちを代弁する。
「本庄は、善人でも優等生でもなかったかもしれないけど、少なくともあたしたちが想定していたような悪党ではなかった。狡猾に立ち回り情報を集め、弱味を握って人を操って進学校の裏で悪行三昧――そのくせ、自分は常に安全地帯にいて、はめた人間を馬鹿だと嘲笑う、そんな悪党――だけどそのパーソナリティは、そのまま本物の黒幕にスライドする」
「城ヶ崎望」
「だけど、あたしたちは彼女に関してほとんど何の情報も持っていない。顔すら知らない。徒手空拳もいいとこね」
「打つ手がないってことか」
「ん……まあ、今のところは」
何か含むような言い方だったが、眉間に皺を寄せてコーヒーをあおる和美を見ると何も言えなくなってしまう。
「自殺当日、本庄がひかると何話してたのか、結局聞けなかったな……」
本当は、本庄を押さえ付けたその瞬間に聞き出すつもりだった。しかし、真澄たちの登場や、本人が仲間を庇い始めたこともあって、聞けずじまい。
「そんなタイミングもなかったしねえ」
「この後、聞く機会あるかな」
「……難しいかもね。痴漢した高校生にどういう処罰が下されるか分からないけど、少なくとも今日明日は、対面することもできないんじゃないかな」
「やっぱり、打つ手なしか」
「今のところは、ね」
何だろう。和美は自分とは違う着地点が見えている気がする。ヒロ姉相手では分が悪いが、この女自体も相当に明晰だ。鈍い俺には分からない何かを、コイツは見据えている。
が、それを知る術はない。
「――そう言えば」
こういう時は、話題を転換するに限る。
「何?」
「例の、吉岡泉水ってのは何だったんだ。増岡さんも知らないって言ってたけど」
「NOT FOUND.お探しの情報はここにはありません」
何で英語なんだ――と突っ込むより先に、俺は納得してしまった。それもそうか。和美だって俺と同じ情報しか見聞きしていないのだ。いくら鋭く聡明な和美でも、知らないものは知らないということか。
「ちょっといいかな」
しかし、そこで思わぬところから声があがった。ずっと俺たちの話を聞くともなしに聞いていた、鳴川だ。
「ずっと気になったことがあって、声をかけるタイミングをはかってたんだけどさ――その吉岡泉水って奴、もしかしたら知っている人間かもしれない」
若干不安そうな面持ちで、彼女はそう切り出す。
「電車で増田さんに見せてた写真、私にも見せてもらえないか?」
断る理由がない。俺はすぐさま、自分のスマホに転送してあった吉岡泉水の画像を呼び出し、彼女に見せる。
――と、鳴川の顔が、強張っていく。
きつく奥歯を噛み締め、こめかみが浮き出す。
「――畜生」
誰にも聞こえない程の低い声で漏らされる呪詛の言葉。何かに合点がいったかのようにコクコク頷き、髪を掻き毟り、深い溜息を吐く。ちょっと、尋常ではない。
「――私のせいだ」
「どういうことです? 知ってるんですか、この女を」
今にも爆発しそうな鳴川を、和美が相手する。
「……アンタらも、一回会ってる筈だ」
そう言われても、皆目見当がつかない。そう言えば、真はどこかで見た顔だ、と言っていたが――。
「悠季のファンクラブの人間だよ」
「望月高校野球部のエース、七瀬悠季ですか」
「そう。練習場に来てキャーキャー言ってる連中がいたろ。そのリーダー格の女が、吉岡泉水。名前まで把握してなかったけど、毎日のように来てるからさすがに顔は覚える。でも、まさか――この女だったとはね」
言われて、ようやくぼんやりと思い出す。確かにそういう人間がいたかもしれない。
だけど――誰がそんなの憶えてるんだよ。
心中毒づく俺を置いて、和美はどんどん話を進めていく。
「でもそれで、何で増田さんが狙われるんです? それに、自分のせいって――」
