望月高校演劇部
千春 ♂
真 ♀
和美 ♂
運動部の部室棟はグラウンド脇だが、文化部の部室は西校舎の二階に固まっている。
「偶然じゃ、ないよね……」
日傘を傾け、真が天を仰ぐ。西校舎横には立派なイチョウの木が生えている。目撃証言と一致する。ここをよじ登れば、二階の部室を覗き見ることが可能。と、言うことは。
「まさかとは思うけど、演劇部か?」
「ゴメン、リサーチ不足。どこがどこの部室かまでは、分かんない」
しかし、これで木登りをしていたことへの説明はつく。アイツは覗きをしていたのだ。
「やっぱり、暑さで頭やられてたんじゃないか……?」
「それは調べてみないと分からないよお?」
和美が久しぶりに口を開く。
「誰か、試しに登ってみたら?」
そう言う和美の視線はこちらを向いている。まあ、そうなるだろうな。俺は肉体労働専門だ。イチョウの幹に手をかけ、するすると二階の位置にまで到達する。
部室には四人の男女が集まっていた。
その全員と、目が合う。
身をよじるが、ここには隠れるスペースも何もない。慌てて下りようとしたのがよくなかったのだろう。足を滑らせ、俺はそのまま大地に叩きつけられる。
「痛って……」
大した高さじゃなかったのが幸いしてか、腰を強く打っただけで済んだ。そんな俺を見下ろす、六つの瞳。
――六つ?
「……何してんだ、アンタは」
お馴染みの三白眼が俺を射竦める。
「鳴川先輩!? どうしたんですか」
意外な人物の登場に、俺は慌てて起き上がる。
「相良に呼ばれた。私が必要らしい」
無表情、必要最低限の言葉で、鳴川は答える。
「女の子の顔見てるの、鳴川さんだけじゃないですか。面通ししてもらおうと思って」
「今日、野球部の練習は?」
「体調不良ということにしてもらった」
いいのか、それで。
「言っただろ。私だって松前のことには興味があるんだよ。何か力になれるのなら、喜んで協力させてもらう」
その気持ちは嬉しいが……。
「それで? アンタらはどの辺りに目星をつけてるんだ?」
ジャージのポケットに手を突っ込みながら、鳴川は聞く。
「彼女、台本らしき紙を持ってたでしょう。あと他の目撃証言とも照らし合わせて、演劇部が怪しいんじゃないかと」
真の説明を聞いた途端、ひくり、と頬が痙攣するのが横にいても分かった。
「え、演劇部か……そうか……」
「どうかしたんですか?」
「いや、大丈夫だ。乗りかかった船だからな。何も問題はない」
その態度は問題大ありだと思うが、今は何も聞かないでおこう。
「と言うか、いい年して木登りか。あそこは確かに演劇部の部室だった筈だが――覗きみたいな真似しないで、私にしたように、堂々と正面から聞けばいいだろう」
正論を言われてしまう。だけど、こちらにだって言い分はある。
「ひかるの行動をトレースしてたんですよ。アイツも、あの紙が台本だと気付いて、演劇部を訪ねることにしたんでしょうね。正面から聞く前にまず、演劇部の偵察をして、本当にあの女の子がいるかどうか、確信を得たかったんでしょう。僕らがしたのは、その真似事です」
そういう意味合いがあったのかと、真の話を聞いてようやく知る。
「それも終わりました。じゃあ、本丸を攻めましょうか」
真の号令で、俺たちは西校舎の昇降口から、二階の部室を目指したのだった。
「ちょっと」西校舎に入った所で、和美に袖を引かれる。
「何だよ」
「演劇部に行く前にさ、千春は女子になった方がいいかもしれない」
ヒソヒソ声で、よく分からないことを言い出す。
「……何でだ」
「千春、部室覗いたでしょう? しかも、覗いたこと部員たちにバレてる。だから、ここは女子になって誤魔化した方がいいと思って」
「誤魔化せないだろ。『知らない男に部室覗かれた』が『知らない女に部室覗かれた』に変わるだけだぞ?」
「それが重要なんだって。ほら、『男子更衣室を覗く女子』はセーフでも、『女子更衣室を覗く男子』は完全アウトでしょう? そういうこと」
「……覗きをする女子は十二分にアウトだろうが」
「アウトの度合いが違うってこと。ほら、悪いこと言わないからさ」
「好きにしろ」
面倒になって、鳴川から見えないようにスマホを手渡す。
「サンキュ。……千春」
☆
和美の操作も慣れたものだ。
「……ここか」
二階フロアの真ん中に、演劇部部室はあった。
「ここ、なんだよな……」
ここまで先頭を切って歩いてきた鳴川が、二の足を踏んでいる。演劇部と聞いた時も顔色を変えていたし、何かあるんだろうか。
「鳴川さん、私が行きますよ」
真が前に出て、ドアをノックする。
「すみませーん」
声をかけて数秒、ガラリと引戸が開く。扉を開いたのは制服姿の眼鏡男子だった。私達と同じ一年生だろうか。猫背で前髪が長く、伏し目がちで、若干暗い印象を受ける。
「はい……」
「すみません。こちら、演劇部ですよね?」
「はあ」
「実は演劇部の皆さんに聞きたいことがあるんですけど、ちょっといいですか?」
「え、あ、はあ……」
はきはき喋る真に対し、随分と覇気がない。本当に演劇部員なんだろうか。
「歩夢、お客さん?」
奥から制服姿の女子がやってくる。外ハネの髪が印象的な、勝ち気そうな少女だ。
「あの、私たち――」
「もしかして、入部希望者!?」
真の話を最後まで聞かず、目を輝かせ始める。
「いえ、あの――」
「わあ、どうぞどうぞ! 少し散らかってるけど、中に入って!」
外ハネ少女の勢いに負け、私たち四人はぞろぞろと部室に足を踏み入れる。
部室は、通常教室の半分程の広さだった。長机が長方形に組まれ、いくつかのパイプ椅子が置かれている。左側にはロッカーと本棚、右側の壁には掲示物が貼られ、その前にはホワイトボードが置かれている。右奥にはダンボールが雑多に積まれ、窓際の棚には電気式ポットと茶筒、湯呑茶碗が盆に乗せて置かれていた。
正面の窓からはイチョウの木が見える。さっき、俺が登り、そして落下したあの木だ。
「座って座って。今、お茶を入れるから。自由ちゃん、お願い」
