減りそうな方
千春♀
真♀
和美♂
千尋♀
家に到着したのは四時過ぎだった。扉を開けた瞬間に襲いかかる冷気に、体が軽くなる錯覚を感じる。リビングへ進めば、かき氷をつつく真と和美の姿。その横では、ヒロ姉がタンクトップにハーフパンツで大イビキをかいている。人が汗だくで情報収集してきたのに、何とも快適そうだ。
「おかえり」
「遅かったねえ」
顔も見ずに声をかけてくる二人。器一杯に盛った氷をいかにこぼさずにすくい取るか、躍起になっているらしい。
「……何で二人がいるの?」
「わたしたち、目撃証言の方を当たるって言わなかったっけ?」
スプーンをくわえたまま真が答える。
「目撃証言を当たっている筈の二人が、何で町田家でかき氷食べてるのかって、私はそう聞いてるんだけど」
「だからさあ」
ちらりと横を見る和美。そこには丸めたタオルケットを抱き枕にしてヨダレを垂らすヒロ姉の姿。色々と酷いな、この人。
「最初に真が集めてくれた目撃証言の中で、まだ拾えてないのがあったでしょ?」
言われなくても分かっている。ヒロ姉のホームである心峰学園で、アイツは誰かと言い争いをしていた――その証言だけが、未だ宙に浮いている。
「それに関しては、生徒会長である千尋さんに動いてもらったんだ」
「厳密にはヒロ姉の後輩に、だけどね」
それの進捗状況については、以前聞いたことがある。
「何よ、アンタら、目撃証言を当たるって――ヒロ姉に話を聞きに来ただけなの!?」
「わたしは聞き込みしてたよ。ひかるの目撃証言とか、色々とね。で、さっき来たとこ。和美はずっとここにいたみたいだけど」
「人には向き不向きがあるってことだよお」悪びれもせず、和美は答える。「いや、おれだって、無駄に涼んでた訳じゃないよ? 千尋さんの話を聞きながら、考えをまとめてたんだから」
「聞かせてよ、その考えを」
「もちろん、そのつもりだよ――まず、重要なのはその日付だ。この情報、真が頑張って目撃者から聞き出してくれたんだけどさ、ひかるがその人物と口論していたの、いつだと思う?」
「勿体ぶるの、悪い癖」
「八月七日なのっ! その日の午後に、あの子は心峰学園にいたみたいなんだよねっ!」
勢い込んで真が答えるが、私の思考はフリーズしてしまう。
「七日って――」
「うん、ひかるが自殺した当日」
厳密に言うとアイツが首を吊ったのは日付が変わった未明なのだが、細かいことはどうでもいい。
「じゃあ、その口論が、自殺のきっかけになったかもしれないってこと……?」
「その可能性は、ある」
「相手は誰!?」
真からバトンを受け取る形で、和美が私の質問に答える。
「――まずは、これを見てほしい」
タン、とフローリングの上に自らのスマホを置き、差し出す。
そこには、少女の顔写真が映し出されていた。
心峰の制服に身を包んだ、バストショットだ。生徒手帳に使われている写真だろうか。笑顔を見せることもハンドサインを見せることもなく、ただじっと前を見据えている。
真ん中分けの髪は肩まで伸び、鼻は低く、唇は薄い。ソバカスが特徴的で、一重の目はやや鋭い。決して美人とは言えない面相だが、目付きのせいかやけに威圧感がある。
「本庄しのぶ――心峰学園二年八組の生徒」
「この人が?」
「――ひかるの、口論相手」
思わず、佇まいを直す。
「誰が相手か自体は割とすぐ分かったみたい。ひかる自身が目立つ人間ってのもあるけど――この本庄しのぶも、校内ではある種、名の知られた存在らしくてね」
神妙な声音で、言葉を選びながら真はそう言う。珍しい表情だ。視線を移すと、大の字で寝ているヒロ姉の姿。こちらは通常営業。
「はっきり言って、成績はあまりよくない。下の上ってとこらしい。高校で落ちこぼれたんだろうね。まあ、そんなことはどうでもいい。問題は、彼女の素行にある」
「スケバンってこと?」
「――その単語、二十一世紀になって初めて聞いたねえ」
思わず口元を綻ばせる和美だが、すぐに引き締める。