「あいつら、逆恨みの復讐のためにこんな回りくどいことをしてたんでしょ。同じだよ。マネージャーという立場上、私は練習の邪魔になるものは極力排除してきた。悠季のファンにしてもそう。いつも邪険に扱ってたし、直接やりあったことだって何度もある。悠季と馴れ馴れしく口を利いてたのだって、あの女は気に食わなかっただろうしね。いずれにせよ、恨まれる要素は充分にある」
見た目と口調がキツいせいで、鳴川は誤解されやすい。敵を作ることも多いのだろう。
「……本当は、私を標的にしたかったんだろうな。だけど、私は男じゃないし男の格好もしていない。それ以前に、電車に乗らない。痴漢冤罪の標的にすることは不可能だ。だから、代わりの人間を見つけ出したんだ」
「代わりって……それはつまり、鳴川さんに対する嫌がらせってことですか」
和美はさすがに理解が早い。鳴川は再度溜息を漏らし、またコクコクと頷いて見せる。
「……そう。私が今、野球ができているのは全部増田さんのおかげだ。あの人には本当にお世話になっている。そういう人に社会的ダメージを与えたら私がどう感じるかも織り込み済みなんだろうな。それに、痴漢の汚名を着せられたら、草野球どころじゃなくなる。望月ファイブスターズは即解散だ。私は野球をする場を失う。そこまで計算しての犯行だったんだよ。ありえない。私が憎いなら、痴漢冤罪以外の方法で私に攻撃すればいい。それを、よりによって、増田さんに迷惑をかけるだなんて――許せない。私は、吉岡泉水も、その後ろにいる城ヶ崎って奴も、絶対に許さないから」
いつになく饒舌に語る彼女の目の奥には、黒い炎が揺らめいている。本当に怒ると、人はこうなるらしい。そして恐らく、この人は本当に怒らせてはいけない人間の、一人。
「――駅員室、行ってくる」
顔を強張らせ、鳴川は立ち上がる。今話したことを駅員室にいる皆に教えに行くのだろう。俺たちはかける言葉も見つからず、ただ曖昧に頷くのみ。
鳴川を見送った後の数瞬の沈黙の後で、和美が敢えて緊張感のない声を出す。
「まさか、話が野球部に帰ってくるとはねえ――遠回りした挙句、一周回ってスタート地点に戻ってきた感じ?」
「戻ってはないだろ。確実に前に進んでいる」
「進んだ結果が、今まで関わった人たち総出演だものね。望月ファイブスターズ、演劇部、それに本庄一味――あれだね、最終決戦を前に、今まで倒してきたボスが一斉に襲いかかってくる感じだよね」
「お前の例えは常に分からん」
「ううん、例えが分からんとかじゃなくてさ」視軸を遠くに固定したまま、和美は声のトーンを若干落とす。「最終決戦前、ってところに反応してほしかったんだけどな」
「最終決戦?」
「イエス。ラスト、ウォー」
「何で英語なんだって以前に、その英訳はあっているのか?」
「あたしね、ずっと引っ掛かっていたことがあるの」ツッコミを無視するのはいつものことなので、俺は黙って続きを待つ。「昨日からずっと考えてたんだけど……もし仮にあたしの考えが正しいなら、決着はまもなくの筈なんだよねえ」
口振りこそ緊張感がないが、その目は真剣味を帯びている。何かを確信している目だ。
「その、お前の考えってやつを聞かせてくれよ」
あのね――と和美が口を開くと同時に、俺のスマホに着信が入る。
脇坂からだった。
タイミングがいいと言うか、悪いと言うか。口を噤んだ和美を横目に、俺は電話に出る。
『もしもーし! あの、その後どうなったッスかね? 予想だととっくに事は済んだ筈ッスけど、何も連絡がなかったのでこっちからかけた次第なんスけど』
「ああ……悪い。こっちもゴタゴタしててな。電話する暇がなかった」
別段報告の義務はないのだけれど、今回の立役者はなんといってもこの脇坂だ。コイツの情報なしでは、本庄たちを叩くことはできなかった。
