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第1話「ボクと彼女のはじまりは、名前抜きで」

 夜が割れて、世界が一瞬だけ遅くなる。弾の軌跡が線になって見えて、焦げた空気が喉の奥に刺さった。肺がぎゅっと縮んだ次には、もう足が前へ出ている。怖い? ううん、怖がるより先に身体が思い出す。何度も何度も繰り返した“やり方”。心臓がトン、と合図してくれる——いける、って。


 壁を舐めるライトが右に走り、赤い照準が胸元をかすめる。銃声が重なるより早く踏み込み、濡れた路面の水がはぜる。もう一丁の銃の内側に潜り込んで、右手のナイフでスライドを叩き、柄で頬骨を打つ。別方向の発火。肩をひねって火線を置き去りにする。白い粉塵の向こうで輪郭だけになった影に、一歩。刃は呼吸と同じリズムで動く。考える前に、身体が勝手に正解を選ぶ。


「化け物……!」

 聞き飽きた。その言葉が落ちる前に喉を外して、肩の神経を叩く。崩れる。もう一人。引き金が落ちる前に足で銃口を上へ弾き、手首を叩いて銃を飛ばす。膝が折れる。ここまで。


 遠くでサイレンが吠えた。壁に背を預け、呼吸を数える。肩は重い。掌は痺れる。だけど、今日も生きてる。よし、上等。


 通り名は「なぎ」。嵐の後に残る静けさ。仕事のときのボクの名前だ。嵐の最中を、凪の顔で駆け抜けるのが得意。


 庇の下で刃を拭い、目を閉じる。スイッチを切るみたいに、胸の音をゆっくり弱めて——目を開けたら、石畳の上だった。


 空が高い。乾いた空気と、革と木の匂い。尖った屋根に、釘で留められた看板。鈍く磨かれた剣を下げた人たちが行き交い、荷車が軋む。胸の奥が、ぽん、と弾けた。(この空気、好き。懐かしい)筋肉が勝手に“こっちの歩き方”に戻っていくのがわかる。うん、帰ってきた匂い。口角が勝手に上がる。


「おい、坊主。生きてるか」

 革鎧の男が覗き込む。坊主。はい出ました、毎度のやつ。短髪と小さい胸は、便利な擬態。訂正はしない。今はそれが安全で、便利。通名と同じ、余計な情報は出さない。親指を立てると、男は安堵して笑った。


「立てるならギルドへ行け。先輩のリセさんが見てくださる」

「リセ?」

「この街じゃ頼りになる冒険者だ」


 ギルド。いいね、好きな響き。寝床と飯と仕事の匂いがする場所。通りの先に石造りの大きな建物——その手前で喧噪が弾けた。短い悲鳴、金属の擦れる音。身体が先に動く。助けられる距離と時間、間に合う。よし、出番。


 路地の真ん中に黒い外套が二人。片方が女の腕を掴み、もう片方が杖を上げている。足元の紋が青白く光って、女の足を縛っていた。周りは距離を取り、誰も踏み込めない。


 ——観察。杖の男は左利き。視線は女の額と足元の紋を往復。紋は二重の輪っかで、ところどころ乾きかけ。雨上がりの水溜りが線の外に一つ。呼びの癖は低め、二拍子。詠唱えいしょうの頭はまだ。


「離してあげて」

 外套の一人が振り向き、吐き捨てる。「子どもは——」


 ——会話を伸ばす。その一拍で、ボクは靴底の泥を親指でこそげて丸め、小石みたいにして紋の外へ落とした。ぱし、と小さな音。杖の男の視線がそちらに泳ぐ。二拍子、崩れた。


 女の足元の紋へ半歩。踏まない。線の手前で、靴の縁で砂をほんの少しだけ払う。線はチョークに似ている——水に弱い。覚えてる。学校の黒板で、濡れた雑巾だと一発で消えた。ここも、たぶん同じ。


「やめて。手を放して」

 周囲に聞こえる声量で、はっきり区切って言う。視線がいっせいにそちらへ寄る。注目されると、人は小さく固まる。杖の男の顎が一瞬だけ止まる。ボクは指を二本立てて、小さく数える——「いち、に」。彼の二拍子と、わざとずらす。詠唱が半拍遅れる。


 ——スイッチ。

 走らない。二歩で届く距離を、一定歩幅で詰める。杖の先と足元の線を視界の端に置いたまま、掌で腰の革袋をひとつ弾く。中の水が路面にこぼれて、外から内へ細い筋を作る。乾きかけの線がにじむ。青白い光がわずかに濁る。


 杖が持ち上がり、低い呼びが口の奥で組み上がる。その直前に、ボクは短く咳をひとつ。呼吸の拍を邪魔する。言葉は、呼吸に乗る。拍がずれたら、転ぶ。


 杖の先が女の額へ来る前に、ボクは指先で濡れた線をもう一度だけ撫でて、にじみを広げる。詠唱の音が一瞬だけ裏返る。効きが甘くなったところで、女の靴の踵を外へ抜く。体重が外に流れる。抜ける。彼女は転ばない。偉い。


 外套のもう一人が腕を引く。力で来るタイプ。路面の水溜りへ半歩誘導。靴が滑る。肩の力が一瞬抜ける。その肩口へ手の甲を当て、肘でてこの支点を作る。力任せは、支点を変えると弱い。体重が勝手に前へ。倒れる。