せかせかした動きで一番奥のパイプ椅子を陣取り、近くにいた黒髪長髪のスラリとした和風美人に声をかける。私たちは反論する機会を失い、外ハネ少女に促されるまま、入口近くのパイプ椅子に腰をかける。少女の真正面に真、その両脇に私と鳴川、少し離れて和美、という構図だ。
「あの、部員はこれで全員ですか?」
座りしなに真が尋ねる。
「あー、三年の先輩が受験でやめちゃってね。今、これだけなの」
若干決まり悪そうに部室を見渡す。
演劇部の部室には、私たちを除くと四人の人間しかいなかった。
さっきから私たちの応対をしている外ハネの少女。
扉を開き、今は部屋の隅に下がっている眼鏡男子。
電気ポットで人数分のお茶を淹れている和風美人。
頭にタオルを巻いて作業している体格のいい少年。
この、四人だ。
「……部長は?」
鳴川が口を挟む。
「――野暮用でね。まあ、いない人間のことはいいでしょ」
「そうか……」
少女の言葉を聞いて、露骨に緊張を解くのが分かった。どうも、鳴川はここいない演劇部部長に対して思うところがあるらしい。
「あ、自己紹介がまだだったわね。あたしは大谷倫生。二年生よ。一応、ここの副部長で、役者兼広報をやってる」
ある程度察しはついていたが、この人も鳴川と同じく二年生だったようだ。お盆を持った和風美人が、ニコニコしながら私たちの前に湯呑を置いていく。
「お茶を淹れてくれたのが、新井自由ちゃん。一年生。役者兼雑務を担当してくれてる」
随分と大人びているが、私たちと同学年だったのか。
「で、こっちのガテン系が、堂島比呂。二年。役者兼大道具」
胸板は厚くて、捲った袖から覗いている両腕は、驚くほど太い。どう見ても体育会系だが、大道具という役職を聞いて納得した。
「最後に、そこの眼鏡男子が、立花歩夢。一年で、役者兼小道具」
背を丸くして存在感を消していた立花が首をコクりと動かす。お辞儀をしたつもりらしい。どうにも暗い印象が拭えない。
「これに部長を加えて、全部で五人。少ないでしょ。前はもっといたんだけど、色々あって辞めちゃってさ、正直ピンチだったのよ。脚本担当もいなくなっちゃって、今では文芸部の友達に書いてもらってる始末。これじゃ存続の危機だって、焦っちゃってね。ポスター刷ったり、SNSで新入部員呼びかけたり――でも助かったわあ。まさか夏休み期間中に来てくれるなんて。あ、ゴメンね一人で喋っちゃって」
表情をコロコロ変えながら、身振り手振りを交えてハイテンションで話している。お喋りな性質らしい。
「名前、聞いてもいい?」
ようやく発言を許され、口々に名前と学年だけを名乗っていく。
「真ちゃん、千春ちゃん、鳴川さんに和美君ね。覚えた。それで、ウチのことはどうやって知ったの? 春公演を見てくれたのかな?」
「そのことなんですが」
身を乗り出す大谷とは対照的に、真のトーンは低い。これだけグイグイ来られてしまっては、本題にも入りづらいというものだ。
「実は私たち、入部希望者じゃないんですよ」
「え?」
瞬間、部室の空気が固まったのが分かった。
「――何よ、アンタたち」
随分な豹変ぶりだ。警戒心を隠そうともしない。
「わたしたち、聞きたいことがあってここに来たんです。先月の終わり頃、ここに変な女が来ませんでしたか?」
「変な女? ……あたしら、変人の集まりってよく言われるけどね」
ヘラヘラ笑いながら、混ぜっ返すようなことを言う。
「変って、どういう風にですかあ?」
お盆を抱えて立っていた自由が初めて口を開く。大人びた容姿の割にアニメ声だ。だけど、これはこれで可愛らしい。
「えっと、口では説明しづらいんですけど……コイツです」
鳴川にしたのと同じように、スマホで画像を呼び出し、大谷に見せる。これで反応があれば――と思ったのだけど、結果はイマイチ。
「……知らないな。みんな、この子見たことある?」
自由、堂島、立花が集まって画像を覗きこむが、皆一様に首を傾げている。空振りか――落胆する私に、和美が耳打ちをする。
「騙されないで。この人たちは、演劇部だ」
芝居ということか。そう言われてみれば、惚けているようにも見えてくる。
「知りませんか。そこのイチョウの木から、この部室を覗いたりしてた筈なんですけど」
「部室覗いてた子なら、今そこに座ってるけど」
大谷が私を見て言う。何のコメントもないので安心していたが、しっかりバレていたらしい。嫌な汗が流れてくる。
「千春ちゃん、覗きはよくないよ。女の子だから許すけど、男だったら今頃袋叩きだよ?」
思わず、和美と顔を見合わせる。今度、コイツには桐壺でコーヒーでも奢ってやらねばなるまい。
「先月の話です。部室からつまみ出されるところも目撃されているんですが」
「見間違いか何かじゃない? そんな事実はないんだから」
他の部員たちもウンウンと頷いている。演劇部全体で何かを隠そうとしているのなら、少し厄介だ。
「じゃあ、七月二十七日に新川河川敷に行った方はいませんか?」
「いきなり何よ」
「全ての発端となった出来事です。ひかるは――俺たちが探してる奴のことですけど――そこで一人の女の子と出会って、その子が演劇部と関係していると考えて、ここに来た筈なんです」
ここで真は例の一件を話す。ファウルボールに驚いて転倒した謎の少女がいたこと。治療の申し出を断り、逃げるように立ち去ってしまったこと――。ひかるが自殺したことと、その目撃者がここにいる鳴川であることは伏せておくつもりらしい。
「それがウチと何の関係がある訳?」
「その子、紙束を持ってたらしいんです。顔を見た人の話によると、どうも劇の台本だったみたいで――」
「話にならない。それが台本だったかどうかもはっきりしないし、仮にそうだったとして、ウチと関係しているとは限らないでしょ。その子、望高の制服だった訳?」
「いえ、セーラー服ですけど……」
「じゃあ、ウチは関係ないわね。どうしても話続けたいんなら、その女の子なり、顔を見た人なり連れてきなさいよ」
顔を見た人なら、ここにいる。むしろ、そのためにここまで連れてきたのだ。
「……どうです? この中に、例の女の子はいますか?」