「や、そうじゃなくて――表向きは割と真面目らしいんだよねえ。タバコとかケンカとか、そういう分かりやすい不良ではないんだ」
不良であることは確からしい。
「授業もちゃんと出ているし、目立った問題行動もない――表向きはね」
「裏がある、ってこと?」
「その通り。確証はないけど、何かと黒い噂が絶えない」
「例えば?」
「一年の時、一部の生徒が援交を行っているという噂が流れたことがある。ネットで親父を釣り、売春活動をしていた訳だ。その元締めが、彼女なんじゃないかと噂されている」
「援交って――」
言葉を失った。
「言い方は悪いけど、体の関係を持つのならまだいい方でね。シャワーを浴びてる間に社員証を取り上げ、恐喝まがいのことをする悪質な奴もいたらしい。美人局の真似事とかね」
「女子高生が?」
「いやあ、女子高生でも大人数でやってきたら、立ち向かう術はないよねえ。徒党を組んだ女ってのは、屈強な一人の男よりもよっぽど恐ろしい」
そんな経験もないだろうに、妙に達観したことを言う。それより、今の説明で気になったことが一つ。
「……その本庄って人には、仲間がいるの?」
「仲間と呼べるかどうか疑問だけど、校内に一派を形成しているのは確か。で、実際に動くのは下の人間たち。家来と言うか、舎弟と言うか――恐怖で支配して逆らえないようにしているって話」
それは、確かに仲間とは言えない。進学校が聞いて呆れる。
「でも――そんな悪いコトしてるんだったら、何で学校側は何も言わないの。いや、エンコーとかツツモタセとかなら、警察が動かなきゃおかしいでしょ」
「確証がないんだってば。証拠を残さないの。今言ったのは、全部噂の範疇。怪しいってだけで、実際に本庄しのぶが黒幕だっていう証拠なんて、どこにもないんだよ」
「普通、調べるでしょ。調べて証拠を挙げるモノじゃないの。警察は何やってるの」
そういう柄でもないのに、思わず警察批判めいたことを口にしてしまう。
「そこがまた問題なんだけどねえ……」
頭を掻き、溜息を吐く。
「本庄には何人もの舎弟がいるって話したでしょう。その中に、舎弟や家来じゃなく、対等な親友として付き合っている人間が一人、いるんだよね」
――名前は城ヶ崎望。
「県議会議員、城ヶ崎薫の一人娘だ」
そうきたか。
「本庄たちは悪事がバレそうになると、城ヶ崎の父親を通して学校や警察に圧力をかけ、詮索や捜査を妨害してたんだ。だからこそ、今まで好き勝手にやってこれたんだろうねえ」
「それで、ひかるとの口論の内容は?」
目撃証言担当の真が答えるが、浮かない表情だ。
「それなんだけどねえ……流石に聞き耳を立ててた訳じゃないから、詳しいことまでは分からないんだそうだよ」
「そんな……」
そこが大切なのに。落胆する私に対し、和美はニヤリと笑いかける。
「それに関しては、千春の方が分かってるんじゃないの?」
「……は?」
意味が分からない。ヒロ姉や和美に分からないことが、どうして私なんかに分かると言うんだ。私はエスパーじゃない。
「何言ってるの?」
「……千春さあ、迷路があって、それを二人で解かなきゃいけなくなった時、一番手っ取り早い方法って、何か知ってる?」
「話が飛んだね」
「飛んでないよ。答えは、一人は入り口から、もう一人は出口から攻略するって方法だ。そうすれば、いつか二人は迷路の真ん中で出会える筈でしょう? 二人一緒に入り口から出口まで向かうより、よっぽど早いって寸法だ」
床をトントンと叩きながら丁寧に説明しているが、私にはまだピンと来ない。
「今回、おれたちは二手に分かれて調査を行ったよねえ? おれと真は最後の目撃証言を頼りに、本庄しのぶって人間に辿り着いた。千春の方はどうなの? 鳴川翼から立花歩夢、吉良真澄へと渡り歩いて、結局どこに辿り着いたの?」
和美の言葉が、ジワジワと脳に染み込んでいく。そしてその意味を理解した時、頭の中で、カチリと何かが繋がった音がした。
「あ……」