 杖の男は詠唱を結び直そうとする。二拍子に戻したい。なら、今は三拍目を増やしてやればいい。ボクは指を鳴らす——ぱん、ぱん、ぱん。彼の舌が一瞬だけ迷う。その迷いの隙間に、つま先で杖の先を上へ蹴り上げる。詠唱の頭が空を切る。光は霧散。足元の拘束紋こうそくもんは、ただの濡れた線になっていた。


「立てる?」

 女の手を取り、輪の外へ引き出す。彼女の膝は震えていたけど、足は動いた。よし、間に合った。


 外套二人が起き上がりかける。追わない。追うと、線の外で騒ぎになる。ボクは肩越しに、周囲へ一言。「誰か、人を呼んで」


「ありがとう!」

 女が泣き笑いで礼を言う。ボクは笑って手を振る。「気をつけて。ね、走れそう?」


 装備の鳴る音。銀の髪の冒険者が駆けてくる。腰の剣はよく手入れされ、鞘口の革がやわらかい。目は静かで、でもまっすぐ。正面から見られると、背筋がぴんと伸びる。うん、この人、信頼できそう。


「見ない顔だね。旅人かい?」

「今はね。……あ、そうだ、ここのお金持ってないんだ。仕事ないかな?」

 彼女は足元の線と倒れた外套を一度だけ見て、目を戻す。短く息を吐いてから、口角を少しだけ上げた。


「手際はいい。助かった。……腕は確かだな。もし仕事を探しているなら、ギルドで話をしよう。日銭や歩合、寝床はギルドで手配できる」

「寝床あるの? やった。生きるために働くのは慣れてるけど、寝る場所があるのはもっと好き。ちゃんと眠れると、刃の冴えが違うんだ」

「じゃあギルドへ行こう。ここでひとつ注意。登録は通名つうめいでいい。真名なまは軽々しく言わない方がいい」

「真名?」

「"名前盗り《なまえとり》"が増えている。名と髪や血を媒介に、呪いを掛ける。最近は囁くだけで倒れる者もいる。……だから、名は守れ」


 真名、という音が胸に落ちる。喉の奥がざわついて、古い記憶の端っこがきゅっと疼く。知ってる言い方。知ってる危険。ここでは笑ってごまかすのが正解。「うん、名は大事。刃にも、盾にもなる」


 彼女は外套の二人を衛兵えいへいに引き渡す段取りを付け、被害者の女に短く声をかけた。人だかりがほどける。ボクたちは石畳を踏んで歩き出す。銀髪の冒険者は横目でボクを見る。


「戦い方がこの街の剣士とは違う。……少年、どこで覚えた」

「どこでも。やることは同じ、かな。見て、決めて、届かせるだけ」

 ほんとは、ここが一番よく知っている気がする。けど、それは胸の中だけで頷いておく。


「私はリセ。ギルドではそう名乗っている。君は?」

「凪。ボクは凪。寝床付きの仕事、よろしくね」


 ギルドの扉の向こうは人で賑わい、壁には依頼の札がずらり。鉄と革の匂い。武具の音が、さっきの路地と違って心地よく響く。こういう賑やかさ、好きだな。


「登録だ。——少年、通名だけでいい」

 カウンターの女書記が木札を差し出す。通名だけの札は軽い。真名を書く欄は、封蝋で閉じられたまま。


「身上は空欄で構わない。依頼の選定は私が見る。……まずは軽い護送か調査からだな」

「いいね、肩慣らし。最初の一手にはちょうどいい。日銭は大好き」

「性別の欄は?」

「任意。空欄でいい」

「助かる」


 手続きを終える間にも、耳には断片的な噂が刺さってくる。「昨夜も名を呼ばれて倒れた」「髪が切られてた」「神殿の言霊司ことだましが動いてる」。


「ねえ、リセ。さっきの真名って、通名じゃない“本当の名前”のこと?」

「本当の名。家族や神殿にしか記さない名だ。真名に触れる術は強いが、違法だ。だからこの街では通名を使う。役所や神殿でも通名で手続きできる」

「いい文化だね。慎重で、好きだよ」

「生き延びるために身についた慎重さだよ」


 札の束が風に揺れる。名前の欄が空白の札が一枚、光を受けて白く光った。ボクはそれを横目で見て笑う。「ボクは凪。今は、それで十分」


 リセは軽く肩を叩き、扉の向こうの喧騒に目を凝らした。「少年。欲に駆られるな。歩合は堅実に。無茶は、無し」

「了解。無理はしない。でも、手は抜かない。寝床代、ちゃんと稼ぐ」

「それでいい」


 通りに出ると、夕陽が石畳に長い影を落としていた。どこかで鐘が鳴る。ポケットの内側で、新しい木札が指先に触れる。軽くて、でも温かい。木目のざらつきが、掌の記憶をくすぐる。


 名前は秘密のままで、はじまりは上々。凪——今のボクには、この名がちょうどいい。明日は働いて、食べて、眠る。まずはそれから。うん、行ける。わくわくしてきた。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

土日火木 21時更新予定です。お楽しみに。

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