7. いよいよ音を出します
「じゃあ、練習はじめよう」
ちびでツインテールでドラムの和田さんの発声で練習が始まった。この子がバンドマスターでしょうかね。
ちなみに、俺が着させられた女子高校生制服は実はライブ用の衣装で、どこかの学校の制服と言うわけではなく、知り合いに作ってもらったとのこと。今度の大会用なので夏服で、各人ちょっとずつデザインが違うという話だが、みんなセーターとかカーディガンを羽織っているので、細かい違いはよくわからない。
今日は、本番の雰囲気でやろうとみんな揃って着てきたとのことで、俺もそのままの姿で練習することをお願いされてしまった。女子の服装に慣れるには着て演奏するのが一番だよ、とか若葉に言われたが、そんなことはないだろうと思った。だが、お願いされたものは仕方がない。
サイズは俺にぴったりなのだが、今は胸に詰め物がないので、すかすかで変な感じである。ちょっと寒いので、着てきた上着を上に羽織る。
ピアノ室は結構な広さがあって、防音を装備するなんて、結城家は音楽好きの一家なのかね。部屋の隅にグランドピアノが寄せられており、各人が持ち寄ったというアンプやドラムセットが揃っている。
若葉のキーボードは、俺の家に昔からある古いキーボード、というか電子オルガンっていうやつ。結城さんはストラトタイプの白いギター、お金持ちそうな建物なのに、初心者用の安いやつに見える。里美さんは安価な良くある木目のジャズベース。和田さんのドラムセットは、安いけれどもちゃんとした音がでるってやつではないだろうか、よく覚えてないけど。俺は、高校の時に安く買った黒いストラトタイプで、ずーっと弾いてる使い慣れたやつである。
「では、今日は軽く音あわせを」
俺が言うと、和田さんが若葉に大声で。
「若葉、このことも話してないの」
隣でギターを構えた結城さんが俺にささやく。
「今日は朝まで練習ですから」
は?今日は、夕方の汽車で帰ろうと思っていたのだが。
「兄貴・・・じゃなくてお姉ちゃん・・・言ってなくてごめなさい。でもそれで、いいわよね」
それでいいわよねって言われちゃったんだけれども、まったく若葉は俺のことをいろいろとわかってるからやんなっちゃうね。
音楽にドボッと長時間浸かるのはぜんぜん苦じゃないし、望むところな俺である。久々に他人と音を出すのだから、すぐ終わっちゃうより長い時間出来たほうが、基本的にはうれしいのである。
隣の結城さんに聞く。
「こんな真昼間から朝までなんて、異常な長時間練習なんだけど、よく、こんなことするの・・・ですか?」
「週末にはよくやります。専用のスタジオですから」
さっき、レベルアップとか決勝進出とか生意気なことを言ってるな、と思ったんだけれども、彼女らが口先だけじゃなくて本気で取り組んでるのがわかったような気がしたので、こんな服を着せられた状況だが、演奏は気合を入れてやろうと思った。
でも・・・しかし・・・フィーリングは合わなかったら、さっさと止めて帰ることになると思うんだけれども・・・でも・・・しかし・・・まあ・・・すべては演奏してみないとわからないわけだしな・・・
「じゃあ、最初はカツ丼を通しでいこう」
和田さんが号令をかける。
結城さんが、俺に言う。
「お姉さま、はじめてで大変でしょうけど、よろしくお願いいたします」
俺は答える。
「ちゃんと練習してきたから何とかなるでしょ」
さて、WBSYのお手並み拝見である。
・・・
はじめて合わせたカツ丼ソングが終わると、なかなか充実した気分になった。
若葉と和田さんはふたりで、いぇーい、とか言ってる。
結城さんと里美さんはニコニコしてる。
俺を交えてはじめてなのに、なかなか良い演奏であった。
俺は、周りの演奏に気をつけながら、譜面どおりに注意深く弾くのが精一杯で、ベストの演奏というわけではなかったのだが、一緒に演奏した感じは、困ったことに、なかなかいい感じであった。
