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22/27

墜ちていく私たち

千春♀

真♀

和美♀


 この沿線はいつも混んでいる。

 常識的に考えればそんな訳はないのだろうけど、千春の感覚ではそうだ。昨日は、吉良真澄から痴漢冤罪事件のことを聞かされ、その帰りに脇坂と出会い、連続痴漢冤罪事件の詳細を知った。さらにその後、家で和美たちと情報をすり合わせ、ヒロ姉の推理によって朧気ながらも真相らしき部分まで到達した。脇坂の手助けにより、本庄一味のデータも出揃い、そして、今――千春たちは、直接対決へと臨んでいる。


 本庄一味が、今日の午後に動くらしい。


 これもまた、脇坂調べだ。

 タイミングが良すぎる、と和美は言う。千春も、そう思う。まさに、昨日の今日で、という感じだ。展開の性急さは否めない。

 だけど、これが現実なのだから仕方がない。和美が訝しがる気持ちも分かるが、都合が良くて困ることはない。漫画や小説なら「ご都合主義だ」と叩かれるところだろうが、現実なら大歓迎。大団円が早いのに越したことはない。

 大団円――不良グループの悪行を暴き、酒井昴の冤罪を晴らす。

 そして、本庄しのぶから、ひかるの死の真相を聞き出す。

 そのためなら、千春たちは何だってやる。

 危険だと分かっていても、怯むことはない。


 駅に停まり、巨人が呼吸をするように、多くの人間が吐き出され、飲み込まれる。車両の濃度が若干変わり、人も移動する。千春、和美、真の三人は、大きな正三角形を描く陣営で、車内の動向に目を光らせている。喫茶店までは男性だった和美も、今は女性に変わっている。千春がアプリでそうしたのだ。作戦上、全員女性の方が都合がいいからだ。ちなみに、今回もひかるのスマホは和美が握っている。今現在あのアプリをもっとも上手く使いこなしているのはコイツだ。そして、このアプリこそが作戦の鍵を握っている。失敗は許されない。

 ドア近くでポールを掴む真が、目配せをよこす。

 分かっている。さっき乗車した一団の中に、見知った顔がある。

 ソバカス顔の本庄しのぶ。

 ショートカットの立石葵。

 茶髪ボブヘアの大森宇宙。

 金髪ロングの、長谷川尚。

 ――本庄一味だ。

 皆、真剣な顔つきでスマホを片手操作している。何の変哲もない光景だが、恐らくはあれでお互いの意思疎通をはかっているのだろう。

 今回も、吉岡泉水の姿はない。彼女に関連する人物が標的なのだろうか。そう言えば、罪をかぶせたものの、逃げおおせた男性が一人いた筈だ。犯行としては失敗と言える。その男性を再度狙うつもりなのかもしれない。肝心の氏素性が分からないので、こちらとしても何の対策もとれないのが辛いところだが。

 満員の中、一団が緩やかに動きを始める。さりげなく、周囲に怪しまれない程度の速度で、少しずつ円形を形作る。

 その近くには野球帽をかぶった筋肉質な中年男。

 そしてその前には――スキニーデニム、ブルーのカットソーに身を包んだ若い女性。黒のロングヘアは背中まで伸びていて、目元は黒いサングラスで覆われている。端正な顔立ちに加えて完璧なプロポーションで、その立ち姿はまるでモデルのよう。サングラスの下、真っ赤に引かれたルージュからは気の強さが感じられる。

 利用されるのは彼女だろうか。

 隣には眼鏡をかけ、肩からトートバッグを提げた、キャップをかぶった学生らしき女性が文庫本を開いているが、こちらはイマイチ地味な印象。本庄たちの狙いからすれば、こちらのモデル風美女の方が都合がよさそうだ。 


 次の瞬間、本庄一味に緊張が走ったのが分かった。私たちはそれを見逃さない。素早く目配せし、真が一味の近くへと小柄な体を潜り込ませる。ここまでは計画通り。

乗客の影になって見逃さないよう、私と和美は自身の立ち位置を調整する。

本庄は、モデル風美女の真後ろにぴったりと寄り添っている。その横には筋肉質の中年男性。その二人を、立石、大森、長谷川の三人が取り囲んでいる。紛うことなき、痴漢冤罪発動フォーメーションだ。真は小さな体を活かし、ブラインド役の隙間に視線を光らせている。

