表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/59

8.裏庭での出会い

 

 働きぶりを見てもらいたい、とメイド服まで用意してもらったというのに、私にできる仕事が全然なくなってしまった。ABCD嬢が滞在するということでグラウヴァイン家の本邸から大量に使用人がやって来たからだ。


 私が換えたカーテンは外されて新しいものが吊るされた。更に絨毯まで冬用の毛足の長いものから春夏用の毛足の短いものに取り換えられている。なるほどスターリングが言った通り、新しい絨毯とのコーディネイトを考えると確かに私が選んだカーテンではちぐはぐな印象になってしまう。


「伯爵家ではカーペットのことまで考えてカーテンを換えるのですね。とても勉強になります」

「ふつうはなかなかカーペットを換えるまではしませんからね」


 そう教えてくれるのはメイドの中でも一番若いマルガだ。私とあまり年が離れていないこともあってベッドメイクの仕方やカトラリーの磨き方も教えてくれた。マルガの3歳年下の妹を見ているような気になるらしい。


 そんな訳で、未熟な私はお客様であるABCD嬢とその使用人たちの目に触れるところを触ってはいけないとスターリングに言われてしまい、仕方なく館の裏に向かった。館の裏手には薬草園が広がっている。朝早い時間だし誰もいないだろうと思っていたのに人の気配があった。遠く、薬草園の中心くらいの場所で背の高い黒髪の男性が、同じくらいの年頃の相手になにやら書き付けさせている。


 遠目にもわかる長く美しい漆黒の髪と品のある佇まい。


 あれ、ひょっとしてオニキス様じゃないだろうか? こんな短い髪のみじめな姿を「パッケージ裏の君」には見られたくはない。メイドキャップを深く被りなおし、もし見つかっても不敬にならないように自分に掛けてある魔法をすべて解除する。


 そのまま数歩あとずさり、小走りで来た道をもどる。農具小屋の陰にはいり、視界から黒髪の男性が消え、ほっとして小走りで去ろうとしたその時だった。


「待て! そこの女! どこから入った!」


 背後から鋭い声に貫かれる。


 足に何かが絡まったような感触があり転んでしまった。ちょうど膝のあたりをレンガの角にぶつけて、痛さで立ち上がれない。切れた皮膚から新鮮な血液がぼたぼたと滴り落ちるのを見て自分でもよくわからないほど悲しい気持ちがあふれる。


 社畜時代だってあんなに頑張っていたのに大して評価もされず過労死。転生した異世界でも良い成績を収めるためにあれほど努力したのに何もかも奪われた。メイドになれる素養もぜんぜん足りない。ようやく出会えた憧れの人にはこんな惨めな姿をさらさなくてはならない。


 背後に人が近づいてくる気配を感じたが振り返るのも立ち上がるのももう嫌だった。涙がどんどんあふれて来てしまいエプロンの裾で顔を覆う。


「なぜ、この時期に女のメイドがいるのだ……なに、スターリングが? いつもいつも連絡もなしに勝手なことを……。女、お前もいきなり逃げるな、賊だと思われて撃たれても文句は言えんぞ。さあ、立て」


 落ち着いた美声だけれど、奇妙なほど威圧感がある。魔王がいたらこんな声なんじゃないだろうか。逆らえず、ノロノロと立ち上がるけれど涙でぐしゃぐしゃの顔は上げられない。


「……なんだ、まだ子供じゃないか。ケヴィン、中で手当てをしてやれ」


「わ、わだし……子供……じゃありまぜん……」


 ダメだ鼻声で全然まともにしゃべれない。ケヴィンと呼ばれた若そうなわりに落ち着いた雰囲気の男性に促されてオニキス様と思わしき人のあとを付いていく。名を名乗られも聞かれもしないのは私をメイド見習いか何かだと思っているせいだろう。その方が面倒がなくていいので黙っていることにした。


