アイどるっ!
「暑い……」
太陽が晴天の青空にこんにちわしている頃。
コンクリートジャングルが熱をこもらせ、風を奪い、俺の体力をガンガン削っていく。
駅前のモニュメントでの待ち合わせというのはわかりやすい目印ではあるものの、夏は暑く、冬は寒いという長時間待つには不向きの場所だ。
そこに集合時間の午後一時から十分前に到着し、待つこと一時間。
ティーシャツがびしょ濡れになり、駅内の売店で買ったアイスカフェオレがホットに変わったころ、やっとメールが届いた。
放置しすぎて伸びに伸びた髪をセンターで分け、眼鏡の位置を調節しながらケータイを開いた。
『ごみん。親父につかまった。まじごみん』
『グッ、すまない……ドジっちまったぜ。後のことは頼んだぞ……ぐはっ』
『本日ゆうたんのライブだったことをすっかりわすれてたでござるwww』
「ふざけんなァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
というわけで絶叫したのが数分前。
今はこうしてベンチに座ってこれからどうするか考えている途中である。
とりあえず近くのファミレスにでも入ろう。
せっかく片道四百八十円の切符を買って出てきたんだ。
何か収穫がなければ往復九百六十円をドブに捨てるようなものだ。
「あの〜すみません」
「はい?」
見上げると、そこにはスーツ姿の女性がいた。
長い髪を後頭部でお団子型にかためてマジックペンで留めている。
………………長袖のスーツってかなり暑そうだな。
「この近くに街並スタジオっていうのがあるはずなんですけど、場所、知りませんか?この街に来るのは初めてで、道とか全然わからないんですよ」
街並スタジオというのは今いる駅前西口広場から二十分ほど歩いた所にあるライブハウスで、この街で一二を争うほどの大きさを誇っている。
スーツだから仕事中だと思うんだが、ライブなんて行ってていいのか?
とは思いつつも結局は赤の他人なので、そこはスルーしておこう。
「知ってます。案内しましょうか?」
「えっ!いいんですか?」
「ちょうど待ち合わせ相手にドタキャンされたところで暇だったんです。気にしないでください」
「ありがとうございます。ふたりともー!スタジオの場所教えてくれるってーー!」
………………二人とも?
「ほんとう!?はやくいこうよ!」
「ありがとう、助かるよ」
少し離れたところで数人の女性グループに話しかけていた少年達が振り向いた。
あれ?こいつら見たことあるぞ?
「それじゃあお願いします」
「え?あ、はい」
スタジオに向かってる間。
ずっと二人のことを考えていた。
誰だったっけ?
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「なるほど。こういうことね」
スタジオの前には大勢の女性が集まっていた。
十代を中心に、総勢千人以上。
皆同じ白い横長の紙を持っているところを見ると、どうやらこれからやるライブを見に来たようだ。
そして扉の前には数人のスタッフと立て看板が掛かっている。
『マイルス』の文字がでかでかと書いてある。
マイルス。
日本でトップを独走している二人組アイドルユニット。
いまや日本が世界に誇る『DATEプロダクション』の所属アイドルである。
テレビをつければ、マイルスの四文字を見ない日はないだろう。
何でそんなトップアイドルがのこのこ歩いて現地集合なんてしてるんだろう?
というか何でスタジアムを貸しきったりせずにライブハウスでやってるんだ?
ざっと百倍は集客数が違うだろうに。
「ありがとうございました。おかげで何とかライブに間に合いそうです」
「いえいえ。たいしたことはしてませんので、お気になさらず」
「何かお礼をさせ、」
「にっしー、はやく!時間ないよ!」
マイルスの一人。
見た目中学生のショタっ子アイドルが声を張り上げた。
おそらく、『にっしー』とは彼女の事だろう。
「………………」
何とも気まずそうな顔で悩んでいる。
本当にお礼なんていいのに。
「どうぞ、行ってください。こっちはむしろ暇つぶしに協力してもらったものですし、」
ぐいっ。
………………はい?
にっしー(仮)が俺の右手首をむんずと掴みとると、ずんずんとスタッフ・オンリーと書かれた扉へと向かって歩いて行った。
必然、俺は引っ張られてそのまま扉の中に入っていく。
「……あの、にっしー、さん?」
「西見 春香です。DATEプロのプロデューサーとして受けた恩をそのままにしておくわけにはいきません」
「……えっと、それで何でバックステージ連れ込まれてるんでしょうか?」
「だって……」
急に立ち止まり、俯く。
随分といきなりだったから、危うく体ごとぶつかりそうだった。
にっしー改めて西見さんの身長は俺よりやや低めなので、お団子がちょうどよく鼻に追突した。
髪を留めてるペンが地味に痛い。
すると西見さんは急に体を半回転させ、俺を正面から見た。
「だって何をすればいいか思い浮かばないんですもん!」
………………え~~。
というか、涙目の上目使いで『もん!』とか言われちゃうとマジで年下にしか見えない。
この人一応年上だよね?
