43.上手なこと下手なこと2
昨日の晩よりもいささか乱暴な、けれどもとても上手な大人のキスを受け入れていた。蕩けそうな甘いキスだったけれども、食器やワゴンがそのままなのでそろそろ片付けの人が来てしまうのではないかと気になって気になって仕方がない。
「何のために寝台には天蓋があると思っている?」
オニキス様はそう笑って紗の帳を下ろしてくれたけれど、こんな透けた布1枚で安心できるわけもない。
貴族階級にとっては使用人がどう思うかなどは取るに足らないことなのだろうけれど、メイドとして働いたこともある私としてはそんな風に割り切れることではない。実際リーゼの情事は完全にメイドたちの間で共有されていた。
「君のキスが下手なのが、これほどまでに嬉しいとは思わなかったな」
そんなことを言いながら背中にびっしりと縫い留められた釦を一つ一つ手元も見ずに上手に外していく。私は逆にオニキス様がドレスを脱がせるのが上手なことに思いのほか傷つけられていた。
気が付けばビスチェとペチコート姿にされてしまっていた。いよいよ誰かが部屋にはいってくればなんの言い訳もできない。もちろん、言い訳をする必要もないのだけれど……。
ドアの外の物音に気をとられてばかりの私になんとか声をあげさせようとオニキス様は意地になって耳や首筋に羽のような口づけを繰り返す。
「……くふっ……んん……」
くすぐったさにはどうしても声がでてしまうけれど、まったく没頭できない。
「ん?」
「あ、あの、本当に、誰か来てしまったら、私、こんな格好で……。それに、ここはクリスティアーネ様たちの別荘ですし……」
「……続き部屋を与えられたということは私たちがこうするということも織り込み済だと思うが……」
妙に余裕のある笑みを浮かべながら、自分のシャツのボタンを二つほど外す。
「どうしてこの話の流れでオニキス様も脱ぐんですか!?」
「襟元を緩めただけだが?」
オニキス様の態度は、昨晩のような熱に浮かされた感じでもなく、いつもの子ども扱いでもない。もうちょっとたちの悪い、私が困るのを楽しんでいるような意地悪さがあった。
「……さっきの、怒ってるんでしょう……」
「そんなことはない。君の望みを叶えたいだけだが……。それに、ちゃんと食事をしたら、いくらでも触らせてくれるのではなかったか?」
「 ――!」
「とはいえ、君がここまで気もそぞろではな……」
オニキス様はおもむろに私を抱え上げるとそのまま寝台を降り、私が使っている続き部屋へのドアへ向かった。
「こちらの部屋なら人は来ないからいいだろう?」
そう言いながら私を寝台に降ろし、続き部屋への扉と廊下への扉の両方をきちんと施錠してくれる。
これでもうだれにも邪魔をされないのだと思うとかえって緊張が高まってしまった。そんな私を焦らすようにオニキス様は水差しから丁寧にコップに水を注いでゆっくりと喉をうるおしている。
ようやくこちらに近づいて防御陣を構築する呪文を詠唱する。
「今日は精霊に邪魔をされないように」
そんなことを言いながら、私の隣に座る。
「あ、あの、オニキス様……」
「大丈夫。君が心配しているようなことまではしない」
柔らかく微笑む瞳にはさっきの意地悪な光が消えていた。見つめただけでキスをして欲しいのがバレてしまい、優しく唇をついばまれる。
本当は昨日の晩オニキス様を、昼間も、さっきも、何度も何度も何度も何度も思い出していた。
「……ああ」
「えっ?」
「全部、顔に出ていた」
心を読んだかのようにそう言われて混乱している私を胸に抱き寄せて背中に手を回す。ビスチェの背中側の構造を探るように撫で上げる。
「……んっ」
くすぐったさに首をすくめる。布の下に隠された小さなフックをなかなか見つけられないようで指が背中を往復している。ようやく見つけ出した金具は固く、キスの片手間に外すことはできないようだった。
「……私も、ビスチェを脱がすのが下手なオニキス様が、こんなに嬉しいとは思いませんでした」
耳元でそう囁くとちょっと苛立ちを見せたオニキス様が私を背中から抱きかかえるように姿勢を変える。けれどもなぜかビスチェの背中には手をかけず、肩にあごを乗せて甘えたように頬にキスをする。
「ドレスは私が設計したものだからな。ボタンの位置も個数も把握している……これとは違って」
首を傾げて覗き込むと、すこし困ったような顔のオニキス様と目があう。今日はもうこのままいつもみたいに眠りましょうと言おうとした口を塞ぐように唇をふにと噛まれる。
「リアは、それでいいの?」
そっと囁かれてぞくりとするような感覚に思わず息がとまる。
「ずっと、こうして欲しかったのではなかったか?」
両方の胸にやわらかく掌が添う。まるでビスチェの布の硬さや刺繍の模様を確認するように冷静に指が這う。
敏感な部分をわざと避けて触れる美しい指先に、これから大好きな人によってもたらされる快感への期待がどうしようもなく高まっていた。