タイトル未定2026/01/29 18:07
車がついた場所は、繁華街にある有名なホテルだった。
高い天井に、きらびやかなシャンデリア。
広いロビーには数人の利用客がいたが、静かな空間だった。
マスターと父親は、テーブルを挟んだ窓際のソファーに座った。
大門は窓の側に立ち、外の景色を眺めていた。
マスターと父親は、横に並んで座った。
父親はマスターの左薬指にはめていた、二つの指輪に気が付いた。
「その指輪は、なんだ?」
「母さんが、はめていた指輪だよ」
「二つも、はめていなかったぞ」
「これは、お守りだ」
「お見合いの日に指輪をはめるなんて、場をわきまえろ」
「母さんが生きていたら、お見合いなんて即断っていたと思うよ。あれ、そうじゃない?」
マスターがソファーから立ち上がりながら言うと、父親もソファーから立ち上がった。
スーツ姿の男性と和服姿の女性二人の三人がホテルのロビーに入り、マスターと父親がいるテーブル席にやってきた。
「大門、おいで」
マスターの言葉に、大門はマスターの所に行った。
「今日は忙しい中、時間を作ってくれてありがとう」
マスターの父親の友人の浅倉が言うと、マスターの父親も言った。
「堅苦しい挨拶は、なしにしよう。息子の七海と、話をした七海と一緒に暮らしている大門君だ」
「七海君。すっかり立派になって」
マスターは、黙ったまま頭を下げた。
浅倉は、大門を見ながら言った。
「君が、大門君か。七海君のお父さんの友達の浅倉です」
大門はマスターと同じように、黙ったまま頭を下げた。
「座って、ゆっくり話をしよう」
マスターの父親は言いながら、ソファーに座った。
父親の真ん中にマスターが座り、マスターの隣に大門が座った。
テーブルを挟んで、浅倉が座り、真ん中には浅倉の娘しのぶが座り、しのぶの隣に、しのぶの母親が座った。
ソファーに落ち着くと、浅倉が切り出した。
「七海君、娘のしのぶだ」
マスターとしのぶは、お互い頭を下げた。
顔を上げたしのぶは、大門の方を向いた。
「大門君、一年生になったんだよね。学校楽しい?」
大門は、黙ったまま頷いた。
「何をして、遊んでいるの?」
「……お絵かき」
大門は、小さな声で答えた。
「すみません。大門は、人見知りが激しくて」
マスターが言うと、しのぶの母親が言った。
「大人ばかりで、緊張しちゃうわね。ロビーの奥にラウンジがあるから、大門君と三人で行ったら」
しのぶの父親も、同調した。
「そうだな。その方が、ゆっくり話ができるだろう。代金はこっちで支払うから、ゆっくりしておいで」
大門は不安そうにマスターを見上げた。
「大門。行きましょう」
マスターの声かけに、大門は立ち上がった。
マスターも大門と一緒に立ち上がると、大門はマスターの手を握った。
ラウンジはピアノの曲が静かに流れていて、数名の利用客がいた。
利用客は、静かに過ごしていた。
マスターとしのぶは、テーブルをはさんだソファーに座った。
ホールスタッフに、マスターはコーヒー、しのぶはアイスティー、大門はオレンジジュースをオーダーした。
オーダーした飲み物が来ると、大門はオレンジジュースを飲み、持っていた手提げ袋からノートと筆箱を出し、ノートを抱え込むように書き出した。
「大門君は、本当に絵を描くのが好きなのね」
マスターは、抱え込むように書いているノートの中身をチラリと覗き、マスターの思いは確信に変わった。
「絵を描くのは好きでしょうが、凄く好きで描いているわけではありません」
「どういうことですか?」
「大門は出かける時、ノートと筆箱が入った手提げ袋を常に持ち歩いています。それは知らない相手に会ったり、知らない場所に行ったりした時に絵を描く為です」
「何故、そんなことを」
「知らない世界に踏み込むことに、大門は強い恐怖心を抱いています。恐怖から少しでも目を背けるために、本能的に絵を描くんです」
その証拠に大門が抱え込んだノートには、絵ではなく「あそう大もん」「あそう七み」といくつか書いてあった。
「大」と言う字と「七」と言う字を学校で習ったのだろう。
「大門君、緊張をしているんですね」
しのぶの言葉に、マスターはしのぶをじっとみつめて言った。
「ボクは、結婚をする気は全くありません。浅倉さんが、本気でお見合いをする気持ちがあると思い、敢えて大門を連れて行きました。不快な思いをさせてしまっていたら、すみません」
マスターが頭を下げると、しのぶは慌てて言った。
「謝らないでください!」
マスターは、頭を上げた。
「子どもができなくて離婚を言われた私を両親は不憫に思い、敢えて子供がいる麻生さんを紹介したんです」
しのぶは優しい目で、大門を見ながら言った。
「麻生さんの気持ちもそうですが、一番大事なのは、大門君の気持ちですよね」
マスターも、大門をみつめた。
しのぶは大門をみつめていた視線を、マスターに戻した。
「両親には、大門君とやっていく自信がないからお見合いは断ったと言います。元々私の両親が、勝手にお見合いを申し込んだんですから」
「気を使わせて、すみません」
「でも……残念です」
「残念?」
「もし麻生さんに大門君がいなかったら、私はお見合いを勧めていました」
マスターは、少し困ったように微笑んだ。
ラウンジを出たマスター達は、お互いの両親がいる場所に戻った。
浅倉が、しのぶに言った。
「ずいぶん早いな。三人で出かけても、いいんだぞ」
「ちゃんとお互いの気持ちを、言い合いました。もう、話すことはありません」
マスターも、浅倉に言った。
「今日は、お忙しい中ありがとうございました」
頭を下げたマスターは、大門に言った。
「大門、行こう」
そのひと言で大門はパ〜っと明るい表情になり、飛びつくようにマスターの手を握った。
マスターの父親は、慌てて言った。
「おい!勝手に何処へ行く」
「大門と、先に帰ります。失礼します」
そう言うとマスターは、手を繋いだ大門と歩き出した。
手を繋いだ大門はマスターを見あげながら、飛び上がるように歩いた。
遠ざかるマスターと大門を、しのぶはじっとみつめていた。




