54.忌み子
「忌み子? 精霊王からみればそうなるだろうが、精霊王の末娘を選ばなかった男からみれば愛しい娘だ」
それだけを言うとオニキス様はすっかり口を噤んでしまった。
なるほど。人魚姫でも視点を変えれば一方的に横恋慕してきたのは人魚姫で、王子にとっては愛しい妻との娘は忌み子でもなんでもない。
でも、どういう意味だろう。オブシディアンから見れば私には愛し子のような価値があるという話にも聞こえるけれど、私にはモモカのチートみたいな能力もない。パズルのピースがはまりそうで繋がらない。
何もかもが中途半端だった。
せっかくの素敵な夜を台無しにされてオブシディアンに対する苛立ちだけが募る。膨れている私の頬をオニキス様がつついて笑った。
「姫君はすっかりご機嫌斜めだな。いいものを持って来てやろう」
そんなことを言って私室の方に戻っていく。
……そういえばオニキス様のお部屋ってみたことがないな。
開いたままの扉からちょっとオニキス様の部屋をのぞいてみる。
「どうした?」
「オニキス様のお部屋、どんな感じかなって」
「ああ。私物は殆ど研究室に置いてあるからこの部屋には着替えくらいしかないのだが」
そんなことを言いながら、ソファに座るように勧めてくれる。たしかに、鏡台がないくらいで私の私室とあまり変わりはない。
言われた通り座って待っていると琥珀色の液体を湛えた瓶にグラス、器に入れられたチョコレートを並べてくれる。
昼間、クリスティアーネが口にしたチョコレートのことを思い出していた。
「ほら、見てごらん」
顔をあげるとオニキス様がグラスに手をかざすのが見えた。
きらきらとした光が舞って丸く成型された氷がグラスの中に顕現した。
「わ……」
「少しずつ溶かしてゆっくり飲むといい」
グラスに注がれたとろりとした液体を口に含む。ウイスキーかと思ったけれどナッツを思わせる香りと甘さはシェリーに近いかもしれない。
「こういう酒もいいだろう?」
「おいしいです。チョコレートによく合って」
「機嫌は直ったのかな」
そう言われてはっとする。こんなことで機嫌をとられてしまう単純な自分がうらめしい。ついついグラスのお酒を煽ってしまう。
「こら。ゆっくり飲めと言っただろう」
頬が熱くなってふわふわする。
「……私に話したくないことが沢山あるんでしょう」
「うん?」
「オニキス様は、私が『愛し子と対になる存在』って、知っていたのですか?」
話を蒸し返した私に、オニキス様は諦めて語り始める。
「いや……、君の話す夢の世界の話が妙な現実感を帯びていることは気になっていたし、別荘での愛し子殿とのやりとりにひっかかりを感じていたことは確かだが、特に気にはしていなかった。君がどういう存在であれ私には関係がないと思っていた。だが、オブシディアン……グラウヴァインの男にとっては、君の存在はやはり特別なようだ」
「どういうことですか?」
「我々グラウヴァインは『精霊王の末娘を選ばなかった男』の末裔だ。まさか愛し子殿がそれを知っているとは思わなかったし、君のことをオブシディアンに注進しに行くとも思わなかった」
「モモカ様は、私とオブシディアン様を結婚させようと思って……?」
「どうだろうな。確かなことは、君がオブシディアンに好意を抱けば、私にはそれを阻止する術はないということだ」
そう言ってオニキス様は静かに目を伏せた。この人はまだそんなことを言うのか。私もなんとなくかける言葉を失ってグラスをくるくる回す。
オブシディアンのことなんて興味ないですよと口にするのは簡単だけど、言葉でなんて何度も伝えている。あまり意味はないだろう。
「さあ、それを飲んだらそろそろ寝なさい。もう夜も遅い」
オニキス様にそう声をかけられて立ち上がる。なぜかオニキス様が私の姿を凝視していた。
「君のその姿は……」
「えっ」
「改めて見ると、ずいぶん煽情的だな」
オニキス様の声がなんだか照れた感じになっている。すっかり忘れていたけれど、オニキス様のシャツだけを身に着けていた。ちょっと楽しくなってしまってオニキス様の膝の上に乗ってみる。
「オニキス様にそう思ってもらえるかなって」
そう言いながら首筋にキスをすると珍しくオニキス様が動揺して身を捩る。
「君は、ソファの上ではいつも攻撃的になる……」
「いつもって、別荘の時だけじゃないですか」
「もう忘れているのか。研究室のソファでも」
あっ、と思い出した。ユニコーンを召喚しようとしてからかわれて、お返しにオニキス様を挑発したことがあった。
「……してくれないなら、私の馬はユニコーンでも良かったんじゃないですか?」
オニキス様が一瞬意味を計りかねるように私の顔をみて、はっと気が付いて困ったような顔になる。
「……今夜はそれでもいいと思っていたが、オブシディアンの登場で状況が変わってしまった。正式に婚姻が成立するまで待っていて欲しい」
「それって、婚約魔法の効果がなくなって、印が消えてしまったら私がオブシディアン様と浮気をしてもわからないからですか?」
オニキス様が虚を突かれたような顔をした。
「たしかに、婚約魔術をかけた今となってはそう判断されても仕方ないが」
「じゃあ、逆に私が結婚式まで純潔を守り通せたら、オニキス様はもうオブシディアン様にも他の人にも嫉妬をしないって約束してください」
「君は何を言っている?」
さっき煽った強いお酒の酔いがまわってきているかもしれない。オニキス様のガウンの紐を解き、ほんのりと薄青い光を放っている矢車菊に唇をつける。
「オニキスさまの誘惑に耐えて貞淑な娘でいられたら、私を信じてくださいね?」
自分でもめちゃくちゃなことを言っている自覚はある。ソファでの私は攻撃的だというオニキス様の言葉に暗示をかけられてしまったのかもしれない。