第一夜 湖面の月が微笑む
吸血鬼に会いました。
これは夢です。夢です。夢です。
標葉は悩む、怒鳴る、驚く、名付ける、落ちた。
つまりはキャラ崩壊。
吸血鬼に会いました。
てなわけで、落ちました俺。
目の前に見えたのは真っ暗。ま、当然だな。冬の夕時だ、気絶していたのだからいつの間にか暗いのもわかる。
そしてまず思うのは、
(うん、手ぇ放さずに良かった!)
安堵。そうだ、暗いことに不安を覚えるでもなく感じたのは安心。この場所がどこかとか、とういうことじゃない。何故なら
(尻いってぇぇぇぇぇ)
服が下になってなきゃ俺のぷりちーな尻が傷を負っていたことだろう。
とりあえず服を着る。暗い中で作業をするのにはちょうどいいことに眼が暗闇に慣れてきた。
ごそごそ、ごそごそ。いてっ 何かぶつかった。
とりあえず、制服のポケットに入れておいた携帯のライトで照らす。ぶつかったものの正体が分かった。
(んぁ?なんだ、これ……)
呆れよりも感心がやや大きく、驚いた。背筋が寒くなる気分、とはこのことを言うのだろう。
箱だ。大きな、棺のような漆黒の箱。十字の紋様が大きく全体に描かれ、その中央に小粒ほどの大きさの紅の宝石が填まっている。そして封印でも施すかのように幾何学的な線による文字の織り込まれた布がKEEPINGテープのように巻かれている。その執念深さを表すように上蓋と本体との間の溝にはぎっしりと紙の符が貼られている。一様に古ぼけた、やはり線形文字の書かれたものだ。
(なんなんだよ、ここは……?)
無関心になりきれない。もともと好奇心は旺盛な方だ。それなのに行動力がない。それが俺なのだ。他人がどう見ているからはあまり知らないが、よく無関心だと表現される。否定せずにいたら定着した。それだけの話だ。
今ここで、好奇心を丸出しにしても危険は丸なし。つまり、行動を起こしても問題のない状況。暗いだけだ。得体の知れない封印チックな箱を開けたところで何だかが復活してもそれはフラグだ。襲われるようなことはないだろう。封印を施すって事は死体が入ってるわけじゃない。うん、恋愛フラグ。古の美少女が何者かから身を守るために、という某漫画のヒロインとか吸血鬼とかが眠ってたりするんだ、これは。
「あのー」
あれ、吸血鬼はヤバくないか?いきなり初対面で殺される確立あり。いやいや、そんなわけない。だってそんなのは何かのギャグ的だ。吸血鬼伯爵とか。うーん、その前に俺、男。男の吸血鬼の餌にはならないだろ、餌は異性だし。同性に対して血を飲むとか、ない。だって首筋にキスみたいなもんだぜ?ないって、マジで。
「あのさー聞いてる?」
完全ない。マジで。だってホモじゃん?それ。てかヤバいからさっさとヅラかろう。封印が緩んでたーとかそんなのイラナイし。この際だからフラグもいらない。未練はあっても仕方ない。だって俺、死にたくないし。
「おいよー!」
ああもう、五月蝿いな。……っ!?
「お前、誰?」
真正面、意識を向けたのと同時に視界に入る長い金髪。透き通るような空の蒼。紺碧色の瞳。
「っ」
「ああ、もう。遅いから起きちゃったじゃん」
闇の中に輝く月のような色合いのソレは壁の方へと手を伸ばし、パチッとスイッチを入れる。……ん?
(スイッチ、あったのか。しかもそんな近くに。)
なんて近代的なんだ、と思わず思ってしまったのは照らされた空間とのチグハグ感によって更に倍増することになった。何故って、ここが儀式めいた部屋だからだ。携帯のディスプレイなんてちっちゃな光で知ってしまった異様な空間が、めちゃくちゃ再現されてる……!!