しばらくして、モデル風美女がもぞもぞと動き出す。

 時々、チラチラと背後を窺っている。


触ってるんだ――と直感で気が付いた。


 真に目で確認すると、深く頷き返してくる。やっている、のサインだ。私はそのまま、和美にアイコンタクトを送る。和美は素早くスマホを取り出し、本庄に向けて例のアプリを発動させる。

ほんじょう、と唇が動いたのが読み取れた。


          ★


「この人、痴漢です!」


 突然の声に、車内は静まり返った。


 女性が、本庄の右手を捻りあげて金切り声を出したのだ。

 目元を覆うサングラスのせいで表情は読み取れない。

 が、しかし、口元が僅かに戦慄いているのが、ここからでも見て取れる。

 怒りと恐怖、羞恥――つまりは、極度の興奮状態。


「この人、私のお尻さわってたんですッ!」


「え!? は!? ……え!?」


 心峰のギンガムチェックに身を包んだソバカスの男子高校生が、目を白黒させている。自分の身に何が起こったのか把握できないのだろう。

 驚いたのは本庄だけではない。その周囲を取り囲んでいた立石、大森、長谷川の三人も同様に固まっている。

 そして――私たちも、そうだった。


 予想外―― 


 ――想定外、だった。


 作戦と違う。

 本来ならば、痴漢を指摘するのは真の役割の筈だったのだ。触られてる当人は斜め後ろにいる中年男性が犯人と思うに違いない。そう思ったから、指摘役を真に据えたのだ。

 もちろん、その直前には和美がアプリで、本庄の性別を反転させる。本庄しのぶは、女子高生から男子高生にジョブチェンジ。女子高生では不自然な痴漢犯罪も、男児高校生ならば周囲に納得させることができる。

 そう思ったのに。


「この変態! 大人しくしなさい!」


 触られてる当人が、正しく指摘してしまうだなんて。

 手を振りほどこうとする本庄を、モデル風美女が力任せに押さえ付ける。眉毛はつり上がり、顔も紅潮している。なかなかキツい印象だったが、実際はそれ以上だったようだ。

「ち、違う! オレじゃない!」

ようやく状況を把握できたのだろう。顔面蒼白になって本庄が叫んでいる。

「嘘ばっかり。じゃあ聞いてみなさいよ! 見た人がいるに決まってるんだから!」

 サングラスのまま辺りを見渡す女性。

 瞬間、本庄の顔に安堵の色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。

 そう――立石たち三人は、そのためにいるのだ。

 周りに壁を作りブラインドにして、目撃者を作らせない。

 ならば、私たちが目撃者になればいい。

 これも作戦の一部だ。そのために、真はその小柄な体をブラインドの間に滑り込ませていた。そして、見た。本庄の手が女性の体に触れるのを確実に見て、私たちに合図を送ったのだ。今ここで私たちの誰かが声をあげれば、本庄の犯行は簡単に立証できる。

 その筈だったのに。


「あたし、見ました」


 声を上げたのは、私でも真でも和美でもなかった。

 本庄の少し後ろに立っていた、事務服に身を包んだおかっぱ頭のOLが、おずおずと手を挙げる。

「その子、確かに触ってました」

「俺も見た」

「僕も」

「私も見ました」

 OLに続けとばかりに、頭にバンダナを巻いた眼鏡で大柄なオタク風青年が、心峰の制服を着た美男美女の高校生カップルが、次々と目撃証言を繰り出す。

「ほら見なさいッ! みんな見たって言ってるじゃないッ! 大人しく自分の罪を認めたらどうなの!?」

 ますます興奮する女性。ここまで目撃証言が出たのでは、もう否定することも難しい。本来は本庄を守らねばならない舎弟たちも、お互いに顔を見合わせて困惑している。

 それにしても――。

 完全に、出番を奪われてしまった。

 作戦では、真が確認し、和美がアプリで性反転、再び真が本庄を糾弾し、そこを私が目撃者としてフォローする、という算段だった。ところが、私たちが出るまでもなく、被害者は自分で犯人を指摘し、目撃者も自然に名乗り出てきてしまった。もちろん、それはそれで構わない――今この場の痴漢騒ぎを解決するだけならば、だ。