「おれたちは、もう出会ってるんじゃないのかな?」
そうだ。そうなのだ。何故今まで気が付かなかったんだろう。中年男を恐喝するソバカスの女子高生――あの人物像に、ピタリと当てはまるではないか。
「今日一日何を調べたか、教えてよ」
真が真剣な表情を見せるが、言われるまでもなかった。真澄が受けた災難や、あの沿線で起きてる連続痴漢騒ぎ、そして脇坂から聞いた調査結果などを聞かせる。
「なるほどねえ」開口一番、和美はそう呟く。「痴漢冤罪とは思いもよらなかったな。それも、あの吉良真澄が被害に遭ってたとはねえ……」
「その時の女子高生って――」
「十中八九、本庄しのぶだろうね」
「いやいや、十中十、そうでしょうよ。他に考えられないもの」
真の言う通りだ。真澄を痴漢に仕立て上げようとしたのは、本庄しのぶだった。真澄は中年オヤジではないし、金品を巻き上げるのが目的ではないだろうが、その一点は間違いがない。『ソバカス顔の目付きの悪い女』という真澄の証言ともピタリ一致する。
「ううん……でもねえ……」
確信する私と真に対し、和美は何だか煮え切らない態度だ。せっかく迷路の真ん中で出会えたと言うのに。
「何か引っ掛かる訳?」
「そうだねえ――その脇坂って子の推理によると、本庄はネットで集めた全くの他人と計画を練り、実行したってことになるよね? 自分には思い通りになる舎弟が何人もいるのに、何故わざわざそんな真似をしたんだろう?」
「自分と繋がりのない人間を被害者役にした方が、計画がバレにくいと考えたんでしょ」
「いやあ、それはどうだろう」首を傾げ、腕を組む。「繋がりがないってことは、それだけ信用できないってことでもあるんだよ? 心峰の生徒じゃないなら、お得意の恐怖政治も効果がない。誰か一人がミスって、口を割ったら終わりじゃない?」
「そこまで考えてなかったってことじゃないの」真の説明にも、納得がいかない様子だ。
「何かしっくり来ないんだよねえ。回りくどくてリスキーな割に、杜撰というか、詰めが甘いというか……」
考え込んでいるが、私は和美の考えすぎだと思う。所詮は落ちこぼれヤンキーの練った計画だ。それほど完成度が高いとは思えない。
だけど、そんな私の考えを一蹴する声。
「――たぶん、スタート地点が間違ってるんじゃないかな」
視線を転じると、大の字に寝転がったままのヒロ姉と目が合う。いつもの半目だ。
「起きてたの?」
「ずっとね」
「――どういう意味なんですか? スタート地点が間違ってるって」身を乗り出す和美。「脇坂日向の推理が間違ってるってことですか?」
「日向ちゃんの? まあ、結論から言うとそうなるかな……」
言葉尻があくびにかき消される。緊張感が足りない。
「千尋さん、脇坂日向って人のこと知ってるんですか?」
真は違うところが引っ掛かったらしい。
「ん? まあ、なかなか目立つ子だからね。サイズの合わない眼鏡かけた、おでこ全開にしたボクッ子探偵少女でしょ? 何度か話したことあるわよ。ちょっと変わった子だよねえ」
ヒロ姉に言われてはおしまいだ。
「ボクっ子女子高生探偵とはね。ここに来て新しいジャンルキャラの登場だ」
相変わらずよく分からないことをいう和美。『ボクっ子女子高生探偵』とか、そんなジャンルが存在すること自体初耳だ。
――なんて、そんなことどうでもよくて。
「あの、話を戻してもらっていいですか」
変人とオタクの軽口から軌道修正するのは真だ。
「だからさ、今回の痴漢騒ぎに当たって、千春たちは被害者女性を疑ってる訳よね? 私怨を晴らすための組織ぐるみの犯行じゃないかって」
「それが脇坂の推理だね。一応、筋は通ってると思うけど」
「……どうかな。そこまでしてカモフラージュしたところで、結局は表に出ちゃってる訳じゃない。被害者女性は皆、顔と氏素性が割れてしまっている。逃げ出した本庄さんにしても、こうしてあっさり身許がバレてる訳だし」
ヒロ姉に言われると、そんな気もしてくる。