床には血のようなもので描かれたらしき魔法陣っぽい紋様。その中央に棺が置かれ、それを縛るように古臭い鎖が四方の壁に釘で打ち込まれた器具によって固定されている。部屋を横断するそれは火の灯っていない燭台を横切り、空から影を落としていた。
その中で現代人の俺はボタンの掛け違えた制服に鞄、手には携帯というあまりにも常識な格好で男と向かい合っていた。銀髪ロンゲ、スカイアイ、中世にでも迷ったかのようなマントと装飾華美なゆったりとした服装、俺よりも少し高い背、端正な顔立ちは女性と見間違えそうな程に整っている。平凡な俺。どこか間違っちゃった感のある美形。不良チックに子羊な俺。美女といって誰でも騙せちゃいそうな麗人。学校のシャワールームから落ちてきたっぽい俺。棺に入れられ封印されてたっぽい男。とりあえず、ボタンをかけなおしまーす。
「本当はさー
『ん……?なんだこの箱は!?
これは――封印?なんて惨い……。
男は夢中で符を剥がしにかかる。古びたそれはたいした抵抗もなく破れ、そして重厚な上蓋はゆっくりと開けられた。
ああ、美しい。なんて美しい人なんだ。眠っておられるのか?
男は眠る麗人にすっかり魅了されてしまった。胸の前で組まれた手は細く、頼りなげに祈りを捧げていた。男はその麗人に手を伸ばす。柔らかな頬は冷たく、けれど薔薇色に輝いていた。
「なあ、何時まで続くんだ、それ」
そして手は首へとズラされる。細い首は今にも折れてしまいそうで、誘われるような鎖骨が眼に入り、男は更に手を下へとズラしてしまっていた。
そして気付く。その麗人は女性ではないことに。けれど男には止められなかった。自らの内に灯った欲望を。そしてそれを表すように麗人の唇へと近づけたのは己の下半――ぐぼぁ!!」
「欲望を表しすぎだこの変態がっ!!!」
思わず突っ込む。いや、ツッコミ。
頭に鞄を振り下ろした。それは無慈悲かつ正確に男の後頭部へと吸い込まれるようにヒットした。運命のようだ。ああ、運命と言えば運命だ。俺たちが出会ったのも運命と言えるのだろう。俺はディスティニーを信じる。ガ○ダムは好きだからな。いや、あれは男の子が避けては通れないものだ。女の子だって最近は深く浸透している。そういや最近、腐女子というのが棲息しはじめた。(男がそれにはまるのは腐男子というらしい。俺は違う)一部のアレな女子に人気なのだ、BL。実は俺の姉もそうだ。男と男の恋愛ドロドロを「頑張って!」と応援する結婚できない女だ。仕事では誰も口出しができないようなスペシャルなエリートの中のエリート。悲しいかな、本人は女性にお姉さまとか言われてモテまくっている。親衛隊やらストーカーも多数いる。(実はお茶を飲んで仲良しになった)姉も俺も一人暮らしなので被害は受けていないから現状、口を挟むつもりはない。姉の方も楽しんでいる節がある。
「何しちゃってんだよ!?初対面の眠ってる奴相手にっ!!しかも同姓だぞっ!?馬鹿!?」
思考は変なところに向かいつつも標葉はわりとマトモに突っ込みを入れていた。この不審人物はただの変態だ。いや、ただも何もない、普通に変態だ。ナチュラルに変態だ。もう関わりたくない。いや、前から関わりたくなかった。こんな人種がいる事は昔から知っていたからな。よく、身近に。禁忌という言葉が好きなナルシストな完璧主義者と過剰な程に家族(特に俺や弟たち)へ愛を向ける兄、セクシャルなちょっかいを出してくる小悪魔天使な双子とか……、理解不明な生物が極身近にいるんだよ。……子は親を選べない。そして兄弟も選べない。――悲しい現実さ。(ちなみに両親は化け物じみた童顔の万能超人スペシャリスト)
やべぇ、俺、家族の中で浮いてる。かなり普通人なんだが、すごい血を受け継いじゃったな。家系もすごいみたいで爺ちゃんは金持ちだ。両親は両方駆け落ち。但し仲は修復されている。孫たちに陥落したか……。
