タイトル未定2026/01/29 18:26
帰りの電車の中で、大門はしきりと流花に言った。
「流花お姉ちゃん、帰らないでしょ。ずっと、大門といるでしょ」
「大門、わがままを言ってはいけません」
「大丈夫。ずっと大門君といるからね」
「ホントだよ。帰っちゃ嫌だよ」
流花は、大門の肩をそっと抱いた。
マンションまで後少しと言うところで、帰りのバスの中で大門は眠ってしまった。
マスターは、大門を背負ってバスを降りた。
マンションのドアを開け、大門の部屋に入ったマスターは、背負っていた大門をベッドに寝かせた。
側にいた流花は、マスターに言った。
「マスター今日は、ありがとうございました。帰ります」
部屋から出ていこうとする流花を、マスターは引き止めた。
「まだ、早いですし。コーヒー入れます」
「良いんですか?」
「コーヒー入れるので、リビングで待っていてください」
コーヒーをいれる前に、マスターは自分の携帯のフォトのアプリを開けた状態で、携帯を流花に渡した。
「コーヒーをいれるまでの間、観ていてください」
流花はマスターから、携帯を受け取った。
そこには、テーマパークや海で撮った大門と流花の写真や動画があった。
……マスター、私と大門君を撮っていたんだ。
小さく驚いた流花はソファーに座って、動画を眺めだした。
動画を観る流花の後ろを姿を見届けたマスターは静かに微笑み、キッチンの棚からカップを出した。
テーマパークや海で撮った動画の他に、流花が大門と料理をする動画、マスターと大門が料理をしている動画があり、自然と流花の顔に笑みがこぼれる。
動画が終り、スクロールをしていた流花の指が止まった。
そこには、大門を真ん中にして写っていたマスターと髪の長い見知らぬ女性のスリーショットの画像があった。
……この女性って、マスターの彼女?
恥ずかしそうに微笑む、長い髪の女性に、流花は釘付けになっていた。
コーヒーが出来上がり、マスターは流花の隣に座った。
流花はさりげなく待ち受け画面に戻して、携帯をテーブルの上にそっと置いた。
マスターと流花は静かにコーヒーを飲み、流花がコーヒーカップをテーブルに置くと、切り出した。
「マスターそろそろ教えてください。マスターと、大門君の関係」
少し驚いたように、流花をみつめたマスターは、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「何を聞いても、驚きません」
流花の言葉にマスターは、テーブルの上に置いてあったタバコとライターを掴むと、ゆっくりタバコを吸い出した。
タバコを吸っている間、沈黙が流れた。
流花はタバコを吸っているマスターをじっと見つめていた。
マスターが切り出したのは、テーブルの上に置いてあった灰皿にタバコを押しつぶしてからだった。
「大門はボクが昔つきあっていた、彼女の息子です。彼女の息子ですが、大門の父親はボクではありません」
流花は、携帯のスリーショットの画像を思い浮かべていた。
……やっぱり、あの女性はマスターの彼女だったんだ。
マスターは高校生の時、彼女とつきあっていたこと。
卒業式当日、彼女が行方不明になったこと、数年後彼女と再会をしたことを話した。
「再会をした時には、既に大門がいました。大門の父親は、同棲相手だと言っていました」
「再会して、それで?」
「大門の父親は、大門に見向きもせず、彼女を縛りつけていました。それなのに外では、平気で浮気をする男だと聞きました。彼女はストレスのはけ口で、大門を虐待していました」
「そんな……彼女も気の毒だけど、大門君がかわいそう」
「ここからは、憶測です。大門の父親は、彼女とボクが会っていたことを知り、彼女は大門の父親を刺し、自分もまた……偶然ボクは惨劇に、立ち会いました」
何も言えず、流花はマスターをみつめていた。
「惨劇を起こしたきっかけを作ったボクは責任を感じ、ひとりぼっちになった大門を育てることに決めました」
「それで、大門君と一緒にいるんだ」
流花は気持ちを落ち着かせるように、大きく息をついた。
そして思い出したように、マスターに聞いた。
「彼女は……どうなったんですか?」