真の背後に体を伸ばし、鳴川に耳打ちする。
「……いや、いないな。新井は背が高すぎるし、大谷は髪型が違う。そもそも、顔が全然違う。ここには、私の見た子はいないようだ」
「ここにいない部長って人は――」
「絶対に違う。アイツは、顔を見ればすぐに分かる」
やはり部長とは面識があったらしい。それはそれとして、ここに該当者がいないのでは手詰まりだ。この連中が何かを隠してるのは確実だが、付け入る隙がない。
「話は終わり? ならもう帰ってもらってもいい? あたしたち、これから文化祭公演の話し合いしなきゃいけないの。忙しいのよ。全く、せっかく入部希望者だと思ったのに、ガッカリだわ……」
「それはお前が勘違いしただけだろ」
堂島が苦笑いをこぼす。容貌通りの、野太い声だった。
仕切り直しか――諦めかけた時、意外な人物が口を開く。
「あの、ちょっとお時間よろしいですか」
和美だ。いつもは人見知りで、初対面の人間がいるとほとんど口を開かないくせに。
「ちょっと、和美……」
心配して声をかける私に対し、腕組みをして頷く。おれに任せておけ、ということか。一体何が始まるんだろう。
「えっと、和美君だっけ? 今までずっと黙ってたのに、急に何? 話はもう終わったんですけど」
「いえいえ――まだ肝心なことを話し合っていないな、と思いましてねえ」
口調は丁寧だが、腕組みのせいで不遜に見えてしまう。
「肝心なことって何よ」
「ひかるの意思ですよ。動機、目的と言ってもいいですけど」
腕を組んだまま立ち上がり、歩き回り始める。
「ずっと不思議だったんですよねえ。いくら怪我と言っても、膝を擦りむいただけですよ? 年端のいかない乳幼児じゃあるまいし、そんなに心配する必要などない筈なんです。それなのにひかるは異様な執着心を示し、この部室にまでやって来た」
ウロウロと歩き回りながら喋っていた和美は一旦足を止め、振り向き様、真正面にいた人物に声をかける。
「何故だと思いますか――大谷さん」
★
「オレに分かる訳がねーだろ」
外ハネの髪をガリガリ掻き毟る大谷。和美の粘着質な喋り方にイライラしてるようだ。
「そのひかるって子を探し出して、直接聞けよ。何であの女の子がそんなに気になったんだってさあ」
どうやら、大谷はひかるが失踪したのだと誤解しているらしい。重要なことを一切説明していない私たちが悪いのだけれども。
「と言うか、ウチには来てないって散々話しただろうが。話聞いてなかったのかよ」
「そうでしたね。じゃあ、河川敷であったことに話を集中させましょうか」
「まだ続くのか……」
「多分、ひかるは気付いたんだと思いますよ。女の子の違和感――抱えている問題にね。詳しい説明は省きますが、アイツは困っている人間を助けたいという意志があり、それを可能にするかもしれない力を持っていた。だから見過ごせなかった。では、その問題とは何でしょう?」
続いて視線をやったのは、テーブルの奥にいるマッチョだ。
「どうでしょう、堂島さん」
☆
「今度はわたし?」
苦笑いをこぼしながら腕を組む。和美と同じ格好だが、この人がそれをやると豊満な胸が強調されて、女の私でも少しドキッとする。
「知ってる訳ないでしょう。わたしはそんな女の子知らないし、その場にもいなかったし、ひかるって子も知らないんだからサ」
女性にしてはハスキーな声で、和美の質問をはねのける。
「なるほど。新井さんはどうですか」
☆
「ボクもちょっと……」
首を傾げる自由。男性ファッション誌に出ていそうなイケメン具合と、胸元に抱えたお盆がやけに不釣り合いだ。
「問題とか言われても、その女の子の存在自体、今さっき聞いたばかりな訳だし……」
「そうですね。じゃあ、ここからは俺が勝手に話を進めます」
堂島や自由の困惑顔など物ともせずに、和美は喋り続ける。
「女の子が転んで怪我をした時、その場には何人もの人間が集まりました。だけど、女の子の違和感に気付いたのは、恐らくひかる一人だけだった。気付く人間と気付かない人間がいたんですよ。言い方を変えれば、その違和感と言うのは見る人間が見ればすぐに気付ける程度のモノだった、ということです。つまり、内面的なことではなく、ごくごく外見的なこと――それに、ひかるは気付いた」
「なあ、これ何の時間だよ? いつまで続くんだ?」長机を指でトントン叩きながら大谷が尋ねる。「忙しいってのは嘘じゃないんだけどな」
「もうすぐ終わります。……アイツは気付いてしまったんですよ、女の子の秘密に。それで、放っておけなくなった。決して賢いとは言えないアイツが、僅かな手掛かりからこの部にまで辿りついたのは一種の奇跡なんでしょう。それだけ、その違和感、秘密は強烈だったということです。では、それだけの秘密って、一体何なんでしょうね――」
「さっさと結論を言えっての」
「そうね。さすがに回りくどいかも」
温厚そうな堂島までもが苦言を口にする。ただ、私も思っていることは一緒だった。和美はさっきから何をしているんだろう。一人一人に話を振っているが、言っていることは堂々巡りで同じことばかり。大谷や堂島に急かされるのも無理はない。
「女の子の秘密って何なの?」
真も一緒になって首を傾げている。しかし、和美は動じない。
「これで最後です。女の子には秘密があった。秘密は隠さないといけません。だからこそ、何も言わずに逃げるように走り去ったんです。きっと長時間一緒にいると露見してしまう類の秘密だったんでしょう。声を発してしまったら一発です。多分、服装も関係している。女の子がどんな格好だったか――立花君は覚えてる?」
☆
「が、学ラン、でしたよね……」
部屋の隅で小さくなっていた立花がボソボソした声で答える。前髪が目元を覆っているせいで、その表情までは読み取れない。これで眼鏡をかけていなかったら、まんま貞子だ。
「ん? 何だって?」
「え、あの、いや、違ったかも……」
「いや、合ってる」顔を俯ける立花を真がフォローする。「その男の子は学ラン姿だった。こんな真夏になんでって――ねえ、この話は和美も聞いてたよね?」
