鉄腕ボーイ
千春 ♂
真 ♂
和美 ♂
千尋 ♂
数十分後。
「空振りだったねえ……」
町田家にて、今日一日の反省会をする一同の姿があった。いつの間にか、喫茶桐壺に集合して町田家で総括するというのが一連の流れになってしまっている。今はリビングで扇風機の前に陣取り、途中のコンビニで購入したアイスを口にしている。
ちなみに、町田家一週間限定の居候であるヒロ兄は、リビングの中央で大の字になってイビキを立てている。
上半身裸で。
この場には野郎しかいないから構わないのだけど、さすがに――これはどうなんだろう。
取り敢えず、タオルケットを投げつけておいた。
閑話休題。
「二日も使った割には、無駄骨だったね。でもいいか。アイツの行動指針がはっきりしただけでも収穫だと思わなきゃ」
間延びした和美の台詞を受け、真が妙にポジティブなことを言う。
「じゃあ、ちゃっちゃ次行っちゃおうか。次の目撃証言は……」
「ちょ、ちょっと待て!」止めずにはいられなかった。「鳴川の話は終わりか!? それはないだろう。分からないことだらけだぞ。ひかるは何であの人にそこまで執着したんだ。アイツ、野球になんか興味なかっただろ。それに鳴川自身もおかしい。草野球しながら野球部のマネージャーやってるとか、どう考えても納得できない」
「簡単なことだって。思い出してもみてよ。アイツはかつて、人の役に立ちたい、人助けがしたいみたいなことを言ってたんだよね?」
それに、これ――言いながら、ひかるのスマホを手に取る。
「このアプリはどんなのだった? それを思い出せば、もう答えは出たも同然じゃんか」
そこまで言われれば、さすがに俺でも気が付く。
「アイツは、鳴川の性別を変換させた――のか?」
「ご名答。鳴川翼は、元々女だったんだよ」
「そう考えると、色々腑に落ちるでしょう?」
足を投げ出し、フローリングに手を突きながら、和美が続ける。
「野球が好きで草野球チームにまで入り、学校でも野球部に在籍。なのに、役職はマネージャーなんて矛盾にも、これで説明がつく。男子に混じって練習するのなんて現実的じゃないし、そもそも高野連の規定で女子は公式戦に出られないからねえ。一応、女子硬式野球の全国大会も開催されているし、女子野球のプロリーグだって存在してるけど、まだまだマイナーなのが現実。色んな動きがあるみたいだけど、まだまだ野球は男のスポーツって認識が圧倒的なんだよねえ」
鳴川は野球少女だった。
和美の言う通り、そう捉え直すと様々な違和感にも説明がつく。
「草野球の試合で、ひかるが代打を申し出たのも……」
「そう。投手が女子だったから。さすがに、同じ高校の生徒ってくらいじゃ、ひかるも食いつかないよ。それ以上に親近感を抱かせる、『同性』ってポイントがあったからなんだよねえ」
間延びした声で解説を続ける和美。
「それにさ、鳴川さん、ひかるの胸ぐらを掴んだって話だけど――さすがに男子が女子の胸ぐら掴んだりはしないでしょお。あれも、同性だったからこそなんだろうねえ」
幸いにも胸ぐらを掴むような女子と関わったことなどないが、鳴川の真面目で苛烈な性格からすると、それも伺える。
「それ以前にさ」身を乗り出し、真が口を挟む。「ひかるを叱った時に、あの人『ド素人が試合の邪魔すんな』って怒鳴ったんでしょ? それだって、よく考えたらおかしくない? あの人の性格からして、『女が試合の邪魔すんな』って言いそうなものだけど」
「確かに、やたらと『男のくせに』って言ってたよな」
一つ思いついたので、俺も便乗してみる。
「あの人自身、男らしさ女らしさに拘ってるみたいだった」
「そういう口癖って、実はコンプレックスの裏返しだったりするんだよねえ。で、今回の場合は性別までもが裏返し。鳴川さんって、過去に散々『女のくせに』って言われ続けてきたんじゃないかな」
男のくせに。
女のくせに。
……別に、女が野球をしようが、男がマネージャーをしようが、俺は構わないと思う。しかし、世間はそうではない。だからこそ、鳴川は草野球と野球部マネージャーという二足の草鞋を選ばなければならなかったんだろう。
「男にできて、女にできないことなんてないと思うけどな」
「千春の言うことも分かるけどねえ……。やっぱり男女の体力差、筋力差って大きいよ。今の鳴川さんはマックス一四〇キロって話だけど、それにしたって性別反転補正が入ってのことだからね。女性の鳴川さんは、いいとこ一一〇キロくらいなんじゃないかなあ」
TSアプリで性別反転が起こると、体格は大きく変わる。男性になれば若干背は高く筋肉質になり、声も低くなる。女性はその逆で、少し背は低く、体型は丸みを帯びて胸が突き出し、声も高くなる。身体能力に関しても同様だろう。どうしたって、筋力では女性は男性に劣る。
男にできて女にできないことなどない。
女にできて男にできないことなどない。
今でもそう思う。
だけど、やはり限界はある。
「話を戻すけど――草野球で生き生きとプレイしている鳴川さんを見て、ひかるは思うところがあったんだろうね。望月高校の生徒ならばと、翌日アイツは学校のグラウンドに足を運んだ。きっと、鳴川さんが何らかの部活に所属しているかも、と考えたんだと思う」
顎に手を当てながら、真が説明を再開する。
「もちろん、野球部にいるとは思いもしなかったんだろうね。だからこそ、アイツ、最初は別の場所を探してたんだ」