「人の迷惑考えろっ!?」
自分でも何故最後が疑問系になってしまったのかわからないが、一応。だって、ここらに人っ子一人いない。誰もいない。気配がない。いや、ここはどこだ?俺は誰だ?俺は標葉だ。
うん、記憶喪失ではない。記憶の欠落もない。いやいや、電波ではないぞ。電気着く前にきちんと着替えておかなかったらマッパでこの変態野郎に罵倒するほどの地位を獲得できていなかっただろう、とか考えてない。全く。俺は人間として立派なんだ、初対面でキワドイ言葉吐きまくる変態よりかよっぽど人間として出来てる。
「いやいや、俺が期待したから。人の迷惑って、俺だし」
冷静に返す男に自分が悪いような気になってくる。ただの冗談だったか?そう思いつつも言葉は毒舌にツッコミを続ける。俺って素直だなーって改めて思うよ。歯に者着せぬ言い草はストレートに彼への暴言になっているところが痛いところだが、それだけ彼が悪いってことで。
「俺の迷惑だ!!勝手に登場させるなっ!!どこの変態さんだよソレ!俺の役割に当ててるんじゃねぇよっ!?」
なぜかまた疑問。いや、何故って俺の役割といいながらもそれを実行に移さないように考えていたのだから、どうにも。実際の自分は面倒事嫌いーで急がば回れ、みたいに回避しようとしてたわけだしさ。ていうかこの状況、誰かさっさと説明して欲しいよね、ホント。
さて問題。何故俺はこんなところにいるのでしょー。この変態さんはどこの誰さんでしょー。
「なんだ、初心か」
「はぁ!?」
いやはや、思いっきり反応してしまった。予想外すぎた。予想外すぎた……。
男は悠然と自らの入っていた棺の上に腰を下ろしている。
「仕方ない、最初だから俺が懇切丁寧に教えてあげるよ。まずね、フェんぐっ!!」
「もう口を塞げ、永遠に死んでください、本当」
とりあえず、そこらにある千切れた封印の書かれた古布を口に詰め込んだ。限界まで入れさせてもらった。これでしゃべれないだろう。何を言おうとしてやがんだ、この男、非常識だ。いや推測できるけどっ!わかりたくなかった……!ついでに手足も拘束しておこう。それがいい、それが一番安全だ。俺に被害は全くゼロ。(本当は脳内初期化したかったが)うん、我ながら良くできました。男は見事に芋虫状になっている。ついでに蹴って床に転がした。ああ、すっきりした。いい汗かいた。世界的にいい事をしたよ。変態という名の害虫が一匹減った。
……嫌だな、こいつに構っていると俺のキャラが崩れる。ていうか、誰かが起こす前に起きたじゃん、コイツ。馬鹿だ、俺。これのどこがフラグだか。余りにも非現実的すぎて硬直したのが間違いだった。さっさとここからオサラバすればよかったんだ。いや、今からでも遅くないだろ。立ち去ってしまおう。
思い立ったが吉日、標葉は鞄を引っつかんでその場から去ろうとする。
「んっ……んんぅ……っん」
なんだか呼吸音が艶めき始めた気がする。と、背後に視線を移せば頬を高潮させている男。体をくねくねとよじらせている。……見なかった。下半身になんて視線は移さなかったぞ、俺。
「んんんん……っ!!!」
「しにさらせぇぇぇぇええええええ!!」
嘘ですよね!!絶対嘘ですよね!!俺、何も見てませんからっ!一瞬体が痙攣したかと思うと一気に脱力したようにして甘い吐息を吐いたのなんて見てませんよね!!
俺が見たいのは美女の痴態だ。あ、いや嘘です。本音過ぎました。とりあえず、現状回復のために口だけ吐き出させた。何だこの図、俺が変態異常者みたいじゃないか、と気付いたためだ。全くもって可哀想などと思ってはいない。しかし……どうやってこれを退治しようか。駆除したと思われた虫が復活してしまったぞ。虫が嫌いな紳士淑女も今は多いのだ、ここは俺が殺っとくべきだろう。
ぴんぴろり~ん。標葉は青い炎の殺意を芽生えさした!標葉は攻撃力が上がった!変態は怯まなかった!変態は攻撃を開始した!