「そうだぞ。分かってることがあるならさっさと言えや」
真と大谷と、二方向から攻撃を受けている。さすがにもう限界だ。何をやりたいのか、サッパリ分からないし。
「すみません、長々と引っ張っちゃいまして――」
でも、もう分かりました。
腕組みのまま、演劇部員全員と対峙する。
「大谷さん、堂島さん、新井君、立花さん、ありがとうございました」
☆ ★ ★ ★
全員の名前を一人ずつ呼びながら、ようやく和美は腕組みを解く。その瞬間、尻ポケットに何か仕舞うのを、私は見逃さなかった。あれは――。
「じゃあ結論を言いましょう。言いたいことは簡潔です」
長机を迂回し、部屋の隅に向かってツカツカと歩いていく。
「……え!?」
背を丸めて俯いていたために、気付くのに時間がかかったらしい。そして、気が付いた時にはもう、和美は目の前に立っていた。
「な、何……?」
立花が顔を上げたのと、和美が手を伸ばしたのが、ほぼ同時。
「ちょっとごめんね」
眼鏡を奪い、前髪を上げる。相手が抵抗する間もない。
「――鳴川さん、どうですか!?」
振り返り、立花の顔をよく見せる。初めて露出される立花歩の顔。少しタレ目気味で睫毛が長く、色白で――
「……あああああっ!?」
椅子を蹴って立ち上がり、指差しながら叫び声を上げる鳴川。
「やめてっ!」
「何してんだっ!」
大谷と堂島が同時に床を蹴り、立花の素顔を晒す和美を二人で引き剥がす。だけど、少し遅かった。鳴川はもう分かっている。
「アンタだったの……だけど……ええ!?」
分かったけど、分かってない。私も、真も同様だった。これは何だ。何が起きている。
「男、だったってこと?」
真の乾いた声。端的かつ的確な表現だ。
「うう……」
何やら呻きながら顔を隠す立花。構わず、和美は続ける。
「そう。例の女の子の正体は、この立花歩夢です。そもそも、スタート地点が間違ってたんですよ。少女なんかじゃない。少女の格好をした少年だったんです」
つまりは、女装ですねえ。
「秘密と言うのは、それです。無言だったのは声で男だとバレないようにするため、首元を覆うストールは喉仏を隠すため。女の格好をして外を歩いてたなんて、誰にも知られたくなかったに違いない。ちょっとは誤魔化せても、長時間一緒にいては気付かれてしまう。だから、逃げた。不幸にも、ひかるには見抜かれてしまったようですけどねえ」
TSアプリを操るひかるは、目の前で何度も性反転を行ってきた。それだけに、男女の違いについては敏感だったのだろう。ひかるは、目の前にいるのが女装した少年だと気付いた。それは――確かに放っておけないかもしれない。
「そこまでして自身の男性を消したのに、運悪くひかるに気付かれてしまった。ここにいる鳴川さんにも、顔を見られてしまった。正直言うと、今日ここに来たのは彼女に面通しをしてもらうためだったんですよ。だけど立花君は眼鏡と前髪で顔を隠していたし――そもそも、男だなんて夢にも思ってない。だから分からなかったんです。でも、これではっきりしましたね」
「待ちなさいよ」
淡々と真実を紐解いていく和美に、大谷が待ったをかける。
「黙って聞いてれば、何? 人の後輩を女装趣味があるみたいに」
「実際、そうじゃないんですか?」
「違うわ! 人聞きが悪いにも程があるでしょうが!」
ダン、と長机を手で叩いて激昂している。だけど、大谷が興奮すればする程、疑惑は確信へと変わっていくのだけれど。
「セーラー服でロングヘアーだったんでしょ!? 歩夢とは全然違うでしょうが!」
「ここは演劇部ですよねえ? 衣装やカツラは豊富にあるんじゃないですか?」
「だとしても……ッ! 目撃証言だって、どれだけ当てになるか」
「鳴川さん、確かにこの人だったんですよね」
「間違いないね。あそこまではっきり顔を見れば、さすがに分かる」
力強く頷いている。この真面目な人が適当なことを言うとは思えない。ここまで言うのなら、本当に確信しているのだろう。
「そんなの……信用できないわよっ! 自分の投げた球が原因なんでしょう!? 動揺したに決まってる!」
怒鳴る大谷を、黙って見つめている。じぃっと、凝視。突然の沈黙に、大谷はたじろいだようだった。
「な、何よ……」
「なんで知ってるんですか」
「ハァ?」
「ここにいる鳴川さんが投手だって、何の関係もない筈の大谷さんが、なんで知っているんですか?」
大谷の体がびくりと硬直する。自身の失言に気付いたらしい。
「さ、さっき、自分たちで言ったんじゃない……」
「言ってませんよ。新川河川敷で草野球が行われていて、ファウルボールで転んだ人物の顔を、ひかると、ここにいる鳴川さんが見た――俺や真が言ったのは、それだけです。鳴川さんが草野球の選手だなんて誰も一言も言っていません。おかしくないですか? 大谷さんと鳴川さんは今日が初対面で、さっきも学年と名前しか名乗ってないんです。パッと見はただの女子高生ですよ? 草野球の行われている場にいたとしても、ギャラリーか、選手の家族友人だと考えるのが普通じゃないんですか? 確かに鳴川さんは草野球チームの投手です。しかし、何故それをアナタが知っているんです? 考えられる可能性は二つです。あの場にいたか、あの場にいた人間に話を聞いたか――」
「や、その……」
完全に押されている。和美は大谷の胸元を指差し、猛攻を続ける。
「アナタはこの立花君から相談を受けていたんじゃないですか? 河川敷で女装姿を見られてしまった、どうしよう――と。その時、草野球に参加する女子高生投手のこともついでに聞いていたのかもしれません。こんなことが知られてしまったら立花君は身の破滅だ。後輩を守るために、アナタは一計を案じた。部活ぐるみで全てを隠蔽することにしたんです。河川敷には誰も行っていなかった、転んで膝を擦りむいた女の子など存在していなかった、それを嗅ぎつけてここに特攻してきたひかるなんて女も存在しなかった――部員全員で口裏を合わせ、知らぬ存ぜぬを貫こうとした――」
違いますか!