「入れ、子供」


 オニキス様の私の呼び名がいつの間にか「女」から「子供」になっている。それよりも気になったのは、入れと言われて指し示された扉は例の「近づいてはいけない青い扉」だった。


「青い扉に近づいてはいけないと言われているので入れません」


 そういって断るとオニキス様は苦笑いをして扉を開けた。


「ああ、ここでは危険な実験をしていることもあるからな。近づくなとは言ってある。今は何もしていないから大丈夫だ。それに菓子もあるぞ」


「お菓子……」


 この世界に来てからあまりお菓子などというものには縁がなかった気がする。少なくとも家で私にお菓子が出されたことは一度もなかった。


「菓子と聞いて泣き止むとは、やはり子供ではないか」


 そういって笑ってこちらを見る目があまりにも優しくて心臓をつかまれたような気持ちになる。クールビューティーの思いがけない笑顔だなんて。反則じゃないだろうか?


 通された部屋はごく普通の応接室だった。奥に続く扉が実験室への通路のようだ。ぼんやりと部屋を眺めていると、ソファに腰かけるように言われる。けがをした膝には包帯のようなものを巻いてもらった。


 しばらくして運ばれてきたお菓子はマーガレットのような花を(かたど)ったケーキだった。ケヴィンが一切れ切り分けてくれる。


「いただきます……」


 パウンドケーキのような食感を期待してフォークを立てたが、想像よりも抵抗がなく刺さる。口に入れるとアーモンドの香りが強く広がるが()()()()のような食感に首をかしげる。


「どうした、子供? あまり旨くないか」

「はい。いえ。あの……味はあまり甘くなくておいしいです。ただ思っていたのと違う食感なので驚きました」


「不味いと言っているような感想だな」

「いえ、まずいというわけではないのです。食べ慣れていないので美味しいのかどうかがわからなくて……」


 もう一口食べてみるがやはりよくわからない。


「まあいい。それにしてもお前はあそこで何をしていた」

「……その、私はお茶も上手にいれられなくて、季節の模様替えのこともわからないので、お客様方のいるところを触ってはいけないと言われました。それで裏庭になにかできるお仕事はないかと思って……」


 オニキス様は少し考えると、ケーキを一口食べ、私を見つめた。


「そうか……よし、仕事をやろう。これよりも美味い菓子を作れ。ここには小さい厨房があるからな。ケヴィンに味見をしてもらって、いいと言われたら持ってこい」

「は、はい……?」


 高校生の頃はたまにお菓子をつくっていた。レシピなんかは全然覚えていないけど、ある程度のセオリーというか勘所(かんどころ)はわかる。


「今度この館に若い嫁を迎えるからな。だいぶ(かん)の強そうな子供だった。甘い菓子でもあれば機嫌もとれるだろう。お前より2つ3つ年上ではないか?」


 私よりも年上に見えるというのは解せないけれど、癇の強い子供というのはどう考えてもリーゼのことだろう。それにしてもオニキス様は自分の結婚相手だというのに、ほとんど関心がなさそうだ。「品定め」にも全く関わっていないのだろう。


 リーゼに食べさせる菓子ならば随分ハードルは低いけれど、ABCD嬢を差し置いてリーゼが選ばれるとは思えない。ということは、スターリングから合格がでて、かつあの上位貴族のご令嬢たちを満足させるお菓子を作らねばならないということになる。うろ覚えで作るお菓子ではどうにもならないだろう。


「図書室で文献にあたってきてもよいでしょうか?」

「構わないが、子供は文字が読めるのか?」


「はい、読めます。あした、この時間にまた伺ってもよろしいでしょうか?」

「そうか。小さいのに感心だな。しばらくはここに籠るから好きな時に来るがいい。ケヴィン、厨房の勝手口を教えてやれ」


 リーゼとABCD嬢の様子もちょうど気になっていたところだ。私はケヴィンとオニキス様に退室の挨拶をしてさっそく図書室に向かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