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-32- ふたり目の眷属


 ルミアーナが部屋から出てきて、エバンは思わず跳ねるように壁から離れた。分厚い壁と扉に隔てられているとはいえ、待っているあいだは物音のひとつも聞こえず、心配さが込み上がっていた。もう少し遅ければ、こっそりと扉を開けて中の様子を伺おうと考えていたところだ。

 ルミアーナに、これといって変わった様子は見受けられなかった。

 白いネグリジェをまとった彼女は、これまでと同じように感情の薄い表情を浮かべながら、無言でエバンと視線を重ねた。


「呪いは、解けたのか?」


 エバンは何よりも先に、ルミアーナの身を案じて問うた。

 オプスキュリアは、彼女にかけられた立ち枯れの呪いを抑えてくれた。しかし、それは一時的な処置でしかなく、根本的な解決に結びつくものではない。

 もし呪いが解かれていないなら、今この瞬間にも、ルミアーナには命の危機が迫っているはずだった。


「それは、もう大丈夫だから……」


 視線を落としつつ、ルミアーナは応じた。

 その面持ちから、何かあったのだと察する。


「どうした?」


 ルミアーナは、その質問には答えなかった。

 答えずに、少しためらう様子を見せたあとで、彼女はネグリジェの袖をゆっくりと捲った。


「えっ……!?」


 エバンは目を見開いた、驚くのも無理はない。

 ――袖から覗いたルミアーナの右腕に、薔薇の茨が巻きつくような模様が刻まれていた。それは、エバンの右腕に刻まれているそれとまったく同じものだった。

 オプスキュリアの眷属となった証だ。


「それじゃあ、君もオプスキュリアと……!?」


 かつてエバンが行った時と同じように、彼女もオプスキュリアから質問を受けたのだ。忠誠を示し、誓約を交わし……茨の模様と、魔妃の力の一端を受け取ったのだ。

 茨の模様を見れば、ルミアーナが契約したことは明白だった。

 それでもエバンは、訊かずにはいられなかった。

 

「そう……」


 捲った袖を戻しつつ、ルミアーナは応じた。

 その後、エバンはルミアーナとともに再度入室し、オプスキュリアと対面した。


「ルミアーナと、契約したのか?」


「その様子ならば、わざわざ訊かずとも答えはすでに知っておろう?」


 エバンの質問に、オプスキュリアは尊大な様子で答えた。

 この魔妃が、ただルミアーナの呪いを解くために彼女を眷属にしたわけではないことは、エバンには容易に想像がついた。オプスキュリアは、そこまで慈悲深くはない。

 どうして? エバンは思った。

 塔の入り口にあんな危険な結界を張ってまで、オプスキュリアは自身から人を遠ざけてきた。今日初めて会ったルミアーナをこの塔に招き入れたばかりか、契約まで交わすなど、これまでの彼女からは考え難い行動だったのだ。

 

「この娘は、並外れた魔力を有している……わらわにとって、利用価値があると判断しただけのことだ」


 エバンの隣に立つルミアーナに視線を移し、オプスキュリアは続ける。

 

「考えてもみろ、小僧。深手を負ったとはいえ、この娘は単独でアヴァロスタの魔女の大軍を相手取り、魔物との戦いを切り抜け、学院長たるバルバーラからも逃げおおせた。そんな者に興味を持つのは、当然だと思わぬか?」


 エバンは息をのんだ。

 ブルックスに導かれてルミアーナを見つけた時、彼女は瀕死の状態だった。

 助けることで頭が一杯になっていて思い至らなかったが、オプスキュリアの言うとおりだった。アヴァロスタが魔族に下ったということは、ルミアーナは敵の巣窟と称すべき場所からたったひとりで逃げ延びた。それこそ蜂の巣をつつくような戦場から、生還を果たしたのだ。

 言葉から察するに、オプスキュリアはルミアーナの身に何が起きたのかを知り得ているらしい。魔術か何かを用いて、記憶を覗いたのかもしれない。


「言われてみれば、そうだが……」


 ルミアーナがエバンのほうを向き、茨の模様を腕に刻まれたふたりの視線が重なった。


「あなたとは、同類ということになるのかしら」


 やはり表情を変えることなく言う彼女を見て、エバンはふと疑問を頭に浮かべた。


「君はこれからどうするんだ? さすがにアヴァロスタには戻れないだろう……」


 当然だった。

 魔族に下ったアヴァロスタの思想を、ルミアーナは否定した。

 今や、彼女はアヴァロスタとは敵対関係にあった。アヴァロスタにとってルミアーナは裏切者であり、反逆者であり、お尋ね者だった。今こうしているあいだにも、ルミアーナを見つけ出そうと躍起になり、追手を差し向けてくるのかもしれない。