「激しいね、君。初対面なのに」
「激しいのはお前だ」
「えっ!」
「そこで頬を染めんな変態」
溜息つきたくなる。何故こうもすんなり会話がスムーズに?いやな符合だなぁ。
「っていうのは冗談で、」
「どこが冗談だ?どこからどこまでが冗談なんだ、ぁあ″!?」
以上、会話だけでお送りさせていただきました。若干、最後キレましたけど。俺は穏健派。何事も穏便であると宜しいです。
「ヤンキーじゃないでしょ、君。ただの不良でしょ」
「ヤンキーと不良の違い言ってみろやぁ!!」
「言葉からして違うじゃん。君、キャラ変わってるよ」
平常心、平常心。
「俺、吸血鬼だから。ついでに君、契約者ね」
「……は?」
HAHAHAHAHA。
頭いっちゃってるー。俺のノリもいっちゃってるー。
風がピューと通り過ぎたように感じた。密室なのに。部屋だぞ?ここは。近代的な扉がある。開けた先に何があるのかは何故か未だ見ること叶わずにいるが。
しかし、吸血鬼というものがなんなのかこの男は知っているのだろうか。吸血鬼はドラキュラと混同されることが多い。しかしそれは違うと言おう。吸血鬼は名称からいってそれは現世においても存在するといえる。それは吸血蝙蝠と同等として扱われるからだ。吸血する鬼。しかし鬼というのは本来の意味で“鬼”であり、何も角が生えた化け物というわけではない。“鬼”は鬼畜の意味合いだ。つまりこの場合でいうところの、吸血する残虐性を持った生き物というのが吸血鬼である。
対してドラキュラは架空の人物である。小説の中に存在する人物であり、ドラキュラは吸血鬼に対する個体名だ。他にカーミラという女吸血鬼が有名だ。ドラキュラのモデルは実在の人物でありドラキュラ伯爵と呼ばれていたのだが、伯爵の実名がブラドというからブラッドと結び付けて考えられたのだろう。そして吸血鬼の英名はヴァンパイア。ヴァンパイアは何も吸血行為だけで人命を奪うわけではない。……と、こういう知識を引っ張り出してみたのだが、そんな苦労をするまでもなく目の前の男は吸血鬼ではないと証明できただろう。だってこの男は変態で電波だ。言っていることも甚だ可笑しい、変人。棺の中にいたことからも言動からも、怪しすぎて信用が置けない。無視するに相応しい存在。塵に等しい。
「自覚なかったの?もう普通の人間でもないのに」
「人間じゃない?……あー、俺、電波とは話したくないから」
妙なひっかかりを覚えたがこれがこいつの手法か、と次の瞬間には分かった。
(ったく、変態ホモ野郎かと思ったら今度は電波かよ。吸血鬼とか)
標葉は頭痛が痛くて頭を抑えました。ついでになんとなーく近寄ってきているような気のする自称吸血鬼の顔を抑える。ああ、俺の運命は何故こうも捻じ曲がってしまったんだか。
ガン○ムも普通の学生が巻き込まれてスーパーエースになって戦いの主軸を歩くことになるんだが。俺もそういう運命だったのか、ジーザス。あ、俺は赤い機体が好きです。宿命の対決って言うのは何時見ても感動するし心が熱く滾る。悲しみと怒りに叫んでるのが一緒に叫びたくなるよ。アレ、しつこくない?すごい語っちゃってる気がする。俺はオタクじゃないんですけど。マニアでもありませんよー。単に目の前の美形から現実逃避したいだけですよー。まじやべぇぜ、おれ。……この美形と視線、合わせらんない。
「身に覚え、あるくせに」
どこか艶めいた言葉。呆然と柔らかそうな唇を眼で追ってしまっていた。やっぱし綺麗。いやいや、自分に男色の気はありませんが、色気が凄くて、……あてられる。
契約するか、人間――。
あれ、もしかしてこいつが……!?