「じゃあ、ヒロ姉はどう思うの?」
「容疑者男性は触ってないと言っている。被害者女性は、触られたと言っている。両者の言い分が食い違っているために、話がややこしくなっているんだよね? そして、ひかるちゃんや千春は、夫の無実を信じる酒井広海さんに同情して、男性陣を信じる道を選んだ。結果、被害者女性の狂言ではないかという結論に至った、と」
「その通りだけど?」
「男性陣も女性陣も、本当のことを言っているとしたら、どう?」
どう、と言われても。
「……あり得ないでしょ」
「そうですよ千尋さん。四件の事件のどれも、被害者女性の近くには容疑者男性しかいなかったって話じゃないですか」
和美が加勢してくれる。それが事実なのだから当然だ。
満員電車の痴漢では、時々触られた女性が犯人を誤認するケースがあると聞く。しかし、それは周囲に複数人の男性がいる時に限った場合だ。今回のどれにも当てはまらない。
「でも、心峰の女子学生はたくさんいた。当事者二人を取り囲むようにしていたからこそ、目撃証言も出なかった。少なくとも、酒井昴さんや真澄ちゃんの件ではそうよね?」
「そうだけど……」
「ほら、容疑者なんて無数にいるじゃない。女性の体を触るのは男性だけ――そんなの誰が決めた? 関係者の誰もが勝手な思い込みで容疑者のリストから外しちゃってるけど、真犯人は被害者女性のすぐ近くにいた人間なんじゃないの?」
「――女子高生が痴漢したって言うの!? そんな馬鹿な!」
「馬鹿なもんですか。よく考えてみなさいよ。標的の男性を痴漢に仕立て上げるのが目的なんだから、別に触った人間が男である必要はないのよ。むしろ、絶対に疑われないためには、女性であるということが最大の隠れ蓑になる」
「……でも、気付くでしょう。自分を触ってるのが誰なのかくらい」
絶句していた真が、おずおずと口を挟む。
「気付かない。想像してみて。満員電車に乗ってて、突然お尻を触られたら、どう思う? 恐怖、羞恥、怒り――沸き起こる感情は様々でしょうけど、いずれにせよ冷静ではいられないわよね? 警察に突き出してやろうと後ろを見れば、そこにいる男性は一人だけ。百人いたら百人、その男性が触ったんだと思うわよ。実際には斜め後ろにいた女子高生が触ってたんだとしても、ね」
体を触られたという非常事態では、確かに冷静な判断は下せないのかもしれない。
「見られてたら、一発アウトですが」
和美も反論する。
「そのために周囲を複数人で取り囲んで、ブラインドにしたんでしょう。触る人間も含めて四人もいれば充分かな? 本庄さんには多くの舎弟がいたって話だから、きっとその子たちが協力者になったんだと思う。いくら探したって目撃者は現れないわよ」
広海さんの頑張りは徒労ということか。やるせない。
落ち込む私の横で、和美は尚も質問の手を緩めない。
「触られた女性は、狂言でもでっち上げでもなく、本当に被害者だったってことですか」
「利用されたのね。被害者女性がその場にいたのは偶然。だけど、容疑者男性がそこにいたのは必然。近くにその男性がいたのを含めて、計画だったんだと思う。順を追って整理しましょうか」
一旦キッチンに行って仕切り直し。持って来たのはもちろん氷菓だ。
「計画も実行も、全ては本庄さん一味の仕業。メンバーそれぞれに復讐したい相手がいて、リーダーの本庄さんがそれをまとめ上げたのね。まずは、標的男性の行動パターンを調べ、何時頃に電車に乗るかを把握。実行当日は四人のグループで連れだって電車に乗る。この時は、全員心峰の制服を着用。その理由は二つあって、周囲に溶け込むってのが一つと、スカートで女性を強調するのがもう一つ。この計画は、何と言っても女性であるということが最大のポイントなんだからね」
心峰のギンガムチェックにそんな意味があったなんて。