「だから、楽屋で待っててください!打ち上げに参加してください!お金は私が出しますから!」
「いや、本当に気にしなくていいですって。確かに時間だけは腐るほどありますけど、道案内ごときで飯奢らせるなんて横暴というか無茶振りというか、そんな事はカケラも思ってませんから!だから、」
「『甘宮』を予約してるんです!」
「ぜひとも行かせて頂きますッ!!」
甘味処『甘宮』。
『美味しいスイーツ、素晴らしいスイーツ、神掛かったスイーツ』というフレーズとイコールで繋がれている甘味処の頂点。
普通に店を開くと行列が長すぎて周囲の店の迷惑になる上、道路を人が塞ぐので、警察から厳重注意を受けたりしたらしい。
注意しに行った警官も言いづらかったろうに。
その一件以来、店は完全予約制となった。
数ヶ月先まで予約はいっぱいであり、たとえ内閣総理大臣だろうが米国大統領だろうが横入りは厳禁、という一歩間違えれば国際問題に発展しそうな制度をとっているのだ。
つまり何が言いたいかというと、『甘党のサンクチュアリかつメッカ』であり、しかも『人生に一度食べれたら奇跡という驚異の競争率』を持っているということだ。
甘党の俺としては、甘宮の名前だけは見逃せない。
「それで、楽屋ってどこにあるんですか?」
「正確にはメイク室です。ここって会場を広めにとっている代わりに、裏方のスペースが狭いので全部メイク室で衣装やメイクのセットをしているんですよ。それに今はもう二人ともステージに移動してるだろうし、大丈夫のはずですしね。場所はここです」
そう言って右手の人差し指を真っ直ぐ横に向けた。
なるほど、思考が停まったからここで止まったんじゃなくて、目的地に着いたから止まったのか。
「それじゃライブが終わるまで大人しくまってます」
「ええ、それでは私はステージ脇に行ってきます」
そう言って曲がり角に消える西見さんはとても輝いて見えた。
「……楽しいんだろうな。仕事」
今年で高校三年生。
もう進路を決めるには遅過ぎるぐらいだが、今だに進路の紙には何も書けていない。
国立大学なんて俺の学力じゃ無理だし、私立は金がかかり過ぎるし、就職にしてもやりたい仕事が見つからない。
まあ、なるようになるさ。
その時はその時の俺が考えればいい。
ともかく、今は甘宮だ。
急いでメニューを検索しなくては。
やばい、ぞくぞくしてきたぜ!
銀にくすむドアノブを捻って中に入る。
どこかそのへんの椅子にでも座ってメニュー検索を、
「う〜〜〜〜ん欲求不満ねぇ」
嫌な予感がした。
今の口調は間違いなく女性のものだ。
しかし、なぜこんな周囲に響くような低音ボイスなのだろう?
「あら、どちらさま?」
女性(絶対違う)が振り向いた。
赤いパンツに胸元が大きく開いたワイシャツ。
整ったアゴヒゲと、ドレッドヘアー。
そして、
マスカラの載ったぱちくりお目々。
「…………うぷっ」
「何よ。失礼ね」
な、なんだこの生き物は!
……いや、冗談だがな。
今までこのようなタイプの人には会ったことがないから、耐性がまったくないんだよ。
この空間で何時間も待たなきゃならんのか。
しかし!
これも甘宮のため!
「ねぇん、わたし欲求不満なのよぉん。あなたで解消してい〜い〜?」
ごめん、母さん。
俺死んじゃうかも。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「うん!バッチリじゃなぁい!マイルスは二人ともキャラ固まってるから髪型とか変えられなくてねぇん。ありがと、テストカット受けてくれて」
「いえ、そろそろ切ろうかと思ってましたし。むしろありがとうございます」
この人はメイクさんだったようだ。
名前は梶原 秀則。
カジさんと呼んでくれと言っていた。
DATEプロダクションのほとんどのアイドルはカジさんにメイクしてもらってるらしい。
人がいないのか、それとも優秀だからなのか。
おそらく後者だろう。
長年放置してかなりの量になっていた俺の髪を綺麗にまとめ、櫛で念入りに梳いてからハサミを入れた。
そうして出来たのが、外ハネ気味のウルフカット。
薄く化粧もされ、何時もの自分とはほど遠く、見かけだけはカッコ良くも見えるが、黒縁メガネが完璧に邪魔をしている。
でも外すと見えないしなぁ。
「やっぱりメガネが邪魔ねぇ。コンタクトとかにしないの?」
「……目に何かを入れるって怖くないですか?」
ぴたっ。
あれ?