俺は順を追って、列車内で、そしてホームで起きたことを話して聞かせる。
『大活躍じゃないッスか!』電話口の声がはしゃいでいる。『昨日の今日でもう一網打尽にするなんて思ってなかったッスよ! 見た目に寄らず、やりますねえ』
「見た目に寄らずは余計だ」苦笑しながら俺は答える。「それに今回の件が成功したのは、昨日の今日で有力な情報を集めてくれた、脇坂のおかげだよ」
『いやぁ、アタシも先輩からの情報を伝えただけッスから、大したことないッスよお!』
その割には声が嬉しそうだ。
「あ、あとお前、吉良真澄にも声かけてたんだな。驚いたぞ。別にいいけど、やるならやるで前もって教えておいてくれよ」
『問題ないッスよ。千春っち達も真澄先輩も優秀だし、どうにかしてくれるって、ボク、信じてましたし。第一、手駒は多い方がいいじゃないスか』
慎重なのか楽天的なのかよく分からない女だ。
実際、結果オーライなので強いことは言えない。
言えないのだけど――懸念材料は別にある。
「でも、これで解決した訳じゃないんだよな……」
真の首謀者は、県議会議員の娘・城ヶ崎望だったのだ。
まだ確証はないが、それ以外に考えられない。
『そこはどうでもよくないッスか?』考え込む俺と対照的に、脇坂は興味がないらしい。『いいじゃないスか。実行犯は捕まったんだし、黒幕がどこの誰だろうと、二度とこんなことは起きませんって』
「どうでもいい――のかな」
「そんな訳ないでしょお?」
いつの間にか和美が背後に立っていた。驚いて振り向くと、そのまま手にしていたスマホを奪われてしまう。
「あ、ちょっと――」
「少し貸して――もしもし、あたし、千春の友人の勝浦と言います」
『あ、和美っちですね! 話は聞いてますよ! 探偵同好会の脇坂日向ッス!』
スピーカーにしてくれたらしい。通話口の脇坂の声が俺にも聞こえてくる。妙に改まった口調の和美に対し、脇坂は第一声からフランク全開だ。
「いきなりごめんなさい。どうしても言いたいことがあって」
『何スかー?』
「今の話、途中から後ろで聞いてたんだけど――やっぱり、城ヶ崎の件はもっと掘り下げるべきだと思う」
『何でですか?』
「ずっと気になってたのよね」表情を変えず、いつもの台詞を口にする。「今回の調査、何から何までうまくいきすぎてる気がするの。調査のプロでも何でもないあたしたちが、たった一日で事件を解決なんてできる訳がない。探偵同好会だか何だか知らないけど、結局はただの高校生でしょう? そこまで簡単に情報を集められる? 色々と、物事がうまく運びすぎてる」
「それはお前の考えすぎじゃ――」
横から口を挟もうとするが、和美に手で制される。黙っていろということらしい。
「アナタ、事件の詳細、被害者女性、及び標的男性の氏素性、本庄一味のデータから犯行のタイミングに至るまで、事細かに情報を提供してくれたわよね? 確かに事件解決には役立ったけど――別の見方をすれば、あたしたちはアナタに誘導されていたとも言える」
「お前、さっきから何を言って――」
「あたしたちはアナタの手駒にすぎなかったってこと。って言うか、アナタ今、はっきりとあたしたちを『手駒』って表現したわよね? あたしたち三人も、演劇部一同も、アナタというプレイヤーの操るチェスの駒――対する本庄たちはどうか。あの人たちも、黒幕である城ヶ崎の手駒にすぎなかった。仲間の話を聞いて標的を選定し、入念な下調べの後、いつ、どのタイミングで犯行を行うか、事細かに指示をして――今回も、勿論そうだったんでしょう。あたしたちと本庄一味は、共に誘導されてあの車両に乗ってたのよ。痴漢冤罪が解決したのは、あたしたちの功績なんかじゃなく、必然。最初からそうなるように仕向けられてたって訳」