 しかし、私たちの最終目的はそこではない。

 本庄一味の過去の悪行を暴露し、自白させ、酒井昴の潔白を晴らす。

 そのためには、やはり私たちが動かねばならない。


「そろそろ本当のことを話したらどうですか」


 こういう時にいち早く行動するのは、真だ。

 本庄とモデル風美女から避けるようにしてできた円形スペースに小柄な身を躍り出し、ツカツカと近づいていく。

「何、アナタ」

「オレは何も……」

 鼻白む女性をスルーし、困惑する本庄に、真はさらに顔を近づける。

「そうよね……アナタは痴漢なんかしていない」

「は?」あっさり前言撤回する真に、本庄がフリーズする。

「アナタがやろうとしていたのは、痴漢冤罪。他人に罪を着せて痴漢に仕立て上げようとしていたの。そうよね――本庄しのぶさん?」

 目を眇め、本庄の顔を下から覗き込む。悪い顔だ。

「何でオレの名前を――」

「アナタだけじゃないですよ。立石葵さん、大森宇宙さん、長谷川尚さん、お仲間のこともばっちり調べてあります。この数週間、アナタ方は結託して何人もの罪のない人間を痴漢に仕立て上げてきた。そうですよね?」

「そ、それは……」

言葉に詰まる本庄。名指しされた面々もお互いに顔を見合わせているが、走行中の電車に逃げ場などない。

「何ソレ!? 女性の体触ったってだけでも許されないのに、それが別の人をはめるためだったってこと!? 信じられない!」

 女性がヒステリックな声を上げる。

 さっきから思っていたことだが――この人、少しうるさい。

 しかし、興奮する女性など意味介さず、真は痴漢冤罪発動のシステムを簡単に説明する。

「そうか……アレはそういうことだったのか……」

真の後ろで、中年男性が呟いている。本来、標的となるはずだった人物だ。


「心当たりがあるんですか――増田さん」


「オレの名前まで知ってるのかい?」

増田と呼ばれた男が怪訝な顔をしている。

「知り合い?」私も怪訝な顔で、人の間を縫って真に近づいていく。

 その瞬間、近くに立っていた文庫本の女子大生がびくりと身を震わせた気がしたが、私はあまり気にもしなかった。

 それよりも、真の言動だ。

 この中年男は、誰。

「わたしのこと、覚えてません?」真は私に一瞥をくれだけで、すぐ男に向き直る。

「ほら、一週間前に鳴川さんのことで――」

「ああ、あの時のお嬢ちゃんか!」

 目を見開く増田。今の言葉で私も思い出した。

 増田滋。

 鳴川翼が所属する草野球チーム『望月ファイブスターズ』のキャプテンを務める、扇町駅前の鮮魚店店主だ。

「それで、『アレはそういうことだったのか』、とは?」

氏素性がはっきりしたところで、話題を元に戻す真。

「いや、オレも一度やられたんだヨ。痴漢に間違われてよ。冗談じゃねえっつって、その時は逃げ出したんだけどな? そういうカラクリだったのか……」

 顔を見合わせる。

 繋がった。

 ずっと正体不明だった二人目の標的――それが、この増田氏だったのだ。

 本庄たちは逃した標的を回収すべく、今日の犯行を思い立ったのだろう。

 ただ、分からないことが一つ。

「増田さん、ここにいる四人に、見覚えは?」

 本庄一味を見回しながら真が訊く。当の本人たちは一斉に顔を背けるが、もう遅い。

「いんやぁ……心峰に知り合いの子いないしなぁ」

「この子はどうです?」

 自分のスマホを突き出し、指差して尋ねている。角度で見えないが、恐らくはこの場にいない吉岡泉水のことを聞いているのだろう。ボスの本庄を除いて、個人的な恨みを果たしてないのは彼女だけだ。

「知らねェけど……」

 増田は知らないと言っているが、本庄たちは揃って目を伏せ、落ち着きのない動作を繰り返している。図星なのは間違いがない。

 個人的な恨みと言っても、所詮は逆恨みだ。当人が気付かなくても、恨みを買うケースは無数にある。預かり知らぬところで吉岡泉水の恨みを買い、標的にされ、二度に渡って痴漢冤罪の餌食にされてしまったのだ。本人は今ひとつ分かってないようだが……。