今回、一緒に弾いて感心したのは、みんな録音の時よりうまくなっているということ、それから、この新しい譜面はなかなかよく出来ているということだ。
以前のカツ丼は、上品でおいしそうだけど、肉はちょっと薄めで、薄味で・・・
「いただきます」
「ごちそうさまでした」
「おいしゅうございました」
カツ丼って食べたことないけどこんな味なのかしら、みたいな感じだったのだが、今回のカツ丼はギターが2本になって、カツの厚さやジューシーな感じが増した気がする。上品でおしゃれな感じはそのままで、俺のカツと結城さんの卵とたまねぎがうまく絡み合って、おいしさアップ、ボリュームアップな感じである。
いろいろとよく出来たアレンジだと思った。
今まで、俺の中で、カツ丼といえば、
「おばちゃーん、カツ丼5つね」
「みんな、大盛りだね!」
「おう!もちろん!」
男5人で、がつがつがつがつ、がつがつがつがつ。
「肉が厚くて、うっまーーい。腹いっぱい」
味が濃いから水をごくごくごくごく、みたいな、B級グルメのむさ苦しい男の食べ物のイメージがあったのだが、この曲のように上品でおしゃれなカツ丼も、美少女ガールズバンドにはありかな、と思った。
今までは熱く激しい重量級のロックを目指して弾いてきたような気がするが、こういう曲を演奏するのも意外と楽しいことに俺は気づかされた。
結城さんが俺に言う。
「お姉さまの演奏をはじめて聞きましたが、グッドフィーリングで素敵です。男性ですからもっと力強い荒々しい演奏かとおもっていましたが、意外と繊細なのがガールズバンドっぽくて良かったです」
それはそうである。若葉にもらった録音を聞いて、さらに譜面を見て、いろいろと合わせるように練習してきているので、今回は俺本来のスタイルとは少々異なる演奏を・・・って・・・
なにぃ・・・はじめて聞いた?
俺が処分し損ねた録音を聞いて、みんな乗り気になったんじゃなかったのか・・・
「あのー、結城さん。俺の演奏を今はじめて聞いたって・・・?」
「はい。はじめてです。あと、お姉さまは『俺』っておっしゃらない方がよろしいかと思います。『お姉さま』だから『わたくし』とかそんな感じが・・・」
「はあ・・・では、そのー・・・えー、わたくしの昔の録音を聞いて、みんな・・・みなさん乗り気でって・・・おっしゃったというお話では・・・???」
結城さんは、ちょっと理解できないって顔をして言った。
「いえ、お姉さまの写真はたくさん拝見いたしましたけれども、録音はまったく聞いていませんわ」
若葉には、とことんはめられたということが、改めてわかったのである。ちくしょう。
俺は大きな声で若葉に言った。
「おい・・・じゃなくて・・・ねー、若葉さん。結城さんが、わたくしの演奏を初めて聞いたって・・・えーと・・・おっしゃっているんですけど、いったいこれはどういうことなん・・・なのかしら・・・」
「わたくし言葉」は難しいので少々詰まってしまうのだが、なんとか話せた。
「えっ、兄貴・・・じゃなくてお姉さま・・・いったい、そのぉ・・・なにを言っておられるのかしら?」
そう答える若葉に結城さんが言う。
「私たち、お姉さまの写真は見せていただいたけど、演奏の録音なんて聞かせていただいていませんわよね」
若葉はとぼけてるわけじゃなくて、そんなことは覚えてないのだということが、わたくしにはよくわかっています・・・わ。でも、やっぱり一言いっておかないといけません・・・ですわよね。
「若葉さん、いったいあなたどういうおつもり・・・」
「ちょっと、やめてくれないその会話!」
和田さんが突然きれた。
「お姉さま禁止!!さん付け禁止!!変な敬語禁止!」
隣で里美さんが大口を開けて笑ってる。無口で無表情な子だと思っていたのに、すごくうけてる。
「ふはははは・・・わたしは別にかまわないけど・・・ははははは・・・」
というわけで、練習は中断して、「お姉さま」に替わる俺の呼称の相談がはじまった。