少しずつではあるが、和美の言いたいことが分かってきた。制止を無視して、無理矢理に口を挟む。
「要するに、脇坂と城ヶ崎は裏で繋がってた、ってことか?」
「……まあ、今はそういう解釈でも構わないけど」
「思わせぶりな言い方だな……まあいいや。それより、城ヶ崎は本庄一味の黒幕だったんだろ? それが、何で脇坂に協力して自分の仲間売るような真似するんだよ」
「そうね。あたしもそこが一番不可解――ねえ、聞こえてた?」
電話の向こうの脇坂に問いかける。
『聞こえてますよ。和美っち、凄いッスね。ボク、今の今までおっぱいの大きな女ってバカばかりなんだと思ってました』
「……いつの時代の偏見よ」
和美が鼻白んでいるが、重要なのはそこではない。
「お前、和美のことも調べたのか? 俺は確かに和美のことを話したが、体型のことまでは言ってないぞ」
スマホに顔を近づける。対する脇坂は、どこまでも鷹揚な態度。
『調べるまでもないッスよお』
――だって、目の前に見えてるし。
弾かれたように顔を上げた。
線路を挟んで向かいのホームで、細身の少女が手を降っている。この距離でもカチューシャとサイズの合ってない眼鏡が確認できる。脇坂だ。
『やっと目が合ったッスね』
「何で、そこに……」
『急いで来たんじゃないスか。間違えて隣のホームに来ちゃいましたけど』
嘘だ。コイツは、最初から俺たちがこの駅で降りることを知ってて、降りた後もずっとそこで観察してたのだ。そう考えると、着信のタイミングにも納得がいく。騒動が一段落ついて、邪魔者である鳴川が退出するタイミングを狙っていたのだ、コイツは。
「やっぱり、そうだったのね……」
眉間に皺を寄せて、睨み付けている。コイツがこんな険しい表情をするなんて珍しい。それに言っていることも意味不明だ。
「何が『やっぱり』なんだ?」
「ううん――向こうから顔見せてくれるなんて、好都合だと思って、ね……。それより、千春の疑問に答えて。どうして『城ヶ崎望』は、仲間を売るような真似したの」
『新しい遊び考えて色々やらせてみたはいいけど、下準備が大変な割にうまくいかないことが多くて、嫌になったんじゃないスかねぇ……』
瞬間、全身の血流が速度を上げるのを感じた。
何て――身勝手な理屈だ。
「自分がボスなんだから、一言やめろって言えば終わる話だったんじゃないの?」
『いやあ、それじゃあ、つまんないでしょ。エンディングにはそれなりの演出ってものがあるし。馬鹿な連中が蒼ざめてく瞬間が見たかったんじゃないスか?』
最悪だ。
遊びで始めた犯罪を、遊びで終わらせる。
結果、多くの人が傷ついて終わる。
人間のやることでは、ない。
「脇坂はッ!」興奮で声が上擦る。「脇坂は、何でそんな女に協力してんだよ……ッ! お前、探偵じゃなかったのかよ……ッ!」
「千春、違うの」
和美が袖を引く。
「何が違うんだ」
「探偵同好会は存在するし、探偵同好会に脇坂日向という会員は確かに存在する」
だけどね。
と――そこで不意に、固いモノで脇を小突かれる。見れば、ひかるのスマホだった。和美を見ると、ホームの向こうにいる脇坂に視線を送っている。
これで、性別転換をしろと言うことか。
「……何で?」脇坂に聞こえないよう、小声で尋ねる。
「いいから。やってみて」同様に、小声で答える和美。
ここで脇坂を男にしても意味がないと思うのだけど――何か考えがあるのだろう。
俺は構え、名前を呼ぶ。
「脇坂日向」
※
『あれえ? このタイミングで写メッスかあ? やだなあ。撮るならもっと近くでやって下さいよお』
奴の声がひどく遠いところから聞こえる。
スマホを持つ手が、震えている。
これは――どういうことだ?
『エラー:対象者の名前が違います』
シンプルな文言が、俺を地獄へと突き落とす。
名前が、違う?
