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第5話「収穫祭のペア行動」

 朝から鈴と太鼓。焼いた穀の匂い、香草の匂い。通りに彩り布が渡されて、子どもが紙飾りを振っている。今日は収穫祭。人の波がいつもより柔らかい。


「見回りと、ちょっと手伝い」

 リセが肩紐を直した。「人混みは押し合いになる。——少年、離れないで」

「了解。今日はずっと一緒だよ」


 屋台の前で、顔馴染みのパン屋が手を振った。「おお、リセに……少年! 配るの手伝ってくれないか」

「やる」

「助かるよ。ほら、うちの屋台の隣にギルドの啓発卓が出ててね。祭の間だけ『通名でどうぞ』ってやつだ。パンを配りながら、通名札つうめいふだも渡してくれ」


 啓発卓のテーブルには、板切れの名札が並んでいた。通り名を書くための小さな板(通名札の簡易版)。ボクは素早く紐を通しては手渡す。「通名でどうぞ。真名まなは大事に」

「君、笑顔も一緒に」

 パン屋のおじさんが冗談を言う。ボクはにっと笑って頷いた。こういう冗談、嫌いじゃない。

「はい」


「君、段取りが速いね」

「好きなんだ、こういうの」


 やがて行列が落ち着き、パン屋に軽く手を振って離れる。太鼓の列が近づき、布の蛇が通りをうねる。リセが視線で進路を示す。ボクは半歩前に出て、袖口をそっと引いた。布の下で、指と指がほんの一瞬触れ合う。あ、温かい。横のリセが小さく息を呑む音がして、すぐに歩幅が揃った。


「こっち。人波がまろい」

「助かる」


 練り歩きの先頭で子どもが転び、太鼓棒が転がった。棒が車輪の下に入り込む前に拾い上げ、子どもの手に戻す。「大事な役目、続けて。ゆっくり」

「うん!」

 リセが横で小さく笑い、目だけで礼を言った。


 広場の中央に、名前遊びの屋台が出ていた。「通名を言ってね、輪をくぐれるかな?」

 隣の屋台では花飾りを編んでいて、子どもが花の輪を二つ持って走ってくる。「お姉ちゃんたちに、これ!」

「わあ、ありがとう」

 ボクは一つを受け取って、背伸びしてリセの頭にそっと乗せた。銀の髪に薄い花の色が映える。「似合う。すごく」

「……そう?」

 リセが瞬きをして、ほんのり耳が赤い。うん、かわいい。胸の奥が弾んだ。

「どうする?」

「見てる。人が詰まらないように」


 輪は軽い仕掛けで、呼びかけと同時に足元の石が光る。通名で返せばただの光、真名で返すと足が重くなる——そういう誘導の遊びだ。ボクは入口脇に立ち、肩で人の向きを整える。花飾りがずれないように、時々リセの髪を整えてあげる。触れるたび、横で小さく息が揃う。


「通名だけでどうぞ」

「はい!」


 後ろからリセの声。「少年、無理しないで。肩、貸す?」

「いまは平気。あとで借りる。——約束」

 約束、って言ったら、リセが一瞬だけ目を丸くして、それから目尻が緩んだ。うん、今日の空みたいな目。


 ひと段落して、香草の屋台に寄る。香りの束が並んでいて、ボクは鼻を近づけた。


「これ、好き。寝床がいい匂いになるやつ」

「一束だけね」

「ありがたい」


 通りの端で、弦楽の音が流れた。旋律の一部が胸に刺さる。祭礼歌は昔の祈りの節回しに似ていることがある。口の奥で祈り文句の形が並びかけ、ボクは唇をぺろりと舐めて飲み込む。ここで古い言葉を口にすると、名前に触れる響きまで呼んでしまいそうで——やめておく。


「少年?」

「なんでもない。曲、いいね」

「うん」


 昼の太鼓が一段落し、屋台の客足が入れ替わる。水を一口もらって、迷子の呼びかけを手伝い、名札の紐を結び直してまわる。そうしているうちに、午後の陽が傾きはじめた。人の流れが少し粗くなり、押し合いの気配が混じる。リセがすぐに気づいて、合図で人混みを回避する。


 練り歩きの列と荷車が交差する狭間に、人の波が渦を作りはじめた。肩が何度もぶつかる。迷子の呼び声が遠くで重なる。

「手、いい?」

 自然に言って、指を差し出す。はぐれるのが一番困るから。リセがほんの一瞬だけためらってから、しっかり握り返す。手は温かい。掌の大きさの違いが心地いい。「ありがとう。……こっち」

「うん」


 並んで歩くと、視界の高さが揃う。話す声も揃う。不思議と、息が楽。


「少年、さっきの子どもへの声、よかった」

「よかった? うん。祭りの日は、優しい声が似合う気がする」

「似合う、か……」

 リセが言葉を飲み込んで、目を伏せる。花飾りの影が頬に落ちる。胸がまた、ぽんと弾んだ。

「私も」


 蜂蜜の焼き菓子の匂いがまた鼻先をくすぐる。ボクは横目でリセを見る。

「約束、覚えてる?」

「覚えてる。——一個だけ」

「二人で半分こ、二回でも実質一回」

「それはさっきも聞いた」

「でも、嬉しいから二回言うの」


 屋台の腰高の棚に、布包みがぽつんと取り残されている。人の気配がない。


「忘れ物だね」

「衛兵に届けよう」

 包みを掲げて持ち主を二度呼んでから、近くの見回りに預ける。棚の影には小さな足跡が続いていた。子どものものだろう。こちらが追えば、かえって怖がらせる。こういう日は、探し人は衛兵と祭の詰所に任せるのがいちばんだ。


 夕暮れ。灯が点り、紐灯りが風に揺れる。通名の札を胸に提げた人が増えて、呼び合う声が柔らかくなる。「君」「あなた」「通名で」——いい響き。


「少年」

「ん」

「今日の歩合は少ないけど……ありがとう」

「いいよ。こういう日、好き。守れてる感じがする」

「うん」


 焼き菓子を半分こ。蜂蜜が指に付く。ボクがぺろりと舐めて笑うと、リセが視線をそらして咳払いを一つ。


「甘い」

「知ってる。……口元、少し」

「あ、どこ?」

「ここ」

 リセが指先でそっと拭ってくれる。熱が頬にふっと上がって、胸がくすぐったい。「ありがと」


 鐘が鳴る。祭りの一日が静かに沈む。ボクは通名札を指で弾いた。軽い板が、灯りの下で小さく鳴る。


 名前は秘密のまま。手は離さない。今日は、ずっと一緒だった。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

土日火木 21時更新予定です。お楽しみに。

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