2. 弟のバンドに誘われる
昼食を食べながら弟と話す。
若葉は男のくせに料理はうまいのだ。
今度の夏休みに、こっちに出てくるので泊めてもらいたいとのこと。部屋の様子も見に来たのだそうだ。わざわざご苦労なことである。
「夏休みって、夏期講習かい?」
「いや、バンドの大会があって、それに参加するんだよ」
「は?バンドなんかやってるの?」
確か、若葉はピアノでショパンとかモーツァルトじゃなかったっけ。
「高校入ってから、キーボードやってる」
「まさか、メンバーがみんな、ここに泊まるの?」
「二部屋あるから大丈夫。片付ければ何とかなりそうじゃない」
だからわざわざ部屋の様子を見に来たのだね。確かに、クーラー全開で雑魚寝すればなんとかなるだろう、とは思った。
「ねえ、お兄ちゃん、お願い、泊まってもいいでしょ」
若葉は急に女の子モードに入った。かわいい妹に頼み事をされて断れない優しいお兄ちゃんって、こんな気持ちなのかね、って、こいつは弟なんだけど・・・でも、今の若葉はどこから見ても可愛い女の子だ。そういや、若葉って、生意気で言うこと聞かなかったけれど意外とかわいい弟だったっけ・・・とか思った。
夏休みには特に予定もなかったし、部屋に泊めてやるくらいならいいか、と思った。バンド連中だったら、話題も合うだろうし退屈しないだろう、とも思った。俺は優しいお兄ちゃんなのである。
「まあ、別にいいけど、って、お前、となりの部屋、見たのか」
俺のアパートのもうひとつの部屋にある、音楽CDの山、それからギターとかアンプとかを見られちまったんだろうな。
「まだ、あきらめてないの?」
弟だけあって、いきなり痛いところをついてきたが、なにか適当に返事をして誤魔化そうと思った。二日酔いで頭も重いし・・・いろいろ話すのも面倒だ。
「あきらめてるよ。あれは単なる趣味だ」
「単なる趣味?」
「今はバンドやってるわけじゃないしな」
真面目に勉強して、今の大学を卒業したら、まっとうな仕事に就く、という道をちゃんと歩んでいるってことが伝われば、とりあえずはOKであろう。
でも、弟は変なことを言い始めた。
「それは好都合だ」
「好都合?」
若葉は俺を拝んで言った。
「兄貴、ぼくらのバンドに参加して、いっしょに大会に出てくれないかな」
「はっ?」
「ねえ、お兄ちゃん、お願いよ。うふ」
なんと、突然現れたかわいい妹が、俺に一緒に禁断のバンドをやってくれってお願いしているのである。
まったく意外な弟の提案に、俺は戸惑ってしまった。
「ギターがいないのか?」
「今4人なんだけどギターが弱いんだ」
「なんで俺なわけよ。 他に誰かいないのか」
「兄貴の演奏の録音を聞かせたら、みんな乗り気なんだよ」
「は?録音なんかどこにあったんだよ」
全部始末したはずの録音が残っていたことに動揺しながらも、最近なんかスカッとしたことがなかったってこともあるし、久しぶりにバンドで音を出すのもよいかもしれない、趣味の範囲で弟のバンドをヘルプするっていう感じでどうだろうか、っとちょっと思った。
俺は、若葉のバンドの練習に、一度、参加することを承諾した。
「いいか、お前の頼みに断りきれずに仕方なくってことでいくぞ。それから、まだ正式に参加を決めたわけではない。こればかりは一緒にやってみないとわからないしな」
「うふふふふふ、それで十分よ。お兄ちゃん、ありがとう」
かわいい妹の弟の「うふふふふふ」に、少し嫌な予感がしたが、いざとなれば断ればよいと気楽に考えていた、というか、二日酔いの重い頭では無下に断る気力もない。交渉の落としどころはこんなところであろう。
「ところで、なんで女の子の格好なわけ」
「お兄ちゃんを驚かせようと思って、うふ」
ああ、確かに驚かされた。繰り返し思うのだが、ちょっとときめいちゃった自分がなさけない。
「女装もブームだからな。俺も去年、大学の学園祭でやらされたよ」
「へえ、それはそれは。メイドカフェとか?・・・でっ、どうだったの?」
「コスプレカフェなんだけど・・・それが、意外と好評だったんだよ」
「やっぱりね・・・美少女に変身したんでしょ。この私みたいに・・・」
「いや。バラライカのコスプレ」
「バラライカ・・・誰それ?」
バラライカことソーフィヤ・イリーノスカヤ・パブロヴナが誰か説明するのも面倒だ。つまり、女に見えるかどうかは問題じゃないところの強烈なキャラクターを選んだのがコスプレとして好評だった原因だと、個人的には思っているのだがね。
「インテグラルって選択肢もあった・・・」
「インテグラル・・・誰それ?」
インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシングが誰か説明するのも面倒だったのに、つい口走ってしまった自分がなさけなくて、二日酔いの頭がまた痛くなってきた。