追及から逃れるように後ずさりを続けていた大谷は、ついに壁際にまで追い詰められ、その場で崩れ落ちてしまう。
「……そうよ。全部アンタの言う通り。あたしたちは、歩夢を守るために、嘘を……」
「もういいです」
今までずっと黙っていた立花が、ここに来て口を開く。
「全部、話してください。僕のことは、もういいですから」
「よくないでしょ。歩夢、あのことが学校に知られてもいいの?」
「この人たちは喋りませんよ……。あの子だって、そうだったじゃないですか」
あの子、というのはひかるのことだろう。何かを振り切ったように、顔を上げる立花。長い前髪の間から覗く目には、強い光が宿っているように見えた。
「あの子は、僕のことを心配してくれてただけなんですよ。誰かに強制されて、嫌々あんなことをやってるんじゃないかって……」
「あの、ずっと気になってたんですけど」
すっかり和美にお株を奪われた真が、おずおずと口を挟む。
「そもそも、立花君は何だってそんな格好を? 立花君自身にそういう趣味がある訳ではないんですよね?」
「それを話すと長くなるんだけどなァ……」
頭に巻いたタオルを外しながら、堂島が深い溜息を吐く。
「どうするよ? 倫生、全部話しちまうか?」
「そうね――ここまで来たら、誤魔化せないもんね」
自虐気味に口角を歪めながら、彼女は立ち上がる。
「アンタたちの聞きたいこと、全部話してあげる」
数分後、私たちは揃ってパイプ椅子に腰掛け、演劇部の面々と対峙していた。
「ウチ、変人の集まりだって言われてるのよ」
口火を開いたのは、やはり大谷だった。観念したように眉根に皺を寄せ、盛大にはねた髪をいじっている。
「さっきも言ってましたね」真の相槌に目をつむって頷く。
「あれって本当でね――まあ、それもこれも、部長が変人なのが原因なんだけど」
未だ姿を現さない演劇部部長とは、如何なる人物なのか。どうも、今回の一件はその辺りに端を発しているらしい。
「アイツのことは後に回すとして――歩夢が女装していた理由、だったわよね」
あれは、『訓練』だったのよ。
大谷の言葉が脳に届くのに、しばらく時間を要した。
「……女装が訓練って、どういうことですか?」
「えっと、うん、訳わかんないよね。気持ちは分かる。あたしもそうだから」
同情したように細かく頷いている。だけど、今私たちが欲しいのはそんな言葉ではない。
「だからさ、歩夢って、見た通り内気で引っ込み思案な性格だろ? ウチのアホ部長は、それをどうにかしたかったんだと」
隣の堂島が補足説明を始める。
「ほら、新人アイドルや若手芸人とかが舞台慣れするために、路上パフォーマンスしたりするだろ。あれと似たようなもんだよ」
「度胸をつけさせるために、敢えて人前で女装を?」
「――まあ、今はそう思ってもらって差し支えないわ」
含みのある言い方だが、取り敢えず真の言い分は肯定される。
「ずっと気になってたんですよ」
身を乗り出したのは和美だ。
「部員が少ないせいか、皆さん、役者以外にも何かしら役職を兼任してますよね。大谷さんが広報、堂島さんが大道具、一年の新井さんが雑務で立花君が小道具、脚本は外部委託、でしたっけ。広報や雑務なんて役職があるのに、何故か衣装とメイクはいなかったんですよ。それが?」
「……部長の仕事」呟く大谷に、和美はさらに勢い込む。
「ですよね。両方とも、女装には必要不可欠なスキルです。そう考えると、立花君の女装は部長さんが仕向けたこと、と捉えるのが一番しっくりくるかな、と」
全ては、変人部長がやらせたことだったのだ。
「でもまあ、問題はなかった筈なのよ。セーラー服着てそれなりのメイクして、適当に町中ぶらついて、それで終わる筈だったの」
「だけど、不幸なアクシデントで、ひかるに見つかってしまった?」
「……あの日、僕は川原で貰ったばかりの脚本読んで、台詞を入れてたんです」
ポツポツと当時の様子を振り返る立花。その声は重く沈んでいて、こちらがイジメているかのような気持ちになってしまう。
「そしたら急にボールが飛んできて、当たりはしなかったんですけど、ビックリして転んじゃって……。膝から血は出るし、どんどん人が集まってきて騒ぎになっちゃうしで、僕、どうしていいか分からなくなっちゃって……」
「逃げ出した、のか」
低い声で呟き、鳴川は背もたれに身を預ける。
「部室に帰ってきた歩夢からすぐ話は聞いたんだけど、その時点ではあたしたちも、まだ楽観視してたのね。歩夢の女装はそこそこのクオリティだったし、まずバレないって、高を括ってたの。仮にバレたとしても、それが演劇部の立花歩夢だとは分かりようがないでしょ? だから大丈夫でしょって」
「だけど、ひかるに女装がバレ、演劇部であることも分かってしまった――」
真がまとめる。悪いことが重なってしまったという訳だ。
「……分からないのはその後なんですよねえ。アイツがここまで乗り込んできたのは分かりました。でも、その時も大谷さんたちは知らぬ存ぜぬを決め込んだ訳でしょう? どうしてバレたんですか」
和美のもっともな疑問に、堂島が苦笑いをこぼす。
「力技で、確認されたんだよ。部室から追い出したところまではよかったんだが、昇降口で待ち伏せしてやがったんだ。歩夢の悲鳴が聞こえたから駆けつけてみたら、コイツ、ズボン脱がされかけててさ」
血の気が引いた。
「男かどうか確認するために、ズボンを……?」
口にしたその後で、じわじわとそれの意味するところに気が付き、赤くなった。
これは、完全アウトじゃないか。アホだアホだとは思ってたが、ここまでアホだとは思わなかった。いや、アホと言うより、痴女だ。信じられない。
「――千春、何か勘違いしてない?」
隣で和美がニヤニヤと笑っている。笑いごとじゃない。
「あのねえ、堂島さんの言う『確認』ってのは、河川敷で会った女の子かどうかの確認、って意味だと思うよ?」
「え?」
「膝の怪我。それを確認して、女装してた少年と目の前の立花君が同一人物か見極めようとしたんだって。男かどうかの確認じゃあないよ。そもそも、立花君は普段男の格好しているんだから、そんなの必要ないじゃない」
「そうか。目撃証言の『昇降口で男子を襲ってた』ってのはコレのことだったんだね」
メモ帳を捲りながら真が頷いている。一つずつパズルのピースが埋まっていく感覚だ。
「――話を戻すわよ」
ひとしきり盛り上がったところで、大谷が咳払いを一つ。私たちは再び聞く体勢に入る。
「あの子、歩夢が河川敷で会った女装男子だって確信して、怒り出しちゃってね。やっぱりあの子も、無理やりやらされてると考えたみたい」
「誰だってそう思うよなあ……」
堂島はさっきからずっと苦笑いのままだ。
「運悪く、その場には部長がいてね。何度も言うけど、ウチの部長、ちょっと変わってるから……その場で口論になっちゃって」
何故アイツは行く先々でトラブルを巻き起こすのか。偶然手に入れたアプリの力で困っている人を助けたい、何らかの力になりたいという気持ちは分からないでもない。それにしたって、騒ぎを起こしすぎだ。
「でも結局、それって根っこの部分で勘違いしてた訳」
「勘違い、ですか」
言ってから、鳴川の顔を盗み見る。彼女の時も、そうだったからだ。野球少女と言うものは、男子と同じように甲子園などの大舞台でプレイしたいと考えているに違いないという思い込み、幻想――つまりは、勘違い。そこから生まれる、空回り、お節介。