止まったぞ?
「かんわいいぃぃぃぃぃぃッ!」
まさかのフライング・ボディプレスッ!!
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「今日のライブも大成功だったね、西見くん。高卒の君がプロデューサをやらせてくれって言ってきた時は正直どうなるかと思ったけど……。君を雇って良かったよ」
「ありがとうございます、社長。もうただの小娘だなんて言わせませんからね」
ライブ終了後。
私はDATEプロの社長と一緒に楽屋に向かっていました。
三月に高校を卒業して、プロデューサーになってからの約四ヶ月。
無名だったマイルスをここまで引っ張るのにはすっごい苦労しましたが、二人ともとってもいい子でがんばり屋さんなので、直ぐに人気も上がり、今ではDATEプロの看板アイドルになっています。
「そういえば道案内してくれた人が楽屋で待ってるとの事だったけど?」
「はい。打ち上げの食事会にお呼びしようと思いまして。彼がいなければ、ライブ開始が遅れちゃってましたし」
「そうだね。じゃあ、彼にも甘いスイーツをたらふく食べてもらおうか」
最後の角を曲がって、楽屋前に付きました。
さて。
それじゃ急いで甘宮にいきましょう!
『ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
おっさんに抱きつかれるだけでも大ダメージなのにそこにオネェが入ると一撃必殺級になる。
「ちょ、ス、ストップ!なんですかいきなり!うわっ!どさくさに紛れて尻撫でないで下さい!」
「気にしない気にしない。そぉ〜〜れ」
気持ち悪い掛け声と共に、メガネが引ったくられる。
視界は一気に曇りガラスに覆われたかのように不鮮明になった。
「カジさん、マジ返して!メガネ無いとほんとに見えないんですって!」
「こっちよぉ〜〜ん」
声の方向に顔を向ける。
確かにカジさんらしき物体がうごめいてる、ように見えなくもない。
メガネを外すと、足元に何があるとか全然わからない。
だから動いてる物を若干感じることは出来るものの、顔なんて判別できない。
だが、この部屋には俺とカジさんの二人だけ。
動いてるものを捕まえれば良い。
ガチャ。
!?
扉を開けたのか!?
逃がすかッ!
俺は抱き着くように跳ぶ。
というか足が何かに引っ掛かって飛び込むように転んでしまった。
扉付近にいた人影におもいっきり激突する。
「きゃあ!」
………………あれ?
なんか違くない?
「ふみゅうぅぅ……」
へにょりと地面にへたりこむ人影。
「も、もしかして、西見さん!?すいません!俺、その、メガネ無いと何も見えなくて!」
「あんらぁ〜〜社長じやなぁい。今日も普通にチケット買って来たのぉ〜〜?」
社長?
DATEプロの社長がいるの?
「社長さん、違うんですよ!?これはカジさんがメガネを取るから、」
「ああ。この状況を見れば何があったのかはだいたい分かるよ。というかそっちは鏡だよ?せめて声の方向でわかってほしいなぁ」
あれ、怒ってない?
怒ってないよね?
「ねぇ社長。この子三人目っていうのはどう?」
「例のプロジェクトかい?ふむ、そうだね……いい線いってるんじゃないかな」
三人目?
例のプロジェクト?
何の話を……っていうかメガネ返して!
「君、歳はいくつ?」
「あ、十八です」
「高校生?」
「はい」
「部活は何に?運動部?」
「いえ、軽音楽部に」
「へぇ、そうなのか。パートは何を?」
「えっと、メインはボーカルで、たまにギターも引きます」
「大会成績は?」
「数自体が少ないのであんまり出てませんけど、ストリートフェスティバルには出たことがあります」
「ああ、高校生だけのステージか。もしかしてバンド名はSPLITかい?」
「知ってるんですか?」
「私は実家がここでね。祭りにはわりと参加してるんだよ。そうか、君があの……」
え?
あの何?