「なら、質問を変えます。以前痴漢に間違われた時、ここにいる誰かは近くにいましたか?」

 本質を突く質問だが、増田の答えは明瞭だった。

「それは覚えてるヨ。そこの坊やと、そこのお嬢ちゃんは間違いなく、いた」

本庄と立石を指差す。二人は蒼白になって俯いている。

「オレはやってねえ、見てたんなら無実を証明してくれって頼んだのに、見てない、知らないの一点張りで――頭に来たから覚えてんだヨ」

「そのこと、証言してくれます?」

「構わねえよ。わざと痴漢冤罪引き起こすなんざ、人として許しちゃおけねえからな」

 見た目通り、曲がったことは嫌いな性分らしい。

「待って待って。じゃあ何? この子たちは今まで、逆恨みの復讐のために、何の関係もない女性たちの体を触って、故意にその罪を対象者に着せて、自分たちは知らぬ存ぜぬを決め込んでたってこと!? 被害者女性は傷ついて、冤罪を食らった人たちは人生壊されるって言うのに? とんっでもない悪党集団じゃないッ!」

 腰に手を当て、半身を仰け反らせて本庄一味を指差し、金切り声をあげるモデル風美女。ここまでの流れをまとめてくれたのは有り難いが、やはり少しうるさい。ついでに言えば、そのポージングもうるさい。

「あの、少し黙っていてもらえますか。話が進まないので」

 窘める真。初対面の筈なのに、若干語調が強い。

「了解。進めて」

 諌められるやいなや、掌を見せて話を促す。この人、相当なマイペースだな。

「とにかく――今の増田さんの言葉、聞きましたか。有力な証言者の登場。もちろん増田さんの証言だけでは足りないでしょうけど、調べればあなた方が全ての現場に居合わせたという目撃証言は簡単に集まるでしょうね。それより何より、わたしは直接、あなたの犯行を目撃している。全てが白日に晒されるのは時間の問題ですよ」

「観念しなさいッ!」

 さっき諌められたばかりだと言うのに、最後はモデル風美女がおいしいところをもっていく。その一方、問題の本庄一味は皆揃って押し黙っている。さっきまで顔を赤くして抗議していたのに、先程から一言も言葉を発していない。本当に観念したのだろうか。……いや、そんな玉ではないだろう。油断はできない。

 張り詰めた空気の中、車内アナウンスが駅の到着を告げる。


 次は扇町、扇町。


「……到着したら、すぐに駅員さん呼びますから」

 年上だから一応敬語を喋っているが、真の言葉には有無を言わさない迫力がある。突如として現れ、ベラベラと得意になって話す小柄な少女に対し、本庄は俯いたまま上目遣いに睨みつけている。その表情を、私は見逃さない。

 離れた場所にいる和美とアイコンタクト。

 何かが起きるとしたら、ドアが開いた瞬間だ。

 そして、その時はすぐにやって来た。

 ドアが開く瞬間、駆け出す本庄。

 その目の前には真。

 私はすかさず、前に出る。

 視界の隅、スマホを掲げながら私と真の名を続けて呟く和美の姿が見えた。


          ★ ★


 数秒後、本庄は俺に組み敷かれていた。造作もない。簡単に体落としを喰らわせただけだ。必死にもがく本庄を立たせ、ホームに引き摺り下ろす。和美が頭脳担当で真が交渉担当なら、俺は肉体労働担当と言う訳だ。

 念のため、和美は俺と真を男性化させて本庄に対抗させようとしたようだが、そんな必要はなかった。例え女性のままだったとしても勝てるだけの自信は俺にはある。あと、真は男でも女でも荒事がからっきしだから、性反転は本当に意味がなかったと思うぞ? まあ、和美の気遣いは有り難かったが。

「……お兄さん、強いのねえ」

「千春は柔道をやってたからね」

 嘆息するモデル風の隣で、真がにやけている。呑気なもんだ。

 ホームのアスファルトに頬を埋めながら、本庄が呻く。

 押さえる手を緩めるつもりは毛頭ないが、嫌な予感がした。

 和美にアイコンタクト。

 続いて、残された本庄一味に視線をスライド。

 視界の隅、スマホを構えて唇を素早く動かす和美の姿が映る。


          ★ ★ ★


「――葵、宇宙、尚……逃げろッ!」


 オレのことはいいから――。


 断末魔のような絞り上げられた声で、本庄が叫ぶ。

 だけどそれより、和美の方が早かった。

 どうやら、和美も俺と同様のことを感じていたらしい。撮影者でない俺には、誰が性反転させられたかなど認識できない。それでも、スマホの向きや唇の動きでだいたいは分かる。あいつはきっと、立石葵、大森宇宙、長谷川尚の三人を、女性から男性に反転させたのだ。


 何のため? 


