52.婚約魔術2
後ろから私を抱きしめるような姿勢でオニキス様が私に口づけをする。ぴったり触れている背中から伝わるオニキス様の熱だけでもう私の体の芯はぐずぐずになっていた。
「かわいいよ」「恥ずかしがらなくていい」と何度オニキス様に言われてもどうしてもナイトドレスを手放せない私に「じゃあこれならいいかな」と後ろから抱っこをしてくれていた。
そういえば、初めてドレスを脱がされた別荘での夜もこの姿勢だった。
あの時はビスチェ越しに触れられるのがもどかしくて脱がせてほしくてたまらなかったのに、いざ脱がされてしまうとこんなにも恥ずかしい。
オニキス様も同じことを思い出したようでクスクスと笑いながら、「あの時は随分積極的だったのに」などと囁き、同じようにわざと敏感な部分を避けて胸に触れてくる。
「んん……っ」
「こうやって、後ろから抱きしめると君はすぐに可愛い声をあげて……」
そこには触れないように周囲だけをくるくると指でなぞる。
「おねがい、そんな風にいじわるしないでください……」
それだけを口にだすのがようやくだった。あの時とは違って、オニキス様の熱を感じられる今夜は魔力の制御だって全然できていない。
「どんな風にされたい?」
閨でのオニキス様は口調もずいぶん甘い。耳元で低く囁かれると喉の横がキュッと痛くなるような感じがしてうまく言葉が紡げない。
いや、いやとかぶりを振るのが精いっぱいだった。オニキス様もさすがに焦らしすぎだと自覚してくれたのか、「ごめん」と少年のようにつぶやいて頬に口づけをする。そんな可愛い仕草をしているのに両手の指先は大胆に胸の一番敏感な部分をきつく摘んで、私の喉から思いもかけない声が漏れる。
「君の、そんな声を聞くのは始めてだな」
耳元で響く掠れた声が一層私の快感を引き出していた。もう、どこを触られても、何を囁かれても声を我慢することができなかった。
私の左胸の矢車菊の印が徐々に熱を帯びて薄青い光を放ち始める。背中に押し付けられている同じ部分からも焼き印を押し付けられているような熱を感じていた。オニキス様の印も同じように浮かび上がっているのだろう。
「オニキス様の……顔、見たいです……後ろからじゃなくて……」
「ん……?」
私をベッドに横たえるように姿勢を変えてくれる。上から覗き込むオニキス様の髪が私にさらさらと落ちかかり、頬をくすぐる。
「オニキス様の頬も耳も赤い……」
オニキス様がちょっと照れたように瞬きをして、上に覆いかぶさったまま私を抱きしめる。密着した肌の滑らかさと心地よい重みに思わず「オニキス様、大好き……」と口に出してしまっていた。最中にこういうことを口にするのは本心じゃないみたいで良くないなって思ってたのに。
「知っている」
私のこの葛藤を知っているのかオニキス様はそんなふうに一言だけ返事をする。でも短い言葉とは裏腹に声からは嬉しさがにじんでいて、頬とおでこにもたくさんキスをしてくれる。私も嬉しくて胸がぎゅっとしてしまい、もう、うわごとのように大好き、大好きと繰り返していた。
気が付くとオニキス様の唇が首筋をなぞってちょうど左胸の印のあたりで止まる。口づけに呼応するように印の熱が上がった気がした。オニキス様は熱くないのかなとぼんやり考えていると不意打ちで舌先が私の敏感な先端を舐める。体がびくんと跳ねた。そのまま飴玉のように口に含まれ吸われると甘い痺れが腰のあたりを走る。
反対側の胸も掌全体で包み込まれてやわらかく刺激を与えられ続けている。オニキス様の膝が足の間を割って私の中心を圧迫してくる。
喉の奥から私のものではないような声がするりと潤び出る。
もどかしさと気持ち良さで、もう、なにもわからなくなっていた。ただ、目の奥ではじける光をもっとはっきりと捕まえてみたかった。
「オニキス様、おねがい、私、もう…………だから……」
そうやって泣きそうになりながら懇願することしかできなかった。オニキス様が息を呑んだのがわかった。
顔をあげて私の瞳を覗き込む。小さく頷くと瞼にキスをされた。
オニキス様がすこしためらいがちに何かを言いかけたその時だった。主寝室の扉の先の部屋で誰かがドアを開ける音がした。耳をすませる。足音が近づく気配がして気のせいではないことがわかる。
「オニキス様、失礼いたします」
このタイミングで邪魔が入るのはもう様式美と言っていいと思うけれど、無粋なノックの音とマルティンの声に私は慌ててシーツの間に潜り込む。
「マルティン、非常識だぞ」
オニキス様が苛立った声を上げる。
「申し訳ありません。ですが、どうしてもオニキス様を出せと、こちらまで乗り込んできそうな剣幕で……」
オニキス様はため息をついてベッドを降り、脱いだシャツは着ずにそのままガウンを身に着ける。
私は、中途半端に火をつけられた疼きとマルティンに声を聞かれたかもしれないという羞恥がごちゃまぜになっていて、反射的にオニキス様のガウンの裾をつかんで引き止めようとしてしまった。
オニキス様が目を細める。いままでに聞いたことがないほど優しい声で私に囁く。
「すぐ戻る。できればそのまま待っていて」
そして、私の頬をそっと撫でて、なぜか私の脱いだナイトドレスを持って出て行ってしまった。
……そのままって服を着ずにという意味、なのだろうか?
それとも、オニキス様のシャツと同じ色だから間違えただけ?
しかしいったい、来客はだれなのだろう。ドアの向こうのマルティンとの会話に耳をそばだてるけれど来客についてはよく聞こえない。
「オニキス様、この床に散らかっている桃色の石はどうされたんですか……!?」
などとマルティンが余計なことを言っている声はなぜかよく聞こえて慌てる。私の制御できなかった魔力が精霊に気付かれてしまったようだ。ということはやはり来客はモモカなのだろうか?
でも、マルティンの気が利かないと言っても、さすがにこんな夜更けに来たモモカを追い返すことくらいはできるだろう。
落ち着かない気持ちでオニキス様の戻りを待つ。
……それにしても今日はオニキス様は最後までするつもりだったのだろうか?
意味がない魔法とはいえ、私の純潔を守るための婚約魔術をかけた直後なのに。
婚約魔術について考えみると違和感はもう一つあった。
婚約魔術の説明をしてもらったときのイメージは、男性が女性の胸に印を浮かび上がらせるものだったので、オニキス様の胸にも印が浮かび上がったことが不思議だった。しかも私が先に呪文を唱えたのだから私がオニキス様に魔法をかけたようにも思える。
あのときはペアリングのようなものなのかと思っていたけれど、複数の女性にかけることができるのならば、ペアリングをするような類の魔術とも違う気がする。
オニキス様が最初に口にした「覚悟」の意味が気になった。
もしかして……。さすがにそんなことは、でも……?
いくつかの推測が頭の中をめぐっては消えて行った。