58.策に溺れる
「オニキス様、ちょっとよろしいですか」
最後だからと3人でシガールームで飲んでいると、マルティンに呼ばれてオニキス様が出て行ってしまった。オブシディアンと二人きりになってしまうとかなり気まずい。
「オブシディアン様――」
「君は――」
口を開いた途端、同時にオブシディアンもなにか言いかけたので会話を譲る。
「不躾なことを聞いて申し訳ないが、君は、兄上と結婚することに、その、納得しているのか?」
「はい?」
「君は魔力の高さを買われてグラウヴァインの花嫁にと、スターリングに言われたんだろう? その……、結婚相手は、兄上でなくともよいのではないか」
「……?」
私が黙っているとオブシディアンが言いにくそうに目を反らして床板に視線を落とした。
「……兄上には想い人がいる。平民のメイドだ。君も気が付いているだろう? 私は、兄上には政略結婚などではなく好いた相手と結ばれてほしいと思っている」
なぜか、オブシディアンが座っていた一人掛けの椅子から立ち上がり、さっきオニキス様が座っていた私のとなりに位置を移す。
「あ、あの」
「まさか、気が付いていないのか? 先日も図書室で二人が抱き合っているのを見た」
「それは――」
オブシディアンがふいに顔をあげてヴェール越しの私の目を射抜くように見つめる。いつのまにか左手の指先をオブシディアンに掴まれていた。慌てて振りほどくとオブシディアンが眉根を寄せる。
「たしかに、君のことはほとんど知らないけれど、私には兄上のように想い人もいない。君を愛せるかはわからないけれど、大切には出来ると思う。政略結婚であるならば、兄上とではなく私との結婚でもよいのではないだろうか」
……ああ。私のくだらない策略がオブシディアンにこんなことを言わせてしまった。余計なことをしないで最初から誠実に向き合っていればよかった。
「オブシディアン様、本当に申し訳ありません」
土下座でもして謝りたいところなのに、どう謝罪の気持ちを伝えればいいかわからない。
「オブシディアン、私の婚約者をそんな風に口説くのはやめてくれないか」
「兄上!?」
いつの間に部屋に戻って来ていたのか、オニキス様が私の後ろに立っていた。私の両肩に手を置き、体の向きをずらしてオブシディアンからそっと引き離す。
「兄上は、あのメイドをどうするつもりなのですか?」
「ちがうんです、オブシディアン様、ごめんなさい。その、メイドというのは私なのです」
「ああ? そんな訳はないだろう。あれは平民の娘だ。君のような魔力に溢れ……た……」
意図的に溢れさせていた魔力を完全に閉じる。合わせて被っていたヴェールも外す。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「まて、そんなことが……出来るのか? ああ、髪を切ったのか! まさか、兄上のために?」
「髪は――」
妹に切られたなどと言っていいのかと一瞬口ごもった私をオニキス様が黙っていろと言うように手で制する。
「ああ。そうだ。彼女は私のために髪を切ったうえに、研究のためにと私に捧げてくれた」
確かにオニキス様にほんの少しだけ髪の毛を切られたことはあったので、完全な嘘ではない。でも……
「そうだったのか。君はそこまで兄上を……しかし、なぜメイドの恰好をしようなどと思ったんだ」
ああ、もうどこから説明すればいいのかわからない。
「私が、お前に彼女を取られるのが嫌だったからだ」
オニキス様が混乱する私を助けるようにそう言ってオブシディアンとの間に割って入り、私の隣に座った。私の手の甲にそっと掌を重ねる。
「まさか、兄上の口からそんな言葉が出るとは……」
急に笑い出したオブシディアンをオニキス様が憮然とした顔で見つめる。
「いや。そうか……そうだったのか。兄上が……。そういうことであれば、本当によかった。全面的に祝福をする。さっきの話は忘れてくれ」
「オブシディアン様、本当に申し訳ありません」
私が申し訳なさに頭をさげると、オブシディアンは鷹揚に手を振って謝罪を止める。
「いや、いいんだ。ほら、せっかくだから皆で乾杯しよう」
***
「今夜は楽しかったですね」
「君はすこし飲みすぎだったのではないか?」
「だって毎晩二人で楽しそうに飲んでて、いいなあってずーっと思っていたから」
久しぶりにオニキス様の腕のなかで眠る準備をしていた。私の体調の都合でここ何日か別のベッドで寝ていた。
「随分オブシディアンが気に入ったようだな。プロポーズされてまんざらでもなかったのではないか?」
オニキス様がからかうようにそう言ってキスをする。舌をちょっとだけ入れるキスは、なんとなく私の気持ちを知りたいのだろう。
「それどころじゃなかったんですよ! と、図書室での、見たって言われて」
「君が拒否したから、あの時は口づけもしていないだろう」
あの時私が止めなかったら、オブシディアンに何を見られていたかわからない。誰かに見られていると思ってキスを止めたわけではなかった。図書室で抱きしめられたことで、口に出せないような妄想をしてしまっていて、とてもじゃないけれどオニキス様にそれを読まれるわけにはいかなかった。
そしてそのことを思い出してしまった今だってキスをされるわけにはいかない。
キスされたくないのがバレないようにわざとオニキス様の胸に顔をうずめてギュっと抱き着く。
「ん? どうした、急に甘えて?」
髪を撫でるオニキス様の手が首筋をくすぐるような動きにかわる。
「んっ」
つい声を上げてしまった。オニキス様の胸の矢車菊の印がほのかに熱を持つ。
どうやらまた私は策に溺れてしまったみたい。