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-19- 黒い囁き


 時間を少し遡らせ、それはエバンとルミアーナがラスバル村で別れたあと――。

 エバンがロヴュソールに戻っていったように、ルミアーナもまたアヴァロスタ女学院へ向かっていた。エバンはおそらくブルックスに乗っていったのだろう、魔物や獣が出るかもしれない道だったが、魔妃の眷属であるエバンであれば心配はない。

 彼がきっと今そうしているように、自分も急いで帰ろう。ルミアーナはそう思っていた。


(魔族の侵食は、思った以上に進んでいるのかもしれない……)


 ラスバル村が魔物に滅ぼされた事実や、ロヴュソールへの支援の話もしなくてはならない。

 杖に腰掛けたルミアーナは、魔法を使ってかなりの速さで空を飛んでいた。彼女の銀髪や水色のマントが風を受け、激しく空を泳いでいた。

 ルミアーナは周囲に乱立する木々よりも高い高度を飛んでおり、獣や魔物の襲撃を受ける危険は薄かった。しかし、それでも可能性は決してゼロではなく、気を抜きはしない。翼を持つ魔物や獣もいるし、何が起きるかは想像もつかないのだ。

 あんな恐ろしい魔物と遭遇した今となっては、無事に朝を迎えられたこと自体が奇跡なのかもしれない。

 村の人々にもどうか、その奇跡が降り注いでほしかった。しかし神は、あの村でつづまやかに暮らしていた罪なき人々を救ってはくれなかった。魔族の侵食が進みつつある今の世界においては、もはや神などすでに、無意味な存在に成り下がってしまっているのかもしれない。あるいは、神など最初から存在しないのかもしれない。

 きっと、エバンも同じことを思っているのかもしれない。ルミアーナはそう思った。

 しかし、本当に神が最初から存在しないのであれば、彼女もすでにこの世にはいなかっただろう。

 

「っ……」


 杖を一層に強く握りしめ、ルミアーナは奥歯を噛み締めた。

 過去の記憶が脳裏に蘇り、傷のひとつもないはずなのに胸が痛んだ。

 そんな痛みを押し留め、ルミアーナはさらに速度を上げて大空を突っ切っていく。かなりの速さでアヴァロスタに向かっていたが、それでも遅いと感じたのだ。

 アヴァロスタ女学院が彼女の瞳に映り始めたのは、それからまもなくのことだった。

 緑色に生い茂った木々に囲まれながら佇む、白い石材で組み上げられた巨大な建造物――いくつもの尖塔が空に向かって伸びているのが、実に印象的だった。

 その外観はまさしく城だった。しかし、城主はいない。

 女学院という名称が示すように、ここは魔女を養成するための一大教育施設。ルミアーナが幼い頃から身を寄せ、10年以上の時を過ごしている場所だ。

 名目上は教育施設に分類されるが、その規模と保有戦力は大国にも引けを取らない。ルミアーナもそうであるように、ここでは数千もの女学徒が寮生活を送りながら魔術を学び、日々鍛錬に励んでいる。大国であろうとも、この学院を攻め落とすのは容易ではないとすら言われていた。

 魔女を目指す少女達を取りまとめるのは、王でも女王でもなく、『学院長』だ。

 そしてルミアーナは学院に降り立つと、すぐに学院長に面会するために大聖堂へ足を運んだ。大聖堂はその名のごとく祈りを捧げる場であったが、学院長の執務室も兼ねていた。


「お戻りになりましたか、私の可愛いルミアーナ」


 分厚い本に書き物をしていた学院長は、ルミアーナの入室に気づくとすぐに羽ペンを置いた。穏やかで明瞭な、まるで母が子に語りかけるようなその声は、広くて天井の高い聖堂の隅々まで行き届いた。

 学院長は笑顔だった。

 しかし、その先にいるルミアーナは笑っていなかった。彼女は口を結んで、ただ学院長と視線を重ね合わせていた。

 とはいえ、もちろんいつまでも黙っているわけではない。


「ただ今、戻りました」


 抑揚の少ない声で、ルミアーナは応じた。

 学院長のそばには、他にも数人の魔女が杖を携えて控えていた。彼女達はルミアーナと同様に『特級魔導士』の証たる虹色のブローチを与えられ、極めて優秀で戦闘能力が高く、学院長の側近を務める魔女達だった。

 

「帰りが少し遅れたようでしたが、実りある外出でしたか?」


「学院長、実は報告したいことがあります」

 

 学院長の質問に答えないまま、ルミアーナは切り出した。

 

「いいでしょう、話してください」


 学院長は促した。やはり、母が子に語りかけるように穏やかで、優しげな声色だった。

 その顔の笑みは、わずかも揺らぐことはない。まるで仮面のような、凍ってしまったような笑顔を、彼女はルミアーナに向け続けていた。

 この学院長の名は、『バルバーラ』。

 アヴァロスタ女学院の長たる彼女ももちろん魔女であり、多くの学徒からの羨望を集める実力と威厳を持ち合わせていた。その身にまとったドレスには複雑な装飾や高価な宝石が散りばめられており、まるで自身の権力を誇示しているかのようだった。

 その美貌は女学徒達からも一目置かれるほどで、齢にして30代半ばを過ぎたあたりだったと記憶しているが、バルバーラは少女のように若々しかった。

 最高指導者としては申し分のない存在であると、女学徒達の多くが認める人物だった。


「それでは、恐れながら……!」


 そう前置きして、ルミアーナは報告した。

 ラスバル村で魔物を目撃したこと、ロヴュソールの兵士であるエバンと出会ったこと。彼とともに魔物を退けたが、残念ながらラスバル村の人々は村長含めて全員が喰い殺され、村が壊滅したことも。