 今の俺には、それが分かる。


 やっぱり――女性を肉体的に痛めつけるのは、気が引けるから。


 本庄の言葉にはじかれたように、三人は駆け出す。逃げ出す。

 だけど、そうは問屋が卸さない。

 まず、立石は目撃証言をしてくれた大柄バンダナ眼鏡のオタク風青年に取り押さえられる。

 大森は、キャンキャンうるさいモデル風美女のハイキックでノックアウト。

 唯一、長谷川尚は人混みを避け、ホームの端へと全力ダッシュを開始する。人のいないホーム端――その先の線路に飛び降り、フェンスを跳び越えれば易々と逃走は成功してしまう。

 が――ゆらり、と動く影があった。


 モデル風美女の横に立っていた、女子大生だ。


 肩から提げていたバッグからボールを取り出し、読んでいた文庫本とバッグを投げ捨て、ゆっくりと投球モーションに入る。地味なシャツとパンツ。だけど、その上からも躍動する筋肉が見えるようだった。鞭のように体幹を、肩を、腕をしならせ、その手からボールが高速で放たれる。

 空気を切り裂き、逃げた長谷川の背中に命中する。

 ぐぇ、という、絶命寸前の蛙のような断末魔が、数十メートル離れたこの場所からも聞こえるようだった。


「よかったよ、人のいない方に逃げてくれて」


 温度湿度粘度ゼロでそう言い放つ。この女性は一体……。

 その疑問に答えたのは、意外にも標的とされた増田氏だった。


「鳴川ちゃん……なにやってんだい?」 


 増田氏が呆れた声を出す。

 瞬間、俺は雷に打たれた衝撃を感じる。


 鳴川――翼?


「まったく……増田さんがいるなんて聞いてないんだけどな」言いながら、キャップと眼鏡を同時に外す女子大生。キャップに押し込められていたポニーテールと、特徴的な三白眼が顔を出す。「ホント、こいつらといるとろくなことない」

「鳴川さん!? 何してるんですかこんな所で!?」

 俺の朴訥な問いに、鳴川はいつもより湿度ましましな視線で応える。

「呼ばれたんだよ――ここの、馬鹿に」

 視線を平行移動移動させた先には、例のモデル風美女。

「ふ――」

 対する女性は、鼻から息を吐き、右足を前に出し、大きく胸を張る。


「ふっはっはっは――そうだ、私だッ!」


 サングラスを外し、ずるりと頭皮を――黒髪ロングヘア―のカツラを剥がす。

 そこに現れたのは、紺碧の瞳と金髪のソフトモヒカン。

「え……」

「うわ……」

「はあ……」

「なッ! んな――ッ」

 驚愕する俺と、呆れる真、和美。

 そして、震える立石葵。


「ある時は哀れな痴漢冤罪者、

 またある時は気丈な痴漢被害者、

 そしてその実態は――

 二十一世紀に蘇った二十面相、

 真の表現者にして孤高の大女優――

 覚悟が勝利を呼び込むのなら、

 勝者は常にッ、

 この吉良真澄だァァァァーッ!」


 身をくねらせ、腰骨を突きだし虚空を指差して、大見得を切る。

「全く、君たちの節穴アイズには呆れたね。この私がこれだけ前に出ていると言うのに、何も気が付かないんだから。百歩譲って、付き合いの浅い千春たちは仕方ないにしても――」

 葵――と、色気を孕んだ瞳を、彼に向ける。

「君まで私に気が付かないとは、少し寂しかったぞ」

 対する立石葵は、唇を噛んで視線をそらせるのみ。口も利きたくないらしい。

「……まあ、それだけ私の変装が優れていた、ということなんだろうがね」

「真澄さん、なんでここに……」

 言葉が途切れたのを見計らって、おずおずと質問する。

「この吉良真澄が、モテるためやチヤホヤされるために演劇部部長を務めているとでも思ったのかい? 舐めちゃあいけない。ここは舞台ッ! そう、私は女優ッ! 必要とあらば、何にでも化けてみせようぞッ!」