それなら。
「お前――誰だ」
絞り出すような、声が出た。
TSアプリで性転換を行うには、体の一部分を画角に収めることと、対象者の名前を口頭で言うことが必須だ。名前は名字だけでも下だけでも、肩書きやあだ名でも適用されるらしいが――はっきり違うと断言されたのは初めてだった。
『ええ? いきなり何スか? ボクは脇坂――探偵ッスよ!』
どこまでも鷹揚な声が癪に触る。奥歯を噛み締め、俺は同じ台詞を吐く。
「お前は、誰だ」
だけど、それに答えたのは和美の方だった。
「彼女こそが、城ヶ崎望よ」
愕然とした。
じゃあ。
「脇坂日向ってのは、嘘……?」
「探偵同好会ってのもね。この人は、自分が立てた計画情報をあたし達に流してただけ。きっと、情報収集と情報操作のスペシャリストなんだと思う」
「最初から――全部嘘だったってことか?」
『――もうバレちゃったんですか。つまらないですね』
電話口の向こうから、平坦な声が響く。数メートル先で、彼女はカチューシャを取り、眼鏡を外す。見たこともない少女が、そこに立っていた。
顔立ちは整っているし、頭身も高い。
だけど――纏っている闇が、濃い。
冷気さえ感じさせる禍々しさで、離れた距離にいるこちらまで寒くなるようだ。
「昨日の段階で怪しいと思ったから、千尋さんに調べてもらったのよ」彼女から視線を離さず、和美はそう告げる。「脇坂日向って子は確かに実在する。だけど、彼女は今、家族と北海道旅行に行ってて、この町にはいない筈なの」
そんな。
『また会長ですか。人の邪魔ばかりですね。いなくなればいいのに』
笑顔で薄ら寒いことを言っている。数瞬前までの、無邪気な探偵少女などもうどこにもいない。あれは全て演技で、これが素の城ヶ崎望なのだろう。
『でも、それで私が城ヶ崎望になるという理屈にはならないのでは?』
「これ見て」
彼女の言葉には答えず、和美は俺に、自分のスマホを見せる。
そこに映し出されていたのは、一人の少女。
切れ長の目に通った鼻梁、薄い唇。黒髪は肩まで伸びていて、顔全体が小さく、肢体はすらりと伸びている。
それは、向かいのホームにいる少女、そのものだった。
森で撮影したのだろうか。ギンガムチェックのスカートが背景の緑によく映えている。
「去年の林間学校の写真だって。千尋さん、方々に声かけて人動かして、ようやくこの一枚を見つけ出してくれたの。この人、写真嫌いみたいでね」
『あまり自分の痕跡を残したくないんです』
「カイザー・ソゼ気取りって訳? 規模は随分とはしょぼくなってるけど」
「あんな間抜けと一緒にしないで頂けますか? こっちは警察に捕まったりしないし」
和美の引用が分からないのはいつものことだが、相手はそれにちゃんと対応している。
「要するに――どういうことだ?」
話についていけなくなりそうな俺を気遣い、和美は複雑な話を要約する。
「つまり、さっきの一件は、一から十まであそこにいる城ヶ崎望の掌の上だったって訳。本庄一味はもちろん、あたしたちも、演劇部一同も、全員が城ヶ崎の指示、誘導で動いていた。登場人物で城ヶ崎の支配下になかったのは、本来の標的である増田滋、ただ一人のみ。オーケストラの指揮者みたいなもんよ。あたしたちは全員、楽器奏者にすぎなかったの。本庄一味を作り上げて悪事を働かせていたのが城ヶ崎なら、本庄一味を解体すべく派手なイベントを演出したのも彼女。そのために、今この町にいない脇坂日向に成り済まして、一人二役なんて面倒なことまでしたのよ」
理屈は分かった。
だけど、分からない。
俺は、俺の言葉で率直な疑問を問いかける。
「でも、どうして成り済ましなんか……」
『そんなの、面白いと思ったからに決まってるでしょう。これ、結構似ているんですよ。オリジナルを知らないなら意味はないのかもしれませんが』
何一つ悪びれない城ヶ崎に対し、俺は何も言い返せなくなる。
「どうして脇坂日向を選んだの?」
『これと言った理由はありませんが……強いて言えば、嫌がらせ、でしょうか? あの子、チョロチョロと人の周り嗅ぎ回って、目障りだったので。それに、探偵とか馬鹿なこと言って近づけば、アナタたちのリアクションを真近で観察することもできますし』
「じゃあ、尾行がバレたのも……」思わず呟く。和美の言葉に比べると随分弱い。
