第2話「ギルド登録と、最初の荷(に)」
翌朝のギルドは、湿った木の匂いと人いきれで満ちていた。壁の札は夜のうちに張り替えられたらしく、「護衛」「配達」「調査」の札が新しい紐で小さく揺れている。こういうの、選ぶ前から手がうずうずする。
「肩慣らしに、軽いものから行こう」
「いいね、肩慣らし。最初の一手は丁寧にいこう」
リセが指先で一枚の札を持ち上げる。神殿行きの小包護送。距離は短いけれど、人通りの多い時間帯だ。混むところほど、腕の見せどころだよね。
「少年。注意は二つ。通名以外は口にしないこと。もう一つは、荷を開けさせないこと」
「了解、注意するよ」
木札——通名札を袖口でそっと撫でる。刻まれた「凪」の字は浅く、触ると指の腹にざらりとした感触が返った。軽い板なのに、不思議と心まで軽くなる。
昼前、石畳は荷車と人で渋滞していた。屋台の香ばしい匂いが風に乗り、遠くで吟遊詩人が弦を鳴らす。ボクは半歩後ろを歩き、流れを見る。靴音の数、視線の向き、屋台の陰——今日は風が西から。見える、いける。
設計。角ごとに“死角”を一つ潰す。屋台の幕を一枚借りて、荷の前に小さな布。見えるのは布と押す手だけ。手短な合図は、手の甲を一度。止まるときは二度。
「君、目がよく動く」
「仕事柄かな。見るのは得意だよ」
角を曲がる。屋台の影から伸びる腕。布包みを掴む指が見えた瞬間、胸の奥がトンと鳴った——
──スイッチ。
足が一歩先に出る。掴んだ手の甲に、ナイフの背を軽く当てる。骨の上を滑らせるだけで力が抜け、男が呻いた。決まった。
「置いていけ。命が惜しければ——」
もう一人が低く言う。ボクは首を傾ける。
「話は短く」
ボクはリセに目線で合図。屋台の主がこちらを見ている。注目が集まる。注目は、抑止力になる。男の顎が一瞬だけ止まる。その半拍で、手首に圧を掛けて声だけ抜く。
言葉と同時に、手首を返して指の関節に圧を掛ける。痛みは浅く、声だけが抜ける。リセが半歩前に出ると、群衆の視線が自然と解けていく。屋台の主が目を逸らし、衛兵を呼びに走る足音が遠ざかる。流れが戻っていく——この瞬間が好きだ。
「いまの、一瞬止まった?」
「人は見られると、少し固まる」
「……軽率じゃないな」
男たちは衛兵に引き渡された。人だかりが散って、屋台の主が胸を撫で下ろす。ボクは短く会釈して、その場を離れた。
神殿の門前は静かだった。白い石の階段に陽が跳ね、門扉の紋が鈍く光る。薄色の衣を纏う女性がこちらを待っている。言霊司——言葉を扱う司の印が衣に織り込まれていた。灰の瞳がこちらを測り、やさしい香の匂いが風に乗る。
「届け物、確かに」
小包を受け取った彼女は、ほっと息をつく。
「このところ、“名前盗り”が活発でして。真名を囁かれるだけで倒れる者もいます。通名なら術は弱るのですが……油断は禁物」
「囁いただけで?」
「名は器です。合致すれば、言葉は刺さる。真名に触れる術は特に強い。違法ですが、やる者はいる」
彼女はボクの通名札に視線を落とした。
「その札は、携帯するだけでも多少の護りになります。名をぼかす“揺らぎ”が入っています。洗うときは布で。水に浸すと護りが薄れます」
「了解、気をつける」
短い祈りの言葉が交わされ、小包は神殿の奥へ運ばれていった。受領印の入った控えを受け取り、階段を降りる。
「少年。いまの紙片の件、神殿が扱う。私たちは迂闊に触れない」
「了解。任せるね」
帰り道、リセは横目で言う。
「さっきの動き、ナイフの扱いが自然だ。……どこで覚えたかは、いまは聞かないけど」
「助かる。その配慮、ありがたい」
「根ほり葉ほりはやめておく。腕は確かだ。今日は評価がつく。歩合はギルドで精算だ」
「やった、歩合だ。甘いのいけるね」
ギルドに戻ると、掲示板の隅で噂話が飛び交っていた。「昨夜も通りで倒れた」「名を呼ばれただけで」「髪を抜かれたって話も」。耳をかすめる言葉に、指先が無意識にナイフの柄を探す。人の流れの温度が一度下がる。だからこそ、通名を徹底。
「少年」
リセは軽く笑った。「明日は小迷宮《《しょうめいきゅう》の簡易調査に出よう。無茶は無し、ね」
「了解。無理はしない。でも、手は抜かないよ」
「それでいい」
「宿の手配はこっちでやる。個室にしておいた。湯もある」
「助かる。相部屋は苦手でね。静かだと嬉しい」
夕方の鐘が鳴る。窓の外、石畳に長い影がのびる。通名札を指で弾くと、小さな音が返ってきた。薄い木の板に刻まれた二文字は軽い。でも今のボクには、ちょうどいい重さがある。
「明日は早めに動こう」
「了解。いっぱい動いて、しっかり食べて、ちゃんと眠る」
「いい心がけ」
名前は秘密のまま、通名は凪。今日も上々、明日はもっと。わくわくしてきた。
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土日火木 21時更新予定です。お楽しみに。