「答えになってません。何故真澄さんが、痴漢被害者を演じているかを聞いてるんです。おまけに鳴川さんまで――変装してるんですから、偶然乗り合わせた、って訳じゃありませんよね?」

「被害者を演じていたとはご挨拶だな。実際に私は触られたんだがな――まあいい。質問の答えは、君たちと同じだ。私も、あの探偵少女に連絡を受けたんだよ」

「脇坂に?」

「ああ、この時間この車両で本庄たちが動く。せっかくだからその現場を押さえて一網打尽にしてやりませんかと言われた訳だ。私も乗りかかった船だし、何より酒井さんの件もある。いてもたってもいられなくて、こうして自ら囮役を買って出たという訳さ」

 結局のところ、彼女も私たちと全く同じ経緯で今回の捕物劇に臨んでいたらしい。

 真澄は目を眇め、アスファルトに押し付けられたままの本庄を見下ろす。

「しかし、どんな仕掛けかと思いきや、まさか自分が触っておいて、その罪をターゲットになすりつけていただけとはね――こんな簡単な手に、どうして今まで誰も気付かなかったんだろう」

 それは違う。

 この犯行の肝は、女子高生が痴漢を働く訳がないという先入観を逆手にとった心理トリックなのだ。ただ、実行犯である本庄が和美に男性化させられてしまったために、その肝の部分が分からなくなってしまったのであって――と、そこまで考え、やはり違わないのか、と思い直す。

 今この世界では、この場にいない吉岡和泉を除いた四人全員が男性化されてしまっている。アプリを使ったのは和美なので、私の主観でも本庄、立石、大森、長谷川の四人はずっと男性だったという認識だ。

 そう、この四人はずっと男性だったのだ、この世界では。

 つまり、真澄の指摘は正しい。本庄たちは、まさに真澄が言った通りのトリックとも言えないトリックで、皆を欺いてきた。性差を逆手にとった心理トリックなど、この世界ではもうどこにも存在しないのだ。

 考えを巡らせる私をよそに、真澄は話題を自分たちのことに転じる。

「で、まあ、そっちがチーム組んで悪行三昧というならば、こちらもチームを組んで対抗してやろうと思った訳だ」

「チーム? 鳴川さんのことですか?」

「翼はただのボールぶつけ要員だよ。チームの一員であることに違いはないけどね」

「その要員、いるのかな」

 隣で当の鳴川がブツクサ言っている。


「と言うか、気付いてなかったんだ」


 思わぬところから声がした。

 円形に取り巻くギャラリーの一角、事務員服の女性。最初に目撃証言をしてくれたおかっぱ頭のOLだ。

「変装、自信なかったんだけどね」

言いながらおかっぱのカツラを外す。その下から出てきたのは、外ハネが特徴的な茶髪。

「あ……あーっ!」

そこには、演劇部副部長にして役者兼広報を務める、大谷倫生が立っていた。

「気付いてくれたみたいね」苦笑混じりで髪を整えている。

「ついでに言うと、こっちも」

 顎でしゃくる先、大柄なオタク男が苦笑しながら頭に巻いたバンダナと眼鏡を外す。そこに現れたのは、役者兼大道具の堂島比呂。

「じゃあ、そこの二人は……」

 ここまで来れば、いくら鈍感な俺でも分かる。

 三番目に証言してくれた、心峰の高校生カップル――この二人は、一年生の立花歩夢と新井自由だ。ただ、今の立花は女装して色白の美少女へと、新井は女装を解いて中性的なイケメン高校生へと変貌している。部室にいる時と見た目の性別が逆転しているため、気付けなかったのだ。

 新井はVサインをし、立花はぺこりと頭を下げる。

 この連中は――そうだ。まごうことなき、変人集団だ。

 変人集団の長が、前に出て更に声を張る。

「察しの通り、先程目撃証言をしてくれた四人は全員、ウチの部の人間だ。私自ら囮となり、部員が証言して追い詰める。万が一逃げ出そうものなら、翼が豪速球でドスン! という寸法だ」

