4.ネズミ呼ばわり
「髪の毛を失った年頃の令嬢」にあり得ないほどショックを受けているカーネリアンから私はそっと離れた。上位貴族ともあろうものが下々の者にに起きたごくありふれた不幸にいちいち心を痛めないで欲しい。まあ彼はゲームの中でも善性が強い良心的なキャラだったので、設定どおりではあるけれど。
この世界に来てからずっとゲームの傍観者だった私が、攻略対象の感情を動かすことができた。それは初めて感じる種類の喜びだった。突然この世界に転移してから4年間でこんな気持ちになったことはない。ずっと頭の中に靄がかかっているような他人事のような気持ちで生きていた。
背後でどこからか戻ったリーゼがカーネリアンに話かける声が聞こえた。カーネリアンは私の髪を切ったのがリーゼということまでは知らないようだ。
「カーネリアン様! お待たせして申し訳ありません。それにしても広いお屋敷ですよね。私迷ってしまいそうです。開けてはいけない扉というのは見ればすぐわかるのでしょうか……。間違って開けてしまわないか心配ですわ」
カーネリアンが私たちの品定めをしに来たとするならば、「開けてはいけない青い扉」もトラップなのだろうか。さすがに見えている地雷すぎるので本当に開けると面倒になる可能性もある。青い扉については一旦考えることは放棄した。放っておいてもリーゼが私を陥れるために何かやらかすだろう。
せっかくなので、自分がメイド長だったらこの館をどうしようか考えながら見て回ることにした。つい粗探しのようなことをしてしまうのは、社畜時代の職業病かもしれない。他人の書類の不備で私が叱責されるのだから、こういう性格になってしまったのは許して欲しい。
「まず、玄関のシャンデリアは一番に磨き上げてもらって……応接室に続く廊下も……お茶ももっと鮮度がいい茶葉にして……」
「おやおや、もう女主人気取りですか、男爵令嬢?」
ふいに掛けられた声はまだ若い男のものだった。独り言が漏れてしまっていたのだろうか、私はあわてて口を押えた。
気を取り直してそっと声の主を振り返る。
ジェイド・ダールマイアーだった。テーマカラーはグリーン。私の一学年上で、卒業して宰相である父親の仕事を手伝っているはずだ。在学中は生徒会長を務め、知的さとちょっと皮肉屋なところがチャームポイントの攻略対象だった。
どうしてこう次から次へと攻略対象がやってくるのか。しかも緋色のカーネリアンに続いて緑色のジェイドだなんて、今日はクリスマスか、と突っ込んでしまいたい気持ちをぐっとこらえる。そういえば異世界なのにクリスマスもバレンタインデーもあるゆるい設定のゲームだった。乙女ゲームにはこの手の季節行事は大事なイベントだものね。
ジェイドはカーネリアンとは違い、余計なことを口にすればひやりとした言葉のナイフで刺してくるような相手なので、何も言わず私は黙って頭を下げる。
「それにしてもなんだお前のその恰好は。伯爵邸を訪れると言うのにまるでナットムルアではないか……まあ、こそこそ動き回るネズミには似合いか。話があるから戻れ。まったくスターリング様はなぜこのような手間をかけてまで……まあいい、詳しくはお前の妹もそろってからだ」
ナットムルアがなんだかわからないけれど、見た目に関して悪口を言われたのはわかる。私だって好きでこんな似合わないドレスを着ているわけではないのに。
リーゼも戻ったところで聞かされた話は、要するに街中に危険人物が徘徊しているからしばらく館からでるなということだった。
「学園の卒業舞踏会で参加した令嬢が髪の毛を奪われる事件が発生してな。黒に近い髪色の令嬢ばかり狙う犯人らしく、おまえたちを保護することになった」
……その、令嬢は私なのですけれども?
カーネリアンの様子をみると真っ青になって俯いている。私たちの心配など微塵もしておらず、むしろドヤ感すら漂うジェイドの様子をみるに、舞踏会で髪を切られた学生がいるという噂からでっち上げたデタラメだろう。
「……ジェ、ジェイド、あのさあ、その話なんだが」
可哀想なくらい動揺しているカーネリアンに私は視線を送った。
「私どものようなものに過分のご配慮感謝いたします。お言葉に甘えて逗留させていただきたく存じます」
リーゼは自分が犯人だと言われていることに気が付いていないのか、この豪奢な館にいられることに喜びを隠せていない。
私は、何か言いたげにしているカーネリアンに、人差し指を唇にあてるジェスチャーで黙っているようにと合図をする。
もう間違いない。滞在期間中に私とリーゼの品定めをするのだ。
面倒臭いなとは思うし、攻略対象の結婚相手に選ばれたいとは思わないけれど、メイドとして雇ってもらえるならこの館は理想的に見える。下級貴族を使用人に雇うのはままある話だ。
この館を管理しているのが誰なのかはハッキリしないけれど、このチャンスを逃したくない。
女性としての魅力には乏しい私だけれど、社畜として勤め先のために身を粉にして働く覚悟はある。なんとか雇用に結びつけたい。
決意して微笑む私をカーネリアンが複雑な目で見つめていた。