 バルバーラはしきりに頷きつつ、報告に耳を傾けていた。


「そうですか、ついにラスバル村まで……」


 そう呟くバルバーラの顔に、もう笑みは浮かんでいない。


「魔族はもうすでに、私達が思っている以上に勢力を広げていると感じました」


 そう告げて、ルミアーナは報告を締めくくった。


「ええ、そのとおりね。先日ロヴュソールにアストリアが侵攻しましたが、それも失敗に終わった。しかし、魔族はロヴュソールの陥落を諦めていないようです。『髪長姫』を奪えば、もはや世界は完全に魔族のものとなるでしょうから」


 同盟関係にあったアストリアが、それを破ってロヴュソールに戦争を仕掛けた。

 その出来事はアヴァロスタにも、周辺諸国にも伝わっていた。髪長姫の投入によって陥落こそ回避されたが、下手をすればロヴュソールが滅ぼされていたかもしれない大事件だ。

 しかも驚くべきことに、アストリアの兵達は死者を魔物に変じさせる魔術を用いていたと聞いている。それこそが、アストリアが魔族の傘下に下ったという確固たる証拠だった。

 それを聞いた時、ルミアーナは驚いた。

 驚いたし、そして恐ろしくも感じた。

 死んだ仲間を、魔物に変えて敵に差し向ける。それはまるで仲間を二度殺すような行為だと思えて、道理を外れていると思ったのだ。


「ロヴュソールは、魔族に反する国の中でも最大級の規模……しかしもう、今後は注意するべきでしょうね。魔族の配下となり、ロヴュソールの者を捕えて魔族に差し出せば、報奨を渡すというお触れを出している国すらあるそうですから。もちろん……生死を問わず、です」


「っ、そんな……!?」


 バルバーラの言葉に、耳を疑った。

 まさか、そんなお触れを出す国まで出てきているとは思いもしなかったのだ。

 死人であろうと関係ないということは、アストリアがやっていたように魔物の素材にでもするつもりなのか、とにかく何らかの形で活用する方法があるのだろう。

 本当であるのなら、由々しき事態だった。

 報奨に目が眩んだ者がロヴュソールを裏切り、罠に嵌めて殺害する。殺されなかったとしても、凄惨な拷問にかけられて強引に情報を聞き出したりされるのかもしれない。

 十二分に考えられることだった。


「すぐにロヴュソールに警告を……!」


 マントを翻しつつルミアーナは踵を返し、出入り口に向かった。

 学院長の今の話を、急いでロヴュソールに伝えなければならないと思ったのだ。そうしなければ、ロヴュソールの者が火に飛び込む蛾のごとく、裏切られて殺されてしまう。

 しかし、大聖堂を出ることはできなかった。

 ――巨大な扉が重い音を立てて閉まり、ルミアーナの行く手を阻んだのだ。


「えっ……!?」


 困惑しながら、ルミアーナは振り向いた。

 バルバーラが彼女を見つめていた。その顔に再び、凍りついたような笑顔が浮かんでいた。

 

「学院長、何のおつもりですか……!?」


 誰が扉を閉めたのかは、考えるまでもなかった。

 バルバーラが魔法を使い、ルミアーナの行く手を塞いだのだ。


「ふふふ……私の可愛いルミアーナ、よくお考えなさい。どうして警告などする必要があるのです?」


 険阻な面持ちを向けるルミアーナとは対照的な、バルバーラの笑顔。

 その声はまるで聖歌でも斉唱するかのように楽しげで、透き通っていた。しかし、表現しようのない不気味さと傲慢さが滲んでいるように感じられた。

 バルバーラが、ゆっくりと椅子から腰を上げた。

 神に祈りを捧げるように、彼女は両手を広げて天を仰ぐ。そのドレスや無数に身に着けた宝石が窓から差す光を受け、その様子はまるで輝くコウモリのようだった。


「もう恐れる必要はない。もう逃げる必要もない。私達は全員、この上なく素晴らしい力を……恩寵を賜ることになるのです!」


 興奮した様子でバルバーラは告げた。

 言葉の意味は分からなかった。分からなかったが、ルミアーナは思わず杖を握る両手に力を込めた。


「力? 恩寵? 一体どういうこと……!?」


 記憶している限りでは、敬語を使わずにバルバーラに話したのは初めてだった。


「ああ、ルミアーナ……分からない? あなたはもっと賢く利発で、聡明な魔女だったはずですよ」


 天を仰いでいたバルバーラが、ゆっくりと視線を下ろしていく。

 再びその顔が見えた時、ルミアーナは思わず息をのんだ。バルバーラが浮かべていた笑顔は歪んでいて、とてつもなく不気味で……もはや、悪意以外の何も感じられなかったのだ。

 ドレスの袖から覗く白い手で、バルバーラはルミアーナを指した。


「素晴らしき闇の力、魔族の力ですよ……」






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― 新着の感想 ―
我が身かわいさに魔族の軍門に下ったか………。 この学院長にハリポタのダンブルドア校長の爪の垢でも飲ませてあげたいですな。
『村の人々にもどうか、その奇跡が降り注いでほしかった。』 ルミアーナ……本当に優しい子ですね。 そんな彼女の身に降りかかった、まさかの出来事。 ええっ!! と驚いています。 どうか、どうかと願わずに…
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