「……僕、別に嫌じゃなかったですよ」
半ば予想していたが、本人の口から聞くとやはり驚く。
「松前さんにもそう言ったんですけど、どうしても理解してもらえなくって……」
「ちょっと待て」
ストップをかけたのは、当の鳴川だった。
「嫌じゃなかったって――結局、アンタには女装趣味があったってことか? 元々、そういうのが好きで……?」
「そこが難しいんだけどさァ」
ガシガシと髪をかきながら、大谷が苦悶している。
「何て言うか――ウチって変人の集まりだって言ったでしょう? その総本山が部長なんだけど……今年の新入生ってのは、つまり、その部長の信奉者と言うか、ファンと言うか――あのアホの言うことを真剣に真に受けちゃっててね……」
「部長はアホじゃありませんっ!」
突然のアニメ声に全員が驚いた。
一斉に視線が向いた先には、お盆を手にした自由が目を三角にして立っている。
「ミチルさん、事あるごとに部長のことをアホだの変態だの言いますけど、そんなことありませんからっ! あの人がいなければ、確実に今の私はない訳ですしっ!」
「う、うん。アイツがいなければ、そりゃ今の自由ちゃんはいないわよね……」
自由の剣幕にドン引きしながら、大谷は何度も細かく頷いている。
「あの」真が私たちを代表して挙手する。「話を整理してもらってもいいですか?」
「じゃあ俺が説明するぞ」口を開いたのは堂島だ。「こういうのは変にオブラートに包もうとすると余計ややこしくなるから、単刀直入に言わせてもらう」
と前置きをして、軽く溜息を吐く。何らかの覚悟を決めたらしい。
「ウチの部長は異性装者なんだ」
イセイソウシャ、という聞き慣れない単語に戸惑う。
「だから、女装・男装の類だな。部長はそれの愛好者なんだ。異性装を表現の一つとして捉え、実践し、広めようとしている。演劇に関してもそうだ。アイツが部長に就任して以来、ウチの部はある種の異性装集団に変貌してしまったんだよ」
どうしよう。言っていることが何一つ理解できない。
「異性装集団って――じゃあ」真の声は震えていた。
「ああ、あたしたち二年は別よ? 問題は、アイツに憧れて入部した一年生たち」
「新歓を兼ねた春公演で、アイツ、やらかしやがってな。異性装の素晴らしさ、それによる表現の可能性なんかを延々と演説し始めたんだ。俺と倫生が止めてなきゃ、一時間でも話してたな、ありゃ」
「ほとんどの新入生はドン引きだったんだけど、一部、感化された子たちがいたのよ」
それが、この二人。
視線で立花と自由を示す。
「じゃ、じゃあこの子は……」
震える手で、自由を指差す真。声も震えている。
「そう、男の娘だね」
そう答える和美は、至って冷静だ。呑気にお茶など啜っている。
「ん、このお茶美味しいな」
「玉露ですからー」
鈴を転がすような声で、わざとらしくしなを作っている。この美少女が、男?
「和美、気付いてたの?」真の顔は驚愕に満ちている。
「さっき気付いた。ここに来てからずっと、お盆で喉隠してるしでしょ。立花君のストールと一緒だよ。喉仏隠してるんだ。特徴的なアニメ声も、よくよく聞いたらわざとらしい気もするしねえ」
「……いちいち鋭いな、お前」
一瞬、誰か喋ったのか分からなかった。その低い声が自由の口から出たのだと気付いたのは、彼女――いや、彼が近くのパイプ椅子を引き寄せ、脚を開いて座ったからだ。
「凄えなあ。俺の女装見破ったの、お前が初めてだわ」
……ここまで変わるものなのか。数瞬前まで和風美人と評していた新井自由は、今となってはロン毛でスカートを履いている、ただイケメンというだけの男子高校生だった。
「いやいや、三次元でここまでクオリティの高い男の娘は初めて見たよ。正直、驚いてる」
「この子も、春まではまともだったんだけど……。部長に感化されたばっかりに……」
「部長には感謝してますよ。世界が変わったってか、視界が開けた感じがしますもん」
少年の声で、自由はそう言う。違う世界の住人なのだということはよく分かった。
「立花君も……?」
そう聞く真は、この数分で少し老けたような気がする。
「……僕、自由みたいに優秀じゃないから。そのための特訓だったのに……」
つまりは、そういうことらしい。変人部長のせいで女装クラブと化したこの部に、ひかるも私たちも振り回されていただけなのだ。
「ひかるには、今のも全部説明したんですか」
疲れきった真に代わり、私が尋ね役に回る。
「部長がね。ただ、何度説明しても理解してもらえなかったみたい」
「……でしょうね」
こればっかりは、アイツがアホなせいではないだろう。
「部長が無理やり女装を強要してるって決めつけてて、どうにかしてその毒牙から救ってやろうって、躍起になってた。結局、三日くらいウチに出入りしてたかなあ。最後の方はウチに来るんじゃなくて、部長と行動を共にしてたみたいだけど」
ひかるの足跡を辿るには、部長に話を聞く必要があるようだ。真と顔を見合わせ、二人してうな垂れる。具体的にどういう人物なのかまだ分からないけど、女装趣味のエキセントリックな人間と接触するのは、考えるだけで気が滅入る。
「松前も災難だね」げっそりする私たちを尻目に、鳴川が口を開く。「成り行きとは言え、あんなド変態と一緒にいただなんて――」
「ド変態とは失礼だな!」
突然の声に顔を上げる。聞いたことのない声だった。どこから――と思う間もなく、部室のドアが勢いよく開かれる。
「奇人変人は褒め言葉、アホという謗りも甘んじて受けよう。だが変態ってのは聞き逃せないな。しかも、言うに事欠いて『ド』までつけるなんて! 昔のよしみで大目に見るが二度目はないぞ!」
ツカツカと、大股で妙な男が部室に入ってくる。
瞬間、大谷は頭を抱え、堂島は乾いた笑いを漏らし、立花は腰を浮かせ、自由は目を輝かせる。鳴川に至っては椅子ごと一メートルも後ずさる。それらの反応で確信した。
彼こそが、噂の演劇部部長なのだ。
「遅かったじゃない」
「野暮用で遅れると通達済みだ。連絡の行き違いか? それとも頭の横についてるのは飾りか何かか!?」
「うるっさいなあ……」
心底うんざりする大谷。
私は改めてこの変人部長を観察する。
まず目を引くのは、陶磁器のように白い肌と、彫りの深い欧風な顔立ちだった。紺碧の瞳には見るものを吸い寄せる力を持ち、鼻梁は高く、顎は尖っている。その一方で、後頭部を刈り上げ、頭頂部をソフトモヒカンにした金髪はワイルドな印象だ。着ている服こそ普通の男子制服だけど、両耳には色の違うピアスを開けている。背の高さは一七〇程度。手足が細いのに華奢に感じないのは、体全体が引き締まっているからか。
制服を着ていなければ、男性モデルと言って充分通用する。
あんな話を聞かされた直後だと言うのに、思わず見蕩れてしまっている自分がいることに気が付く。部室も、少し色鮮やかになった気がする。全ては、彼の美麗な容貌と圧倒的なオーラがなせる業だ。
「それより、話は聞かせてもらったぞ!」
オーバーアクションで振り返り、彼は声を張り上げる。
「異性装が変態趣味だなんて、とんでもない話だ! それは文化であり、表現技法の一つであり、世界を広げ、自身の可能性を飛躍的に向上させるためのツールなんだよ!」
何か始まった。