「もちろん、標的男性に恨みを抱く人間は当日参加しない。関わりのない人間だけで電車に乗り込み、標的の男性の近くに女性がいることを確認して、接触開始。二人の周りをぐるりと取り囲んで、実行役の子がさり気なく女性のお尻を触る。女性は近くにいた男性がやったと勘違いし、声を上げる。本当に触った子、ブラインド役となった子は関係者にすらならず、目撃証言も出てこない――大まかだけど、こんな流れだったんじゃないかな」
「あの、いくつかツッコミ所が」
間髪入れずに和美の追及が始まる。
「そんな都合よく、近くに女性がいますかねえ? 仮にいたとしても声を上げるとは限らないですし」
「チャンスは一回じゃないもの。夏休みで時間にも余裕がある。何度も機会を窺ってたんじゃないかな。女性が声を出すかどうかについてもそう。気の強そうな女性を狙ってるんだろうけど、そう思い通りにはいかないでしょうね。多分、声を上げる女性が現れるまで、何度も繰り返してたんだと思う」
ゾッとした。
憎い相手を痴漢に仕立て上げるためだけに、何人もの女性を怯えさせていたということか。実際に触ったのが女子高生だろうが、当の本人はそんなこと知らない。同性が泣き寝入りしても、何も感じないのか。
「最悪の場合、本庄一味の子が代わりに声を上げるって手もあるけど、極力、目立つことは避けたいだろうしね……」
「そこですよ。吉良真澄の件はどうなんですか。本庄しのぶ自身が被害者役になってますけど、これだと千尋さんの説と矛盾しませんか?」
横で聞いていた真も負けじと反論する。
「あの子の場合は特殊なケースよ。いい? この計画は女の子が触り、男の人に罪を着せるってところが肝なの。ここで言う『男の人』と言うのは見た目の話ね。ところが、真澄ちゃんはどう?」
思わず顔を見合わせた。
「どうって――それこそ、見た目は男性じゃないですか」
「大事なことを忘れてる。あの子、今でこそ男装女子だけど、痴漢を疑われた段階ではどうだった?」
「あっ……」
迂闊だった。
「女装男子だったわよね。ひかるちゃんが罪を晴らすために、TSアプリで男装女子にしたことを忘れちゃ駄目。そしたら、どうなる? 見た目は、女性。それじゃあこのトリックは使えない。だからこそ、本庄一味の誰かが被害者役を演じる必要があったってこと」
真澄が痴漢だと間違われた時点でおかしいと思うべきだったのだ。ひかるがアプリで真澄の無実を証明したことまでは分かってたのに……。
「でも――でもですよ? それでも、本庄自身が被害者役を演じたのっておかしくないですか? 一味のボスなんでしょう?」
「それ」食べ終えたアイスの棒で和美を指す。「私もそこが引っ掛かってた。それこそ舎弟にやらせるべき役割を、何故本庄さん自身が演じたのか――きっと、何かがある」
何か、とは何だろう。ヒロ姉の頭の中にはすでに漠然とした方程式が出来上がっているんだろう。あとはそこに数値を代入するだけなんだろうけれど。
「いずれにせよ、今私が言えるのはこのくらいかなあ。もちろん、それもこれも全部想像で、証拠なんて何もないんだけどさ」
「単純に情報不足なんでしょうねえ」
和美の声は間延びこそしているが、その実、決意に満ちている。明日、本格始動だ。
本庄一味の悪事を暴けるのは、私たちしかいない。
それにひかるの足取りも気になる。自殺の前日、本庄と口論していたという目撃証言は、何だったのか。これに関しては、ある人物に意見を聞く必要があるだろう。
例の、探偵少女だ。
『へええ、千春っちって、あの西邑会長の従姉妹だったんスねー。世間は狭いなあ』
手にしたスマホから、脇坂の能天気な声が溢れてくる。
先程の会議から、すでに二時間が経過していた。私はひかるの情報を聞き出すべく、夕方に別れたばかりの脇坂日向に連絡をとる。この探偵少女はひかると行動を共にしていたらしいから、何か知ってるのではと踏んだのだ。
もちろん、聞き出すだけでは悪いので、こちらの情報も流す。ギブアンドテイクだ。
本庄しのぶのこと、そして、ヒロ姉の推理――
脇坂は、ヒロ姉と私の関係性の方に興味を持ったようだった。
