-14- 魔妃の眷属
もっとくれ、もっとくれ。
もちろんのこと、赤茶色の馬が実際にそう言っているわけではなかった。しかし、エバンには彼の声が聞こえるように思えた。
ロヴュソールに戻ったら、人参をごちそうする。ダルラグの襲撃を退ける手伝いをしてくれた時、エバンはこの馬にそう告げた。その約束は、この調査を終える前に果たされることとなった。
滅ぼされた村の倉庫には多くの野菜が貯蔵されていた、その中には人参も山ほどあった。
ルミアーナも言っていたが、このままでは腐らせるだけだろう。ならばせめて、少しでも消費することが村の人々への手向けであると思えた。
「いい食べっぷりだ、よほど腹が減ってたんだな」
エバンが人参を差し出すと、馬はそれを口で受け取ってはたちまち噛み砕いていく。そしてまた、甘えるように顔を寄せて次の人参を要求してくる。
近くには木箱が置かれていて、その中には人参が山盛りに入っている。その人参の山に馬は気づいているはずだが、馬は決してそれに食いつこうとはしなかった。エバンがくれるのなどを待たず、木箱の人参に狙いを定めて奪い取れば、好きなだけ食べ放題であるはずなのにだ。
勇敢で忠義者であるだけでなく、よほど行儀がよく躾けられた馬だと、エバンは改めて感じた。
「ねえ……」
5本くらい人参を与えたところで、不意にルミアーナが話しかけてきた。
「どうした?」
木箱から次の人参を取りつつ、エバンは応じた。
「私も……その子に、人参をあげてみてもいい?」
意外な申し出に、エバンは思わず黙ってしまった。
そうしているあいだにも、馬はエバンに顔を寄せて次の人参を催促してくる。まだまだ食べ足りないのだろう。
どうしてそんなことを? とエバンは思ったが、ルミアーナの表情から理由は察せられた。彼女はどこかおずおずとしていて……どうやら、自分も馬と戯れてみたくなったようだ。
初めて会った時、ルミアーナに対して少なからず警戒心があった。アヴァロスタの特級魔導士であるのは間違いないようだが、味方と断じることもできなかったからだ。しかしながら、今となっては彼女がオロルドロスを退けるために共闘してくれたという事実がある。
当初に比べれば、ルミアーナへの警戒心は幾分薄らいでいた。これといって、彼女の申し出を断る理由は思い浮かばない。
「ああ。警戒されるかもしれないけど、焦らずゆっくりとな」
エバンは立ち上がってルミアーナに歩み寄ると、木箱から取り出したばかりの人参を手渡した。
馬はやはり、警戒したようだった。大好物である人参をその手に持っていたが、初めて見る少女が近づいてきたので不審に思ったのかもしれない。ぶるると身を震わせて、低く鳴き声を発した。
しかし拒絶したわけではなく、逃げようとも威嚇しようともしなかった。
ルミアーナは馬に歩み寄り、ゆっくりとしゃがみ込んだ。彼女がまとっているマントが地面に広がる。自分を小さく見せることで、恐怖心を与えないよう配慮したのかもしれない。
そしてルミアーナは何も言わず、手にした人参を差し出した。
馬はルミアーナの顔と人参を交互に見たあとで……彼女の手から人参を受け取り、ボリボリと音を立てて咀嚼した。
「受け取ってくれたな」
内心、エバンは安堵した。
見知らぬ人間から餌を差し出されて、馬が混乱して暴れたりするかもしれない。そう思っていたが、まったくの思い過ごしだったようだ。
これまでエバンにそうしていたように、馬は甘えるようにルミアーナの顔に頭をすり寄らせた。心を開いてくれた証なのだろう。
「っ……」
ルミアーナは驚いたようだった。
困惑しつつも彼女はその愛情表現を受け入れ、馬の頭を優しく撫でた。
その時、ルミアーナは笑っていた。不愛想ではないけれど、エバンはルミアーナがあまり表情を変えない、冷静沈着な気質の少女であるように思っていた。
美人な彼女は、その笑顔も綺麗だった。
思わず見とれてしまいそうになったが、ルミアーナがこちらを見てきたので、エバンは慌てて平静を装った。
「ねえ、この子には名前はないの?」
意外な申し出に続いて、今度も意外な質問だった。
「ない。軍馬は数え切れないくらいいるから、その全部に名前なんてないさ」
それも理由のひとつではある。
しかし名前を付ければ愛着が湧いてしまい、戦場で喪った時が辛くなるということもあり、ロヴュソール騎士団では軍馬に名づけをしないのが通例だった。そもそも、戦場に出立する際に兵士に割り当てられる軍馬は基本的に無作為に選ばれるので、いつも同じ軍馬に跨るわけではない。
名づけが規則によって禁じられているわけではない。しかしそういった事情から、名づけても無駄だとも考えられた。
「そうなんだ……」
馬の頭を撫でるルミアーナの表情に、もう笑みはない。
打って変わって寂しげで、それに悲しげな……そんな面持ちだった。
馬に名前がないということが、それほどまでに心が痛むのだろうか?