『わざとに決まっているでしょう。あんなオナベにバレるほど、こっちも間抜けじゃないですよ』
きっと、この女の目には周囲にいる人間全てが馬鹿に見えているのだろう。
怒りと嫌悪感で、吐き気がする。
「順を追って聞かせて。まず、計画の動機は何。お金や怨恨ではないわよね。アナタには何の得もないもの。やっぱり、面白そうだったから?」
俺では会話にならないと判断したのだろう。和美が質問役を引き継ぐ。
『そりゃそうですよ。ほら、あの子達、馬鹿でしょう? 痴漢に仕立て上げて気に食わない連中に復讐しましょうよって提案したら、簡単に乗っかってくると思ったんです』
「そう? あの人達、けっこう嫌々やってるっぽかったけど?」
『そうなんです。馬鹿が馬鹿っぽい理由でしょうもない復讐するとか、傑作だと思ったんですが――人がせっかく面白いシナリオ用意したって言うのに、そんなのは嫌だとか言い出しまして。何様のつもりなんでしょうね。だから、過去の悪事ばらされたいんですかって、脅したんです。援交とか、美人局とか。まあ、それも私がやらせたんですが』
結局、復讐ですら――逆恨みですらなかったのだ。本庄たちは城ヶ崎のシナリオに沿って、それらしい標的をあてがわれて、嫌々従っていただけ。全ては、この女の悪ふざけ。腹が立つ。この女は、人のことを何だと思っているのだろう。馬鹿だとしか思っていないのだろうけれども。
「友達って意識はないみたいね」
『友達?』
ホームの向こう、城ヶ崎が口に手を当ててクスクス笑っている。
『友達だなんて、まるであの子たちが私と対等みたいじゃないですか。冗談も程々にしてください。あんな、知能も顔面偏差値も低い、品のない貧困層の連中が、この私と対等になれるとでも? いいトコ、おもちゃでしょう。それに、今回の件で退学は確定です。心峰からクズが排除できて、西邑会長も喜んでおられるのでは?』
「――そう」
和美はもう、何も言わない。俺も、口を挟む気にならない。
この女は、駄目だ。
どうやら城ヶ崎望という人間は、人が苦しんだり悩んだりする姿を見て、面白いと感じる人種らしい。その面白さを追求するためなら、何でもする。舎弟を唆して悪事を働かせたり、嗅ぎ回る人間に対して他人に成り済まして近づいたり、その連中を利用して目障りになった舎弟たちを処分させたり――全てを嗅ぎつけた連中の前に、距離を置いて現れたり。
理に合わないし、利にならない。
冗談なのだ。
お遊びなのだ。
昨日の夜、電話口でこの女は『悪気のない悪意は確実に存在する』のだと嘯いていた。生まれつき拗くれた人間は存在するのだ、と。それは、自分自身のことだったのだ。ただ、支配して、操作して、不幸にして、嗤いたいだけ。だから、バレるかどうかは、正直どうでもいいに違いない。実際、脇坂への成り済ましなんかは、確認すればすぐにバレてしまう。バレたところで、本人には一ミリの痛みもない。全ては思いつきの悪ふざけ。全てが露呈したところで、父親が全て揉み消してくれる。だから――この女は、全力で悪趣味な悪ふざけを、ふざけた態度で続けている。
ひかるは、何故こんな女と関わってしまったのだろう。
「……騒動の概要はだいたい分かった。アナタがふざけ半分で起こした事件に、あの子は――ひかるは、食いついてしまった。あたしたちと同じように、脇坂日向の名を騙って近づいたのも、やっぱり面白いとおもったから?」
『そうですね』
「本庄を目撃させて会いに行かせたのも、アナタの思惑通り?」
何故夏休みなのに学園にいたのかも、一つの謎だった。何てことはない。それも城ヶ崎の指示だったのだ。
『そこまで分かってるなら、いちいち確認しなくていいでしょう』
「……最後にこれだけ教えて。アナタは、本庄に何を言わせたの。あの子は、何を見たの」
どうして――ひかるは死んだの。
最後の呟きが、ホームの雑踏に掻き消される。
しかし、城ヶ崎はその言葉を聞き取ったらしく、緊張感のない声を返してくる。
『言っておきますが、あの子が死んだのは私の責任ではありませんよ。流石に、命まではとりません』
どうだか。
確かに、自分の手を汚す真似は絶対にしないだろう。
だが、周到に情報を操作して自殺や事故に追いやるくらいのことは平気でしそうだ。
「質問に答えて。アナタ、ひかるに何したの」
『怖いですね……ちょっとからかっただけですよ』
