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第6話「魔獣討伐 ナイフ一本の強み」

 掲示板の札に、人だかりができていた。郊外の用水路に大きな影。荷馬車が襲われ、怪我人が出たという。


「中型。角のある獣だって」

 リセが札を外す。「護衛と誘導の依頼。衛兵が外周、私たちは正面に立つ」

「いいね。早めに片づけて、お昼にしよ。叫ぶ合図はなし、視線と手だけで。任せて」

「うん」


 門を抜けると、風が乾いていた。動きやすいね。指先がぽかぽかして、身体が前へ行きたがっている。畦に干した麻が揺れ、遠くで子どもが通名で呼び合っている。用水路のそばに、青い布の目印。衛兵が二人、周囲を押さえていた。……獣の匂い、するね。


「来たな」

 衛兵が頷く。「流れに沿って下ると、荷馬車の残骸がある。鼻が利くらしい。人の匂いに寄る」

「人は下げて。私たちが受ける」

 リセが短く伝え、肩の革を締め直す。ボクも上衣の内側で名伏せの紋をなぞり、通名札に指を触れる。名伏せは“名前に絡む呼び”の刺さりを少し鈍らせるお守り、通名札は名をぼかす揺らぎが入っている。呼吸が揃う。手の震えも整う。——ボクの準備運動。よし、いつも通り。行こう。胸の奥がトン、と合図する。出番。


 土手の影に入ると、獣の匂いが濃くなった。泥と鉄と、野の酸っぱい匂い。耳に低い唸り。

 ——地形を使う。用水路の浅瀬、泥の斜面、葦の束。

 リセと目で合図し、土手の泥を靴でならして“滑る帯”を一本作る。葦の束を二つ、土手際に置く。突進の角度をここに誘導できれば、膝が沈む。歩幅は三。数える。


「いた」

 用水路の曲がり角。土手を削るようにして、灰色の体が動いていた。肩が高く、背に短い棘。顔は猪に似ているが、目が鋭い。後ろ脚の付け根に力が集まる癖。

 背には石みたいに固い甲片が並んでいる。名前の通り“石背いしせ”。刃は背で滑る。正面は角の突き、脇が甘い。止めるなら脚か横腹——教本どおり。


石背いしせの角猪だね。突いてくる」

 リセが剣を抜く。「少年、私が正面。君は——」

「脚。止める」


 獣がこちらを見た。水面に映る影がぶれ、鼻先がぐっと上がる。


 ──スイッチ。

 リセが半歩出て、鞘で地面を叩く。金属音が短く鳴る。角猪の視線がそちらへ吸い寄せられた瞬間、ボクは斜めに土手を滑る。泥の傾斜。足の裏で摩擦を測る。右後ろ脚、飛び出す前の伸び——ここ。


 刃は短い。だから近い。踏み切りの瞬間に内側へ入り、腱の一本だけを浅く切る。切りすぎない。倒れた体の重みで、勝手に止まる。よし、狙いどおり。


 角が空を切り、リセの盾代わりの鞘が滑らせる。火花。横腹が露出する。ボクは柄で肋の下を叩き、呼吸を詰まらせる。突進が鈍る。泥が跳ねた。息が合ってる、気持ちいい。


「もう一回、来る」

 ボクは短く言い、手をぐっと下げる合図。リセがうなずき、角猪の正面に残る。足跡の溝を覚える。次は左。獣は痛みを庇うと、逆を強く使う。


 二度目の突進。土手の縁を蹴って、角の外を回る。左後ろ脚の内側、浅い角度で二の字。刃先は一瞬だけ触れるだけ。泥に膝をついた獣の体が沈み、突進が地面に吸われた。さっき均した“滑る帯”にちょうど前脚が乗る。体重が前に逃げ、角が下がる。よし、計画どおり。


 リセが剣の腹で頭を押さえる。ボクは耳の根元に手を添え、柄で軽く打つ。目の焦点がほどけ、唸りがしぼむ。終わり。呼吸を合わせて、ゆっくり抜ける。うん、きれい。


 息を吐く。刃を拭う。胸の音がゆっくり下がっていく。


「終わったよ。泥、ちょっとついた——洗えば大丈夫」

「見事だ」

 衛兵が駆け寄ってきて、息を飲んだ。「ナイフ一本で……」

「道具は短いほうが、癖が少ないんだ。決めた通りに動く。おすすめはしないけど、ボクの手がこれに慣れてる。好きなんだ、こういうの」

「真似は、しないでくれ」

 リセが苦笑した。「君は、訓練の年季が違う」


 角猪は縄で引かれ、解体場まで運ばれる。用水路の周りにいた人たちの顔から、少しずつ強張りが抜けていく。


「助かったよ」

 通名で礼を言われる。ボクも通名で返す。「どういたしまして」


 囲いの影で、野良犬がしっぽを振っていた。ボクは指を差し出し、匂いだけ触れさせる。「いい子。——近づかないでね。角が危ないから」

 鼻先がくすぐったくて笑ってしまう。リセが横目で見て、小さく口元を緩めた。


 帰り道、土手を上がりながら、水面を見下ろす。泥に沈んだ足跡が二重に並んでいた。飛び出す線と、止まる線。昔も、こうやって見てた気がする。土の癖と、歩幅と、刃の角度。


「少年」

「ん」

「怪我、ない?」

「ない。泥だけ」

「よかった」

 そう言って、リセが頬の泥を指先でそっと拭ってくれた。胸が一拍はねる。ふいに視線が合って、二人とも少しだけ笑う。


 門へ戻ると、掲示板の前で書記が待っていた。「討伐の記録、通名でいいね」

「うん。凪と、リセで」

「了解」


 報酬は多くないけど、顔を上げて礼を言われるのは、やっぱり好きだ。ボクは書記の筆が通名を記すのを見届けて、リセと目を合わせる。


「昼、どうする?」

「温かいの」

「賛成。たっぷり。がんばったご褒美に、甘いのも少し」


 通名札を指で弾く。軽い板が、小さく鳴った。


 名前は秘密のまま。刃は短く。今日は、それで十分。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

土日火木 21時更新予定です。お楽しみに。

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