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閑話 ひっくり返す以前

標葉はその時立てなかった。

体中が沸騰するような熱さを感じ、けれど全身から血の気が引いたような眩暈がした。身体は平衡感覚を保てず、膝が地面にぶつかる。腕を着きたてたにもかかわらず、ふわふわとした感覚で、何も考えられず目の前さえチカチカした。意識が薄れようとして、薄れることが出来ないでいるようだ。グァングァンと耳の奥の方で鳴っている。世界の認識が上手くゆかない。

 それはきっと、全身の血が沸騰したかのような感覚で、熱に魘された身体は意識する間もなく力が抜けて身体を地面の冷たさに預けた。


 それからどのくらいの時間そうしていただろう。時間間隔などあの状況ではかれるはずもない。けれど漸く気分が良くなった時に視界を開き辺りを見回してわかった。

 ――血を媒介に世界を渡ったのか。

 何も水でなくとも良かったらしい。世界の橋に必要なのは液体、ということか。それが日常で使われるならば、一般的には水が一番だろう。以前までの数回を回顧しても他に液体というのはなかったように思える。それを、今回は標葉の身体の中にある血で行った。

 神が何らかの動作をしたのに対する反応だった。悲鳴のような声で、拒絶が聞え、――ここにいる。

 それは多分、時間がなかったのだろう。

 神が何かをする前に標葉を神から移動させる必要があったのだ。だからこそ、水の媒介がないあの場で、最終手段として血でもって渡ったということだろう。

(そういえば、……二人はどうしただろう)

 目の前で友人が消えて――それは夢なんかじゃない。現実のものと教えられる。

 圧倒的に、それは虚構なんかじゃない。自分ひとりだけが関わっているのならばそれで住んだ世界が、けれど決定的なまでに現実感を持ってしまった。


「標葉――!!」

 それは遠くから聞えた、確かな声。

 香寿だ。どこにいるのだろう、と周りを見渡す。見ればそこはもといた屋上だ。何故か時間はさほど変わらないようで、夕方の橙色が視界一杯に映り込む。

 手摺から身を乗り出すのは出来れば遠慮したかった。屋上からのダイビング(偽)を思い出しそうだ。しかし、下の方から声が聞こえたのだから、しかたない。覗き込む。

「香寿――っ!!」

 叫び、目に入った。小柄な影。

 素早く顔を上げた香寿に場所も考えず前のめりになった。だって、涙を溜めていたのだ。その大きな瞳に、視界が見えなくなるんじゃないほどの涙を溜めて、頬に流し、泣き声交じりの叫び声。香寿はびっくりしたような顔をして、涙を止めたが驚いたのは標葉の方だ。

近くには豊がいない。こんな状態の香寿を一人にさせるべきでない事はわかっているだろうに。そんな危険は冒すべきではない。

香寿の素顔を知る者は少ない。しかし、だとしてもこの状態は非常に危険だ。――以前の愚を犯す可能性がある。痛みと理不尽、不満ばかりを一方的に与えられた事件(トラウマ)

(そんなに走り回って、泣きまわって、豊と別行動をするほど……それほど不安にさせたのか)

 ――これは参った。

 誤魔化すことなぞ、出来ない。一部始終を語りつくすことは免れない。それが誠意であり、巻き込んだ“責任”だ。

「か――」

 ズルッ――

 滑る音、腕だ。身体が前に、虚空へと近づく。

「標葉!」

 香寿の声。身体は反射的に素早く動き、バランスを取――れた。

「っぶねえ――!」

 ぐいっと身体が後ろに流れる感覚がして視界が半回転、空を向いた。

豊の声と背の感触。腕が腹に回っている。仰向けに、二人で倒れた?

「あ、れ……豊、いつ来た?」

「……最初に言うことがそれかよ」



「標葉!豊!だい、じょ……ぶ、ですっか……!」

 タンタンタン!――バダンッ

 余程急いできたのか、屋上までの階段を全力で上がってきた香寿は途切れ途切れに問いかける。豊の手を自分から解き、解き……としていた標葉は顔を上げて立ち上がる。ヒラヒラと手を振って笑顔を見せ、大丈夫の意を告げる。

「よかった……ぁ」

 へなへなと、安堵の溜息をついて膝を着く。先ほどまであった悲しげな様子は拭い去られ、今は脱力に全身を軟体動物のようにしていた。……体力がないから。

 ちなみに、標葉もスポーツタイプではないので、体力はそれほどあるわけではない。グランドから屋上まで走ってきたならそれなりに疲れるし息切れもする。煙草を吸うような不良ではないが、肺活量が少ないのだ。しかし、運動神経はそれに比例するものではない。この三人の中では一番動きのいいのが標葉だった。

(……でも、今のは――)

 豊が駆けつける前に自分は体制を治していた。それは、本来なら出来ないはずの動作だ。

 けれど、あの時は咄嗟に身体が動いた。いつも以上に、反射神経とかの問題以上に、正確で義務的な落ち着いた動作をして見せた。

(――どこかで、わかっていたような気がする。もう、“否定”できないんだって)

 契約――したじゃないか。

 あの場所で、幾つ言葉を交わした?どれほどの時間を歩んだ?何一つ、信じていなかったというのか?――彼らの存在を、本当に現実にないものと考えていたのか?