「世界史を少しでも紐解いて見れば、そこかしこに異性装の歴史を垣間見ることができる。時にそれは宗教儀式であり、時にそれは英雄譚の一エピソードであり、時にそれは民衆風俗の一端となる。勿論、日本とて例外ではない。いや、我が国ほど男女間の性交換に寛容な国も珍しいだろう! 大寺院の僧侶は稚児を囲み、戦国大名は男色を好んだ。日本の歴史は衆道文化と切っても切れない関係にあったんだ。現代とてそれは変わらない。世の女子はボーイズラブに夢中で、男どもは男の娘に熱狂中だ! 異性装や同性愛は今やクールジャパンを支えるコンテンツの一つと言っても過言ではないんだよ!」
豊かな声量に加え、柔らかなアルトボイスは耳に心地よい。内容はひどいモノだが。
隣の真が服の裾を掴んでくる。怯えているらしい。
「そもそも、男女の間で明確な垣根を作るという思想そのものがナンセンスなんだよ! 男は男らしく? 女は女らしく? そんな意見は豚にでも食わせておけ! 何故、片方に絞らないといけない? どうして、自分で自分の可能性を狭めなければならない? 男と女、両方楽しめばいいんだよ! どちらか片方に決める必然性などどこにもない!」
ボルテージが上がったのか、長机に上がり、呆然としている聴衆たちを見下ろし始める。
「勘違いしないでもらいたいんだが、私は別にジェンダーフリーを語り、男女同権を騙っている訳ではない。もっと根本的な問題だ。人間は本来もっと自由な生き物なんだよ! 生まれた場所や肌の色、信じてる神で差別してはいけないのと同様、社会が決めたつまらない属性に縛られてはいけないんだ! 自己を解放し可能性を極限まで広げることで、私達はさらなる高みに飛翔することができる! 如何なる差別にも弾劾にも屈しない、鋼の心を持った者のみがそれを可能とするのだ! 私は負けない! 戦い続ける! 覚悟のある者だけが後へと続け! 共に世界の暁を目にしようじゃないか……っ!」
拳を握りしめ、吼える。咆哮の余韻が消えたところで、拍手が起こる。立花と自由だ。他の皆は呆気にとられている。どうしよう。物凄く帰りたい。
「……とりあえず、机から降りて」
場を日常に引き戻したのは、大谷の冷静な一言だった。
「何だ。演説を聞いて何の感想もナシか。私は否定意見でも受け付けているんだがな」
床に着地しながら、形のいい眉を曲げる。黙っていれば美麗だし、そのワイルドな髪型を別にすれば、耽美的ですらあるのに。
「アンタの話は聞き飽きたっつーの。それより、『話は聞かせてもらった』って何よ。扉の外で立ち聞きしてたの? いつから?」
「ミチルがこの子達を入部希望者と勘違いして、自己紹介を始めた辺りからだな」
「冒頭じゃない! そんな長い間、聞き耳立ててたの!? 入ってきなさいよ! そして部長のアンタが仕切りなさいっての!」
「……君は何も分かってないな……」
わざとらしく溜息を吐き、細長い指を額に当てる。
「はァ?」
「『部長が喋るとややこしくなる』『あたしが仕切るから黙ってて』――君がいつも言っていることだ。不本意ではあるが、どうもそれは正鵠を射ているらしい。客人が来て何やら込み入った話が展開されている中、私という存在が進行の邪魔にしかならないのならば、機が来るまで姿を現さない方が得策だろうと――私はそう考えた」
一応、自覚はあるのか。この部長、決してただの奇人というだけではないらしい。
「それに、ミチルの社交性は私も買っている。この部がこうして存続していられるのも、全てミチルのおかげだ。信頼しているからこそ、この場を任せようと思ったんだ。そして、私の意見が必要なのだと感じたから、姿を現した。それだけだ」
「そう……なの」
自分を認める発言に、大谷も虚を突かれている。その間に、部長は私たちの前に出る。
「さて、自己紹介が遅れたな。私が演劇部部長、役者兼演出兼衣装兼メイクを担当している吉良真澄だ! どうぞよろしく!」
溢れんばかりの笑顔と共に、初めて名前を口にする。
――キラ。
自殺前夜、ひかるは『キラ』がどうしたとか口走っていた。しばらく行動を共にしていたという話だし、無関係とも思えない。その辺り、突っ込んで聞く必要があるだろう。
が、その前に、細かい疑問を二つばかり解消してしまう。
「……ちょっとお聞きしたいんですけど」
「私に答えられることなら何でも答えよう!」
「部長さんって――」
「真澄と呼んでくれ!」
「……真澄さんって、純粋な日本人なんですか?」
「私の母はロシア人で、半分向こうの血が入っている。ハーフだな。この蒼い目も金髪も天然で、ちゃんと学校に届け出も出してある! こんなキャラだから、髪を染めて、目にもカラコンを入れてるんじゃないかとよく言われるんだが、とんだ誤解だ! 意外に思われるかもしれないが、教師陣の間では品行方正で通っているんだよ! 猫を被っている、とも言うがな!」
一聞くと十返ってくる。うるさいと言えばうるさいが、手間が省けていい。
「他に聞きたいことはあるかな!?」
「じゃあ――こちらの鳴川さんとは、前からお知り合いで?」
「大したことじゃない」即答したのは鳴川の方だった。「一年の時、同じクラスだったというだけだ」
本当に大したことなかった。
「懐かしいなァ! 翼は相変わらずのようで何よりだ! 中学から野球を続けているとは聞いていたが、まさか歩夢の一件に関わっていたとはな! 私は今、運命という言葉の意味を再確認しているよ!」
「……私は今、絶望という言葉の意味を再確認している」
疲れきった表情で、そう吐き捨てる。
「質問は以上かな? ではそろそろ本題へ――といきたい所だが、その前に少しだけ時間をくれ。先に後輩指導を片付けたい」
「はあ」
私が何か言うより早く、真澄は演劇部員の方へと向き直る。
「自由」
「は、はいっ!」
声をかけられ、背筋が伸びる。
「声、姿勢、脚――見破られたからって、途中で女装をやめるな。君は周囲を欺くのが目的で女装しているのか? 違うだろう。だったら、続けろ。徹底するんだ。別に強制はしない。疲れたのなら、今日はやめればいい。ただ、その時は女子制服は脱げ。中途半端が一番よくない。女子制服にも失礼だ」
「ハイ、スミマセン……」
アニメ声に戻っている。佇まいも、女子そのもの。凄い才能なのは認めるが、それが何の才能なのかはよく分からない。
「次、歩夢」
「……はい」
立ち上がるが、やはり覇気がない。背は丸く、視線は伏せられ、前髪で目元は見えない。
「君に関しては、いつも言っている通りだ。顔を上げろ。背筋を伸ばせ。前髪も、分けるか上げるかしろ。私は決して普段からの女装は強要しないし、したとしても自由ほどのクオリティは求めない。それよりまず、君はメンタルが問題だ。何度も言っている通り、異性装は自己表現のための矛にもなるが、それと同時に自身を守る盾にもなる。周囲が恐ろしくて内に籠るのなら、それでもいい。その時でも異性装は分厚い殻となって君を守ってくれる。ただ、自信なしにそれをやっていたのでは、台無しだ。確固たる意志を持たないのならばやる意味がない。自分を肯定しろ。自身を肯定できない人間など、誰も肯定してはくれない。どうしても駄目なら、私が肯定してやる。大丈夫だ。君は充分美しい」
深い湖の底を思わせる紺碧の瞳で、真澄は言う。そして、何も言えないでいる立花の前髪を掻き分け、額を露わにして――
そっと、唇をつけた。
隣の真が息を飲む。私も、呼吸を忘れる。
耳まで真っ赤になって俯く立花。
見ているこっちが恥ずかしい! 何なんだ! 今何をしたんだこのド変態は!