『そっかあ……。千春っちには西邑会長がついてるんスねえ……。そりゃ心強い』
「ずっと気になってたんだけど、タメ口でいいよ? 同学年なんだからさ」
『あ、口癖みたいなもんスから、気にしないで下さい』
そう言われてしまうと、これ以上強くも言えないのだけれど。
『それにしても、本庄センパイが黒幕ッスか……これは、なかなかにヘビーッスね』
唐突に話が戻る。
「やっぱり、一年の間でも有名なの?」
『そうでもないッスよ。単にボクが探偵同好会だからじゃないッスかね』軽い調子で脇坂はそう言う。『悪い噂が絶えないんで、マークしてたんスよ。まさか、この痴漢騒動まで本庄センパイ絡みとは思いませんでしたけど』
「何か、舎弟がたくさんいるって聞いたけど」
『舎弟!? いつの時代のヤンキー漫画ッスか!?』
電話の向こうで、ケラケラと笑っている。和美が言った単語なのに。理不尽だ。
『……時代錯誤な単語はともかく、そういう人間が多くいるのは確かッスね。どうも、弱味を握って逆らえないようにしてるって話デス。そのくせ、実際に悪さをさせるのはその舎弟たちで、自分は表に出ようとしない。恐ろしい人ですよ』
「でも、真澄さんの時は被害者役だったんだよね……何でだろ」
『それ、確かなんスか?』
その辺りは抜かりない。
「さっき真澄さんに画像送って確認した。間違いなくこの女だって」
『ふうん……何か、事情があるんですかね』
その事情を知りたいのだけど、それを脇坂相手に言っても始まらない。探偵としては優秀なようだが、現時点では何とも言えないのだろう。
話を戻す。
「県議会議員の娘がいるって聞いたけど」
『城ヶ崎センパイのことッスね。あの人は力もあるし成績もいいしで、本庄センパイも一目置いてるっぽいですけど』
「そんなお嬢様が、何で本庄みたいのと付き合ってるの?」
『そこまでは。ただ、最近のお嬢様は過激ですからねえ。遊び感覚なんだと思いますよ?』
遊び感覚。
スッと、体温が下がっていくのを感じる。遊びで、人の人生を滅茶苦茶にしてるのか。
「……許せない」
思いの丈が、思わず口をついて出る。
「何の不満があって、そんなことするんだろ。考えられない。家庭環境が複雑とか、そういうことかな……」
お嬢様にはお嬢様の鬱屈があるのかもしれない。ありそうな話だ。
『千春っちは、いい子なんデスね……』
唐突な台詞に、私は虚を突かれる。
「……いきなり、何?」
『千春っちは性善説を信じすぎてるんスすよ。良心や共感能力が欠如してるからって、それですぐ家庭環境とかに結びつけるって考え、ボクは嫌いッスね。生まれつき拗くれた人間って、いるものなんスよ? 悪気のない悪意って、確実に存在するんデス』
「何ソレ」
『そのまんまの意味デス。損得勘定とも怒り憎しみとも無関係に、ただ純粋に人を支配して操って不幸にして嗤いたい人間って、意外に多いんですよ――千春っち、幸福度の総計が一定に保たれてるって話、知ってます?』
いきなり、話が飛んだ。
いや、恐らくは飛んでいない。脇坂はこれで論理的な人間だ。常に順を踏んで話そうとしている。それが分かっているから、私は先を促す。
「知らない。何ソレ」
『人がそれぞれ、今現在自分がどれだけ幸せかって度合いを数値化したのを、仮に幸福度と呼ぶことにします。物凄くハッピーなら幸福度一〇〇、逆に不幸だと感じていたならマイナス一〇〇、みたいな感じで。ボクが今言ったのは、世界中の人間、その全員の幸福度を足すと、常にだいたい同じ数値をはじき出すんじゃないか、って思想です』
自分なりに考えを整理する。そう分かりにくい話ではない。
「……つまり、どこかで誰かが急激に幸せになると、別のどこかの誰かが、同じだけ不幸になるってこと?」
『分かりやすく言えばそうデスね。世界はそうやってバランス、均衡を保っている――上がり調子の人間は幸福度が増えるし、何をやってもダメって人は幸福度が減っている』
