表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第9話「襲撃と呼称変更」

 昼の依頼を終えて、夕方の風。通りは少し冷たくなって、旗の端が乾いた音を立てる。指先はぽかぽか、足はまだ前に行きたがっている。胸の奥がトン、と一度鳴って、すぐ落ち着く。ご褒美は温かいの、そして甘いの、ちょっとだけ。


「今日もよく動いた。——少年、帰りは裏手を抜けよう」

「了解。温かいのを食べて帰ろう。甘いのも少し」


 倉庫街の細い通りに入る。石壁が近い。足音が吸い込まれていく。


 鈴が、一度だけ鳴った。胸の奥がキュッと締まる。嫌な音。出番、かも。


 ──スイッチ。

 前、右、上。視線の流れを切って、肩を石壁に寄せる。影の中から三人。布帽子と、二人。


「通名、教えてくれる?」

 布帽子が笑ったように言う。指に鈴の紐を巻いている。「客寄せだよ」

「市場は終わった。——退いて」

 リセの声は低いけど柔らかい。その一瞬の隙に、別の影が音字の紙片を振った。「なぎ、なぎ、な——」


「なぁぎ」

 わざと伸ばして返す。喉の奥で息を丸め、母音を滑らせる。足は止まらない。視線は流す。よし、練習の成果。


 鈴の音。石が跳ね、縄が投げられる。ボクは膝を落として滑り、足元の縄を踏む。脇から一人。刃が光る。


 刃が袖をかすめ、布が裂けた。上腕に浅い線。ひりっとして、頭が冷える。——近い。


 リセが半歩前に出て、鞘で刃をはじいた。火花。男の手首が跳ねる。ボクはその肘を払って、膝裏を軽く蹴る。体重が抜ける。一本。


「右上」

 ボクが言う。リセが視線だけで頷き、跳ねた影の足を払う。石壁に背中が当たる前に、ボクが前襟を掴んで引く。二本目が崩れた。


 鈴が三度、早く鳴った。紙片の声が続く。視線が絡む。足が絡まるような、嫌な引きが来る——

 ボクは足元の砂を親指で払って、細い砂幕を一瞬だけ上げる。視線と音は、ほんの少しの遮りで崩れる。呼吸を短く二つ。相手の二拍子に、合わせず、ずらす。


 マントがふわりと肩にかかり、強い腕が腰を抱いた。リセだ。胸元に引き寄せられて、背中が壁から離れる。うわ、近い。匂い。心臓が二度跳ねた。


「凪——!」

 耳元で彼女の息が強くなる。鞘が鳴る。鈴の男の手首へ剣の腹が素早く入って、紐がはじけた。紙片が散る。頼もしい。好き、こういう瞬間のリセ。


 ボクは足を送って、転がった紙片を靴で踏み潰す。もう一人の手首に指を掛け、軽く捻って地面へ。肘で石を叩いて、刃を落とさせる。終わりが近い。


 遠くで衛兵の笛が鳴った。巡回の足音が近づく。倉庫の見張りがこちらを振り向いた。


 布帽子が舌打ちして後退る。「続きは、また」

 鈴の紐を袖に隠し、影へ消える。残りも散った。


 静かになった路地で、ボクは息を吐いた。胸の鼓動が、ゆっくり下がる。


「大丈夫?」

「うん。助かった。——いま、『凪』って」


 リセが瞬きをする。頬が少しだけ赤い。視線が、ほんの少し揺れた。


「あ……その。呼びたくて、呼んだわけじゃ」

「嬉しかったよ」

 笑って言う。胸の奥が軽くなる。「助かった、リセ」


「少年……いや、凪。怪我、見せて」

「うん。袖、ちょっとだけ切れた。洗えば大丈夫。……貼り薬、甘い匂いのやつがいい」

 上腕に浅い擦り傷。リセが水袋を差し出し、布で押さえてくれる。手が丁寧で、温かい。


「名前を呼ぶの、危なかったね」

 ボクが言う。

「……ごめん」

「いいよ。嬉しかったから。次は『なぁぎ』でも通じると思う」

「……努力する」

「ふふ」

「練習、続けよう」


 石壁にもたれて、少しだけ空を見上げる。風が旗を鳴らす。遠くで鐘。


「帰ろう。温かいのにしよう。花飾りは、今日はないか」

「ない」

「じゃあ、甘いの」

「賛成」


 通りへ出る前、リセが小さく呼んだ。「凪」

「うん」

 それだけで、胸の奥が軽くなる。通名で、ちゃんと呼ばれるのは、いい。


 名前は秘密のまま。通名は、凪。今日は、そう呼ばれた。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

土日火木 21時更新予定です。お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