32.刺繍のナイトドレス2
ナイトテーブルの上に置かれた照明のやわらかい明かりが、オニキス様の美しい横顔を照らしている。寝室に特化した部屋なのでベッドには天蓋がない。それがなんだか心許ない。それぞれに大きさと硬さが違う枕が八つも備えられた巨大なベッドが二つあるのに、一つのベッドに身を寄せ合っていた。
「開発したってどういうことですか?」
なのにどうしてだろう。こんな素敵なシチュエーションでこんな素敵な人に腕枕をしてもらっているのに、色気のかけらもない質問をしている。
「ああ、魔力鎧の技術の応用で、ご令嬢のドレスにも魔力制御の機能を持たせた製品を作らせているのだが……リアのクローゼットにも一着用意させているが、着ているのをみたことがないな」
「……金色と銀色の糸で刺繍がびっしり施された重量のあるドレスですか?」
見た目は豪華で素敵なドレスなのだけど、重さが尋常ではなくてまだ袖を通したことのないドレスがある。以前、ABCD嬢が同じようなドレスを着ていたのを見て、あれは上位貴族が着るレベルのドレスだと気後れしていた気持ちもあった。
「そうだ。あれに使っている金属糸を極限まで細く加工して織った布を開発した」
「それがこのナイトドレスなのですね」
「ああ、よくできているだろう、もちろん魔力鎧にくらべれば性能は劣るが……。そのかわり魅了や精霊の加護を受け付けない追加効果を付与している。ほら、その刺繍だ」
花の刺繍のピンク色が、前に作ってもらった精霊からの攻撃よけの指輪を思い出させた。
「あの……もしかして、私のために開発してくださったのですか……?」
「もちろんそうだ、と言いたいところだが、第一王子様に依頼をされたのだ。クレメンティーネ様が間接的にとはいえ他の男から贈られた指輪を身に着けているのが気に入らない、と」
「あっ……。私の思慮が足りないばかりに、申し訳ありません」
そう言うとオニキス様は腕枕をしている方の腕で頭をポンポンと撫でてくれる。
「いや、おかげでケヴィンに予算の交渉ができたからな、君の功績だろう。織物は技術的には完成していたのだが採算がとれる見込みがなくてな。刺繡と組み合わせて王子に高値で売りつけられる」
「それで寝心地を気にされているのですね」
「ああ、寝心地に問題がないことがわかれば、次は効果の検証にもつきあってもらうが今晩ではない」
検証って……。このまえオニキス様の研究室で後ろから抱きすくめられた時のことを思い出してしまった。あ、だめだこれ、何をされるかを想像しちゃうと眠れなくなっちゃうタイプのあれだ。
ちらりとオニキス様の顔を見るとなぜか、ふいと目を反らされた。
「オニキス様、いまの、わざとでしょう……!? というか、これも検証の一環なんじゃないんですか?」
そう抗議すると、オニキス様は鼻で笑って私をぎゅっと抱きしめた。悔しいのに嬉しくて幸せで眩暈がする。
「オニキス様のバカ! いじわる! マッドサイエンティスト!」
「リアは本当に可愛いな。ほら、おやすみのキスをしてあげるから今日はもう寝なさい」
笑いをかみ殺しながらそんなことを言い、瞼にキスをしてくれる。
……この状況で安眠ができる人がいるなら教えて欲しい。
***
眠れるわけがないと思っていたのに気が付くと朝になっていた。視線を感じて目を開けると肘枕のオニキス様と目があった。私が目覚めるのを待っていたのだろうか。恥ずかしさのあまり慌ててフラットシーツを目元まで引き上げる。
「おはよう、リア。寝心地は問題なかったようだな」
勝ち誇ったようにそう言い放つとシーツの上から私の頬にキスをする。
「支度があるだろうから、先に出ているよ。あとで感想をきかせてくれ」
くらくらするような甘い声でそう囁くとベッドから起き上がりガウンを身に着け扉に向かう。
……後朝の別れみたいな雰囲気を出しているけど、別に私たち何もありませんでしたよね……!
オニキス様が部屋を出ていくとしばらくして私の部屋側の扉をノックする音が響いた。
「リア様、ご朝食の前に湯あみをなさいますか?」
おずおずとマルガが声をかけてくれる。普段の朝は湯あみなどしない。
「ありがとう。お湯は昨晩いただいたばかりなので、顔を洗うだけで大丈夫です」
そう告げるとマルガは何とも言えない残念そうな顔で部屋をでていった。そんな顔をしたいのは私も同じですけれども。
朝の支度の準備をして戻って来たマルガに、今日のドレスは例の金糸銀糸のドレスにしたいと告げる。この先検証だのにつきあわされるのならば、従来型のドレスがどのようなものかだって試す必要があるだろう。
従来型のドレスと新しいナイトドレスの比較と、それぞれに関して改善してほしいことをびっしりとレポート用紙にまとめたものを渡すと、オニキス様はいそいそと研究室に戻って行った。ナイトドレスの改良にはしばらくかかるだろう。ひとまず今夜は「検証」には付き合わされずにすみそうだった。
腕枕で眠るだけでいっぱいいっぱいなのに、これ以上は私の理性がもちません、オニキス様。
***
学園の図書館でいつものように本を眺めていたところ「精霊の愛し子」について気になる童話集をみつけた。児童向けの本なのでどこまで参考にしていいかはわからない。
ざっくりいえば人魚姫のような話だった。
森で行き倒れになっている王子を助けた精霊王の末娘は王子に恋をする。姉たちが止めるのも聞かず王子の元へ向かう桃色の髪を持つ末娘。けれど王子にはすでに婚約者がいた。
王子への想いが届かず命を絶ってしまった末娘を偲んで、これ以降精霊たちは桃色の髪を持つ乙女を「愛し子」として庇護し恋の成就を手助けするようになった。王子と末娘の恋路の邪魔をした姫から生まれた漆黒の髪を持った娘は「忌み子」として生涯精霊の加護を得ることはなかったという。
「……逆恨みじゃないの」
思わず口から洩れてしまった。なにしろ、髪の色だけで言えば私は完全に「忌み子」ポジションである。慌てて辺りを見回すと、こちらを向いて立ち尽くしている人影があった。
「どうして、こんなところに……」
そうつぶやいた人影は因縁の義妹、リーゼだった。なにかきつい言葉をぶつけられるかと身構えていたけれど、リーゼは眉を少しひそめただけで踵を返してすぐに図書館を出て行ってしまった。
リーゼが図書館にいるなんてめずらしい。いつもつるんでいるモモカは一緒ではないのか。もしかすると、モモカがオニキス様のところに行っている間は一人になってしまうからだろうか。
私がいることを認識されてしまった以上、いままでのようにうっすらとした気配隠蔽でリーゼの様子を探ることは難しいだろう。面倒なことになったがリーゼのことはおいおい考えることにして、調べものを続けることにした。