ボクは、減りそうな方に味方したいんデスよ。
『困ってる人間、弱ってる人間の力になりたい。そのための探偵だと思ってるんデス。その人の抱えてる悩みやトラブルを解決して、減った幸福度を回復させる――ボクにとっては、探偵ってそういう存在なんデスよね』
言っていることは分かる。ただ、話の着地点が見えない。
「えっと、あの、城ヶ崎望の話は……?」
「だから、あの人の場合は、全くの逆ベクトルなんデスよ。ボクは幸福度の減りそうな方に近付く。だけどあの人の場合は――逆の概念に近付くんデス」
「逆、とは」
「悪意、怒り、恨み、妬み――そういったマイナスベクトルです。あの人はそういった感情の『減りそうな方』に近付き、煽り、増幅させる。そうやって、事態をややこしくさせる。多分そういう類の人間なんじゃないッスかねえ』
何度目だろう。周囲の空気が冷えていく。もう、怒りも感じない。かと言って、恐怖を覚える訳でもない。強いて言うなら、嫌悪という感情が一番近いだろうか。
気持ち悪い。
私は警察でも探偵でもない。この複雑な事件を解決する能力など、私にはない。
だけど、私には仲間がいる。
真と和美、ヒロ姉――そして、脇坂。
皆の力を合わせれば、奴らの尻尾を掴むことは、できる。
私は、声に力を込める。
「……二人の調査、お願いしていい? これ、私からの依頼だから」
『分かりました。こっちで、本庄グループを洗ってみます。元々マークしてた連中なんで、同好会のセンパイに聞けばある程度のことは分かると思います』
やはり、コイツに連絡したのは正解だった。解決は近い。忘れないうちに、私はもう一つの本題を切り出す。
「……それと、脇坂さんにはもう一つ聞きたいことがあるんだけど」
『ボクに答えられることならば』
「ひかるのこと。アイツ、自殺当日に本庄と会ってたらしいの。それも、心峰学園で。証言によると、どうも口論してたって話」
『ひかるっちが……?』
「脇坂さん、アイツと一緒に行動してたんだよね? その時のこと、何か知らない?」
むしろ、知らないとおかしいし、知らないと困る。今や、足取りを掴むうえで脇坂日向は唯一無二の生命線なのだ。
『……ボクたち、被害者女性に話聞いたり、電車乗って張り込みしたりしてたんスけど――ある時から急に一人で行動するようになったんスよね。本庄センパイに会ったのは、その時だと思います』
「脇坂さん、一緒じゃなかったのね?」
『残念ながら。……あの子、電車乗ってる時に何かを見つけたみたいなんスよね。何も言わずに扇町で降りて、そのままどこか行っちゃって――結局、それがひかるっちを見た最後になりました』脇坂の声は低く沈んでいる。責任を感じているのかもしれない。『ボクが思うに、多分電車で本庄センパイを見かけたんじゃないスかね? 後を追って学園まで行って、そこで声をかけた――』
「そもそも、何で本庄は学園にいたんだろ。部活なんて入ってないでしょう?」
『それも調べてみないことには分からないですけど、多分、赤点補習じゃないッスかね。成績は悪いけど、表向き真面目な生徒で通ってるんで』
表向き、という枕言葉が腹立たしい。
いずれにせよ、本庄が鍵を握っていることは間違いない。
鳴川翼から立花歩夢、吉良真澄、脇坂日向と続いた変則リレーは、心峰学園の闇とも言える人物をアンカーに迎えたという訳だ。
そして、ひかるは彼女との口論から一日を待たずして、自ら死を選んでいる。
彼女と何を話し、何を知り、何を想って絶望したのか――。
ここ数日の答えが、そこにある。
本庄しのぶに会ってみようか。
不意に、そんなことを考える。本当のことを話してもらえる保証はない。しかし、他に有効な手段も思い浮かばない。もちろん、皆と相談する必要はあるだろうが……。
『とにかく、ボクは本庄さん周りを調べてみますね。何か分かったら連絡しますんで』
心強い言葉で結び、脇坂との通話を終える。
明日からが、本番だ。




