-29- 立ち枯れの呪い
「まさか……アヴァロスタまでもが魔族に?」
信じ難い話ではあった。しかしルミアーナの面持ちを見れば、彼女が冗談など言っていないことは明白だ。長らく過ごした学院を束ねる長が魔族に下ったなど、冗談であっても口にはしないだろう。
エバンがあの荒野でルミアーナを救出した時、彼女は深い傷を負っており、その身は砂埃にまみれていた。それに村で会った時とは違う杖が落ちていて疑問に思ったが、事情を知った今ではその理由にも合点がいく。
ルミアーナは、故郷と称しても間違いのない学院に裏切られ、幾度も襲い来る敵を振り切り、命からがら逃げてきたのだ。
その身にまとったネグリジェをぎゅっと握り、神妙な面持ちを浮かべながら……彼女はかすかに頷いた。
「『例の件』だけど、役には立てそうにないわ。ごめんなさい……」
エバンのほうを向かず、俯いたまま、ルミアーナは押し出すように言った。
彼女が言及しているのは、ロヴュソールへの食糧支援のことだった。察するに、支援どころかその件を学院長に相談する余裕すらなかったのだろう。
「そんな、別に謝らなくても……!」
しかし、エバンにとってはそんなことはどうでもいい。
学院長や、かつての先輩や友に裏切られ、戦いを重ね、危うく殺されるところだった。そんな目に遭ったルミアーナのほうが、よほど心配だったのだ。
だが、押し黙る彼女に何を言えばいいのか分からなかった。
騎士団の中でも団長に次ぐ地位に序されているエバンだが、傷ついた少女を励ます術は知り得ていない。
「そうだ、何か飲むか?」
彼女がどれだけ傷ついているか、エバンには想像もできない。ガルウィンや、ともに戦地に赴いてきた兵士達。あくまで仮定の話ではあるが、もしも仲間である彼らに追われ、命を狙われることになればどう感じるか――自分がそのような立場になれば、少なくとも平気でなどいられないと思った。
とにかく、辛い記憶から少しでも気を逸らせてあげたかった。
椅子から立ち上がり、戸棚へと歩み寄る。そこには紅茶や果汁など、複数の飲み物が保管されていた。
ルミアーナは顔を上げた。
輝くような銀髪を有する彼女は、やはり悲壮な面持ちを浮かべていた。
「ありがとう。それじゃあ……お水をもらってもいい?」
「ああ、すぐに持っていくよ」
エバンは戸棚を開けて、コップと水晶の容器を取り出した。容器の中には、侍女が毎日汲み直している上質な水が入っている。
果汁や紅茶などもあるが、ルミアーナがあえて水を選んだことに注目した。
思ってみれば、特級魔導士という立場にあるにも関わらず彼女の装いは簡素なもので、装飾品などもこれといって身に着けていない。エバンの知る限り、特級魔導士ともなれば自身の立場や魔力、それに財力を誇示する意図で、派手な装飾が施された衣服や高価な装飾品を身に着けているものだった。
その点、ルミアーナの装いはつづまやかで……悪く言えば、質素だった。
ラスバル村で初めて会った時から、あまり感情を表に出さず、大人しい気質の女の子だとは感じていた。もしかしたら、贅沢そのものを好まないのかもしれない。
「あなたには、命を救われたわね」
「君もあの村で、俺を助けてくれただろう」
ルミアーナに背を向け、コップに水を注ぎながらエバンは応じた。
実際、オプスキュリアとの契約によって得た魔力を用いれば、エバンひとりでもオロルドロスを退けられたとは思う。しかし、ルミアーナの助太刀が大きな助力となったことに疑いの余地はない。
その点は間違いなく、彼女に感謝しなくてはならなかった。
「そうでなければ……俺は今頃、あの魔物の腹の中だったかもしれない」
喰い殺された村人達と同じ道を辿らずに済んだのは、ルミアーナのお陰だった。
容器を置いたエバンは、コップを片手に彼女へと歩み寄った。