スッゴい気になるんだけど。
「社長。皆撤収しました。そろそろ……」
「報告ありがとう。それでは打ち上げ、楽しんでいってくれ」
「はぁい、メガネ」
寄越されたそれを慌てて掴みとる。
かけ直した時、既にそこには誰もいなくなっていた。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「暑い……」
日が明け月曜日。
ヘアメイクの知識がないので、寝癖を治しただけのぺたっとした髪にメガネ。
化粧も昨日のうちに落として、普通に髪を切ってきただけの俺になっていた。
教室の中は窓と扉が全開にしているが、ほとんど風なんて入ってこない。
俺は机に全体重を預けながら、買っておいたアイスココアを飲む。
少しぬるくなってるけど。
「おー、髪切ってきたんだ。かなりスッキリしたね」
一人の女子が鞄を片手にずんずんと歩いてきた。
つんつん気味のショートカットに、こんがり焼けた小麦色の肌。
その顔に爛々とした猫目を貼りつけて、こちらに笑顔を見せる。
「ああ、スッキリした。お前ら全員がドタキャンしてくれたせいでな」
「いやーごみんごみん。町内会の北側の人達と野球しなくちゃいけなくなってさ」
そんな理由かよ。
むかついたので少しいじめてやる。
「キャースゴーイカッコイーツキアッテクダサーイ」
その言葉を言った瞬間、彼女の体がびくんっ、と大きく跳ね、震えを押さえるように両肩を抱きしめた。
「や、やめてよ!私はノーマル!男の子が好きなんだから!」
「で?お前のファンの女子は何人来てたんだ?」
「………………じゅ、十八人」
「野球とか男らしいスポーツやってるから男子より女子に人気が出るんだよ。お袋さんと海の家やったらどうだ?」
「あんな脂ぎったオッサンに水着で給仕なんてしたくない」
「でもこの前俺が行った時はやってただろ。ローレグビキニ着て」
「あれはマイルスのCD欲しかったから仕方なく……」
「限定50名のサイン入りグッズの応募券手に入れるために二十枚も買ったんだっけ?そんなサイン偽物に決まってるだろ」
「偽物じゃない!」
ごそごそと鞄をあさって、一枚の下敷きを取り出して俺に突き付けた。
「ほら!サインだけじゃなくマイルスとマネージャーの写真も付いてるんだから!」
そう言って出した写真には、マイルスとスーツ姿のドレッドヘアの男が写っていた。
いや、カジさんじゃん……。
「その人はマネージャーじゃないし、サインも違うぞ」
実は昨日、甘宮での食事会の時にマイルスがサインしたコースターを貰った。
俺のグラスの下に敷いてあったやつである。
しかもマイルスと本当のマネージャーである西見さん、それにカジさんと社長さんも交えての六人で撮ったポラロイド写真もある。
サインは目の前で書いていたから確実に本物。
というか本人はあまりサインをしないらしい。
そういう応募されるものはカジさんが代行して書いてるようだ。
『そういやこの前、俺の知り合いがサイン入りグッズを手に入れるためにバイトしていたんだが、あれって自分で書いてるのか?50人分だったっけ?』
『そんなにかけないよ〜』
『ああいうのは私が書いてるわよん?ほら、私って忙しい時と暇な時ってはっきり別れてるし』
カジさんの書くサインには左端に点を付けているらしい。
こいつの持ってるサインにはしっかりとその点が入っていた。
正直、バイトまでしたのに、とこいつの事が可愛そうになったのは内緒だ。
鞄を机の上に置き、クリアファイルを取り出す。
その中にあるコースターを見せようとした時。
「……ねえ」
「ん?」
「放送。呼ばれてるよ?」
よくよく聞いてみると、呼んでるのは俺の担任。
笑いながらド突くので有名な暴力教師だ。
しかし一度も問題にならないのは人徳のなせる技か。
総合的にいい先生だから、多少のことはご愛嬌としてスルーされるのだ。
「ほら早く!」
「……あ~はいはい」
呼ばれる理由には心当たりしかない。
おそらくは進路についてだろう。
先週の金曜日に提出締切だった進路希望調査用紙を出さずにぶらぶらとゲームセンターに行ってたからな。
というか実をいえば締切はさらに二週間ほど前だ。
俺が全然出さないから、こうやってズルズルと延びていってるが、もちろん他の生徒はとっくに出している。
今日こそはいつもの暴力がチョーク・スリーパーからアルゼンチン・バック・ブリーカーぐらいにレベルアップするかもしれないな。
そうなると浮かしかけた尻をもう一度椅子に戻したい所だが、流石にそれはマズイだろう。
主に俺の肉体的に。
コブラツイストはくらいたくないしな。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
廊下を曲がった途端、首から嫌な音が鳴った。
コキャッ、というかゴキッ、というか。
なんとも形容しがたいが、それは確かに骨が軋む音だった。
「おい、お前いったい何をしたんだ?怒らないから正直に話してみなさい」
人の首を鷲掴みにしてる人のセリフとは思えないな。
というより呼んだのは先生でしょう。
呼んだ本人が内容分かってないってどういうこと?