「九死に一生を得ましたが、肺炎を起こして亡くなりました。惨劇を見てしまった大門は、ショックでそれまでの記憶がありません」
……亡くなった。
「七海が、リビングで泣いていたよ」
流花は、大門から聞いた言葉を思い出した。
……マスターが涙を流したわけは、彼女が亡くなったからだったんだ。
「その指輪は……」
「救急隊や警察を呼んだ後、ボクが彼女の指輪を抜き取りました。彼女の指輪です。もう一つは、母親の形見です。母親は、ボクが赤ん坊の頃、強盗に殺されました。ボクは、母親を知りません」
「このことを、知っているのは?」
「覚えていますか?看護師長の紫野緑さん」
マスターの店に、緑が来たことがあった。
流花は、緑のことを覚えていた。
小さく、流花は頷いた。
「緑さんもボクと一緒に、惨劇に立ち会いました。緑さんのはからいで、おまちさんにボクの友人夫婦が交通事故にあい、ひとりぼっちになった大門を引き取ったと言いました」
「緑さんしか、知らないんだ」
「はい、緑さんしか知りません」
「何故、彼女から指輪を抜き取ったんですか?」
「彼女の救命処置をしている時、救急隊や警察が来たら、彼女が手の届かないところに行ってしまう。そう思ったら咄嗟に」
そう言ったマスターは、はめている彼女の指輪を見つめながら続けた。
「彼女は、きっと後悔をしたと思います。大門に虐待をしたことや、大門の成長が見られないことを。彼女が成し遂げられなかったことを、ボクがこの指輪をすることで、彼女の意思をボクが受け継ぐことに決めたんです……ボクを軽蔑しますか?」
流花はすぐには、答えることができなかった。
マスターと、大門の関係。
それは想像をしていたものより、はるかに超えていた。
今までマスターが誰にも何も語らなかった理由が、これでよくわかった。
マスターから視線を外し、黙り込んでいた流花は再びマスターをみつめた。
「軽蔑……しません」
流花の言葉にマスターは、信じられない気持ちで流花を見つめた。
「……軽蔑しないんですか?」
「びっくりしたけど、マスターの過去を非難しては、いけないと思う。マスターは、私よりずっと長く生きてきたんだから、いろんなことがあってあたりまえです。想像を、遥かにこえていたけど」
言った後、流花は初めて笑った。
それまでの過去を話したことで、軽蔑されて後悔をするのを、覚悟の上でマスターは全てを話した。
思いがけない流花の言葉と笑顔に、マスターは救われた気持ちになった。
「マスター、わがままを言ってもいいですか?」
「わがまま?」
「マスターがしている彼女の指輪。私にください」
「指輪を?どうして?」
「マスターが、一人で抱え込むことありません。私も彼女の成し遂げられなかった意思をマスターと一緒に、受け継ぎます」
流花が言った言葉をマスターは、信じられない気持ちで黙ったまま聞いていた。
黙り込んだまま、マスターに見つめられていた流花はそっと言った。
「駄目……ですか?」
マスターは指輪を外し、流花に手渡した。
流花は、自分の左の薬指にはめた。
左手を目の高さまで上げ、流花は笑いながら言った。
「わぁ、ぶかぶかだぁ」
軽蔑をされてもおかしくない話を聞いたら、それまで親しくなった関係に距離をおくのに、距離をおくどころか指輪を欲しがる。
その理由が、「彼女の成し遂げられなかった意思を、一緒に受け継つぐ」
……ボクに同情をして、出た言葉なのか? 思ってもいないことを流花に言われ、マスターは信じられない気持ちで流花を見つめていた。
……本当に不思議な子だ。
笑いながら指輪を見つめる流花に、マスターは言った。
「指輪、どうするんですか?」
「う〜ん、どうしようかな」
マスターから受け取った指輪をどうするか、答えが出ないまま流花は「まだ、明るいから」と言い、帰るしたくを始めた。
玄関で、靴を履いている流花にマスターは言った。
「大門が起きた時、流花お姉ちゃんがいない!って、泣くだろうな」
靴を履き終え、流花は顔を上げた。
「そんな泣き虫の子とは、もう会いません!って、言ってください」
マスターと流花は、笑いあった。
流花は玄関のドアを開け振り向くと片手を上げ、夕焼けの中に飛び出した。