ルミアーナは何も言わず、視線を向けてきた。ここに運び込まれた時、彼女は傷だらけで血にまみれ、全身が砂埃で汚れていた。しかし侍女達が丹念に拭き取って手当てを施し、衣服も今のネグリジェに着替えさせていたので、綺麗になっていた。
エバンはまた、椅子に座る。
「困った時は、お互い様だ」
エバンはコップを差し出すが、ルミアーナはそれを受け取ることはできなかった。
突如、彼女は左肩を押さえながら苦しみ出したのだ。
「うっ! ぐっ……!」
回復したように思えたのも束の間だった。
エバンは慌てたように椅子から腰を上げた。アヴァロスタで何があったのかを聞き終えた今では、もうこの医務室にふたりきりにさせてもらう必要はなかった。
コップをテーブルに置いて、入口を振り向く。
「アマンサ、来てくれ!」
アマンサとは、エバンが席を外してもらうように頼んだあの侍女の名だ。
救護や治癒魔法の知識と技術に非常に秀でており、医務に従事する侍女達の中でも、エバンがとりわけ信頼している人物だった。彼女がいなければ、ルミアーナの命を繋ぐことは不可能だったかもしれない。
エバンが呼ぶと、アマンサはすぐに扉を開けて入室してきた。万が一に備え、すぐに戻って来られる場所に待機していたようだ。
苦悶の声を漏らすルミアーナに駆け寄り、アマンサは彼女の肩に触れる。
「傷を見せて……!」
アマンサはネグリジェを少し捲り、ルミアーナの左肩を覗かせた。
そこには、魔法によって貫かれた傷が生々しく刻まれていた。出血は止まっているようだったが、その周囲に何かの模様が浮き出ていた。
それはまるで、曲がりくねった蛇や木の枝のような……黒くて不気味な、いかにも禍々しい模様だった。
「立ち枯れの呪い……!」
エバンが模様を見つめながら、口にした。
アマンサから、ルミアーナがこの呪いを受けてしまっていたという報告は受けていた。アマンサの治癒魔法で抑えてはいたが、それも一時的なものだった。
ほんの少し前までは会話できていたことが信じられなくなるほどに、ルミアーナの顔色が悪くなる。
「うっ、ううっ……!」
込み上がる苦しみに苛まれる彼女に、アマンサが薬草を煎じた薬を飲ませる。
しかし、容体はまったく変わらなかった。
「強すぎる呪いです、私の力ではとても……!」
「そんな……どうにかならないのか?」
エバンの問いに、アマンサは首を横に振った。思えば、一時的に抑えられていただけでも奇跡だったのかもしれない。
立ち枯れの呪いは、いわば猛毒を体内に捻じ込まれるようなものだ。解呪できなければ、待つのは死だけだ。
「これほどの呪いでは、きっと城中の魔術師を集めても解呪は困難でしょう……!」
ルミアーナが誰から、どのような形でこの呪いを受けたのか、エバンには分からない。
しかし、その術者がかなりの悪意を有していたことは察せられた。恐らくは、魔物が絡んでいるのだろう。
喘ぐように呼吸をしながら、ルミアーナはエバンに視線を向けてきた。
「助、けて……!」
助けて、彼女がそう哀願するのを、エバンは確かに聞き届けた。
「私は……まだ、死ねない……!」
エバンの隣にいたアマンサが、「別の薬を……!」と言いつつ戸棚へと駆け寄った。
「いや、薬では無理だ。そこまで強い呪いなら、魔力でしか抗えない……!」
しかし、エバンは彼女を制した。
命の危機にある少女を目の前に、彼の面持ちは冷静だった。
ネグリジェ姿のルミアーナを、彼は両手でベッドから抱え上げた。
「副団長、何を……!?」
薬の瓶を手にしたまま、アマンサが目を丸くする。
「思い当たる場所がある、助けることができるかもしれない……アマンサ、後を頼む!」
アマンサの制止を聞かず、エバンはルミアーナを連れて医務室を飛び出した。
もちろんのこと、助けられる保証があるわけではない。それでも、可能性があるならば賭けるべきだと思ったのだ。