「からかった?」久しぶりに口を挟む。「俺たちと同じように、本庄たちを潰させようとしたんじゃないのか」
『最初はそのつもりだったんですが――それより、面白いことを思いついてしまったので』
この距離でも、薄ら笑いを浮かべているのが分かる。
黒く、冷たく、見た者を恐怖させる、歪な表情。
「……具体的には、どうやって?」
『わざとしのぶさんを目撃させて会いに行かせたのは、貴女たちの想像した通りです。そこで、こう言わせた。こんな所にいていいの? あたしの仲間が、アンタの大事な人を狙ってるよ――と』
今度こそ、本当に戦慄した。
何を言っているんだ、この女は。
「どういうこと」
『渡辺桂、増田滋、酒井昴、吉良真澄に次ぐ五人目の標的がいて、それがあの子の知り合いだったってことです。標的の行動パターンは調べ抜いてありますから。その人物が電車に乗る時間を見計らって、私はあの子をしのぶさんに会わせてたって訳です。面白かったですよ。あの子、血相変えて駅に走っていきましたからね。影で見ていて、お腹が痛くなったのを憶えています』
「その標的って、誰」
『でも残念。計画は失敗に終わりました。車で先回りして、目の前で大事な人が痴漢で捕まるっていう決定的瞬間を見たかったんですが。吉良さんの時もそうだったんですけど、何であんな失敗してしまったんでしょうか……』
「答えなさい! アナタは誰を痴漢に仕立て上げようとしたの!」
ビリビリと、空気が震える。
『流石に、そのくらいは自分で考えましょうか? 私、語りすぎってくらいに語っっていますよ? この先くらい、自分の頭で考えては?』
「……何でそんなに余裕なの? アナタ、自分の立場分かってる? 本庄たち、今頃アナタにやらされたんだって、口割ってるわよ」
『割るわけないでしょう』
「だから、その自信はどこからくるの?」
『……私があの子たち自身の弱味『だけ』で操ってたって、本気で思ってるんですか? 馬鹿は馬鹿だから、自棄になって自爆テロを起こすこともある。私だって、そんなのは想定済み。だけど、家族を人質に取られてたら、どうでしょう? 『父親が裏帳簿を作成してる』『母親が家庭教師と不倫してる』とか、公にされたら困りますよね?』
「そ、そんなの、高校生に分かる訳が……」
『この城ヶ崎望を下に見ないでもらえますか? 私は、人の弱さ、愚かさ、醜さには絶えずビンビンに網を張ってるんです。常に、『悪意の減りそうな方』に出張って、煽って、増やして、嘲笑ってる。人が人として立っているのに必要な、思想主義主張見栄こだわり誇りプライド沽券矜持面子品格自尊自負、そういうものを徹底的に踏みにじる――私はそういう存在なんです』
急速に、手足の先が冷たくなっていく。
本気で怒ると人はこうなるらしい。
「――神にでもなったつもり」
和美が絞り出すが、もちろん城ヶ崎には通じない。
『神? いいですね。周りのレベルに合わせたら、私は神にでも上り詰めてしまうのかも』
「今回のこと全部、警察に言うわよ。アンタの悪行も全部」
『それが、何ですか?』
「何って……」
『アナタが何言おうが何も変わりませんよ。考えてみなさい。B級私立のオタクと、進学校の学年トップレベルで県議会議員の娘と、どっちの言うことを信用しますか? 仮に末端の人間が馬鹿な判断下したとしても、私のパパが黙っていません。全部一握りです』
どうして。
どうして――そんな台詞が平気で吐けるんだろう。
怒りも不信も不快も嫌悪も恐怖も薄気味悪さも超越して――俺は脱力してしまう。
何故。
何故。
ひかるではなく――この女が、この世に存在しているのだろう。
『……長々と喋りすぎてしまいました。もうこんなとこでいいでしょう。それなりに面白かったです。お友達と西邑会長にも、そう伝えておいてください』
こっちはまだ聞きたいことが残っているのに、勝手に切り上げようとしている。
「ちょっと! まだ話は終わって――」
『私も色々と忙しいんです。残念だけど、これで終わりです』
遠くから列車の走行音が近づいて来る。貨物列車が通過するらしい。
スマホに顔を近付け、何か言おうとして、だけど言えなくて。
『――さようなら』
轟音と共に貨物列車が横切り、城ヶ崎の姿が見えなくなる。
列車が走り去った時、すでに彼女の姿は消えていた。