「君の血、おいしく頂かせてもらいました」
ニヤニヤと笑う男。
違うな。よく思い出してみろ、あれはもっと威厳があって寒気のするような、……得体の知れないもの。とりあえず、コイツではない。
男の綺麗さにドキドキするような鼓動は持ってないぜ、俺!アイアンハートですから。……本当はチキンですけど、違いますよ、綺麗な顔に迫られて動悸がするなんてことありませんから。とりあえず、状況が一向に代わりそうもないので外に出よう。男は置いていくことに決定。
「あれ、どこ行くのー?待ってよ」
「付いてくるな」
無碍にあしらう。が、逆に男に溜息をつかれた。心底呆れた、というようにして。本気でコイツむかつく。イラッと来た。イラッと。
「何言ってんの、俺がついてかないと君、痛い目みるよ?」
「は?何言って――っ!!」
(ナニコレ。魔物?え、そうなの?そうなんだよねぇ!?)
パニクッタ。ああいや、混乱だ。うん、当惑。だって目の前に今までに見たこともないような気持悪い生物がいるんですもの。
「あはは、今日、満月だからねー」
(めちゃくちゃ気持ち悪い!!)
どれぐらいって、俺の大嫌いな虫・昆虫・爬虫類の解剖よりも。大量に群れを成している蟻でさえ大量に発生して群れで黒い塊になっていると気持ち悪いのに、これはそんなもんじゃない。緑色の体液に紫の吐息、粘々した口内を晒して触手をウネウネ動かす、黒い甲殻の生き物。地球上に存在していたなんて……、いや、俺の夢の中の産物か。俺の頭はどうなってるんだか、解剖でもして中を覗いてみたいが、それをやると見る前に俺が死んでしまう。断念。
とりあえず、満月だと出現するんだか襲うんだかのこの生物。吸血鬼に倣うならこれは魔物と呼ばれるファンタジーの住人だ。嫌だ、帰りたい。
「一人だと危ないよー?」
今更遅いよ。
***
「俺……記憶なくしたみたい?」
起き抜けに、こんなことを言い出しやがった。
とりあえず、蹴飛ばした。身が震える。恐怖で。怒りで。勿論、自称吸血鬼に対してだった。変な生ものに対してではない。気絶している間に己の体に何をなされたかと思うと。ぶるぶる。
実際、眼が覚めた時にこの男、人の半身に顔埋めてやがった。まず、攻撃。身の安全を確保。乱された服、ベルトをしっかり締めた。本当は男が触っただろう部分、というか全身を水で洗い流してしまいたかったが、それもできない森の中。うん、後で水流を探そう。全くないってことはそれこそないだろう。
魔物、らしき生物。命があるだけのモノ。存在してはいけない存在。緑色で黒色で紫色なアレを処理したのは目の前の男だ。しかし、全くもって実感がわかない。そんな記憶は曖昧で否定したくなる。つまり、信じられない。……事実でしかないのだけれど。
「一人だと危ないよー?」と遅すぎる助言をした男は笑いながら、けれど身を挺して俺を生かした。魔物(土毒虫とかいう種類らしい。名前で分かるように猛毒があるんだと)の尻尾攻撃は俺を狙ったものらしい。振りぬかれたそれは見た目に反して素早く、俺は硬直したまま動けなかった。それで男は死んだ。
今は生きている。というか死んだの嘘だった。騙しやがった。相当焦った俺は男にこの場の解決方法を頼ったのが悪かったらしい。嘘をつかれた。曰く「一度目の契約は済んでいる。だから、力を解き放つ二重の契約をかけて」「契約には血液を飲ませること。君の血を俺に――」果たしてそれは実行された。瀕死の重症を負った彼だが、事態を好転させるに俺は無力で彼の方がなんとかなるのではないかと期待を抱いた。だからテンパッた俺は血を飲ませるなんていうので勘違いをし、自ら口付けてしまった。恐らく、男が茶化して誤魔化した眠りの物語のように。