野球部のすぐ横は、ソフト部の練習場だからね――と、会心のドヤ顔を見せる真。その顔には腹が立つが、鳴川の発言とは一致する。
「だけど、予想に反して、鳴川さんは野球部の練習スペースにいた。それも、マネージャーというポジションでだ。その時アイツはこう思ったに違いない。『この人、よっぽど野球が好きなんだろうなあ』『本当は、部活でも選手として参加したいだろうなあ』ってね」
そういう、ことか。
「多分その日の内に、ひかるは性別反転を行ったんだと思う。携帯で撮られたなんて話はなかったから、多分隠れて撮ったんだろうね」
「アイツはそれで、鳴川が高校球児として活躍するのを夢見たってことか」
「だけど、それがとんだ勘違いだったんだよねえ」
遠い目をしながら和美が引き継ぐ。
「ひかるが抱いていたのは、ファンタジーなんだよ」
「ファンタジー?」
「そ。『全ての野球少女は、甲子園みたいな大きな舞台でプレイすることを夢見ている』という、ファンタジー。もちろん多くの子はそうかもしれないけど――鳴川翼は、そうではなかった」
「純粋に野球が好きで勝負事には興味がないって、アレか? そこは本心だったのかよ。俺はてっきり、女性であるがゆえに選手として活動できないことに対しての、強がりか何かだと……」
「なら、男になった今でも同じことを言ってるのはおかしいでしょ。あの人は、本当に草野球で十分だったんだよ。マネージャーという立場にも、十分満足してた。それは性別が変わっても同じ。そこを、ひかるは勘違いしたんじゃない?」
「二十六日に鳴川さんに会った時、『せっかく』って言ったきり、絶句しちゃったって話したでしょ? 千春は『せっかくそれだけの実力があるのに』って早とちりしてたけど、実は違ったんだ。アイツは、『せっかくあたしが男にしてあげたのに……』って、そう言いたかった筈なんだよね」
真の言葉に、思わず苦笑してしまう。そこだけ抜き出したら別の意味に取られかねない。TSアプリを知らない人間なら、尚更だ。そう思ったからこそ、ひかるも言葉を飲み込んだのだろう。
「要するに、全てはアイツのお節介だった、ということか……」
何だか脱力した。ひかるの、誰かの力になりたい、という意思は分かった。だが、それだけだ。鳴川の考えが自分の思い描いてたモノとは違ったからと言って、それで自殺したりはしないだろう。
これは確かに、空振りで無駄骨だ。
「納得した?」
真が悪戯を企む悪ガキのような顔で覗き込んでくる。やはり腹が立ったが、ここは首肯しておくしかない。
「OK。じゃあ、次の目撃証言を検証するよー」
「待て」その前に、一つだけ確認したいことがあった。
「何だよ。まだ何かあるの?」
「鳴川はあのままでいいのか? 元々女だったのを、ひかるの勘違いとお節介で男に変えてしまったんだろ? 俺たちの手で元に戻してやらなくていいのかよ」
「それは別にいいんじゃないかなあ」答えたのは和美だった。
「結局、男になったところで何も変わってないんだし――球速が上がったんだから、むしろ今のままの方がいいかもしれない」
「そう、なのか……?」
釈然としないが、この程度のことも分からなかった俺に発言権などない。そういうものとして従っておく他ない。
だけどその時、思わぬところから反論が上がった。
「それは可哀想だろ」
突然の声に、三人揃って振り向く。
ヒロ兄が、寝そべったままこちらを見ていた。半目を通り越して、ほとんど糸目だ。
「聞いてたのかよ」
「と言うか、起きてたんですね……」
真がぎこちない笑みを浮かべる。半裸の状態でタオルケットをかぶった友人の従兄弟を見たら、そんな顔にもなるだろう。
「お前らさ、それは可哀想だって」
腹筋を使って起き上がり、「あちぃ」と言いながらタオルケットを剥ぎ取る。
「服着ろよ」「あちぃんだよ」「みんなそうだよ」「いいだろ別に」
野郎しかいないんだから――ヒロ兄の言葉に対する、俺の反応は早かった。目の前に置いてあったスマホを取り上げる。
「真」
☆
「ちょ、ちょっと、服着てくださいッ!」
ツインテールの少女が、顔を手で押さえながら赤くなっている。
「ほら、女子高生が恥ずかしがってるぞ」
「お前さあ……」傍らに脱ぎ捨ててあったタンクトップに袖を通しながら、半目のまま鼻の頭に皺を寄せる。「そういう使い方するなよ」
「夏だからって裸で寝てる方が悪いんだろ」
「あの、それより、さっきのってどういう意味ですか」俺たち従兄弟のじゃれ合いを遮ったのは和美だ。「可哀想って……」
「だってそうだろ。その子、男のまんまじゃ切ないって」
「ど、どういうことですか」
そっぽを向いたまま真が尋ねる。ヒロ兄、もう服着てるぞ。
「よく考えてみろってば。その子、本当に野球が好きだからって、そんな単純な理由でマネージャーになったと思うか? 違うだろ。そうじゃないだろ」
「え、いや、だって……」
「どう違うんですか?」
さっきまで得意気に解説していた二人が、揃って首を傾げている。
「真ちゃんも和美くんも、詰めが甘いな。もう一度、よく考えてみな」
――鳴川翼は、女子だったんだぞ?
「好きなのは、野球だけなのか?」
ヒロ兄の言葉が、時間をかけてじわじわと染み込んでくる。
脳の中心まで浸透したと同時に、俺は立ち上がっていた。
「お、鈍感な千春が気づいたらしいぞ」
「……ちょっと行ってくる!」
ヒロ兄の軽口を無視して、俺はリビングを飛び出した。
もちろん、ひかるのスマホは忘れない。