「香寿、豊」

 脱力した香寿に手を出し引っぱり上げ、もう一度先ほどまで立っていた場所まで行った。

 地面を見下ろせる手摺の、そのすぐギリギリの場所。

「……ここから今、落ちかけた」

 標葉の様子を読み取ってか、二人は静かに話を聞く。

「でもさ、大丈夫だった」


「俺、――もう、“一般人”じゃない」

 吸血鬼と契約して、サキュバスと契約して、勇者の一撃も防いだし、神様にも会った。

 ――死神とも、契約をした。



「……話がある。聞いて、ほしい」

 もう、戻れないところまできてしまっているような気がした。

「俺たちも、話しがある――この一日、どこで何をしていたのか」


「え……?いち、――に……ち?」

うそ、だって、……え?


「10月の30日の夕方。……標葉が僕らの前で突然いなくなって、丸一日」

「何があった?いや、何に巻き込まれてるんだよ、お前」

 厳しい声が重なり、問いかける。

 混乱する。だって、一日なんて経過――嘘のようにしか思えない。あっちで過ごした時間はこちらにも作用する。だが、それにしたってまるで誤差がない。現実に、どこか海外にでもいたかのような時間差しかない。夜に落ちて、朝に目覚める。現実に?この地球のどこか別の場所?――ゲームの中でも夢でも、異世界でもない……この世界で?

(馬鹿げた空想だ)

 ドでかい虫のようなモンスターに吸血鬼に勇者にサキュバスに神様。話じゃ魔王だっているらしい。話す言葉は同じで、でも文字は読めなかった。制服は驚くに値する格好じゃなかった。黒い髪に黒い瞳も、多種多様なあの場所で目立つ事はあっても特異ではなかった。

 そんな存在を嘘だとは言わない。でも、この世界に、“同じ場所”にあることだって?

 ――あの事件のことを髣髴とさせる。

 標葉が人々に嫌煙される切欠ともなった、事件。現実に非現実の混じった、過去一度だけあった交差点。現実に起きた、ファンタジーのような、事実。



「神前玲菜」

 香寿はその名を口にした。

 弾けたように豊は見たが、香寿の視線はあくまで、小さく肩を揺らした標葉だ。小さな挙動。予想していた、辿り着かれると分かっていた。

「標葉は頭がいいから、きっと分かってた。僕らに彼女のことを思い出させたくなかったんだよね……」

 だから標葉は二人に隠していた。何も話さず、黙っていた。“思い出させたくないから”

「――そう、なのか標葉。今回のことに、“魔術師”が関わっているのか」

 始まりは一年半以上前、この高校に入学した時からだった。

 神前玲菜――彼女は香寿と同じ小学校、中学校だった。高校でも同じ。二人は友人ではなく、けれど以前はいつも一緒にいた。香寿はずっと、彼女に虐められていたし、パシリのように扱われていた。ずっと、標葉たちに会うまで。



「何やってんだよ、お前ら」

「イジメなんて入学して早々、ないんじゃないか?」

 不良なんかじゃないのに、見た目が派手だから不良に見える二人はイジメと思しき現場を見た。通り縋っただけだ。なのに、春にもかかわらず不幸で陰湿なその影が気に食わなくて標葉は口を出していた。豊もそれに合わせてくれる。

「なんだよ、文句あんのか?関係ねぇだろ」

 代表して口を開く男は上級生のようで、けれど二人は引くことはなかった。何故上級生がイジメなんてものをしているのかなんて関係ない。学年なんて生れたのが早かったから、というだけで威張ってもらっては困る。どこぞ出踏ん反り返ってるただの馬鹿にしか思えない。コレで体型が横広のオデブだったら、もっと笑いものだ。お前は加害者して被害者に見られるタイプだ。悲しいかな、小者の雰囲気も出ていない。ゴマすり上手の豚で十分なのだ。

 そのくせリーダー格を貼っているのはどういう了見だろう?

「かわいそうに。中身が幼稚で上級生なんて威張れないな」

 彼らの間から見えたのは小柄で、細っこいのを気にする標葉よりも華奢な、それこそ中学生にしか見えないような少年。大きな眼鏡をかけていたが、驚いたようにこちらを見た瞳は大きく、涙で潤んでいて、思わず

「そんな美人に手を上げるなんて、人類の宝を潰す気かよ!」

「は?」

 思わず、怒鳴った。

 呆気に取られる彼らを前に豊は標葉のことも彼らのことも気にもせず右ストレートを放つ。

 標葉が馬鹿に馬鹿なことを言って気を引いている間にあっけなく勝敗を着け、王子様は出来上がったのである。……三人の始まりの物語だ。

 そして、同時にそれは標葉を巡る物語の土台を作った。


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