結果。
俺は口内を荒らされ、獣のように息を継ぐ間もなく求められた。この現実に陥った原因である気持ち悪い物体がそこにいるのだ、そんなに長い時間ではなかったように思える。しかし、拷問のように長く続いたそれは血液という対価も含めて俺の意識を霞にかけた。
そうして男は壮絶な笑みを浮べると、俺を解放し、真摯なぐらいに壁に背を預けさせて楽な体制にしてくれると、一瞬で敵に近づき、蹴った。男は空中に飛んで、虫は飛散した。毒霧は衝撃か風に当たったようにこちらには流れず、虫は形も残さず体液を撒き散らした。一瞬の決着、一撃必殺でもないただの打撃。ボールを蹴るよりも容易く、風船ほどの緩衝もなく、空気ほどの抵抗で、砂山のように無意味な感触のまま、蟻でも殺すようにいとも容易く、命を奪われた。自称吸血鬼の金髪美女風変態麗人が命を奪った。実に呆気なく、事態は収拾したのである。
「は?俺に聞くなよ」
適当にあしらう。眼が合わせられない状況、第二弾。
現実を直視したくない。虫が死んだとか命が失われたとか、そんなことを問題にしているわけではない。世の中は世知辛い。……あんな状況とはいえ、この男にキスをしてしまった。事実だ。変態に。電波に。吸血鬼に血を与えてまで。虫は倒されたのだからいい、とかそんなことじゃなかった。仕方ない、しかたない。
仕方なかった?ああ、そう、うん。仕方なかったのだろう。
けれどコイツはなぜこんなに元気なのだろう。心なしか最初に見たより血色が良い。死んだかと思ったのにこんなにぴんぴんしている。今にも儚く逝ってしまいそうな雰囲気で折れそうな身体が腕の中、胸の前に頭を落としたはずなのに。何故、元気なのだろう。確実に致命傷、良くて毒を受けたはずだ。血を飲んだからなのか、自称吸血鬼め。
「名前付けてー」
そしてこの会話。吸血鬼と名乗るこの男、名乗るくせに記憶はないという。結構ベターにヘビーな事情を話された。以前の記憶はない、自分の名も覚えていない。しかし自分は吸血鬼である。究極の矛盾である、そう思うだろ?
この場に封印されていたらしきことは自分でもわかるらしい。そして満月の夜には魔物が多くなることや必要な動作や契約方法などは覚えている、と。生活に必要な知識の部分だ。己で推察するにこの世に生きるのが飽きて眠ろうと安眠妨害のために封印を施し自ら永眠したのか、誰かに窮地に陥れられたかで魔力が減って封印されたか。とりあえず、今は寝ぼけていて何も覚えていない……ということだ。弁解は以上。
この男おかしい。これは夢だ。ここは俺の、標葉くんの夢世界でございます。あんな気持ち悪い生物はどこから精製したのかと思って自分に気持ち悪くなるが、とりあえず。
カワイソウ。こんなに凝った設定を作ってしまって。本当にカワイソウ。
「適当でいいからー。ねぇ標葉―」
「ウザイ」
切り捨てる。さっさと水源掘り出しに掛かろうぜ、俺!
なんとなく変わってきた目的。森の中をブラブラ歩く。この男、記憶が戻れば使えたかもしれないのに……、ただ付いてくるだけでうっとうしい。しかしまあ、魔物が現われたら任せよう。もうついてくるなとは言えない状況がだけに。
「もうっ認めなよ!契約しちゃったもんはしちゃったんだから、どこまでも付いてくんだからねー?」
はぁっ
「ユエね、ユエ。由来は今日が満月だから、月でユエね」
「――うん!ユエね、俺ユエ!」
湖面に映った月は銀色で、綺麗に輝いていた。だからかもも知れない。夜闇に笑顔を向けるのが何だか月が笑ったように見えて、月――と呼んでしまっていた。
バシャン!!
俺、また落ちるのか?
ドジなことをしたわけでもないのに水に落ち、底へと引っ張られるように落ち続ける。