「じゃあ……『ブルックス』っていう名前はどう?」
「ブルックス?」
ルミアーナが馬の名前を提案してきて、エバンは思わず目を丸くした。
この馬とは調査が終わればもう接点もなくなるはずだ。だから、名づけたところで無駄だと思えた。思えたのだが、こちらをじっと見つめてくる馬の顔を見ていると……名前を与えるのも悪くはないように感じられる。
ダルラグ戦った時も、オロルドロスと戦った時も、エバンはこの馬には非常に助けられた。人間ではないにせよ、仲間のような感情が芽生えつつあったのだ。
「いいんじゃないか? 似合ってると思うよ」
ルミアーナの提案を拒否する理由は、見当たらなかった。
馬とはいえ、少なくともロヴュソールに帰るまでは行動をともにする間柄だ。呼び名があって困ることはないだろう。
「ブルックス、もっと食べる?」
ルミアーナが人参を差し出すと、たった今『ブルックス』と名づけられた馬は鳴き声を発しながら、それを口で受け取った。心なしか、エバンには名前を与えられて喜んでいるようにも見えた。
◎ ◎ ◎
食事を済ませたエバンとルミアーナ、それからブルックスは寝床についていた。
各々、焚火を囲うようにしてそれぞれ身を休めていた。ブルックスはその場で身を伏せ、ルミアーナは倒木に背中を預け、エバンは横になって毛布をかぶっていた。その毛布はエバンが調査に持ち込んだ寝具で、最初彼はこの毛布をルミアーナに譲ろうとした。しかし彼女は『マントにくるまるから大丈夫』と言い、やんわりとエバンの申し出を断った。
仰向けに寝そべりながら、エバンは星空を見上げていた。
野宿も久しぶりだな……とぼんやりと思っていた時、ふとあることを思い出し、ルミアーナのほうを見てみる。彼女はまだ眠っておらず、マントで身を覆い、もしもに備えて杖を手放していなかった。
「ところで、さ」
ルミアーナが顔を上げた。
「俺に訊きたいことがあるんじゃないのか?」
寝そべったまま、エバンは彼女に問うた。
質問の意図を考える必要があったのだろう、彼女はすぐには応じなかった。ルミアーナの銀髪が焚火の光を受け、輝いているのが見えた。
「ああ……もう大丈夫」
少しの間を挟んで、ルミアーナは応じた。
「さっきの戦いで……あなたが『魔妃の眷属』だということは分かったから。腕の模様から見て、オプスキュリアと契約を結んだんでしょう? 訊かなくても分かる。『他の魔妃』じゃなくてよかったわ」
彼女の口からオプスキュリアの名が出たことに、エバンは内心驚いた。
エルマやオプスキュリアのことは、ロヴュソールでは機密事項として扱われている。それを知っているのは、ルミアーナがアヴァロスタでも最上位に近い魔女であるがゆえだろうか。
エバンは思わず、彼女を見つめる目を細めた。
「心配しないで、眷属だというのを言いふらされるのは都合がよくないってことも、ちゃんと知ってる。私は誰にも言わないから」
「そうか……」
信頼に値する言葉だと、エバンには感じられた。
「疲れているでしょ? もう休みましょう」
ルミアーナの言葉に、エバンは頷いた。
獣や魔物の襲撃を受けた今、ふたりとも就寝してしまうのは無防備にも感じられた。しかし彼らの周囲には、ルミアーナが作り出した魔法の結界が張られていた。そこに誰かが触れれば、ルミアーナは何者かの接近を感じ取り、眠っていようがすぐに気づくことができるとのことだ。
「そうだな……」
獣や魔物と立て続けに戦闘を行うことになり、疲弊しているのは間違いなかった。
明日はロヴュソールに戻り、調査の報告をしなくてはならない。休める時に休んでおいたほうが得策だろう。
エバンも目を閉じた。
もしもに備えて、毛布の内側には鞘に収めた剣を隠していた。