「うわあ、BLだよお……。三次元でもあるんだねえ」
和美、お前は黙ってろ。
「あのさ」
私たちの混乱を見てとったのだろう。耳の穴をかきながら、大谷が口を開く。
「勘違いがあるようだから言っておくけど――真澄は女だからね」
考えてみれば分かりそうなことだった。堂島ははっきりと『部長は異性装者』だと言っていたではないか。本人も登場して早々に、異性装の素晴らしさについて演説していた。
そう、異性装なのだ。
女装ではない。男の格好だからと言って、男である保証などどこにもなかったのだ。
「男装、だったんですか……」
「女だからって女の服装でいるのではあまりに芸がないだろう。私は異性装の伝道師を、性のハイブリッドを目指しているんだ。可能性の極限を追求したいんだよ!」
意味が分からないのはもう慣れた。ただ――
「ん? 胸が気になるか?」
視線を辿ったのか、私の疑問を先読みする。女性は胸への視線に敏感だ。同性からでも、それは例外ではない。
「もちろん、サラシを巻いてる。Dはあるからなかなか苦しいんだがな。嫌ではないが、時々胸のない人間が羨ましくなるよ!」
「……死にたいの?」
胸のない副部長が殺意に目覚めている。こういう話題に真っ先に反応する真は、うな垂れたまま押し黙っている。限界が近い。
「いい加減、本題に入ってもらえない? もう日が暮れかけてるんだけど」
沈み始めた陽を見ながら、大谷がイラついている。確かに、これ以上時間をとる訳にはいかない。真は使い物にならないので、仕方なく私が進行役を買って出る。
「あの、話聞いてたなら分かると思うんですけど、私たち――」
「ああ、あの子のことだろう? 松前ひかると言ったか。歩夢を私の毒牙から救い出そうと必死になっていたな。勘違いとは言え、赤の他人のためにあそこまで頑張れるのは賞賛に値するぞ!」
「しばらく行動を共にしてた、って聞きましたけど」
「その通りだ。行方を知りたいのなら、私との足跡を辿るのが一番の近道だろうな!」
回転の早い人間は話も早い。ようやく次の段階へ進めそうだ。
「とは言え、できれば日を改めてもらえると助かるな! 君たちも、私の毒気に当てられて疲労困憊だろう! そっちの彼女なんて、今にも倒れそうだ!」
「そう、ですね……」
疲れきった真を横目に、私は頷く。この人、一応人の話は聞くし、周りのこともちゃんと見えているらしい。
「その代わりと言ってはなんだが、こちらからも二つほど質問があるぞ!」
「答えられることであれば……」
嫌な予感しかしないが、突っぱねる訳にもいかない。
「まず一つ。件の松前ひかるだが、彼女は失踪したのか? まだ詳しい事情を聞いていなかった筈だ!」
瞬間、和美とアイコンタクトをとる。隠す理由は何もない。鳴川も、話した途端に態度が軟化した。私は必要最低限の言葉で、ひかるが自殺したこと、その理由が不明で生前の足跡を辿っていることを伝える。
「ウソ……」
口に手を当て、青ざめているのは大谷だ。
他の部員も同様で、想像以上に重い話にショックを受けている。
「そういうことなら、早く言ってくれりゃいいんだよ……」
苦々しく、堂島が呟く。
「すみません。言うタイミングがなくて……」
「よろしい、分かった! この話は以上だ!」
暗い空気を吹き飛ばすかのように、真澄は声を張る。
「そっちのモジャモジャの彼!」
指を差された和美が面喰らっている。今までその天パを揶揄されたことは多いだろうが、こんな風に呼ばれたのは初めてだろう。
「……勝浦です。勝浦和美」
「和美くん! さっきの推理シーンはなかなか鮮やかだったねえ。時に、君はどうやって歩夢が件の女装子だと気付いたんだい? どんなトリックを使ったのかな?」
一瞬、答えに詰まる。私は何となく察しがついていたが、もしそうならこの場で真実を語る訳にはいかない。
「トリックなんてありません。女装だって推測はできてましたから、あとは消去法です。堂島さんの体格じゃ厳しいでしょうから、残るのは立花君しかいないじゃないですか」
「自由が男だと見抜いていたようだが?」
「それに気付いたのは、もっと後になってからです。あの時点では、普通に女子だと思ってましたから」
「なるほどねえ! しかし、さっきのアレはなかなか様になっていたな。あの口うるさいミチルをやり込めたときなどは、胸がスッとしたよ!」
「口うるさいのは認めるとしても、宇宙でアンタにだけは言われたくない」
大谷の呪詛を軽く受け流し、真澄はさらに声を張り上げる。
「ここからが本題なんだが――単刀直入に言おう」
真澄の目が爛々と輝いている。その目に、和美は射竦められる。
そして次に発せられたのは、誰もが予想だにしない一言だった。
「和美くん――君は、芝居に興味がないか?」