てか俺に何か問いただしたいならその手を離してほしい。
喋るどころか息を吸うこともできない。
「………………グポ、ゴポポポポ」
「多波先生、それぐらいにしなさい。彼、泡噴いてますよ」
そう言う初老の先生。
選択科目の関係で名前は覚えてないが、確か数学関係の教師だったと思う。
「お客さんがお待ちですからね。待たせるのはあまりよくありませんから」
客?
多波先生じゃないのか?
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「やあ、昨日ぶりだね」
そこには二十代後半ぐらいの男性が、座っていた。
髪は短く刈り上げ、整髪料の使用や髪染めはしていない。
少し灰色がかったスーツを着て、傍らには結構使い込んでいるように見える革の鞄を置いていた。
促されるままに椅子に座ると、こちらをじっと見てきた。
……男色じゃないよな?
「君に会うのは二度目だけど、その姿に会うのは初めてだね」
「……はい?」
誰だこの人は。
「えっと、どちらさまで?」
そういうと、軽く首を傾げたが、直ぐに合点がいったようで、ああ、と小さく声をもらした。
「DATEプロダクション社長の伊達信吾です。そういえば昨日はメガネをかけてなかったね。こりゃしっけい」
「あ、どうも。昨日はお世話になりました」
まさかこんな若い人が社長だとは思わなかった。
俺の中の社長のイメージといったらブランデー片手にキリッと、ってそれじゃ警察か。
「気にしなくていいよ。ファンの方々を待たせるという事態は避けれたんだからね。やはり経費削減とか言ってレンタカー代をケチったのが悪かったね」
そういって人懐っこい笑みを浮かべる伊達社長。
「それで、ご用件とは?」
と、ここで俺は本題を持ち出した。
時間的にも昼休みが終わりそうだったし、なにより気になった。
雑誌やテレビなんかでも引っ張り凧。
芸能界のトップを突っ走っているDATEプロの社長が俺にいったい何の用で来たのかを。
「そうだね。では本題に入ろうか」
そう言った途端。
纏っている空気が変わった。
それは空間を侵食して、先生達を圧倒する。
ゆっくりと鞄を開け、一枚の書類を出した。
それをテーブルに静かに置き、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
瞳は真剣そのものだ。
社長から視線を外し、ちらりと書類を見る。
そこには太字のフォントで、『契約書』、と書いてあった。
?
契約書?
「我がDATEプロダクションでアイドルをやらないか」
………………はい?
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「あれには流石に驚いたな。まさかスカウトされるなんて思ってもみなかったからさ」
そう言って笑うのは、日本のトップを走るバンドをやるアイドルユニット、通称バンドルの『ミリア』の三人である。
それぞれ高校生の時にスカウトされ、デビューから約一年近くの若者達。
自分は『未来を担う若人』、というタイトルの連続記事を担当することになり、その記念すべき第一回の取材に来ている。
「それからの一月は辛かったですね。あんなにギターを弾いたのは初めてですよ」
「ぼくなんてドラム叩きすぎてスティック何本も折っちゃったよ」
「私はそうでもありませんが」
「う〜そ〜だ〜。スラップしすぎて泣きながら弾いてたの知ってるもん」
「消毒液かけるたびにびくんってしてたな」
「な、な、二人ともーー!」
どこからどうみても高校生にしか見えない。
自分が彼らと同じくらいの頃はこんなにエネルギッシュだったろうか?
そんな若さが羨ましい。
「記者さん記者さん。ほかに質問とかありますか?」
「ええ、そうね。ではこれが最後の質問です」
もう時間もないのにぼーっとするなんて。
早めに切り上げてサインもらわなきゃ。
「これからの目標はなんですか?」
ニヤリと大きく口を歪ませる。
これからの日本のアイドル業界を支えていくであろう三人は、わたしを見て一言だけ応えた。
「『ビッグサイトッ!』」
「『ぶどうかんっ!』」
「『え、あ、こ、甲子園!』」
………………大丈夫だろうか?