「人のこと、猿蟹合戦の臼みたいに言うのやめてもらえるかな……」

 鳴川のぼやき節なんて意に介さない。吉良一座公演も、ここがクライマックスらしい。

「全員グル、予定調和の茶番劇だと我々を非難するか? だがそんな資格は貴様らにはなーい! 貴様らはこれまで、その逆恨みで多くの男性の人生を狂わせ、また全く無関係の女性を多く傷つけてきた!」真澄のは逆恨みではないと思ったが、黙っておく。「今日だって、私の体に触ったのは揺るぎない事実! この吉良真澄を敵に回したことをあの世で後悔しろッ! そして、傷つけた全ての人々に、貴様は地獄で詫び続けろォォォーッ!」

「命とるのは勘弁してください」暴走を見兼ねた和美が割って入る。「まあ、大部分は同じ感想ですけどね」

「悪いな。我々だけで片をつけるつもりが、結果的に君たちにも協力してもらう形になった。特に、そちらの彼は大活躍だったな!」

 真、無言で俺の後ろに隠れる。さっきまで意気揚々だったのに、真澄が正体を現した途端にこれだ。未だに苦手意識は抜けないらしい。

 その隙を見て前に出たのは、和美だ。

「真澄さん、さっき、今回の情報は脇坂からもらったって言ってましたけど――」

 そこまで言いかけたところで、改札へと伸びる階段から何人かの駅員がやってくるのが目に入る。とてつもなく長い時間が経った気がしていたが、実は列車が到着してからまだ数分しか経過していないのだ。

「さあ立て。続きは駅員室でだ」

 真澄の言葉に、俺は本庄をその場に立たす。もう抵抗はしない。と言うより、体落としを喰らったうえに高温に熱せられたコンクリートに押しつけられて、もう体力が残っていないのかもしれない。

「無論、貴様らも、だ」

 残りの三人に顔を向ける。因縁のある立石とは、お互い目を合わせない。さっきは勢い任せに声をかけたが、本当は内心気まずいに違いない。

「ちょ……ちょっと待ってくれ」

 ずっと沈黙を守っていた本庄が、ヨロヨロと前に出る。思わず身構えたが、逃げ出す気はないらしい。

「何だ、この期に及んで、まだ弁解の余地があるとでも?」

「違うんだ。オレがやったことは認める。今回のこれは、オレがやったことだ」

「じゃあ――」

「と言うか」真澄の言葉を遮り、本庄は一旦声を張り、ごくりと生唾を飲み込む。

「全部、オレが一人でやったことだ。。こいつらは関係ない」

「はァ?」

 本庄が放った意外な言葉に、その場の誰もが巨大な疑問符を浮かべる。

 そしてそれは、立石たち三人も同様だったらしい。

「しのぶ、何言ってんだよ……」

 何が何だか分からない、といった表情で長谷川尚が呟く。

「お前らは関係ない。そうだよな? 今日は、たまたま同じ車両に乗り合わせただけだよな?」

 必死の形相で立石たちに尋ねている。その凶相のせいで威圧しているようにも見えるが――実際は懇願しているのだろう。

「あのなあ……三人がブラインド役している所を、何人もの人間が目撃しているんだぞ? 今日だけじゃない、過去の事件でもだ。それに、標的とされた被害者男性たちとの因縁だって、さっきそこの彼が語ってくれたじゃないか」

 俺の背後で真がコクコク頷いているのが、気配として伝わってくる。

 立石葵は吉良真澄に手ひどい振られ方をしていた。

 大森宇宙は渡辺桂のコンビニをクビになっていた。

 長谷川尚は電車で酒井昴に厳しく注意されていた。

 恐らく、吉岡泉水は増田滋と何かあったのだろう。

 言い逃れは、できない筈だ。

「だから……それは、オレが無理矢理やらせたんだよ。オレがやれって言ったら、こいつらは絶対逆らえない。だから――」

「おいおいおいおい、無関係って言ったり強制したって言ったり、ブレブレだな。話にならない。続きは駅員室で聞こう」

 本庄は尚も食い下がろうとするが、駆けつけたばかりの駅員に連れて行かれてしまう。もちろん、他の三人も同様だ。当事者である真澄や、事態を把握している真もそれに続く。

 これで、一連の騒動は解決した。

 それなのに――。

 何故、こんなにも胸がモヤモヤするのだろう。

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