51.婚約魔術
結局、私はモモカのエスコートの件をオニキス様には話せなかった。私はこの髪のせいで王太子の結婚式に出られる立場ではない。その席へのエスコートの話はどうにも切り出しにくかったのだ。
庭園でモモカに会ったことも話せていない。オニキス様に面倒な話を聞かせて心を煩わせるようなことはなるべくしたくなかった。
私のそんな様子はオニキス様に見抜かれているようだった。
「今日は別々に寝るか? 何か私に隠したいことがあるのだろう」
「あ……、隠したいわけではないのです」
「無理はしなくてもいい」
オニキス様の表情からは本心が読めない。
「そんな意地悪いわないでください」
「うん?」
オニキス様にへんな疑惑を持たれるのもいやなのでクリスティアーネとスターリングと話した内容は全部話してしまった。最後に私から口づけをして魔力を読まれても構わないという意志も示す。
「ん……」
オニキス様はすこし上の空な感じで何事か考え込んでいる。だからあまり言いたくなかったのに。
「リア、君は私の『全身全霊の保護』を受け入れる覚悟があるだろうか?」
昼間のクリスティアーネの言葉だった。でもモモカではなく私に? それに、なんかちょっと皮肉な感じに笑っているし。
「……私に断る理由はないように思いますが、わざわざ聞くということは、何かあるんでしょう?」
オニキス様の笑顔がちょっと楽しそうな顔にかわる。
「婚約した女性の純潔を結婚まで守るために、男性から女性にかける婚約魔術というものがある」
「どういう魔術なのですか?」
「体に刻み込んだ印が花嫁の純潔を証明する。破られた場合は術者に純潔を奪った相手が通知される」
「……それが全身全霊をかけた魔法なんですか? 奪われてしまったのなら守られていないですよね」
「ああ。これは、社交の場でパートナーであるということをアピールして初めて効果を発する魔術だからな」
いつもパートナーとして術者が連れている女性に手をだした場合、この魔法によってばれてしまうという脅しなのだろうか? パートナーの女性が浮気をしないようにけん制する意味もあるのかもしれない。
「じゃあ、社交界に顔をださないオニキス様がこの魔術を使っても?」
「意味はないな。私が間男に花嫁を奪われたことがわかるだけだ。しかも、この魔術は複数の側室にも同時に施すことができる」
「……」
そうだった。この世界には第二夫人第三夫人という関係が許されているんだった。逆ハールートありの乙女ゲームだからなんとなく他人事のように思っていたけれど。だいたい私自身、スターリングの思惑が悪い方に働いてしまえば、第二夫人ですらなく子供だけ産まされる立場にされるところだったのに。
「リア?」
……ものすごく、嫌だった。
あの時は、政略結婚の第一夫人のかわりに魔力の高い子供を産む自分、という立場自体には不思議と嫌悪感を抱かなかった。もう、オニキス様のことが大好きだったから、どんな形でもオニキス様に触れられるならそれでいいと思っていた。
それなのに今、オニキス様が私以外の誰かに触れることを想像しただけでももう胸が締め付けられそうになる。でも、この貴族社会で私はそんなことを言える立場にはない。
口には出せない。でも察して欲しい。そんな気持ちでオニキス様に口づけをするのは卑怯だろうか?
気が付くとオニキス様の手をとって掌を頬に寄せていた。オニキス様が不思議そうな顔をしながらも優しく私の瞳を覗き込む。
目を反らすようにオニキス様の大きな掌に視線を移す。人差し指の内側に唇を寄せてそのまま柔らかく食む。
「……っ」
オニキス様が反応してくれたのが嬉しくてそのまま掌に口づけをする。特に意図はなかった。よけいなことをしゃべらなくて済む状況が作れればなんでもよかった。
それなのにオニキス様の顔がちょっとゆがんで、人差し指を私の口許に差し出す。この美しい顔をもっとゆがませてみたい。私だってオニキス様が私の事しか考えられなくなるくらいぐずぐずにしてしまいたい。
そんな気持ちで、与えられた指を舌と唇で愛撫する。オニキス様の肩がぴくりと震えた。そっと顔を盗み見る。私の期待は外れて余裕の笑みのオニキス様と目があってしまった。
……ここで降参してしまうのも悔しいな。
オニキス様の目を見つめ返しながら人差し指を舐めあげる。眉根が少し寄った。
「リア、頼む。今はやめてくれ。悪かった」
オニキス様に降参されてしまった。
「君の考えていることはだいたいわかるつもりだったが、まさかこんな意趣返しをされるとは思わなかった。君の不満はよくわかったから、これから言う呪文を復唱してみなさい」
オニキス様がそういいながら自分の人差し指を私の唇にあて呪文をとなえる。同じように真似して唱えてみる。人差し指の先から尖った剣先のような葉が幾筋もの螺旋を作ってオニキス様の腕を這い上る。服を透けて心臓の上の辺りで青紫の光を放っているのが見て取れる。
「これって……?」
手を当てると熱を帯びている。オニキス様が夜着の前ボタンをはずし光と熱を放っている部分の素肌をみせてくれる。矢車菊を思わせる尖った多数の花びらを持つ花が浮き上がっていた。
驚いた私の人差し指をオニキス様は手に取り唇にあて、同じように呪文を唱える。私の腕を熱い光が伝い胸まで駆け上がり、思わず心臓を抑える。
「んっ、熱い……」
「見せてみなさい」
オニキス様が私の背中に手をまわして背中のボタンを探している。でも今着ているのはナイトドレスなので背中側にボタンはない。腰元のリボンを緩める。
「脱がせてもいいか?」
とだけ小さく囁くと、私の返事は待たずに裾から持ち上げて子供のようにドレスを脱がせる。慌てて袖を片側ずつ抜いて剥ぎ取られたドレスで胸元を隠す。
私の左胸の上らへんにも、オニキス様の胸元に浮き上がっているものと同じ矢車菊が咲いていた。
二つの矢車菊を交互にみつめていると、徐々に光を失い消えていく。
「辛くは、なかったか?」
「もう、熱くなくなりました……消えてしまうのですね」
会話をしていると急に自分が無防備な姿でいることが恥ずかしくなってオニキス様の矢車菊があった胸元から視線をあげられない。オニキス様が半分ボタンの開いている夜着の残りのボタンを外しはじめる。
「どうすればまた花の印が浮き上がるか知りたいのではないか?」
いつもとは違う少し掠れた声に消えた印のあたりがまた熱くなるのを感じた。