 育った故郷を敵に回す――エバンには想像すらできないが、それはとても辛く、悲しいことのように思えた。今のルミアーナには、少なくともアヴァロスタに戻るという選択肢はないだろう。

 それは自殺行為に等しく、戻ったが最後、どんな方法で処刑されるか想像もつかない。魔族はもちろん、魔族に下った者にも、もはや情けなど存在しない。

 みすみす火に飛び込む蛾になる必要など、微塵もないのだ。


「そうね。帰る場所も失ったし、どうしたものかしら……いつまでもここにいると、あなたたちにも迷惑をかけそうだしね」


 部屋のどこかを見つめながら、まるで他人事のようにルミアーナは言った。

 彼女は、アヴァロスタがこのロヴュソールに追手を差し向けてくることを警戒しているようだった。追手が来るかどうかなど分からないし、現時点では、ルミアーナがここに逃げ延びているという事実すら掴んでいない可能性も高く思えた。

 それでも、決してありえない話ではないだろう。

 オプスキュリアが利用価値を見出すほどの魔女を、アヴァロスタがみすみす諦めるとも考えづらかった。ルミアーナを探し出して連れ戻し、何らかの方法で活用しようと考える可能性も捨て切れない。


「いや、あながちそうとも言い切れぬぞ」


 腕を組んだまま、オプスキュリアはルミアーナの意見を否定した。


「少なくともわらわの目が光っているうちは、連中に勝手な真似をさせる気はない。どれほどの大軍を差し向けてこようとも、根こそぎ蹴散らしてくれる」


 その言葉が決して誇張ではないことは、エバンがよく知り得ていた。

 ついこの前にも、大量に襲来した敵兵や魔物を、オプスキュリアは圧倒的な魔力を振るって蹴散らしたばかりだ。この魔妃の前では、アヴァロスタが追手を寄越したとしても返り討ちになるのが関の山だと感じられた。

 謎は多いし、決して気を許し切れる相手ではないことは承知していた。

 しかしながら、オプスキュリアはこのロヴュソールにおいては非常に有用な戦力だった。引っ掛かる点がないと言えば嘘になるが、エバンも彼女には『仲間』に近しい気持ちを抱いていた。


「小僧、明日にでもこの娘を国王に紹介してはどうだ? アヴァロスタの特級魔導士となれば、この国にとっても有益な存在となるはず……国王の認可があれば、貴様や騎士団にとっても心強い味方となろうぞ」


 ラスバル村でオロルドロスと交戦した際、ルミアーナの実力のほどは、エバン自身が目にしていた。若くして特級魔導士に序されているのは、決して伊達や酔狂ではない。

 聡明で有能で、高い実力を備えた有能な魔女――ルミアーナが今後の戦いにも加勢してくれるならば、オプスキュリアが言ったように彼の心強い味方となるだろう。


「あなたが良ければ、力を貸してもいい。帰る場所も失ったし、助けてもらった恩がある。それに……」


 そこで、ルミアーナは言葉を止めた。

 俯いて押し黙る彼女を見て、その先は言いづらいことなのだとエバンは察した。

 何を語ろうとしたのかは分からない。だが、無理に言わせる必要はないと思ったエバンは、先んじて口を開いた。


「分かった、明日にでも国王に掛け合ってみる。少しでも戦力が欲しいと思っていらっしゃるはず、君の事情を伝えれば、国王もきっと了承してくださるはずだ」


 アヴァロスタと敵対した彼女は、今や追われる身なのだろう。彼女をここに置いておけば、エバン達にも火の粉が飛んでくる事態になるかもしれない。

 それでも、エバンはルミアーナに『出ていけ』と言うことはできそうになかった。ルミアーナはエバンに命を救われたと言ったが、エバンもまたルミアーナに助けられた身だ。

 恩人を追い出すなど、人道に反する。

 

「決まりだな。わらわに用があれば、また来るがよい」


 オプスキュリアの言葉は、エバンとルミアーナの双方に向けられていた。

 眷属となり、薔薇の茨模様を腕に刻まれた今、ルミアーナもエバンと同じように、塔の入り口の結界を通過できるようになっているはずだった。

 目を閉じたと思った次の瞬間、オプスキュリアは糸が切れた人形のようにがっくりと俯いた。

 すぐに顔を上げた彼女が目を見開くと、その色は赤くなく、青色に変じていた。鋭かった眼差しも、険阻な色を帯びていた表情も消え失せ、穏やかで清楚な雰囲気をたたえた少女がそこにいた。

 彼女はエバンとルミアーナを交互に見つめたあとで、口を開く。


「エバン、来てくれてたんだ。その娘は……お友達?」






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